2012年04月22日

西遊記2


第九回
 唐の都長安である。
 樵と漁師が登場し互いに自慢をネタにした詞を披露し合っている。なかなかに学のある賢者だ。李白の詞なるものが伝わっているので、盛唐にもすでに詞はあったはず。ただ太宗の御代にあっただろうか。
 疑問というより、わたしが知らないので知っている方教えて下さい、という意味。詞牌は蝶恋花・鷓鴣天・天仙子・西江月・望江仙である。
 宋詞については、たくせんの中国世界李清照 −詞后の哀しみ− 参照

 漁師が占い名人の話をし、それが伝わって川の竜王が怒り、書生のふりをして翌日の雨を占わせる。帰ると玉帝からその占いの通りの降雨命令が届く。これを故意に時刻をずらしてしまう。
 占い師を責めるが、逆に玉帝の命令に背いた自分の身が危ない。当時の宰相魏徴に首を切られそう。太宗の夢に出て、命乞いをする。それを承知した太宗は翌日魏徴を召しだし、碁を打つ。

第十回
 太宗と魏徴は碁を打つ。この描写におかしな所はない。ただし間違っているわけではないが挿絵が不自然。イメージとして、太宗が碁盤の北側に、魏徴が東側にいる。西と南が空いている。
 さて魏徴は正午になると突然居眠りをはじめた。起きると外で大騒ぎ、竜の首が落ちてきた。それを見た魏徴は「たったいま夢で斬った」と話す。
 それが遠因で、間もなく太宗は病に伏し亡くなる。そのとき魏徴の手紙を持って冥界にいき、魏徴の友人の豊都の判官にあう。そこで台帳を見ると太宗の死は貞観一十三年となっていた。それを三十三に訂正して(史実は二十三)、太宗をこの世に戻すことにする。

 豊都は死の都、長江の中流域の豊都の道観が混同され、観光地となっている。

第十一回
 太宗は生き返り、冥界での約束によって、善政を施し大赦を行う。また太宗が冥界で借りたお金を現世で返そうとしたら、お金を受け取らない。そのお金で相国寺を建立した。さらに化生寺で施餓鬼法要を行うことになり(これも冥界での約束)、名僧たちを集め、そのその中から玄奘を檀主に選んだ。
(史実では玄奘はその十年前に密出国していて、長安にはいない)
 玄奘の父は海州の出の陳状元。わたしは海州の出の陳状元というと、海寧の陳家(陳家洛の生家)を思ってしまう。本物の玄奘は姓は陳だが海寧とは無関係。
 第十四回で、海州広農郡聚賢(じゅけん)荘の出身という。場所は不明、海州と広農郡では位置が異なる。

第十二回
 第八回で東に向かっていた観音は、すでに到着していた。氷蚕の絹の袈裟と杖を玄奘に贈る。
 玄奘には「それは小乗の教えのみだぞ。大乗の教えを説けないか」
 玄奘は大乗の教えを知らないことを言う。
 観音は、小乗の教えでは人を救えない、大乗経典を大雷音寺まで取りに来なさい、と教える。
 会は中止になり、大乗経典を取って来てから行うことになった。
 太宗は取経の希望者をつのると、玄奘が名乗り出て行くことになる。太宗の義弟とし、旅行手形を発給した。貞観十三年。
 本物の玄奘が取経の旅に出たのは貞観三年で、しかも許されず、密出国して出かけた。西遊記とは10年のずれがある。帰ってきたのは貞観十九年。

 なお、中国に仏教が伝来したのは1世紀頃で大乗仏教だったはず。遅くとも南北朝時代には、『華厳経』、『法華経』、『涅槃経』などの代表的な大乗仏典が次々と伝来ししている。玄奘が大乗を知らないことはありえない。さらに大乗のない時代に小乗という言葉はない。自らは上座部仏教という。それを大乗仏教が小乗と蔑称した。
 わたし(謫仙)の青年時代は「大乗は仏教と言えるのか」なんて話題で盛り上がったもの。

