雲南の旅も最終回。
昆明に帰って、友誼商店に入る。
友誼商店によらないツアーは許可しない、という政策はもう止めるべきだと思う。もっとも今では、政策はなくなったが、事実上続いているのかも知れない。
「お客さんを連れてきたが商売にならなかったよ」ということが続けばなくなるだろう。
大学の教授だという墨絵画家が、八卦拳を披露し、皆の目の前で絵を描く。
わたしと八雲さんが絵を見ていると、しきりに自分の描いた絵を勧める。石林の絵だ。 絵は確かにうまいが、そこまでしなければ売れないようなレベルではないかと思う。床の間に飾るにはいいが、財産にはならないことは知っておくべき。
大学教授だというのも気に入らない。日本の国立大学なら懲戒解雇か。解説だけにして、売るのは店の人に任せるべき。だから大学教授というのは偽であろうと思っていた。数回講師に招かれた程度ではないかと。本物の大学教授のアルバイトかもしれない。中国の大学のシステムはどうなっているのか。
わたしたちは自分で写真を撮ってきている。わたしは必要なら写真を紙焼きして飾る。
細かい買い物はした人がいるが、大きな買物をした人はいないようだ。
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2009年09月30日
2009年09月27日
2009年09月24日
天龍八部の旅14 石林1
4日目の麗江の朝は早い。六時から朝食。荷物を持って、二階の食堂に行く。そこは外の建物の調理場から食べ物を運んで来るようだった。
珍しいフルーツがあった。赤くて梨のような味がした。写真を撮ることもなく、急いで食べる。
6:45に出発。昆明に飛ぶため空港に行く。麗江の空港は間もなく日本からの直行便も飛ぶようになる。そうなると麗江は世界を相手にする都市になる。おそらくわたしはもう行くことはないだろう。観光に特化した街だ。
飛行時間は一時間ほど。実質四十分か。九時半に昆明に到着。
昆明の空港では、いるはずのバスが来ていない。少し待つことになる。
バスで石林へ向かう。
途中の高速道路ではバスの登録をしていた。運転手が署名。これはバスだけの届け出。
石林に着いたころは十一時を過ぎていた。すぐに昼食になる。
この書き方でも判るように記憶は少し薄れている。
写真が多いので2回に分ける。

この一階の広い食堂には我々だけだった。
中心になるのが石林ダック。北京ダックの石林版だ。

これはけっこう美味かった。北京ダックに石林なりの工夫を加えてできたもの。
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珍しいフルーツがあった。赤くて梨のような味がした。写真を撮ることもなく、急いで食べる。
6:45に出発。昆明に飛ぶため空港に行く。麗江の空港は間もなく日本からの直行便も飛ぶようになる。そうなると麗江は世界を相手にする都市になる。おそらくわたしはもう行くことはないだろう。観光に特化した街だ。
飛行時間は一時間ほど。実質四十分か。九時半に昆明に到着。
昆明の空港では、いるはずのバスが来ていない。少し待つことになる。
バスで石林へ向かう。
途中の高速道路ではバスの登録をしていた。運転手が署名。これはバスだけの届け出。
石林に着いたころは十一時を過ぎていた。すぐに昼食になる。
この書き方でも判るように記憶は少し薄れている。
写真が多いので2回に分ける。
この一階の広い食堂には我々だけだった。
中心になるのが石林ダック。北京ダックの石林版だ。
これはけっこう美味かった。北京ダックに石林なりの工夫を加えてできたもの。
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2009年09月22日
天龍八部の旅13 麗江古城
世界文化遺産の街、麗江再訪である。
この街は問題が出てきている。前回に書いたが、観光投資として新しい‘老街’を作り出していき、世界文化遺産取り消し通告まで受けているようだ。まあ正式な通知ではないだろうが、「いい加減にしなさい」ということらしい。
世界文化遺産は老街であって新街ではない。形は似ていて、観光客には判らないとはいうものの、新街まで世界文化遺産のふりをしているのが問題だ。ただし、この話は確認していない。街の噂程度に思ってほしい。

この右の細い路地を入っていく。

この水車は水の汲み上げかな。
北方玉泉公園から流れてきた水は、南に流れながらも、ここで三筋に別れ街を潤す。水が流れていたら、上流へ向かえばここに着く。ここを万一の集合場所とする。ホテルは川の上流のすぐ近く。ここはホテル前と言ってもいいところ。ホテルの部屋のカードは各人が持っている。
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この街は問題が出てきている。前回に書いたが、観光投資として新しい‘老街’を作り出していき、世界文化遺産取り消し通告まで受けているようだ。まあ正式な通知ではないだろうが、「いい加減にしなさい」ということらしい。
世界文化遺産は老街であって新街ではない。形は似ていて、観光客には判らないとはいうものの、新街まで世界文化遺産のふりをしているのが問題だ。ただし、この話は確認していない。街の噂程度に思ってほしい。
この右の細い路地を入っていく。
この水車は水の汲み上げかな。
北方玉泉公園から流れてきた水は、南に流れながらも、ここで三筋に別れ街を潤す。水が流れていたら、上流へ向かえばここに着く。ここを万一の集合場所とする。ホテルは川の上流のすぐ近く。ここはホテル前と言ってもいいところ。ホテルの部屋のカードは各人が持っている。
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2009年09月21日
天龍八部の旅12 麗江 束河村
束河村は最近観光地化したようだ。田舎道を通っていると、突如洒落た現代風な商店街になる。喫茶店やレストランなどが多い。

バスはこの駐車所まで。これから樹間の道を歩く。

石垣とレンガの壁、倉庫か。このような壁を時々見かける。
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バスはこの駐車所まで。これから樹間の道を歩く。
石垣とレンガの壁、倉庫か。このような壁を時々見かける。
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2009年09月19日
天龍八部の旅11 麗江 玉泉公園
麗江といえば、玉龍雪山である。ところが今回はついに全貌を見ることはできなかった。特に頂上付近は一度も見られない。ときには雨もぱらつく天気ながら、けっこう晴れる。その合間に見上げるのだが、終日雲が取れず。
まずは玉泉公園から。

玉泉(黒龍潭)公園の入り口。いにしえは、貴族しか入れない園だった。
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まずは玉泉公園から。
玉泉(黒龍潭)公園の入り口。いにしえは、貴族しか入れない園だった。
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2009年09月17日
天龍八部の旅10 崇聖寺三塔
崇聖寺三塔に対する追記。
大塔は千尋塔という。南詔国勧豊佑時代(823〜859)に建てられた。
小塔は大理国段正厳、段正興時代(1108〜1172)に建てた。
建てた年代はネットで調べたもので、確認をしていないが正しいと思われる。
ここで、段正厳とは段和誉つまり、天龍八部の段誉である。そうなると、ドラマでは天竜寺の僧が鳩摩智を迎えるため三塔に行くが、その当時は千尋塔だけしかなかったことになる。
05年の旅行のとき、「千尋塔は一度壊れ、再建したので一番新しい」と言われた。
それはいつのことかと思い、ネットで調べたが、出てこない。ところが次のような記述にぶつかった。
明の正徳時代の大地震で大理古城の家屋は殆ど倒壊し、千尋塔も破竹のように裂けたが、10日後奇跡的にもとの様子に戻った。
1925年の大地震では、千尋塔はてっぺんの宝刹しか落とされなかった。
レンガ造りの塔が破竹のように裂けて元に戻るだろうか。形だけは戻るかも知れない。この時、おりを見て取り壊し再建したのではないかと推測する。
さらに1978年から3年間にわたって、三塔の補修と補強作業をした。この作業はどのようなものか。この時解体修理つまり建て替えたとも考えられるが、なんともいえない。
この修理のとき、従来「土を積み上げて塔を建て、完成後土を取り去った」と言われていたが、それは間違いで足場を組んで建てたことが判ったという。
それから小塔の傾きは、一方が1.6度、もう一方が2.3度ほど。
いろいろ調べていると、なんと60度傾いているという記述にぶつかった。ウワー。
参考 崇聖寺三塔の紹介
作者:崇聖寺三塔文化観光地事務所 出所:崇聖寺三塔文化観光地
大塔は千尋塔という。南詔国勧豊佑時代(823〜859)に建てられた。
小塔は大理国段正厳、段正興時代(1108〜1172)に建てた。
建てた年代はネットで調べたもので、確認をしていないが正しいと思われる。
ここで、段正厳とは段和誉つまり、天龍八部の段誉である。そうなると、ドラマでは天竜寺の僧が鳩摩智を迎えるため三塔に行くが、その当時は千尋塔だけしかなかったことになる。
05年の旅行のとき、「千尋塔は一度壊れ、再建したので一番新しい」と言われた。
それはいつのことかと思い、ネットで調べたが、出てこない。ところが次のような記述にぶつかった。
明の正徳時代の大地震で大理古城の家屋は殆ど倒壊し、千尋塔も破竹のように裂けたが、10日後奇跡的にもとの様子に戻った。
1925年の大地震では、千尋塔はてっぺんの宝刹しか落とされなかった。
レンガ造りの塔が破竹のように裂けて元に戻るだろうか。形だけは戻るかも知れない。この時、おりを見て取り壊し再建したのではないかと推測する。
さらに1978年から3年間にわたって、三塔の補修と補強作業をした。この作業はどのようなものか。この時解体修理つまり建て替えたとも考えられるが、なんともいえない。
この修理のとき、従来「土を積み上げて塔を建て、完成後土を取り去った」と言われていたが、それは間違いで足場を組んで建てたことが判ったという。
それから小塔の傾きは、一方が1.6度、もう一方が2.3度ほど。
いろいろ調べていると、なんと60度傾いているという記述にぶつかった。ウワー。
参考 崇聖寺三塔の紹介
作者:崇聖寺三塔文化観光地事務所 出所:崇聖寺三塔文化観光地
2009年09月15日
天龍八部の旅9 麗江へ
三日目の朝は晴れていて、朝日が見えた。そして朝食。朝は早いようでもゆっくり寝ることができた。昨夜はカミソリが切れず、ヒゲが怪しいが気にしない。