 「天龍八部」にも氷蚕が出てくる。同じものか。
 以下は取経の旅の話になる。

第十三回
 三蔵(玄奘はこれからは三蔵と記述されることが多い)は馬に乗り、ふたりの従者と一緒に旅に出る。途中はもてなされながらも順調。河州衛につく。ここまでが唐の領域。国境守備軍にもてなされる。
 次の日、鶏が鳴いたので出立するが、これがまだ夜中の午前二時ごろ。双叉嶺で暗くて道を間違え、一行は穴に落ちてしまう。そこで野牛の化けものと熊の化けものと虎の化けものに、従者二人が食われてしまう。三蔵は清らかなので、化けものは手を出せない。金星に助けられる。馬と荷物は無事だった。
 金星は街道まで案内すると、丹頂鶴(丹頂のことか、丹頂とは別な鶴か)に乗って去ってしまう。
 三蔵は一人で旅を続けることになる。行く手には虎や大蛇や他の猛獣などが待ち構えている。ここで地の文に曰く。
 ところで、三蔵というお人は、災難にぶつかっても、きまって救いの神があらわれるということになっているのですね。……
 これなど元は講談だったことをうかがわせる。
 この場は猟師(劉伯欣)に助けられる。猟師の家で一家の歓待を受ける。そして両界山まで送ってもらう。その山のこちら半分は唐の領土、向こう半分は韃靼の領土だという。河州衛から国境を出たはず。
 ここで声が聞こえた。「お師匠さまが来たぞ! …」

第十四回
 声は石に閉じこめられた孫悟空だった。三蔵に訳を話し山上のお札を剥がしてもらう。そして、石から出てくる。
 第六回で、太上老君によって、金剛琢(こんごうたく)を頭に嵌められていたはずだが、今はしていない。どうして外すことができたのか。太上老君が五行山に閉じこめたとき、外したか。著者が忘れてしまったか。
 孫悟空の名があることを告げると、行者(ぎょうじゃ)というあだ名をもらう。あらためて弟子として従うことになる。
 ある日の夕暮れ、民家に世話になる。姓は陳。そこで玄奘も、海州広農郡聚賢(じゅけん)荘の出身で法名は陳玄奘、となのる。
 翌日、その民家を出ると、六人の賊に囲まれる。悟空が全員を殺してしまう。三蔵が説教するので頭に来た悟空はいなくなってしまう。
 三蔵は一人で西を目指すと老婆に出会う。老婆は南海観音で、着物と金を嵌めた頭巾を貰う。
 悟空は竜王のところで茶を飲んで戻ることにする。三蔵とのころに戻ると、先の着物を着て、頭巾を被る。
 三蔵が「緊箍児呪」をとなえると、悟空は頭が痛くなり、頭巾を切り裂いてしまうが金環が残って外れない。
 この回は、悟空が三蔵のお供をし、しかも金箍(金のたが)を頭に付けられる回だった。

第十五回
 三蔵たちは秋に出発したが冬になっていた。谷川から龍が出てきて、三蔵の白馬を飲み込んでしまう。三蔵はめそめそして、出発したころとは別人になってしまう。
 悟空は観音に遣わされた諸神に三蔵を守ってもらい、龍を探すことになる。観音の助けで、龍は西海竜王のせがれ(第四回)とわかり、三蔵の乗馬となる。
 悟空は観音から三本の「救命にこ毛」をもらう。希望のものに変身する便利なもの。
 三蔵は裸馬に乗って行くことになる。
 すでにハミ国まで来ていた。
 夜は祠で休むことになるが、そこの老人に立派な馬具をもらう。つぎの日、出発すると祠はなく、更地になっていた。老人は観音の使いだった。
 季節は巡り早春となる。

第十六回
 ある日、観音院という大寺に世話になる。なんと院主は二百七十歳。これを三蔵が納得してしまうのが不思議。その院主は袈裟の収集が自慢、七八百も持っているという。それを披露する。悟空がつい競争心を出して、三蔵の袈裟を見せたため、院主は袈裟を手に入れようとして、夜に三蔵たちの泊まっている禅堂に火をつけ、焼き殺ろそうとする。気がついた悟空は禅堂以外の全院を燃やしてしまう。ただ、そのどさくさに袈裟は盗まれてしまった。
 230名の和尚や寺男などが宿無しになってしまった。悟空はその者たちに三蔵の世話を申しつけて、袈裟を取り戻しに行く。

第十七回
 袈裟をとったのは二十里ほど離れた黒風山に住む妖怪で、院主はその使い走りの妖怪だった。
 黒風山に住む妖怪と戦ったが埒があかないので、南海観音に頼む。袈裟は取り戻し、妖怪は観音の下で働くことになる。
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2012年04月12日

西遊記1

西遊記1
中野美代子 訳   岩波書店   2005
 本の紹介を 雲外の峰−西遊記 に書いた。
 こちらは細かい内容の紹介である。ネタバレなど気にしないで書く。時間がたって忘れたころに思い出すためのメモである。
 この本は全十册百回の物語。李卓吾本の全訳である。李卓吾本とは本の名前で著者ではない。清代には、作者は長春真人丘処機説もあった(^_^)。
     saiyuuki1.jpg

 第一回
 第一回はかなり「書庫」と重複する。
 中国の物語なのに、この世界は仏教の倶舎論の世界を展開していて、インドの地理概念と中国の地理概念が入り交じっている。
 さても本書は、このうちの東勝神洲のお話です。
 これは単なる間違いではなく、意図的にこうしたらしい。
 須弥山と極楽 にもあるように、この世界は、中央に須弥山(しゅみせん)、東に勝身洲(しょうしんしゅう)、南に贍部(せんぶ)洲、西に牛貨(ごけ)洲、北に倶廬(くる)洲が有る。
 勝神洲ではなく勝身洲である。
 そして南の贍部洲(閻浮提(えんぶだい)ともいう)が、我々の住む世界である。

 東勝神洲で石から猿(正しくは猴(コウ))が生まれた。長い時間がたって、石ザルはサルと共に生活し、花果山の滝の裏の水簾洞府を見つけ、サルの群れの王者となって美猴王となのる。
 ここで疑問が生じる(^_^)。石ザルはサルの群れで暮らしていた。「花果山福地 水簾洞洞天」と書かれた石碑を見つけて、それをすらすらと読む。それで水簾洞府というのだが、いつ字を憶えたのだろう(^_^)。
 それから数百年のち、不死を願って南贍部洲の古洞仙山を目指すことになる。筏に乗ると東南の風が吹き、西北の岸、南贍部洲につく。
 ここで上に書いた地理の話。南贍部洲は南西なので北西に行ってはたどり着けない(^_^)。
 ちなみに距離的には二百万キロ以上。物語では距離には言及していないので問題ではないが、どの程度の距離と考えたか。
 南贍部洲で七八年たったが古洞仙山が見つからず、また筏を作り西海をただよって、西牛貨洲に着くことができた。そこで霊台方寸山斜月三星洞を見つけ、仙人に弟子入りする。孫悟空の名をつけてもらうことになる。仙人は須菩提(仏陀の十大弟子の一人)。
 文の所々に詩や詞が入る。これは意訳で、原詩詞とは異なる。これも小説の一部だが、斜め読みでも差し支えないだろう。

第二回
 ここでは師匠からさまざまな術を教わる。他の弟子より見込まれたのか、悟空だけが教わる技が多い。觔斗雲の術もある。觔斗とはとんぼがえり。一度で十万八千里(明代1里=560m)を飛ぶ。地球一周より長い。このあたりの悟空はかなり頭脳怜悧で、並みの人間より頭がいい。
 兄弟子を師兄(スヒン)と言っている。
 術を師兄たちに見せたため、破門のような形で故郷に帰ることになる。故郷を出てから二十年たっていた。
 故郷のかつての部下たちは、水簾洞府を守るため妖魔の混世魔王と戦っていた。混世魔王を退治し、水簾洞府に平和が戻る。

第三回
 水簾洞府を守るサルたちに竹槍などではなく本物の武器を持たせようと、近くの傲来国から武器を奪う。自分用には東海竜王から如意棒(如意金箍棒にょいきんこぼう)を貰う。重さは一万三千五百斤(七千トンくらいか)。その昔、夏王朝の始祖の禹が治水の重りに使ったという。この如意棒は自由に伸び縮みできて、耳の中に収めている。もちろん仙力で持っているのであって、筋肉で持っているのではない。筋肉では、足場がこの重さに絶えきれず崩壊してしまうだろう。
 ここで六兄弟に出会う。牛魔王(ぎゅうまおう)・蛟魔王(こうまおう)・鵬魔王(ほうまおう)・獅駝王(しだおう)・獼猴王(びこうおう)・ぐ絨王(ぐじゅうおう)。おそらくのちに再登場するはず。
 そして冥界(閻魔大王の所)の森羅殿に乗り込み、生死簿から自分たちの名を抹消してしまう。
 悟空は齢三百四十二歳で終わることになっていた。この年がその年齢であった。
 東海竜王たちは玉帝に訴える。天界では、悟空を天界に呼んでおとなしくさせようとして、太白金星をつかわす。

第四回
 天界に誘われた悟空は、太白金星より先に天宮に飛んで行ってしまう。門を入ろうとしてもめるのだが、飛んで行ったのにわざわざ門前に降りて、門から入ろうとするのはどんな意味だろう。礼儀や権威のためか。玉帝の宮廷も礼儀作法は人界と同じ。
 悟空は弼馬温(ひつばおん)となって馬の世話をする。半月後、最低の位であると知って、水簾洞府に帰ってしまう。帰ってみるとすでに十数年たっていた。
 天界の一日は下界の一年。これは何の意味があるのだろう。一万年生きたとても体感的には一万日。下界のことに玉帝が首を突っ込んでも、いつも手遅れになりそう。
 悟空は斉天大聖を自称する。
 あらためて、悟空逮捕を命じられたのが、托塔李(たくとうり)天王とその第三子の哪吒(なた)三太子。
 水簾洞府の近くに陣を構える。ここで戦いになるのだが、両方の大将同士の一騎打ちで終わる。これなら軍を連れてくることはない。
 京劇のやり方に近い。京劇では背中の旗で何千人とか何万人とかの軍をあらわし、一騎打ちのようでも何万の軍の戦いを意味する。
 悟空逮捕に失敗した玉帝は、さらに強力な遠征軍を送ろうとするが、太白金星が「斉天大聖にして飼い殺しにする」ことを提案し、悟空を迎えに行く。