八時半にホテルを出発、麗江に向かう。40分ほどで周城に立ち寄る。そこは藍染めの街だ。銀細工とならぶ大理の重要な産業だ。周城と言っても城とは町のことで、城壁や砦はない。
藍染めの作業場を見たり、お茶を飲んだりして40分ほど過ごす。作業場は観光客に見せるための設備で、実際の工場ではない。
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八時半にホテルを出発、麗江に向かう。40分ほどで周城に立ち寄る。そこは藍染めの街だ。銀細工とならぶ大理の重要な産業だ。周城と言っても城とは町のことで、城壁や砦はない。
藍染めの作業場を見たり、お茶を飲んだりして40分ほど過ごす。作業場は観光客に見せるための設備で、実際の工場ではない。
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2009年09月13日
天龍八部の旅8 大理古城
大理古城の観光は南門から始まる。
南門(南古楼)
天龍八部影視城から南門まで来るが、途中に城壁が整っているところがある。近年の再建による。
そして南門。ここから歩いて城内に入り、そこにある銀細工の店前でこの地方の銀細工の説明を受ける。白族は白い銀が好き。だから白族と言われる。重要な産業だ。純銀では一年もすると色がくすんでくる。そのためほんのわずか錫を混ぜて(0.?%という程度)白さを保つとか。
もっとも店先で手工業的に銀細工を作成しているのは、こんなに手間がかかりますという、デモストレーションだろう。実際は……。とにかく大理は銀製品が多い。
南門から五華楼あたりまで、土産物屋が並ぶ観光の中心である。観光地があって、そこに土産物屋があるのがふつうだが、大理は街そのものが観光地。
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2009年09月11日
天龍八部の旅7 天龍八部影視城3
この門は遼の南京(現在の北京)の城門だろう。
無崖棋廬の一軒おいた隣は道路になっている。この門の手前を左に行けば二十メートルほど先は、簡単な戸で通れない。この道の先に遼や女真の村があるという表示があるが施設の外らしい。西夏皇宮も見当たらない。行き止まりと知って右の方に行った。戸まで行って様子を見るべきだった。
その写真がない。これが撮っておきたい場所だと判るのは後からで、その時はなにもないで済ませてしまう。
少し中央に戻ると街。宋街だったか、記憶が不確か。
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2009年09月09日
天龍八部の旅6 天龍八部影視城2
碁の話は、武侠の碁「天龍八部の珍瓏の続き」に細かく書いたので、碁に興味のある方はそちらをみて下さい。ここでは碁以外の話を。かなりの部分が「天龍八部の珍瓏の続き」と重複します。

ここから右の一画は、碁に関するいろいろがある。と言ってもたいしたことはない。
この二階には行かなかったがなんだったンだろう。このときは他に目が向いていて、二階に行こうという気にならなかった。
追記:簫峯が阿紫と一緒に星宿派にからまれたあと、ひとりで閻王店に入るのがこの建物。その間に阿紫は星宿派の摘星子に捕まっている。簫峯はこの階段を右から登っていく。
虚竹が阿紫に騙されながら麺を食べる店も、ここの一階。
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ここから右の一画は、碁に関するいろいろがある。と言ってもたいしたことはない。
この二階には行かなかったがなんだったンだろう。このときは他に目が向いていて、二階に行こうという気にならなかった。
追記:簫峯が阿紫と一緒に星宿派にからまれたあと、ひとりで閻王店に入るのがこの建物。その間に阿紫は星宿派の摘星子に捕まっている。簫峯はこの階段を右から登っていく。
虚竹が阿紫に騙されながら麺を食べる店も、ここの一階。
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2009年09月06日
天龍八部の旅5 天龍八部影視城1
昼食は大理城外西のシャッター通りのようなところ。住宅街かと思っていた。
いったんホテルに帰って休むことになった。天龍八部城の門前で二時から始まる歓迎のアトラクションを見てから入ろうという。
そんなことより10分でも早く入って、ゆっくり見たいのだが、アトラクションの様子が判らないので、そのときはそんなものかと思った。

予定の時間に天龍八部城の城門前に行く。城壁はびっしりと蔦が覆い、印象が変わってしまうほど。城門は閉まっていて門上には観光客がいる。
歓迎のアトラクションが始まる。我々ばかりでなく中国人客も多い。最前列に陣取った中国人たちは一斉に傘を広げる。ちょっと日差しか強くなったのだ。
これを中国人は逞しいと見るか、マナーを知らないと思うか。国際会議でもなんかこんなイメージがする。
歓迎のアトラクションなど無視して先に入ればよかった。
わたしは知らなかったが、ガイドが対聯の説明を始めたらしい。岡崎さんが「そんなことはみんな知っています」と遮ったという。
参考 雲松書舎の対聯と同じ。
門からはいると、城内の案内係りの女性がいる。異様に化粧が濃く気持ち悪い(ゴメン)。
門の内側に、四大悪人の告示。

簡体字と繁体字が混じっている。そして横書きは左から右へ(^_^)。
大理国保定三年とある。保定という年号はなかった。架空の年号である。
ちなみに小説では段誉の生まれたのが保定二年。段延慶が四大悪人の一人となっのは、刀白鳳が段誉を懐妊して十年後。(第八巻 P182)。保定帝の即位は段誉が12歳ころ。小説では史実より10年ほど即位を早めていることになる。
みにくいが、段延慶以外の名は赤で×が付いている。死んだのだ。三人が死んだころは(段誉21歳)、段延慶は大理国の元皇太子であり、本来皇帝になるべき人だと判っていて、別な事情もあり、このような手配書は引っ込めたはず。
皆がこの告示の前から進まないので、ガイドが催促する。次のアトラクションが始まりますと。

鎮南世家の婿選びだ。ちなみに段誉の父は鎮南王で皇帝の弟。
公主(姫)だか郡主(これも姫)だかがこの赤い飾り玉を投げて、受け取った者がこの家の婿になる。
添乗員(若い女性)がちょっと裏取引をしたらしいが、よーさんが受け取り、姫の家来のような人たちの案内で中に入った。岡崎さんも通訳として入る。あっという間に婚礼。婚礼の要領は武侠ファンならおなじみ(^。^))。

次は徳勝門前の獅子舞。日本の獅子舞とはかなり感じが違う。高い台の上を渡っていく。
それが終わると捕り物劇。パンフには「殷商伝奇」とあるが、別な演目らしい。

この写真は後で雨の中で撮ったもの。
この門前には4頭の象像が鎮座している。四つ足とも大地に着いている。
皇族は真ん中を文官と武官は両脇の門を通るのだが、真ん中しか通れなくなっている。
段誉と両親と木婉清が一緒に帰ってきたとき、紙吹雪の中、馬でこの門を通って皇帝に会いに行く。

徳勝門に続いてこの門がある。中から撮影。
この門のこちら側は政府。門にはよーさんの婚礼のビデオと写真があった。有償。

皇宮、この城の中心になる建物。中はコスプレ会場。この建物の裏は後宮になる。
女性4人が着替えたが、大変な混みようで、玉座には届かなかった。
この建物は何度も使われている。たとえば段誉を救う相談をするところなど。

段誉や段正淳などの衣装。 こちらはペー族の衣装。

後宮。ここはなにもなかったかな。
段誉が家出から戻り、一家の間で問題がぶり返し、秦紅棉が木婉清を連れ戻しに来たとき、鎮南王と木婉清は、この建物から出てきて右の階段を下り秦紅棉と会う。
建物の後ろは門を出ると道になっていて、右の方へ行く。