第五回
 悟空は斉天大聖に任命され、斉天府に住む。といっても仕事はなく、遊び暮らしている。
 問題を起こすといけないので仕事を与えることになり、蟠桃園を取り仕切ることになる。
 この蟠桃とは三種あり、例えばその一種は九千年に一度みのり、その身を食べると不老長寿になるという架空の桃だが、現実に蟠桃という桃がある。ザゼンモモ(座禅桃)といい、押しつぶしたような平らな形をしている。
 この九千年はおそらく人界の暦だろう。それでも天界の暦で九千日。
 悟空はこの 蟠桃を食べてしまったりする。西王母が瑶池で蟠桃勝会(ばんとうしょうえ)を開くため、仙女に桃の実を採りに行かせると、九千年に一度みのる桃は悟空に食べ尽くされている。
 悟空は自分が招待されていないと知ると、会場に先乗りして、食い荒らしてしまう。あとで大変なことをしたと思い、水簾洞府に逃げてしまう。ついでに酒も盗みだし、水簾洞府のサルたちに与える。
 玉帝は十万の天兵を動員し、天羅地網で花果山を取り囲む。

第六回
 今回の戦いは全面戦争で大将の一騎打ちではない。一度は追い払うが、顕聖二郎真君が派遣されて、悟空軍は負けてしまう。逃げ回っているとき、太上老君によって、金剛琢(こんごうたく)を頭に嵌められてしまう。
 天宮では、玉帝が「二郎真君を派遣して1日たつが…」と言っている。しかし下界でも1日しかたっていない。下界の一年が天界の一日という設定がすでに崩れている。おそらくこれ以降は下界と天界も同じになるのではないか。
 二郎真君は楊戩(ようぜん)の名を持つ。封神演義や長安異神伝(井上祐美子)でも活躍するが、北宋に実在した人物の名という。

第七回
 悟空は死刑になるはずだが、どうされても死なない。太上老君によって八卦炉に入れられても煙で目が「火眼金晴」になった程度。八卦炉が開いたとき、逃げてしまう。
 玉帝は如来に悟空退治を依頼する。如来は自称「釈迦牟尼尊者つまり南無阿弥陀仏」(自称に尊者はおかしいし、釈迦牟尼と阿弥陀は違う)という。
 ここで、悟空が地の果てと思える所まで行って五本の柱に文字を書いて帰ってくると、それは如来の指だった、という話があって、五行山で押さえつけられてしまう。ここで三蔵法師を待つことになる。

第八回
 如来は霊鷲山(りょうじゅせん)雷音寺に帰り、500年たつ。東土は唐の時代となる。三蔵(法・論・経)(正しくは法・律・論)の経典をつくり、東土から取りに来させようとして、観音を派遣する。観音は取教の道を探るため、地上に近いところを通った。
 途中の弱水で醜い妖怪に会う。帰依させて沙悟浄と名乗らせる。もとは捲簾大将。
 高い山で兇悪な妖怪に会う。帰依させて猪悟能と名乗らせる。もとは天蓬元帥。
 刑を受け、空中で泣いている龍に出会う。玉帝にねがい貰い受ける。西海竜王のせがれ。のちに三蔵法師の馬となる。
 五行山で孫悟空に出会う。帰依させて、三蔵法師のお供になることを約束させる。
 三蔵法師の三人のお供と乗る馬を得る。

   …………………………
 中国に猪(ブタ)という姓はないそうだ。わたし(謫仙)の知り合いに「猪瀬◯」という人がいる。中国では「姓は猪瀬、名は◯」と自己紹介し、手紙には「猪瀬 ◯」と書いて出すのだが、中国人からは「猪 瀬◯先生」とか「猪先生」と書いてくる、と嘆いていた。
posted by たくせん(謫仙) at 07:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月15日

少年楊家将3

 四郎は遼で介護されていた。
 六郎と八王は潘仁美の陰謀の証拠をつかみ、皇帝の前でさばきを受けさせる。潘仁美は命を賭けて遼と交渉に行くが、遼からは、もう役には立たないと相手にされず、射殺されてしまう。遼は遺体を開封に届ける。そして戦争になる。
 宋は六郎を将軍として籠城戦となる。開始直後宋軍兵士が大勢中毒になる。そして楊家の女たちが戦場に赴く。続々と遼軍が城内に入り込みそうになっている。そのとき六郎は、中毒が潘影の仕業と判って、長々となじり合っている。いまそんな状況ではないだろう。潘影に解毒の薬を出させるためとはいえ、イライラしてくる。
 皇帝の寵妃がそんなことをしていては、宋が遼の風下に立たされたのは当然だな。

いよいよ最後の第四十三集
 五郎と耶律斜が一騎打ちを行い、そこで停戦になってしまう。耶律斜は将兵に引き上げを命ずる。
 六郎と佘賽花は天霊を討つ。楊業の仇を討ったといえるのかな。
 六郎は楊家の当主となり柴郡主を娶る。五郎は出家してしまう。
 四郎は遼の銀鏡公主に婿入りか。これはここでは未定。
「楊門忠烈」の額のかかった「無佞楼」が完成してこの物語は終わる。無佞楼は楊家軍のこれからの根拠地になるところ。今まで住んでいたところは何だろう。仮の家?

   …………………………
 本来の楊家将演義はこれからが長いらしい。
 太宗の死後、八王(太祖の子)は七王(太宗の子)に皇位を譲った。この七王が真宗である。
 太宗の死を知った遼は再び戦いを起こす。楊家軍では六郎が中心だが、女将軍も出る。紆余曲折をえて、この戦いは何十年も続く。
 遼を倒したとき、間もなく六郎が亡くなり、八王も続いて亡くなる。
 ここまでも史実とはかなり異なるが、この後は史実から全く離れて創作の仙術合戦となってしまう。史実との差を考える意味さえなくなる。

 念のため史実を。
 太宗の時代に潘仁美という宰相はいない。潘美という将軍がいて重用された。楊業は潘美の副将となる。
979 楊家は宋の臣となる。北漢が滅ぶ。
981 八王(趙徳芳)が亡くなる。太宗に殺されたとも言われている。
997 太宗が亡くなり真宗が即位。当たり前だがこの時には八王(趙徳芳)はいない。だから八王が七王に皇位を譲るなんてことはもちろんない。
1004 宋と遼は澶淵の盟(せんえんのめい)という講和条約を結び、宋は遼の弟分となる。楊家将演義では逆に遼を倒したことになっている。
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2012年03月09日

少年楊家将2

 若い娘で名医の羅氏女も登場する。俳優は劉詩詩(倚天屠龍記の黄衫の女)。
 四郎がかなり拗ねていて、楊家の生活を拒否したりする。四郎が怪我をして、羅氏女が治療。それで二人は恋仲になる。楊家との関係も修復。
 この後も四郎・六郎・七郎は勝手に動き回っては危機に陥る。計画性のないのが気になる。これで戦場を駆け巡ることができるのか。
 潘仁美は老体だが、宰相にしてかなりの武術者、ありえない。つまり、それならそれで今までのありようがおかしくないか、と言うのがわたしの疑問。

 武侠の武術とは何かと言えば、仙術の一部を人間が習得し使えるようになったもの。例えば5メートルもある塀を跳び越えるとか、20メートルの川を飛んで渡るとか。仙術の一部なので仙人のようにはいかない。現代風に言えば、エスパー合戦みたいなもの。ありえない技や毒などを次々と繰り出す。だから高齢でも女性でも若い男より強い場合がある。
 ただし、大変な修行がいる。絶技などと言われる技は、天才でないと一生かかっても習得できないほど。潘仁美ほどの技の持ち主が、こんなことをしているかな。

 第二十四集では楊家軍が前線の百水城に行くが、遼の毒により庶民に次々と死者が出ている。この時でも遼の将軍は開封でスパイ活動などしている。そんなことをしていていいのか。軍を指揮できるのか。
 第二十五集で四郎が開封に援軍を頼みに行く。開封近くで奇襲にあう。それを母親の佘賽花がたった一人で助けに来る。楊家将一番の槍使いのようだ。
 佘賽花とその師兄(四郎の師でもある)と八王が羅氏女を連れて助けに行く。毒でやられているので羅氏女が必要なのだ。
 遼の軍師的人物に天霊と言うのがいる。役者は巴音。10年間、遼で洞窟に監禁されていたが、経緯は自分で入ったようだった。宋を滅ぼそうとする最大の悪役といえる。

 宋の宰相の潘仁美は息子が死に、楊家を逆恨み。六郎を無実の罪でむち打ち刑にする。潘仁美には尼寺に預けられていた潘影という娘がいる。しかも尼寺の師を殺害して都に帰っている。それが楊家にきて、柴郡主と六郎を争う。この潘影がかわいい顔をして悪辣。後に皇妃となる。