日本4僧の墓がある。明代にこの地で果てた日本の4人の僧がいたという。この墓のまわりは整備したものの、動かさずそのままの位置においてある。この説明の資料館は、障子のような壁というか窓というか。日本人向けに作られたのか。
そこを出たとき、3時10分ころ、城のガイド嬢が、これから有料の演目が始まる。時間がないので今すぐ行くか行かないが返事か欲しい。と説明を始めた(劇の時間は15:20−16:10)。ここから先は見るモノがないとか。
観劇に行ってしまうと、もう城内を見る時間がなくなってしまう。劇も見たかったがわたしは断念した。このあたり微妙な心理のアヤがある。事前に説明されていたら見に行ったであろう。
なんか「振り込め詐欺」のような突然の説明だった。
それなら、ホテルに帰らず早く入るべきだったと、またも思う。

Gさんと二人で皆と別れて、先へ進む。人は少ない。ぶつかったところで右に曲がると無崖子居がすぐ近く。

この門は南京城(今の北京)の門だろう。外は駐車場。
その手前に碁の無崖子の住まいがあり、珍瓏などが展示されている。
この内容は次回。
いったんホテルに帰って休むことになった。天龍八部城の門前で二時から始まる歓迎のアトラクションを見てから入ろうという。
そんなことより10分でも早く入って、ゆっくり見たいのだが、アトラクションの様子が判らないので、そのときはそんなものかと思った。
予定の時間に天龍八部城の城門前に行く。城壁はびっしりと蔦が覆い、印象が変わってしまうほど。城門は閉まっていて門上には観光客がいる。
歓迎のアトラクションが始まる。我々ばかりでなく中国人客も多い。最前列に陣取った中国人たちは一斉に傘を広げる。ちょっと日差しか強くなったのだ。
これを中国人は逞しいと見るか、マナーを知らないと思うか。国際会議でもなんかこんなイメージがする。
歓迎のアトラクションなど無視して先に入ればよかった。
わたしは知らなかったが、ガイドが対聯の説明を始めたらしい。岡崎さんが「そんなことはみんな知っています」と遮ったという。
参考 雲松書舎の対聯と同じ。
門からはいると、城内の案内係りの女性がいる。異様に化粧が濃く気持ち悪い(ゴメン)。
門の内側に、四大悪人の告示。
簡体字と繁体字が混じっている。そして横書きは左から右へ(^_^)。
大理国保定三年とある。保定という年号はなかった。架空の年号である。
ちなみに小説では段誉の生まれたのが保定二年。段延慶が四大悪人の一人となっのは、刀白鳳が段誉を懐妊して十年後。(第八巻 P182)。保定帝の即位は段誉が12歳ころ。小説では史実より10年ほど即位を早めていることになる。
みにくいが、段延慶以外の名は赤で×が付いている。死んだのだ。三人が死んだころは(段誉21歳)、段延慶は大理国の元皇太子であり、本来皇帝になるべき人だと判っていて、別な事情もあり、このような手配書は引っ込めたはず。
皆がこの告示の前から進まないので、ガイドが催促する。次のアトラクションが始まりますと。
鎮南世家の婿選びだ。ちなみに段誉の父は鎮南王で皇帝の弟。
公主(姫)だか郡主(これも姫)だかがこの赤い飾り玉を投げて、受け取った者がこの家の婿になる。
添乗員(若い女性)がちょっと裏取引をしたらしいが、よーさんが受け取り、姫の家来のような人たちの案内で中に入った。岡崎さんも通訳として入る。あっという間に婚礼。婚礼の要領は武侠ファンならおなじみ(^。^))。
次は徳勝門前の獅子舞。日本の獅子舞とはかなり感じが違う。高い台の上を渡っていく。
それが終わると捕り物劇。パンフには「殷商伝奇」とあるが、別な演目らしい。
この写真は後で雨の中で撮ったもの。
この門前には4頭の象像が鎮座している。四つ足とも大地に着いている。
皇族は真ん中を文官と武官は両脇の門を通るのだが、真ん中しか通れなくなっている。
段誉と両親と木婉清が一緒に帰ってきたとき、紙吹雪の中、馬でこの門を通って皇帝に会いに行く。
徳勝門に続いてこの門がある。中から撮影。
この門のこちら側は政府。門にはよーさんの婚礼のビデオと写真があった。有償。
皇宮、この城の中心になる建物。中はコスプレ会場。この建物の裏は後宮になる。
女性4人が着替えたが、大変な混みようで、玉座には届かなかった。
この建物は何度も使われている。たとえば段誉を救う相談をするところなど。
段誉や段正淳などの衣装。 こちらはペー族の衣装。
後宮。ここはなにもなかったかな。
段誉が家出から戻り、一家の間で問題がぶり返し、秦紅棉が木婉清を連れ戻しに来たとき、鎮南王と木婉清は、この建物から出てきて右の階段を下り秦紅棉と会う。
建物の後ろは門を出ると道になっていて、右の方へ行く。
日本4僧の墓がある。明代にこの地で果てた日本の4人の僧がいたという。この墓のまわりは整備したものの、動かさずそのままの位置においてある。この説明の資料館は、障子のような壁というか窓というか。日本人向けに作られたのか。
そこを出たとき、3時10分ころ、城のガイド嬢が、これから有料の演目が始まる。時間がないので今すぐ行くか行かないが返事か欲しい。と説明を始めた(劇の時間は15:20−16:10)。ここから先は見るモノがないとか。
観劇に行ってしまうと、もう城内を見る時間がなくなってしまう。劇も見たかったがわたしは断念した。このあたり微妙な心理のアヤがある。事前に説明されていたら見に行ったであろう。
なんか「振り込め詐欺」のような突然の説明だった。
それなら、ホテルに帰らず早く入るべきだったと、またも思う。
Gさんと二人で皆と別れて、先へ進む。人は少ない。ぶつかったところで右に曲がると無崖子居がすぐ近く。
この門は南京城(今の北京)の門だろう。外は駐車場。
その手前に碁の無崖子の住まいがあり、珍瓏などが展示されている。
この内容は次回。
2009年09月04日
天龍八部の旅4 崇聖寺2
望海楼に登り見下ろす。