 DVD9枚の内で八枚目、わたし的には今までが外伝で、ここから楊家将が始まる感じ。宋と遼は金沙灘で和議を結ぶことになり、太宗も行くことになるが、これが罠で、危険を感じ先発した楊家軍は金沙灘で一瞬にして壊滅する。
 報告を受けた太宗の前で、潘仁美はニタニタしながら援軍を拒否。そのあと七郎が援軍要請に来るが、潘仁美に毒を飲まされ、逃げたものの殺されてしまう。
 結局父楊業・大郎・二郎・三郎・七郎が亡くなり、四郎は行方不明。五郎と六郎だけになる。六郎が遺体を持ち帰り、葬儀を行う。楊家の葬儀に於ける「奠」の字が明朝体。ついそこに目がいってしまう。楊家将は宋朝の始まりのころだ。
 そして九枚目、太宗は潘仁美がニタニタしながら楊家軍の壊滅を論じるのを聞き、非を悟るが、潘仁美に支配されていて身動きができない。潘仁美を除くことを決意し、八王と五郎・六郎に相談しする。
 第四十一集では楊家の残った女たちが立ち上がるところまで。
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2012年03月02日

少年楊家将1

 長いので三回に分けます。

少年楊家将
全43集(9枚)/2006年

   youkashou2.jpg

 楊家将演義を改編したもの。
 少年というように、楊業のこどもたちが中心になる。
 こどもたちは大郎・二郎・三郎・四郎・五郎・六郎(俳優は胡歌)・七郎、それに八妹。八妹は八歳だが大人顔負けの思考力の持ち主。
 中心となる六郎や七郎や敵役の耶律斜(遼の将軍)は、戦場でもきれいなつやつやな肌で、まるで宝塚。男たちが厚化粧をしているようで違和感がある。
 前に北方謙三の 楊家将 を紹介しているが、「少年楊家将」はすでに北漢が滅んで、楊家は宋に仕えているところから始まる。なお、北方楊家将はかなり演義とはかけ離れている。わたしは本来の楊家将演義を読んでいないので、詳しくは判らない。そもそも楊家将演義は日本語訳が出ているのかな。

 楊業の一家が都ベンケイ(開封)に住んでいて、遼の将軍がそこでスパイ活動、疑問だらけの始まりだった。
 はじめ音声が広東語で字幕が普通話で、見にくかったが、第三枚目の始まりで音声を変えられることに気づいた。音声を普通話にしたら、かなり見やすくなった。

 こどもたちの恋の物語で、その合間に、潘仁美+耶律斜 対 楊家で話は進んでいく。問題は皇帝(二代太宗)だ。態度が曖昧。潘仁美に操られている。この時は、先代の息子八王(八賢王)がまだ生きていて、楊家の後ろ盾となっている。
 潘仁美は奸臣である。宰相でありながら、敵将と通じて楊家を滅ぼそうと企む。それどころか皇帝になるつもりでいる。
 太宗はかなり切れる人物のはず。ここでは暗君扱い。兄(初代太祖)を殺害して皇位を奪ったとされている。
 六郎と柴郡主が太祖の宝藏を見て、そのことを知ってしまったため、六郎を除く楊家全員が入獄することになる。六郎と柴郡主はそのことを八王に知らせ救出を頼む。
 そして判った理由。太祖は財宝を集め、その財宝で燕雲十六州を買おうとして、太宗と言い争いになり、事故で太宗は太祖を殺すことになったというもの。

柴郡主 太祖の娘。六郎の恋人。
関紅 若い娘だが腕のいい鍛冶屋。五郎と耶律斜に好かれる。
 前半はこの二人が出番が多い。
 ここまでで三枚14話。
 子供のときに行方不明になっていた四郎も登場するが、まだ四郎とは言っていない。
 第十五集で四郎の行方が語られる。過去の戦場で行方不明。楊業は不眠不休で7日も探したが見つからない。部下は元帥がいなくては軍が動かないと、復帰を依頼する。
 楊業はそれを思い出しては涙。妻の佘(シャまたはジャ、余ではない)賽花はそれをしかる。気丈だ。
posted by たくせん(謫仙) at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月03日

中国文物図説 国立故宮博物院手冊

中國文物圖説 國立故宮博物院手册
国立故宮博物院   中華民国六十九年(1980年)九月 十六版

 初めて台湾を旅行したのは、1980年の12月から81年正月にかけての5日間のツアーであった。二日間はバスで台北市内観光。後は自由行動であった。故宮博物院も当然団体で案内される。二日後、自由行動のときに一人でもう一度故宮博物院へ行き、一日を過ごした。
 そのおり買い求めたのが本書である。

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 中身は繁体字の中国語(いわゆる北京語)であり、当時はまるで読めなかった。いまでも基本的には読めないのであるが…。

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 当時の全体像である。
 後ろの山に洞窟がありその中に文物が収納されている。それを三ヶ月ごとに順繰りに展示するのだが、全部見るには60年かかるとか。ただし、代表的なものは常設展示されている。
 当時もこの写真とは少し変わっていた。

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 大堂から門のほうを見る。前の芝生はこのようにすでに整備されており、左の方(門から大堂に向かって右側)は、後に庭園となっている。
 この本は展示品の案内書である。
 銅器・玉器・瓷器・彫刻・漆器・文具・琺瑯・法書・絵画・織繍・図像・図書・文献・附録、に分けて細かく解説している。
 最後の付録に、紫禁城にあるはずの宝物がなぜ台北にあるか、などを説明している。
 日中戦争の混乱から守るため、1933年に上海に運んだ(13491箱)。そして南京をえて成都などに分散し、第二次大戦後(1948〜1949)、国民党によって台湾に運び出されたのである(2972箱)。
 そんな解説で約半分の90頁ほどを費やし、後半の140頁ほどを写真集にしてある。
 青銅器は特に圧倒されてしまう。西周晩期の「毛公鼎」はかなり大きな物で直径は48センチほどだが、内側にびっしりと文字が書かれていて、その文字がこの博物館の最高の宝であるという。

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清 翠玉白菜
 わたしの一番好きなものは、この翠玉でできた「白菜」である。
 今年の春だったか、これを含めた門外不出の品が、日本で見られそうだというニュースがあった。新聞でもこの写真があったので記憶している方もいよう。ことしの3月に日本の法律が整い、日本に持ち込むことができるようになったのだ。2014年ころを予定しているという。もちろんそのときは大変な混みようで、じっくり見ることはできないだろう。わたしはすでに7回ほど見ている。

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文姫帰漢図
 図も部分図であるが、胡笳十八拍も一部分「第十八拍」
 蔡文姫に関しては たくせんの中国世界−蔡文姫 −曹操が激賞した天才−  を参照してください。
 わたしの手元の資料では胡笳十八拍の「第十八拍」は

   胡笳本是 出胡中
   絲琴翻出 音律同
   十八拍兮 曲雖終
   響有余兮 思無窮
   是知絲竹微妙兮 均造化之功
   哀樂各隨人心兮 有變則通
   胡與漢兮 異域殊風
   天與地隔兮 子西母東
   若我怨気兮 浩浩於長空
   六合雖廣兮 受之應不容


 であって、この写真とは異なる。わたしが参考にしている「詩詞世界」の 碇豊長の… では、わたしの資料とは少し違うが、ほとんど同じ。してみるとこの写真の文は「胡笳十八拍」のうちの「第十八拍」の説明と思える。

 山水画も多い。名筆もある。これらはあまり展示品としては見られなかったように思う。いつも最後の部屋になるので印象が薄いのか。

 以下の話は陳舜臣さんの説明であり、本に書いてあるというわけではない。
 一点の作品に三代も四代もかかった話には気が重くなる。その奴隷は一生かかっても、自分の作品を見ることができなかったことになる。まして、一生を穴蔵で過ごし青銅器を作り続けた人には、ただ悲惨としかいいようがない。
 これが商(殷)の時代の青銅器が最も優れている理由だが、殷周革命後、周はこれら奴隷を解放したため、生産技能がだんだん低下している。

 この本を紹介しても、もう手に入れることはできないが、同じような案内書ができているだろう。
 わたしは台湾に行くたびに、帰国の日の前日は台北に行き、故宮博物院で過ごしていた。そして次の日の便で帰ってきた。定宿は台北駅近くの「YMCA」、今でもあるのだろうか。
posted by たくせん(謫仙) at 07:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 台湾 八十年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月31日

第7回武侠迷大幇会

   10月31日追記
   9月9日記
  …………………………
  
10月31日記
 予定通り武侠迷大幇会を楽しんできた。
11daihoukai1.jpg
 参加券

11daihoukai2.jpg
 裏側には黄蓉と数字。お蓉ちゃんの絵は初めてかな。これが今回の抽選番号となる。お蓉ちゃんの背中の棒は打狗棒で数十万人という武侠最大勢力丐幇の幇主の印。

 会場は新宿の「香港中華 九龍餃子房 新宿別館」。集まった人は五十人弱。
 各自それぞれ席に着いたが、幹事の仕事がなかなか終わらず、流れ開会。
11daihoukai0.jpg
 手前は張紀中の似姿