崇聖寺がまるで宮殿のようだ。一望と言いたいが、重なってはっきりしない。
こういう景色を見ると、中国の観光投資の凄さに圧倒される。総額1.8億元とか。金額もさることながら、ほとんど判っていない昔の姿を創造してしまい、歴史建造物であるかのように扱うその発想に驚く。レジャーランドの寺ではない。
現実に五十人ほどの僧侶が修行している。
この寺が、修行の邪魔だからと観光客の締め出しを行ったら、政府は許すかどうか。崇聖寺にそのような判断をする権利があるのかどうか。どうもなさそうな気がする。
もっとも財政的に維持できないだろうから、権利があってもその権利を行使する機会はないだろう。
再建の施主は雲南省政府と大理市政府、政府主導の宗教施設と言うことになる。まあ実体は観光施設なんだろうな。
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崇聖寺がまるで宮殿のようだ。一望と言いたいが、重なってはっきりしない。
こういう景色を見ると、中国の観光投資の凄さに圧倒される。総額1.8億元とか。金額もさることながら、ほとんど判っていない昔の姿を創造してしまい、歴史建造物であるかのように扱うその発想に驚く。レジャーランドの寺ではない。
現実に五十人ほどの僧侶が修行している。
この寺が、修行の邪魔だからと観光客の締め出しを行ったら、政府は許すかどうか。崇聖寺にそのような判断をする権利があるのかどうか。どうもなさそうな気がする。
もっとも財政的に維持できないだろうから、権利があってもその権利を行使する機会はないだろう。
再建の施主は雲南省政府と大理市政府、政府主導の宗教施設と言うことになる。まあ実体は観光施設なんだろうな。
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2009年09月02日
天龍八部の旅3 崇聖寺1
これは「崇聖寺三塔文化旅遊区」つまり公園の門。三塔から鐘楼(南詔建極大鐘)にかけて、前回行ったところは公園、その背後に新しく昔の崇聖寺が再現されていた。05年4月完成。してみると前回もすでに完成されていたのか。比較してみると少し様子が違う。
南詔とは大理国の前の王国(八世紀半ば−902)である南詔国。
大理国は937年に白(ペー)族段思平の建てた国。1253年に元に滅ぼされる。大理城はぺー族の街。
天龍八部では、段思平は中央武林の出身としているが、史実ではない。
崇聖寺は段家の菩提寺で、天龍八部の「青龍寺」のモデルである。代々の皇帝の多くが出家して、この寺で修行している。天龍八部でも保定帝段正明は段誉に帝位を譲り出家する。
清の咸豊年間に戦禍に遇い、残ったものもあの文化大革命のおり三塔以外は全て破壊された。ところが05年に崇聖寺が再現された。これでも盛時の半分という。観光施設かと思っていたら、本物の寺である。現在五十人ほどの僧がいる。再建した心は観光施設であっても、敬意を表したい。どのようにかといえば、仏教寺院を参観する礼を守るということ。
門から入ると、正面に大塔がある。
前回、塔は新しく作り直して、古い塔は一塔だけと聞いた記憶があるが、岡崎さんの説明では塔は古いという。いま調べてみるとやはり古い。記憶違いだった。
現実には地図の左半分が崇聖寺、右半分が公園ということになろう。右端が入り口、洱海側。
国家AAAA級景区とある。AAAAとは初めて目にした。BやCもあるんだろうか。
ついでに言うと、ホテルの星の数は中国が勝手に決めたもので、欧米に比べて、1クラス下がるという。そういえば日本のホテルで星の数を競った例を知らないが、あるんだろうな。
ビジネスホテルしか利用しないわたしには縁のない話でした。
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2009年08月31日
天龍八部の旅2 崇聖寺へ
昆明は朝5時半に出発。朝食の時間がないので、弁当を貰う。時間は北京時間なので、このあたりは一時間ほど朝が遅い。外はまだ夜だ。
空港で搭乗手続きを済ませ中に入り、フライトを待っている間に朝食をとる。パン・サンドイッチ・小さなソーセージ・ゆで卵・林檎など。
中国旅行では飲み水はペットボトルに限る。普通の水は飲めない。機内持ち込みが厳しくなり、ペットボトルは持ち込めない。持ってきたペットボトルは搭乗手続き前に捨て、空港内であらためて買わねばならない。昆明では空港内に水があったので、買わずに済んだ。
飛行機内では飲み物として緑茶を貰う。砂糖入り! 西洋人が砂糖を入れて緑茶を飲むとは聞いていたが、中国でも甘くするとは知らなかった。一般的か。雲南だけかも知れない。
大理に到着は7:50、飛行時間は正味二十分ほど。前回は素朴な地方空港のイメージだったが、様変わりしていて、記憶との差にとまどう。
外は雨。今は雲南は雨期。ただし山の上と同じで急変する。
バスに乗り込む。ここから洱海を回り込むようにしてホテルに向かう。大理は洱海の向こう側。このバスの中で全員が自己紹介。
岡崎さんが、「皆さんの内力を集めて、雨を止ませましょう」などと言う。空も明るくなってきたような雰囲気になる。
耳のような洱海の南端に下関がある。行政府などが集中する大理の新しい町だ。観光地は古い街。
下関から北上し大理に行くが、雨が激しいので、一時ホテルに入って様子を見ることになった。
続きを読む
空港で搭乗手続きを済ませ中に入り、フライトを待っている間に朝食をとる。パン・サンドイッチ・小さなソーセージ・ゆで卵・林檎など。
中国旅行では飲み水はペットボトルに限る。普通の水は飲めない。機内持ち込みが厳しくなり、ペットボトルは持ち込めない。持ってきたペットボトルは搭乗手続き前に捨て、空港内であらためて買わねばならない。昆明では空港内に水があったので、買わずに済んだ。
飛行機内では飲み物として緑茶を貰う。砂糖入り! 西洋人が砂糖を入れて緑茶を飲むとは聞いていたが、中国でも甘くするとは知らなかった。一般的か。雲南だけかも知れない。
大理に到着は7:50、飛行時間は正味二十分ほど。前回は素朴な地方空港のイメージだったが、様変わりしていて、記憶との差にとまどう。
外は雨。今は雲南は雨期。ただし山の上と同じで急変する。
バスに乗り込む。ここから洱海を回り込むようにしてホテルに向かう。大理は洱海の向こう側。このバスの中で全員が自己紹介。
岡崎さんが、「皆さんの内力を集めて、雨を止ませましょう」などと言う。空も明るくなってきたような雰囲気になる。
耳のような洱海の南端に下関がある。行政府などが集中する大理の新しい町だ。観光地は古い街。
下関から北上し大理に行くが、雨が激しいので、一時ホテルに入って様子を見ることになった。
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2009年08月30日
天龍八部の旅1 大理へ
岡崎由美先生と行く中国の旅
映画「天龍八部」の撮影地と雲南省を巡る旅
「岡崎由美先生と行く中国の旅」にまた参加することにした。
8月21日〜25日に大理・麗江・昆明(石林)を巡る。

天龍八部城の城門。ここを目指す。
20日に上野〜成田の切符を購入。前回は、予定の電車は満員で乗れなくて次の電車にして遅刻しそうになったので事前に用意した。
成田での集合時間7時40分には、成田発の8人と岡崎さんと女性添乗員と全員そろって、出だしは順調。
広州空港で入国しようとすると、入国書類の書き直しをいわれる。最近書式が変わって、旅行社の用意した書類ではダメだった。書き直しをしようとしたら関西発の八雲幇主たち3人も書き直しをしていて、そこで合流した。
書類は英語。判らないので、隣の人に聞いたり、裏面の中国人用の漢字を参照しながら見当をつけて記入する。
そして乗り換え。書類の書き直しはあったが、添乗員任せの旅は楽だ。
広州空港は広大で、このあたりの中継地点となっていて、航路が集中している。
4時間近い乗り換え時間があり、それから2時間あまりの飛行で昆明へ。
続きを読む
映画「天龍八部」の撮影地と雲南省を巡る旅
「岡崎由美先生と行く中国の旅」にまた参加することにした。
8月21日〜25日に大理・麗江・昆明(石林)を巡る。
天龍八部城の城門。ここを目指す。
20日に上野〜成田の切符を購入。前回は、予定の電車は満員で乗れなくて次の電車にして遅刻しそうになったので事前に用意した。
成田での集合時間7時40分には、成田発の8人と岡崎さんと女性添乗員と全員そろって、出だしは順調。
広州空港で入国しようとすると、入国書類の書き直しをいわれる。最近書式が変わって、旅行社の用意した書類ではダメだった。書き直しをしようとしたら関西発の八雲幇主たち3人も書き直しをしていて、そこで合流した。
書類は英語。判らないので、隣の人に聞いたり、裏面の中国人用の漢字を参照しながら見当をつけて記入する。
そして乗り換え。書類の書き直しはあったが、添乗員任せの旅は楽だ。
広州空港は広大で、このあたりの中継地点となっていて、航路が集中している。
4時間近い乗り換え時間があり、それから2時間あまりの飛行で昆明へ。
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2009年08月29日
映画「天龍八部」の撮影地と雲南省を巡る旅
岡崎由美先生と行く中国の旅
映画「天龍八部」の撮影地と雲南省を巡る旅
8月21日〜25日
また「岡崎由美先生と行く中国の旅」に参加することになった。
前回は桃花島ツアーだった。そのときは、台風のため島に渡ることができず、象山影視城(神G侠侶城)に変更になった。
わたしは、桃花島はその前に行ったことがあったので、象山影視城への変更に喜んだ。
その時の詳しい様子は 寧波 を見て下さい。
さて今回は、
8月21日 成田〜広州〜昆明
8月22日 昆明〜大理
8月23日 大理〜麗江
8月24日 麗江〜昆明
8月25日 昆明〜広州〜成田
急ぎ旅だなあ。このコースは前に行ったことがある。
その時の様子は 雲南憧憬 をどうぞ。(この記事も同じカテゴリーです)
その時は、「天龍八部影視城」は門前まで行っただけで、中に入る時間がなかった。今回はここに入ることが最大の楽しみ。
その他ももう一度行きたいと思っていたので、企画は悪くはないのだが、正味三日ではとにかく忙しい。
もうひとつ麗江の束河村ナシ族村がある。これも前回は行かなかった。案外こちらの方が新発見が多いかも知れない。
投稿日付を変更しました。 続きを読む
映画「天龍八部」の撮影地と雲南省を巡る旅
8月21日〜25日
また「岡崎由美先生と行く中国の旅」に参加することになった。
前回は桃花島ツアーだった。そのときは、台風のため島に渡ることができず、象山影視城(神G侠侶城)に変更になった。
わたしは、桃花島はその前に行ったことがあったので、象山影視城への変更に喜んだ。
その時の詳しい様子は 寧波 を見て下さい。
さて今回は、
8月21日 成田〜広州〜昆明
8月22日 昆明〜大理
8月23日 大理〜麗江
8月24日 麗江〜昆明
8月25日 昆明〜広州〜成田
急ぎ旅だなあ。このコースは前に行ったことがある。
その時の様子は 雲南憧憬 をどうぞ。(この記事も同じカテゴリーです)
その時は、「天龍八部影視城」は門前まで行っただけで、中に入る時間がなかった。今回はここに入ることが最大の楽しみ。
その他ももう一度行きたいと思っていたので、企画は悪くはないのだが、正味三日ではとにかく忙しい。
もうひとつ麗江の束河村ナシ族村がある。これも前回は行かなかった。案外こちらの方が新発見が多いかも知れない。
投稿日付を変更しました。 続きを読む
2006年05月01日
雲南憧憬 9 麗江
うんなんしょうけい 9 れいこう
大理は一泊で麗江に向かう。
旅行者の中には、「もう中国には飽きた。帰りたい」と言う人も何人かいた。
ヨン様(添乗員)も「8日間は長すぎますか」などと言って、わたしの方を見た。
「わたしなら大理だけで三泊したい、それくらいないと見きれない」
半日で飽きたと言う人は呆れていた。
「見るところなんて、もうないじゃない」
天龍八部の撮影所を一日かけて見たいなんて、オタクに近いのかな。もっともみんな金庸を知らないから。
麗江までバスで4時間以上。ガイドは任さん一人になる。
左手に蒼山の山脈が、屏風のようにそびえている。
蒼山は19の峰がある。その最高点は4122m、峰の上には万年雪があり、「炎天に雪が溶けず」という。ハイキングコースもある。魅力的なんだが…。
それらの峰の間には一本ずつ18本の川が洱海に注いでいる。
蒼山の麓には多くのぺー族の町があった。
麗江への中間あたりでドライブインにはいる。
トイレを使い、茶を飲み、そこにある林檎や落花生を食べる。一応無料。(全体で払っているかも知れない)
リンゴは小さいが味は悪くない(不錯)。各自リンゴを剥くのだが、現地の人か若い女性が、ナイフを逆にしていた。刃を外側に向けている。
落花生は小さくて不揃い。選別はもちろんしていないが、土地の条件からこのようになったのではないか。
任さんの声は聞きやすい。今までのバスではマイクを通した音声は音質が悪く「ポポーポポポポー」となってしまう。このバスはそれがなかったのだ。

麗江はナシ(納西)族自治県の中心地。街の北側には玉龍雪山がそびえている。高さ5596メートル。麗江そのものが2400メートルの高地である。古い街並みを残した麗江故城は世界遺産になっている。
なお、隣接地に古い街を模写した新しい街を作っていた。間もなく麗江の街は更に大きくなることになろう。もちろんこの古い街並みとは別に普通の市街地がある。世界遺産に指定されてから規模を大きくするため大分手を入れたらしい。
ナシ(納西)族は、ここ雲南省の麗江と四川省の一部に住んでいる。人口は約28万人。ナシ語を話す。トンパ文字でも有名だ。

麗江は綺麗な水が流れている。この水には魚もいる。食器を洗う人も見た。
♪♪夜明け待たずに帰る人 瀬音切ない螢川♪♪ (藤あや子 源氏物語より)
わたしはカレがいますが…。
という任さんの話からナシ族の婚姻の形態の話になった。本来ナシ族は夜這いの習慣があり、男は娶らず、女は嫁せず、財産は女が相続し、男では借金もできないという。
もっとも、夜這いと通い婚は少し違うが、そこまで詳しくは訊かなかった。
「あなたが結婚するときは、新婚旅行に日本に来ませんか」
「新婚旅行の習慣は無いですよ」
愚問であった。
「それに日本に行くのは、行くだけで30万円(日本円)もします。小遣いなども入れると、とても行けません」
普通の人の年収くらい必要であった。
母親は学校で国語の先生をしている。月給は2万円を越える。先生としては高給な方だが、国語では塾の先生になれないため余禄がない。
日本語はハルピンの大学で日本人の先生から学んだという。麗江からハルピンまで留学したのだ。日本人とほとんど変わらず話ができる。
情に流れず、ガイドに徹する。
たとえば「高いものは買わないようにして下さい、品質が悪くても交換できませんから」
土産物屋はともかく、地元の商店街に案内してこう言う。

この建物は新しい。
世界には文明と言われる地域と文化と呼ばれる地域がある。日本は日本文化といっても、日本文明とはいわない。厳密にどう区別するかは知らないが、その一つの手がかりは独自の文字である。
仮名文字は漢字を基にしたし、ハングルはもちろん漢字を知っている人が創作した。
文字という概念が全く無かった民族が文字を創作する、それが文明である。漢字をはじめ、エジプトの象形文字とか、マヤの文字、アルファベット(これは先行した文字があったらしいが)など10にも満たない。その一つがトンパ文字であるという人もいた。

トンパ(東巴)文字。
トンパ文字はナシ族に伝わる象形文字である。約1400の単字からなり、現在世界で唯一の「生きた象形文字」とされる。実際はお祭りなど特別な場合にしか使わない。
文字は千年ほど前から伝わるらしいのだが、すでに漢字の存在を知っていたはずだ。独自説は褒めすぎ。
トンパ教という宗教がある。そのシャーマンをトンパという。このトンパは数十人しかいなくなり(30人以下という説も)、伝承が途絶える心配が出てきている。

木府
ナシ族の首領ムー(木)氏の行政府でもあり私邸でもある。
木府も文化大革命の時には破壊されてしまい、現在の建造物は、麗江が世界遺産に指定された1997年に復元されたという。
木府は後背地も含めかなり広い。その高みからは麗江の街が一望できる。

故城は城壁がない。山に囲まれているので必要なかったのであろう。四方街はその中心であり、ナシ族の老人が民族衣装でダンスをしている。政府の補助による。観光の精神的中心になる。
なお、店先にいる民族衣装の人と写真を撮ったりするときは、「1〜2元上げて下さい」


玉龍雪山は高さ5596メートル。この地方のシンボルである。
ここまで綺麗に見えたのは珍しいと言っていた。
翌日は曇りだったが、この山は見えた。それほど街からは近い。
この山の向こうにシャングリラ(香格里拉)がある。桃源郷や理想社会の代名詞とっているが、1990年代に、雲南の廸慶という町がシャングリラとされた。観光用の創名である。
わたしは小説によってこの名を知ったのであり、数年前にこの地方がモデルとされたという説を知った。
任さんは「自分の愛した土地がその人にとってのシャングリラであり、わたしには麗江の街がシャングリラです」
本来「シャングリラ」とはイギリスの有名な小説家ジェームス・ヒルトンが1933年に小説「失われた地平線」の中に書いた中国西南部のチベット地域にある平和で安静な土地のこと。
「失われた地平線」について
30年以上前に読んだので曖昧であるが、追記する。年数は違っていたかも知れません。
イギリスの探検家が、インド側からヒマラヤをこえて、ある山村に入った。そこはシャングリラという穏和な理想郷であった。
そこで歓迎される。ピアノもあって、曲を聴くが、それがショパンであった。
音楽に詳しい探検家は、ショパンナンバーはすべて知っていた。その中にない初めて聴く曲なのにショパンに間違いない。
100年(?)も前になくなった作曲家の未発表の曲である。
お定まりで、探検家は現地の女と恋に陥る。女はずっとシャングリラで暮らしていたにもかかわらず、150年(?)も前のことまで知っていた。探検家は、二人でそこを逃げて下界で暮らそうと、渋る女を説得する。
そして二人で山を下りるのだが、下りるにつれて、女は老化していく。そして下まで来たときは…。
現在ならホラー映画になるだろうか。
この街に、ナシ族の劇場があった。一人2000円。昼のうちに予約して夕食後に見に行った。

素朴な民族劇らしい劇や音楽で、見てよかったと思う。
厚着をしていったがそれでも寒い。昼間は日陰を歩いたほど暑かったので寒さに驚く。
主演は89歳翁、人間国宝的な人である。後ろに並んでいる演奏者は高齢者ばかりであった。

激しい動きのある踊りは若い人たち。
左側は文字が見える。これで今何を表しているのか判る。

マールー(馬鹿)を奏する女。弦は数本あるので、思った以上に複雑な音が出る。
口琴は、アイヌにもあり、台湾の高山族にもある。
途中で李後主の詞らしきものが歌われた。最後の言葉が、「天上人間」。「浪陶沙令」だったのだろうか。前の方の言葉が判らなくては断定できない。
任さんに訊いた。
「李後主がここでも知られているんですか」
「もちろん有名です。誰でも知っていますよ」
後でふっと思ったが、任さんの答えは「今では…」だったのかも知れない。わたしはトンパ文化の一部として、李後主の詞があるのかどうか訊いたのだが。
翌日は黒龍潭公園を見学する。五鳳楼やトンパ文化研究所などが園内にある。
玉泉公園の異名があるように、公園の池の一画で滾々と水がわき出している。付近の人はここまで水を汲みに来る。中国では珍しい水に恵まれた街であった。

五鳳楼にふれておこう。
中国では龍は皇帝の象徴、鳳は皇后の象徴であった。そしてここ麗江はナシ族の女の国である。それなら園の支配者は鳳となる。正面の兵士の像は、昨晩劇場で見た、ナシ族の伝説上の救世主である。
大理は一泊で麗江に向かう。
旅行者の中には、「もう中国には飽きた。帰りたい」と言う人も何人かいた。
ヨン様(添乗員)も「8日間は長すぎますか」などと言って、わたしの方を見た。
「わたしなら大理だけで三泊したい、それくらいないと見きれない」
半日で飽きたと言う人は呆れていた。
「見るところなんて、もうないじゃない」
天龍八部の撮影所を一日かけて見たいなんて、オタクに近いのかな。もっともみんな金庸を知らないから。
麗江までバスで4時間以上。ガイドは任さん一人になる。
左手に蒼山の山脈が、屏風のようにそびえている。
蒼山は19の峰がある。その最高点は4122m、峰の上には万年雪があり、「炎天に雪が溶けず」という。ハイキングコースもある。魅力的なんだが…。
それらの峰の間には一本ずつ18本の川が洱海に注いでいる。
蒼山の麓には多くのぺー族の町があった。
麗江への中間あたりでドライブインにはいる。
トイレを使い、茶を飲み、そこにある林檎や落花生を食べる。一応無料。(全体で払っているかも知れない)
リンゴは小さいが味は悪くない(不錯)。各自リンゴを剥くのだが、現地の人か若い女性が、ナイフを逆にしていた。刃を外側に向けている。
落花生は小さくて不揃い。選別はもちろんしていないが、土地の条件からこのようになったのではないか。
任さんの声は聞きやすい。今までのバスではマイクを通した音声は音質が悪く「ポポーポポポポー」となってしまう。このバスはそれがなかったのだ。

麗江はナシ(納西)族自治県の中心地。街の北側には玉龍雪山がそびえている。高さ5596メートル。麗江そのものが2400メートルの高地である。古い街並みを残した麗江故城は世界遺産になっている。
なお、隣接地に古い街を模写した新しい街を作っていた。間もなく麗江の街は更に大きくなることになろう。もちろんこの古い街並みとは別に普通の市街地がある。世界遺産に指定されてから規模を大きくするため大分手を入れたらしい。
ナシ(納西)族は、ここ雲南省の麗江と四川省の一部に住んでいる。人口は約28万人。ナシ語を話す。トンパ文字でも有名だ。

麗江は綺麗な水が流れている。この水には魚もいる。食器を洗う人も見た。
♪♪夜明け待たずに帰る人 瀬音切ない螢川♪♪ (藤あや子 源氏物語より)
わたしはカレがいますが…。
という任さんの話からナシ族の婚姻の形態の話になった。本来ナシ族は夜這いの習慣があり、男は娶らず、女は嫁せず、財産は女が相続し、男では借金もできないという。
もっとも、夜這いと通い婚は少し違うが、そこまで詳しくは訊かなかった。
「あなたが結婚するときは、新婚旅行に日本に来ませんか」
「新婚旅行の習慣は無いですよ」
愚問であった。
「それに日本に行くのは、行くだけで30万円(日本円)もします。小遣いなども入れると、とても行けません」
普通の人の年収くらい必要であった。
母親は学校で国語の先生をしている。月給は2万円を越える。先生としては高給な方だが、国語では塾の先生になれないため余禄がない。
日本語はハルピンの大学で日本人の先生から学んだという。麗江からハルピンまで留学したのだ。日本人とほとんど変わらず話ができる。
情に流れず、ガイドに徹する。
たとえば「高いものは買わないようにして下さい、品質が悪くても交換できませんから」
土産物屋はともかく、地元の商店街に案内してこう言う。

この建物は新しい。
世界には文明と言われる地域と文化と呼ばれる地域がある。日本は日本文化といっても、日本文明とはいわない。厳密にどう区別するかは知らないが、その一つの手がかりは独自の文字である。
仮名文字は漢字を基にしたし、ハングルはもちろん漢字を知っている人が創作した。
文字という概念が全く無かった民族が文字を創作する、それが文明である。漢字をはじめ、エジプトの象形文字とか、マヤの文字、アルファベット(これは先行した文字があったらしいが)など10にも満たない。その一つがトンパ文字であるという人もいた。

トンパ(東巴)文字。
トンパ文字はナシ族に伝わる象形文字である。約1400の単字からなり、現在世界で唯一の「生きた象形文字」とされる。実際はお祭りなど特別な場合にしか使わない。
文字は千年ほど前から伝わるらしいのだが、すでに漢字の存在を知っていたはずだ。独自説は褒めすぎ。
トンパ教という宗教がある。そのシャーマンをトンパという。このトンパは数十人しかいなくなり(30人以下という説も)、伝承が途絶える心配が出てきている。

木府
ナシ族の首領ムー(木)氏の行政府でもあり私邸でもある。
木府も文化大革命の時には破壊されてしまい、現在の建造物は、麗江が世界遺産に指定された1997年に復元されたという。
木府は後背地も含めかなり広い。その高みからは麗江の街が一望できる。

故城は城壁がない。山に囲まれているので必要なかったのであろう。四方街はその中心であり、ナシ族の老人が民族衣装でダンスをしている。政府の補助による。観光の精神的中心になる。
なお、店先にいる民族衣装の人と写真を撮ったりするときは、「1〜2元上げて下さい」


玉龍雪山は高さ5596メートル。この地方のシンボルである。
ここまで綺麗に見えたのは珍しいと言っていた。
翌日は曇りだったが、この山は見えた。それほど街からは近い。
この山の向こうにシャングリラ(香格里拉)がある。桃源郷や理想社会の代名詞とっているが、1990年代に、雲南の廸慶という町がシャングリラとされた。観光用の創名である。
わたしは小説によってこの名を知ったのであり、数年前にこの地方がモデルとされたという説を知った。
任さんは「自分の愛した土地がその人にとってのシャングリラであり、わたしには麗江の街がシャングリラです」
本来「シャングリラ」とはイギリスの有名な小説家ジェームス・ヒルトンが1933年に小説「失われた地平線」の中に書いた中国西南部のチベット地域にある平和で安静な土地のこと。
「失われた地平線」について
30年以上前に読んだので曖昧であるが、追記する。年数は違っていたかも知れません。
イギリスの探検家が、インド側からヒマラヤをこえて、ある山村に入った。そこはシャングリラという穏和な理想郷であった。
そこで歓迎される。ピアノもあって、曲を聴くが、それがショパンであった。
音楽に詳しい探検家は、ショパンナンバーはすべて知っていた。その中にない初めて聴く曲なのにショパンに間違いない。
100年(?)も前になくなった作曲家の未発表の曲である。
お定まりで、探検家は現地の女と恋に陥る。女はずっとシャングリラで暮らしていたにもかかわらず、150年(?)も前のことまで知っていた。探検家は、二人でそこを逃げて下界で暮らそうと、渋る女を説得する。
そして二人で山を下りるのだが、下りるにつれて、女は老化していく。そして下まで来たときは…。
現在ならホラー映画になるだろうか。
この街に、ナシ族の劇場があった。一人2000円。昼のうちに予約して夕食後に見に行った。

素朴な民族劇らしい劇や音楽で、見てよかったと思う。
厚着をしていったがそれでも寒い。昼間は日陰を歩いたほど暑かったので寒さに驚く。
主演は89歳翁、人間国宝的な人である。後ろに並んでいる演奏者は高齢者ばかりであった。

激しい動きのある踊りは若い人たち。
左側は文字が見える。これで今何を表しているのか判る。

マールー(馬鹿)を奏する女。弦は数本あるので、思った以上に複雑な音が出る。
口琴は、アイヌにもあり、台湾の高山族にもある。
途中で李後主の詞らしきものが歌われた。最後の言葉が、「天上人間」。「浪陶沙令」だったのだろうか。前の方の言葉が判らなくては断定できない。
任さんに訊いた。
「李後主がここでも知られているんですか」
「もちろん有名です。誰でも知っていますよ」
後でふっと思ったが、任さんの答えは「今では…」だったのかも知れない。わたしはトンパ文化の一部として、李後主の詞があるのかどうか訊いたのだが。
翌日は黒龍潭公園を見学する。五鳳楼やトンパ文化研究所などが園内にある。
玉泉公園の異名があるように、公園の池の一画で滾々と水がわき出している。付近の人はここまで水を汲みに来る。中国では珍しい水に恵まれた街であった。

五鳳楼にふれておこう。
中国では龍は皇帝の象徴、鳳は皇后の象徴であった。そしてここ麗江はナシ族の女の国である。それなら園の支配者は鳳となる。正面の兵士の像は、昨晩劇場で見た、ナシ族の伝説上の救世主である。
雲南憧憬 8 大理故城
うんなんしょうけい 8 だいりこじょう
大理は、唐代は南詔国の都、宋代は大理国の都であった。独立国である。
今はぺー(白)族が人口の半分以上を占めている、ペー族自治州の州都だ。
大理故城は城壁に囲まれた都市。いくつかの門があり、南古楼の脇にバスを置いて城内に入る。

南古楼から五華楼を通って上下(南北)に伸びる、中心となる道が復興路。
五華楼の北の東西に連なる道が人民路、その道は後で通った。その東の門が「洱海門」、「洱海」の方向である。西の方は山側で蒼山門を西に行くと天龍八部の撮影所がある。

まずは城内の商店街。楊さんの頭上の飾りを後ろから。
中央下の台の上に並んでいるのは厚紙状のチーズを丸めたもの、これを焼いて食べる。見ていたら焦げ目ができるほど焼くが融けない。

この城の中心となる五華楼、なんに使ったのか、聞き漏らした。

五華楼の北側のかなり先。

引き返し人民路を湖側に曲がると目についた食堂。砂鍋魚は当地の名物料理。
並べられている野菜は、食材である。各自、野菜と料理法を指定するようだ。

少し歩いて下に(南に)曲がると市場がある。右の建物には肉がズラリと並んでいた。
左側は露天の野菜市場。振り返って撮ったので、右が北側になる。
ホテルに入る。ホテルは風花雪月大酒店。わたしにとっては超の着く豪華な部屋。どのくらいかといえば、セミダブルベッドが二つ並んでいて、なお充分余裕があり、浴室だけでも8畳はありそうな大きさ。
ロビーには、かなりのスペースに名石や彫刻を並べている。売り物なのだが、表示は小さいため、まるで美術館のよう。
まだ早いため、一人で外に出た。ホテルを半周するように歩くと、「洱海門」があった。
小さくて見えるトラックはノーズの部分に覆いがない。何台か見た。

「洱海門」からはいると人民路である。ここは観光客は少ないようだ。
途中、古本屋に立ち寄る。古龍の本が棚の一段を占めていた。こんなに多作だったのだ。
他には「ヒカルの碁」の中国語版。小学生用のドリルなど。そういえば棚を覗いている人には小学生らしい人が数人いた。
人民路を突き抜けると右手に馬などが見える。そちらに向かうと、「天龍八部影視城由此上」という看板がある。こんな近くにあったのだ。では行って見ようと坂道を上り歩きはじめたが、かなり歩いたところで同方向に行く馬車が来た。「2元でどうか」「OK」と乗り込む。道は「h」状になっていて、わたしは真っ直ぐ上ったが、馬車は曲がって右側の道を通る。そこの合流点から乗ったのだが影視城までの半分ほどであろう。

門前まで来たが、実はもう30分ほどしか時間がない。入るのは諦めた。入場料は五十何元とか聞きとれた。入ってしまえば半日以上の観光になる。門を見上げて満足する。
それにしても、たった一人の作家のためにこのような映画撮影所ができて、外国にも知られる観光地になる。たいへんなことではないか。

門の脇には剣も置いてあった。鞘入りであるが、もし身があれば刃渡り二尺ほど。江湖では、刀(とう)より剣(けん)の方が上品とされた。暗器(飛び道具)は卑怯とされているのは日本と同じ。だが、使う人は多い。

ここから街が一望であった。「洱海」がよく見える。

帰りも馬車に乗る。10元で、蒼山門まで。
思ったより早かったので、そこからホテルまで、寄り道をしながら歩く。

途中で見た料理店の食材。これも入り口に並べてある。

夕暮れ、池の土手から崇聖寺跡の後方を見る。こう見ると大規模な建物群である。家の壁は白が多い。ペー(白)族の家と思われる。
附記すると、大理は故城から十五キロほど南、「洱海」の南端に新しい市外がある。下関といい、官公庁が集まっている。鉄道の駅もある(地図では工事中だが、道の案内にはあった)。観光地ではない。
大理は、唐代は南詔国の都、宋代は大理国の都であった。独立国である。
今はぺー(白)族が人口の半分以上を占めている、ペー族自治州の州都だ。
大理故城は城壁に囲まれた都市。いくつかの門があり、南古楼の脇にバスを置いて城内に入る。

南古楼から五華楼を通って上下(南北)に伸びる、中心となる道が復興路。
五華楼の北の東西に連なる道が人民路、その道は後で通った。その東の門が「洱海門」、「洱海」の方向である。西の方は山側で蒼山門を西に行くと天龍八部の撮影所がある。

まずは城内の商店街。楊さんの頭上の飾りを後ろから。
中央下の台の上に並んでいるのは厚紙状のチーズを丸めたもの、これを焼いて食べる。見ていたら焦げ目ができるほど焼くが融けない。

この城の中心となる五華楼、なんに使ったのか、聞き漏らした。

五華楼の北側のかなり先。

引き返し人民路を湖側に曲がると目についた食堂。砂鍋魚は当地の名物料理。
並べられている野菜は、食材である。各自、野菜と料理法を指定するようだ。

少し歩いて下に(南に)曲がると市場がある。右の建物には肉がズラリと並んでいた。
左側は露天の野菜市場。振り返って撮ったので、右が北側になる。
ホテルに入る。ホテルは風花雪月大酒店。わたしにとっては超の着く豪華な部屋。どのくらいかといえば、セミダブルベッドが二つ並んでいて、なお充分余裕があり、浴室だけでも8畳はありそうな大きさ。
ロビーには、かなりのスペースに名石や彫刻を並べている。売り物なのだが、表示は小さいため、まるで美術館のよう。
まだ早いため、一人で外に出た。ホテルを半周するように歩くと、「洱海門」があった。
小さくて見えるトラックはノーズの部分に覆いがない。何台か見た。

「洱海門」からはいると人民路である。ここは観光客は少ないようだ。
途中、古本屋に立ち寄る。古龍の本が棚の一段を占めていた。こんなに多作だったのだ。
他には「ヒカルの碁」の中国語版。小学生用のドリルなど。そういえば棚を覗いている人には小学生らしい人が数人いた。
人民路を突き抜けると右手に馬などが見える。そちらに向かうと、「天龍八部影視城由此上」という看板がある。こんな近くにあったのだ。では行って見ようと坂道を上り歩きはじめたが、かなり歩いたところで同方向に行く馬車が来た。「2元でどうか」「OK」と乗り込む。道は「h」状になっていて、わたしは真っ直ぐ上ったが、馬車は曲がって右側の道を通る。そこの合流点から乗ったのだが影視城までの半分ほどであろう。

門前まで来たが、実はもう30分ほどしか時間がない。入るのは諦めた。入場料は五十何元とか聞きとれた。入ってしまえば半日以上の観光になる。門を見上げて満足する。
それにしても、たった一人の作家のためにこのような映画撮影所ができて、外国にも知られる観光地になる。たいへんなことではないか。

門の脇には剣も置いてあった。鞘入りであるが、もし身があれば刃渡り二尺ほど。江湖では、刀(とう)より剣(けん)の方が上品とされた。暗器(飛び道具)は卑怯とされているのは日本と同じ。だが、使う人は多い。

ここから街が一望であった。「洱海」がよく見える。

帰りも馬車に乗る。10元で、蒼山門まで。
思ったより早かったので、そこからホテルまで、寄り道をしながら歩く。

途中で見た料理店の食材。これも入り口に並べてある。

夕暮れ、池の土手から崇聖寺跡の後方を見る。こう見ると大規模な建物群である。家の壁は白が多い。ペー(白)族の家と思われる。
附記すると、大理は故城から十五キロほど南、「洱海」の南端に新しい市外がある。下関といい、官公庁が集まっている。鉄道の駅もある(地図では工事中だが、道の案内にはあった)。観光地ではない。
2006年04月30日
雲南憧憬 7 大理
うんなんしょうけい 7 だいり
5日目は朝早く大理に向かう。朝5時半にロビーに集まり、バスで昆明空港まで行く。
弁当は空港で搭乗を待つ間に済ませて、7時10分発大理行きに乗るのだ。まだ夜明け前だったように思う。
添乗員は、「ここではパスポートと搭乗券の名前が違っても大丈夫な路線です」と席を組み分けした搭乗券を配った。
わたしが先頭でチェックカウンターに行ったのだが、そこで名前が違うとストップされた。外にいたガイドが入ってきて説明し、わたしの搭乗券をもって外に出て、再調整することになった。
わたしがカウンターの女性に「請等一下」と声をかけると、急ににこにこして、声を返してきた。ちょっとした中会話。いっぺんにとげとげしさが霧散した。
飛行時間は30分ほどで大理に到着。地方空港らしい小さな設備。

ここには二人のガイドが出迎えてくれた。
一人はペー(白)族の楊さん。この人は日本語ができない。
もう一人はナシ(納西)族の任さん。麗江のガイドだが、日本語の話せない楊さんの補助のため麗江から出張ってきた。
それなら楊さんは要らないが、規約によって現地のガイドを必ず付ける中国の国内事情だ。ついでにいうと土産物屋も同じ。我々が早く出ようとすると添乗員は「もう10分ほど待って下さい……」と説明。わたしたちはお茶を飲みながら10分程度過ごして、外に出ることになる。
まず向かったのが崇聖寺跡。大理段氏の菩提寺であった。

門で入場券を配る楊さん。
ペー族はここ大理を中心に住んでいる民族で、現在約160万人。白を尊び、自ら「白い人」という。言語は独自だが、文字は漢字を使う。
テレビ映画「天龍八部」の最後の方で大理国の皇帝となった段誉の前で、楊さんと同じ衣装の若い女性のダンスがあった。「あれッ楊さんと同じだ」
誰かが楊さんに何か言っていた。もちろん伝わらない。
「なんと言ったの」とわたし。
「何歳って聞いたのよ」
「ニイ ジィ スゥェイ = ni幾歳?」
「アル シー サン スゥェイ = 二十三歳」
簡単に通じた。答えは限られているのでナンです。後で思ったがこの問いは失礼だった。
女性に歳を…、という意味でなく、「幾歳?」は子供に聞くとき、だいたい一桁の場合だ。ここは大人に聞くので「ni多大?」であろう。
「みんなそんな服装をしているのですか」
「いいえ、普通は着ていません」
後は、この刺繍は自分でやったとか、帽子から下がっている白い髪状のものは若い女性だけで、恋人にしか触らせないとか。
先ほどわたしがそれをさわりながらツーショットを撮ったが、あれはお客様なので…、なんてことは言わなかったが、言葉は通じなくても、意味は通じるものです。

南詔建極大鐘
鐘楼であり、大きな鐘がある。日本の普通の釣鐘より二回りは大きいか。
ここで三十分の自由時間、この鐘楼に登って、景色を見る。
20分を過ぎたころ、周りには誰もいない。集合場所に行くとヨン様が待っていて、もう行ってしまったという。みんな早いよ。

現在は寺域だけで、古いものはこの三塔を残すのみだが、これも真ん中の大塔は建て替えられている。方形の13層、高さ69メートル。
両脇の小さい塔は八角で10層、高さ42メートル、五代のころの建立らしい。
この3塔は大理のシンボルである。
遠くかすかに白い一髪は「洱海」、南北40キロ以上、東西は10キロ弱。大理の海である。

鐘楼から後ろ側を見る。大きな建物があるがなんだろう。その後ろには大小の黄色い屋根の建物があるが、境内ではないのか? これは疑問のまま。
地図で見ると後ろの山の上に(リフトがある、または歩いて2時間)中和寺があるが、この写真では見当たらない。ここから約7キロである。
是非行きたいのだが、時間がなくて願いかなわず。
この右手に遠く蒼山という山がある。そこからは美しい石が切り出されている。大理にちなみ大理石という。
バスに戻ったとき、そばでとうもろこしを茹でていた。一本2元。少し固くて甘みが少ないが、美味しい。中には固くて不味いと言った人もいた。

藍染めの工場を見学して紙入れを一個100円で買う。日本の100円玉が通用した。日本の100均で買うようなもの。そして昼食。

あまり日本人向きではない。魚の活け作りを外国人が見たら同じ思いをするか。

量が多くいつもかなり残してしまう。高齢者が多いんですね。
ここはビールが6元だった。ふつう10〜20元。
なお各地のホテルには必ずペットボトルの水があり、水を買うことなく済んだ。
初めて北京に行った(1994)ときはビールも水も6元だった。隔世の感。
5日目は朝早く大理に向かう。朝5時半にロビーに集まり、バスで昆明空港まで行く。
弁当は空港で搭乗を待つ間に済ませて、7時10分発大理行きに乗るのだ。まだ夜明け前だったように思う。
添乗員は、「ここではパスポートと搭乗券の名前が違っても大丈夫な路線です」と席を組み分けした搭乗券を配った。
わたしが先頭でチェックカウンターに行ったのだが、そこで名前が違うとストップされた。外にいたガイドが入ってきて説明し、わたしの搭乗券をもって外に出て、再調整することになった。
わたしがカウンターの女性に「請等一下」と声をかけると、急ににこにこして、声を返してきた。ちょっとした中会話。いっぺんにとげとげしさが霧散した。
飛行時間は30分ほどで大理に到着。地方空港らしい小さな設備。

ここには二人のガイドが出迎えてくれた。
一人はペー(白)族の楊さん。この人は日本語ができない。
もう一人はナシ(納西)族の任さん。麗江のガイドだが、日本語の話せない楊さんの補助のため麗江から出張ってきた。
それなら楊さんは要らないが、規約によって現地のガイドを必ず付ける中国の国内事情だ。ついでにいうと土産物屋も同じ。我々が早く出ようとすると添乗員は「もう10分ほど待って下さい……」と説明。わたしたちはお茶を飲みながら10分程度過ごして、外に出ることになる。
まず向かったのが崇聖寺跡。大理段氏の菩提寺であった。

門で入場券を配る楊さん。
ペー族はここ大理を中心に住んでいる民族で、現在約160万人。白を尊び、自ら「白い人」という。言語は独自だが、文字は漢字を使う。
テレビ映画「天龍八部」の最後の方で大理国の皇帝となった段誉の前で、楊さんと同じ衣装の若い女性のダンスがあった。「あれッ楊さんと同じだ」
誰かが楊さんに何か言っていた。もちろん伝わらない。
「なんと言ったの」とわたし。
「何歳って聞いたのよ」
「ニイ ジィ スゥェイ = ni幾歳?」
「アル シー サン スゥェイ = 二十三歳」
簡単に通じた。答えは限られているのでナンです。後で思ったがこの問いは失礼だった。
女性に歳を…、という意味でなく、「幾歳?」は子供に聞くとき、だいたい一桁の場合だ。ここは大人に聞くので「ni多大?」であろう。
「みんなそんな服装をしているのですか」
「いいえ、普通は着ていません」
後は、この刺繍は自分でやったとか、帽子から下がっている白い髪状のものは若い女性だけで、恋人にしか触らせないとか。
先ほどわたしがそれをさわりながらツーショットを撮ったが、あれはお客様なので…、なんてことは言わなかったが、言葉は通じなくても、意味は通じるものです。

南詔建極大鐘
鐘楼であり、大きな鐘がある。日本の普通の釣鐘より二回りは大きいか。
ここで三十分の自由時間、この鐘楼に登って、景色を見る。
20分を過ぎたころ、周りには誰もいない。集合場所に行くとヨン様が待っていて、もう行ってしまったという。みんな早いよ。

現在は寺域だけで、古いものはこの三塔を残すのみだが、これも真ん中の大塔は建て替えられている。方形の13層、高さ69メートル。
両脇の小さい塔は八角で10層、高さ42メートル、五代のころの建立らしい。
この3塔は大理のシンボルである。
遠くかすかに白い一髪は「洱海」、南北40キロ以上、東西は10キロ弱。大理の海である。

鐘楼から後ろ側を見る。大きな建物があるがなんだろう。その後ろには大小の黄色い屋根の建物があるが、境内ではないのか? これは疑問のまま。
地図で見ると後ろの山の上に(リフトがある、または歩いて2時間)中和寺があるが、この写真では見当たらない。ここから約7キロである。
是非行きたいのだが、時間がなくて願いかなわず。
この右手に遠く蒼山という山がある。そこからは美しい石が切り出されている。大理にちなみ大理石という。
バスに戻ったとき、そばでとうもろこしを茹でていた。一本2元。少し固くて甘みが少ないが、美味しい。中には固くて不味いと言った人もいた。

藍染めの工場を見学して紙入れを一個100円で買う。日本の100円玉が通用した。日本の100均で買うようなもの。そして昼食。

あまり日本人向きではない。魚の活け作りを外国人が見たら同じ思いをするか。

量が多くいつもかなり残してしまう。高齢者が多いんですね。
ここはビールが6元だった。ふつう10〜20元。
なお各地のホテルには必ずペットボトルの水があり、水を買うことなく済んだ。
初めて北京に行った(1994)ときはビールも水も6元だった。隔世の感。