 二十分以上遅れて、幹事の開会宣言と、武侠小説十五周年を記念して、岡崎由美先生への感謝状授与。
 岡崎さんが初めて書剣恩仇録を翻訳してから今年で十五年になる。わたしは初期のころは図書館から借りて読み、後半は刊行の度に買って読んだ。図書館で読んだ本は改めて文庫本を買い求め、わたしの本棚には上製本と文庫本が半々。
 それから、笑傲江湖の題のついたノートがまわり、各自岡崎さんへの感謝の言葉を書き、そのノートを岡崎さんに差し上げることになった。
 最後は見なかったが、あまり長い文はなかったので、わたしの文はかなり長い方。
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posted by たくせん(謫仙) at 07:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

少林功夫 2

shaolin-2.jpg

少林寺
 これは前に紹介した。この中で唯一の日本語字幕。
 参考  少林寺

少林小子
 これは少林寺の続きとして製作されたらしいが、内容は全く別物。日本での名前は「少林寺2」。俳優はかなり重なっている。
 桂林あたりの村の、こどもたちの遊びを兼ねた少林武術修行。
 わざわざ見るほどのものでは…。

鷹爪鐵布衫
 鐵布衫、武器の攻撃を受けても平気な身体になる究極の功夫技。足技の達人が鐵布衫の老人と戦う。
 一部早回しで見た。好みではない。

笑太級
 はじめに自転車が出てくる。そんな時代。パス。

少林寺十八銅人
 一家全滅の憂き目に遭った赤子が、少林寺に預けられ、復讐のために少林寺武術を習得する。そして仇を討つのだが、その……、ラジオ体操的武術を除けば、ほとんど何もないような……。
 武術は迫力があるのだが…なんか昔のプロレスを見ているようだ。これを見ていて、改めてわたしはラジオ体操武術にほとんど興味がないことを再確認した。
 舞台は少林寺。仏教の寺のはず(^_^)。そこで育てられた赤ん坊が復讐のために…、何事にも例外があるということかな。

雍正大破十八銅人
 雍正帝(1678−1735)は康煕帝と乾隆帝に挟まれた、清朝第五代皇帝。在位13年ほど。帝位に就いたのは数え45(1722−1735)。
 康煕帝が亡くなり、遺詔を改竄するところから始まる。

14-4henkou.jpg
 「十四皇子」とあるのを「于四皇子」と改筆する。この四皇子が雍正帝となる。前にも書いたが、当時は満州語でも書かれていたはずで、満州語ではこのやり方では改竄できない。
 雍正帝が若い。そして、三年間少林寺に籠もって武術の修行をする。現皇帝が三年もそんなことをしていていいのか。もっともまともな弁髪ではないし(頭の前部を剃っていない)、実際の清の歴史は無視している。大人の童話である。

少林三十六房
 1978年製作の香港のアクション映画。
 劉裕徳は清に仲間や家族を殺され、命からがら少林寺へとたどり着き、出家して三徳と名を改める。
 少林寺には武術修行の過程に35房ある。身体を鍛える基礎訓練から始まり、刀・棒・槍・拳などを35房を5年で通り、新たな武器「三節棍」考案し、復讐したりする。そして第三十六房を開く。
 この35房での訓練はアクションの質が高い。今までのラジオ体操的武術ばかり見た目には本物のアクションに驚く。

少林三十六房続集
 少林搭棚大師(少林三十六房続集)というのが正しい題名。
 こちらはコミカルなところがある。続集といっても別な物語。染め物作業が安く買いたたかれる。ある青年がニセ三徳をやったりして抵抗するが、見破られる。
 少林寺に行きカンフーを習おうとする。しかし青年が命じられたのは、建物改修の足場作り(搭棚)。竹を組み合わせて縛り、一年かけて完成するが、その後に追い出される。見よう見まねで訓練していたのが、それなりの水準に達していたのだ。
 染め物作業の現場に戻り、悪人(?)退治をする。
   …………………………

 共通しているのは、弁髪でも頭の前半が長髪なこと。それで本物の清朝でないことを示しているのか。たんに俳優の都合でできなかっただけか。
 物語は復讐で終わることが多い。なんのための復讐か忘れてしまったようだ。最後の搭棚大師も、その後の工賃の値上げができたのか、今までの損害を取り戻せたか、心配になる。
 題名は「少林◯◯」が多い。しかしネットで探すと、「少林寺◯◯」ばかり。日本で放映されたときに「寺」が入っていたらしい。もともと少林という題名だったのか、後に寺を抜いたのか。
 最近は「少林寺」という言葉が使いにくくなったという。お寺の登録商標だとか。だから倚天屠龍記では、「あそこ」とか「あの寺」で代用している。テレビドラマでも使いにくいという。
posted by たくせん(謫仙) at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする