2017年09月11日

武侯祠

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 6

 武侯祠(ぶこうし)は、三国志演義の主役諸葛亮を祀る霊廟であるが、武侯祠と称する地域には、武侯祠の他に主君劉備を祀る漢昭烈廟もある。
 わたしは諸葛亮といえば、文官のイメージが強く、武官としては無能力だったと思っているので、はじめて諡号が忠武侯と知ったときは意外に思った。
 223年つまり劉備の亡くなった年に、劉備の陵墓である恵陵が造営され、劉備の霊廟も造営された。現在のような諸葛亮と劉備を祀る霊廟に整備されたのは明朝の頃であるという。いわゆる完成は清代。

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 駐車場から、武侯祠の前を入り口まで歩く。

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 見にくいが、案内図。

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 入り口は漢昭烈廟の文字がある。劉備は一応漢の皇帝としていたので、国号は漢となる。

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 漢昭烈廟 劉備像、案内図ではオレンジ色の線に囲まれた右端上下中央あたり。

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 漢昭烈廟のすぐ後ろに武侯祠がある。

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 武侯祠 諸葛亮像
 霊廟内には関羽・張飛などの蜀漢の武将の塑像が並ぶ。写真はない。
 諸葛亮や劉備の塑像と同じで、いずれもが後世の製作。『三国志演義』によって形成されたイメージに基づくもの。

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 ここはどこだったか。

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 案内図の武侯祠の左に桂荷楼がある。荷とは蓮のことなのでこの建物と思われる。


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 ここから劉備の墓の方へ行く。

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 武侯祠を代表するような道である。この右側が恵陵で丸い。

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 恵陵つまり劉備の墓の入り口。右側になる。

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 恵陵は案内図では武侯祠左側、円形をしている。

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 恵陵の大きさを感じられるであろう。小さいが、皇帝とはいえ地方政権の長に過ぎないので、相当なものか。
 未発掘であるという。

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 頭でっかちな獅子(?)

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 夕食後に錦江劇場で川劇を見た。

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 なんと一番前の席の真ん中あたり。左右には字幕など出るが、わたしの席からは無理。
 三英戦呂布・梅花奨・変面。以下説明ぬき。

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 注目するのは変面である。武侠ファンには張紀中版「笑傲江湖」でおなじみだが、遙かに鮮やかであった。

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 古い舞台もある。
 好(ハオ)、好(ハオ)、と声が飛び交いそうだが、現在は使われていない。

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 武侠ファンにとって忘れがたいのは、諸葛孔明の八卦陣である。桃花島は八卦陣で作られているため、老頑童は15年も出ることができなかった。
 陸家荘では、穆念慈が楊康を助けようとするが、どうしても近づけない。
 黄蓉も赤ん坊の郭襄を八卦陣の囲いで守ろうとした。李莫愁はその囲いが解けない。
 などあちこちで諸葛孔明の八卦陣が使われている。
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2017年09月08日

杜甫草堂博物館

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 5

 8月20日、峨眉山市から成都に戻る。午後から杜甫草堂の見学である。
 あらためていうと、
 杜甫は、中国盛唐の詩人。字は子美。号は少陵野老、別号は杜陵野老、または杜陵布衣。「杜少陵」「杜工部」とも呼ばれる。「詩聖」と評された。
 杜甫は乾元2年(759年)、安史の乱のせいで、成都への流亡を余儀なくされた。そこで親友である厳武の援助を得て、浣花渓の近くに茅葺の小屋を建てた。杜甫はそこで4年間の生活を送った。

 つまりこの草堂には4年間しかいなかった。もちろん当時の建物は残っていない。
 
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 この杜甫草堂は博物館で、これはその博物館の入り口である。

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 照壁
 門の前の目隠し壁であるが、もちろん草堂にはない。博物館の壁である。

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 博物館の説明地図である。
 正門を入って、詩史堂・柴門・工部祠・少陵草堂・茅屋故居と続く。

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 この地図と上の説明図を合わせて見当をつけたが、はっきりしない。
 細かい説明は間違いそうなので省く。

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 見にくいが橋を渡るところ。

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 大廨、廨は初めて見る字だ。役所のこと。

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 入り口から見て建物の左側、両側にこのような回廊がある。

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 詩史堂

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 柴門
 当時この名前の門があったので、柴門としたが、おそらく、名前ばかりの門であっただろう。この門は清の時代の建築。向こうの建物は工部祠。

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 柴門の手前にこの水路(池?)がある。

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 工部祠
 工部は杜甫のこと。「検校工部員外郎」を勤めたゆえ、こう言われたとか。

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 少陵草堂の碑亭
 杜甫草堂のシンボル的存在。清代康煕帝の子、雍正帝の弟果親王である、愛新覚羅允礼の書いたもの。

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 茅屋故居。当時の杜甫の記述に合わせて再現した。庭には松が四本などの記述があって、四本植えたとか。日本人好みの庭である。

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 上の柴門とは、本来こんな門ではなかったか。

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 室内の様子。

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 土間が一列に並んでいた。
 なお、本当の草堂跡はこの裏の方にあたる。

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 見学を終えて門を出る。門前は道の向こうが浣花渓、その向こうは高級住宅地。
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2017年09月04日

四川峨眉山文武学校

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 4

 峨嵋派武術は少林寺武術や武当山武術と並び三大武術といわれるが、峨嵋派としてまとまっているわけではない。
 春秋時代に司徒玄空という最初の武術家が現れた。猿の動きから、「峨嵋通臂拳」を編み出したと伝わる。その後も多くの武術家が独自の武術を編み出した。その中には女性もいる。それが金庸小説で郭襄(小東邪)を峨嵋派の開祖扱いしたもとらしい。四姉妹が蛾眉の四山に姿を変えたという伝説もある。
 現在四川には、67派あり、四川省由来が28派である。(以上、八雲さんの解説による)

 ガイドの李さんが言った。
「20年ガイドをしてきて、多くのツアーを案内してきましたが、武侠のツアーは初めてです」
 そこで、岡崎先生の事を調べたら、大変なひとで驚いたとか。
 四川峨眉山文武学校の見学を申し込んだとき、団体名を聞かれたという。
 岡崎先生は、「授業の邪魔にならないよう、授業の様子など見学させて頂きたいと思っていたのですが」
 この学校では武術ばかりでなく、ふつうに学問も学ぶ。現在は武術だけで生活するのは難しい。現代の学問も修得せねばならない。そんなわけで、文武両道の学校となった。
 峨嵋山を下りて、4時ころに四川峨眉山文武学校に着いた。

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 門には大きな横断幕。これには驚いた。
 門柱には峨嵋派とある。一門派にとらわれず、広く峨嵋山地域の武術を学ぶとみた。

  歓迎、日本の中国武術ファンの友人たち

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 そして生徒たちが整列して出迎え。左でカメラを構えている人は学校の職員である。
 案内してくれたのは校長先生。向こうの低く横に長い建物が校舎である。体育館は左奥になる。
 わずか12人の武侠迷は恐縮してしまうではないか。

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 武術ばかりでなく普通のスポーツもする。

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 体育館に行く途中にあった武術家の像、背中の槍は短くしたが、峨嵋槍は長槍である。

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 体育館に案内される。


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 体育館で演武を見せてくれた。
 私たちの両側には生徒の父母らしい人たちがいた。

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 演武の後ろには、門で見たと同じ横断幕。

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 刀術
 中国では剣術と刀術は異なる。動きは円を描き、休み無く動く。わたしには相手に背中を見せるのが気になる。その一瞬に勝負が決しないか。
 日本では刀を使いながら、剣道・剣術という。細身なので中国の剣に近い。

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 武術の中心となる張氏、峨嵋派僧門第十四代傳人。教師ではなく仏教僧侶。
 手足以外はぴくりとも動かない。その後の目にも留まらぬ早業。動画を数回見て、動きを確認した。

 八卦掌、八卦刀、虎拳法、猴棍、羅漢拳、峨嵋刺など30分ほど演武を見せていただいた。

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 変面も披露。

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 記念撮影

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 初歩の構えを指導。

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 こうして構えを教えながら、その意味も説明する。

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 校舎

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 南宋建炎年間に白雲禅師が、峨嵋十二〔木+庄〕功という練功法を創作する。という話もある。

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 門脇に四川峨眉山文武学校とある。猿の絵は司徒玄空の故事由来であろう。
 四川省の山々は神仙伝説が多く、司徒玄空や白雲禅師をはじめ武侠の先達たちも神仙伝説に彩られている。四川省は中原とは違った古い文明の発祥した地域なのであった。
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2017年09月01日

峨嵋山(峨眉山市)

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 3

 19日は楽山市から峨眉山市へ向かう。地名などは「峨眉」だが、小説やドラマでは「峨嵋」が多い。区別はないようだ。(8時発)

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 峨眉山市で登山用の景区エコカーに乗り換える。(9時15分)

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 券売所のテレビ画面、金頂か?

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 途中休憩の売店。(10時)

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 2時間ほどで峨嵋山の中腹、雷洞坪まで行く。(11時5分)
 ここから山歩きが始まる。ロープウェイの乗り場まで山道を登る。

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 一般の人のエコカー乗り降りはこちら。

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 霧が濃く、霊場らしい雰囲気だが、景色は見えない。
 低い階段が多く、歩きやすいとはいえ、30分の登りはきつかった。(11時40分着)
 ロープウェイで金頂へ。雲が多く展望は開けない。
 ロープウェイを下りて、少し歩けば山頂である。

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昼食にする(12時15分)。
 周りは雲であり、見晴らしはよくないが、山頂部分だけははっきり見えた。

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 晴れていれば、こんな山並みが見えるはず。

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 強力(ごうりき)がこうして資材を運んでいた。人も運ぶ。

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 金頂(3077)には巨大なクレーンが動いていた。堂の工事中であった。

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 金ピカの巨大な普賢菩薩、象は普賢菩薩の乗り物である。
 峨眉山は中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)の一つといわれている。
 ウィキでは、
 26の寺院を有し、普賢菩薩の霊場とされる。一番高い峰が万仏頂(標高3,098メートル)で、頂まで32の名刹が続いている。
 とある。名刹数が寺院数より多いことはない。どっちの数字が正しいのか。もちろん昔はもっと多かった。
 このような霊峰なので、
自然が護られ、約3,000種の植物と、絶滅危惧種を含む約2,000種の動物の宝庫でもある。1996年12月6日には文化面、環境面両方が考慮され、楽山大仏と共に「峨眉山と楽山大仏」としてユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録された。

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 記念撮影。それにしても三千メートルの山頂に、こんな巨大な像をよく建てたものだ。

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 展望台(?)にあがる。周りは雲の中。不思議に頂上部だけ雲がなかった。

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 堂も金ピカ。寺号は華蔵寺である。金頂には臥雲庵という別な寺もあるはずだが、どこなのか。

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 普賢菩薩像を横からみる。こう見る方が大きさを実感する。

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 もう一つの堂の新築・改築中である。

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 こちらの堂はかなり金メッキがはげている。

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 こちらの建物は何か。
 寺院の説明はほとんど無い。まあ宗教的な意味合いでお参りしているのではないので、かまわないのであるが、インターネットでもはっきりしない。
 気温は高かった。海抜3千メートルの山頂で、半袖姿が目立つ。本来寒いくらいの方が、歩いているとちょうどよい。

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 下山途中に見えた。雲の中である。
 登山の注意として猿に用心といわれたが、一度も見なかった。凶悪らしく、油断していると持ち物を取られる。猿は猛獣なのだ。よく見られるのはニホンザルと同系統の猿である。
 今回は金頂のみだったが、他にも峰があり寺院がある。見えなかったのは残念。大雨の予報が傘を使わずに済んだことでよしとしよう。それにもう一カ所行く予定があるのだった。
 14時20分エコカーに乗り景区出口に向かう。
 15時35分到着した。
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2017年08月28日

楽山大仏

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 2

 18日、楽山磨崖仏に向かったが、寄り道した。眉山市彭山区で最近発見された江口沉銀遺跡の、今年の1月から始まった発掘現場を、対岸から見ることになった。

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 岷江、見にくいが真ん中あたりの川の合流地点が発掘現場である。この右の対岸まで行く。

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 こんな塀が続く。

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 江口崖墓という、ローカルな遺跡もある。

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 ようやくこれだけ見えた。

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 畑を囲っているのか、それとも遺跡を守っているのか。

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 この地域の中心の通り。真ん中あたりの家は商店である。

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商品、紙など。

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 場違いな感じがする建物。女性の足の長さに見とれて建物は見なかった。

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 不思議そうにこちらを見つめている。
 またバスに乗り楽山市に行く。

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 ここから船に乗る。楽山磨崖仏は川に面していて、その川は広いので船でないと近くでみることができない。

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 この先端あたりに楽山磨崖仏がある。

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 岷江と大渡河の合流地点なので、水の色がはっきり分かれている。

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 磨崖仏を陸から見るにはこのコースを登っていく。

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 楽山大仏は世界最大である。高さは71メートル。東大寺の大仏の5倍ほど。
 像高(像本体の長さ) 59.98mと言うので、71mは台座部分も入っているのか。
 なお近年さらに大きい仏像(観音像を含む)が立てられている。
 ちなみに魯山大仏128メートル、日本では牛久大仏110メートル。

 陸からの見学は、上から見るか、あるいは、左の階段をおりて足下から見上げる。そして右手に抜けて階段を登ることになる。

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 正面から。見上げるために、顔を大きくして見た目のバランスを整えている。

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 この階段を下りる。

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 大仏の左右に脇侍がいる。左は形が崩れている。この写真は右側だが、どんな菩薩だろうか。

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 トンネルを抜け、右に行き、登ることになる。

 船からの仏像を堪能したので、一度上陸し、上から大仏を見ることにする。

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 川沿いの道を歩き、登山口に至る。ここから333段を上り、大仏の頭部に至る。大仏の背後は凌雲寺という寺である。寺域はどれほど広いのか。
 この登山道は先ほど川から見た。

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 最後の33段は一気に上る。途中で休まない。

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 ここから凌雲寺に入るのだが、それは後からで、まず仏頭を見る。
 ここからは自由に観光となる。

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 大勢の人が並んでいる。ここから大仏の脇を下まで下りるのだ。私たちは上からの見学だけで済ます。

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 絶壁の階段を下りていく人々。

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 楽山市は中心市街は超高層ビルの並ぶ都会であった。市域などは何度も変更されているので、具体的な数字はわからない。

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 海通禅師、大仏建立のための基金集めをした。嘉州郡守が寄付を拒絶し「目を差し出すなら」と無理を言うと、その場で目を抉り出したという。そうまでして資金を集めたのだ。

 そのまま山の上に行くと、苑などがあるが、その一画に蘇東坡をたたえる(?)建物があった。

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 東坡楼
 蘇軾は北宋最高の詩人といわれる。東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。眉州眉山(眉山市)の出身である。今ではとなりの市である。

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 建物の中には蘇東坡像がある。

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 集合時間になったので、元の場所に戻り凌雲寺に入る。

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 凌雲寺は混んではいなかったが、この寺の説明は忘れてしまった。

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 何の像だったか。

 凌雲寺を出ると駐車場まで15分という。もちろん歩くことにする。

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 ホテルに着いてから散歩に出た。すぐ前は大渡河で雨の後のせいか濁流である。

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 泳いでいる人がいる。水流が速いので、流されているように見える。

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 遠くに大仏が見える。

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 乗り捨て自由のレンタル自転車。ケータイで手続きして使用料を払う。外国人はその支払いシステムへの加入が難しい。

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 夕食後、スーパーマーケットに行った。
 ばら売りの米の値段だが、500グラム単位、これは1斤相当の量である。
普通の粳米    3元
香米       3元 ジャポニカ米だが南方系。
インディカ米 2.5元
上質な米袋入り  4元
 おおよそこの程度、思っていたより高かった。
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2017年08月24日

成都

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 1

 8月17日、朝7時に成田集合。関西の2人もここで集合した。添乗員と岡崎先生を入れて、総勢12名である。
 成田発08:50、成都到着は13:20(現地時間)、5時間半の直行便である。
 成都に着いてから空港を出るまで1時間以上。専用のバスに乗り込む。
 ホテルの近くでまず書店に入る。わたしは「李清照」「李U」「余秋雨散文」を入手した。これは辞書のようになにかの折に参考にしたいのであって、すぐ読みたいわけではない。それからホテルに着いてすぐに夕食の店に向かう。

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 5時40分に「陳麻婆豆腐」に到着したが、ここで最初のトラブル。なんと予約しておいたのに部屋がない。食事前の一時間ほど、岡崎先生の解説などを予定していたのだが、どうやら勘違いがあった模様。しばらく待つことになった。個室の用意ができ、岡崎先生の四川省の解説と、八雲関西幇主の峨嵋派武術の解説を聞く。
 小説やドラマなどで峨嵋派がよく出てくるが、実はいろいろな武術派があって、峨嵋派という名で括ることは出来ない。知らないわたしにはびっくりする話ばかり。(^_^)
 夕食は中国らしい料理が並ぶが、ほとんどが唐辛子の辛い料理。わたしは苦手なのだ。今回は最後までこれがついて回った。

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 料理の一例、見ただけで手が出ない。

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 四川ダック、これさえ唐辛子味。

 看板の麻婆豆腐は言わずもがな。写真を撮る気にもならなかった。それで今回は料理の写真は原則としてなし。

 さて、四川省といえば何を思い浮かぶか。まず「三国志の蜀漢」と「パンダ」であろうか。
 ガイドに問われて、わたしは「曇り空」をあげた。「蜀犬日に吠ゆ」といいう有名な言葉がある。
 口にはしなかったが「巴山夜雨」もある。今回の現地の天気予報は大雨ばかり。夜中から朝にかけて雷雨になったりする。それがなんと傘を一度も使わずに済んだ。
 四川省の省都は成都である。重慶市は1997年に直轄市になったので、四川省の範囲ではなくなった。そうは言っても四川盆地にあり、直轄市になる前は四川省なので、間違えてしまう。成都市の人口は1400万人、市部は600万人。
 今でも中国を共産主義の国と思っている人は少ないと思う。現地の人の感覚でも完全な資本主義である。事前の情報では20世紀の国である日本、21世紀の国である中国という対比があった。都市部では現金やカードは不要で、ケータイで全部済ますとか。
 成都での実感は、21世紀と20世紀半ばが混じり合っている印象だった。

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 ホテルの窓辺、横顔に見えたのは偶然らしい。

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 ホテルのロビーは諸葛孔明が目立つ。

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 中国は固定電話が十分に普及しないうちに、携帯電話の時代に入ってしまった。一週遅れだったのがその一週をパスしたようなものだ。
 ケータイで全ての支払いを済ます。
 考えてみると、私生活は全て公開されているに等しくなる。プライバシーの保護はどうなっているのだろう。インターネットには、堂々と「監視されています」とでてくる。
 このままの形で発展できるのだろうか。
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2017年06月26日

孫子大伝

孫子《兵法》大伝
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 2010年の中国のテレビドラマである。全35話。
 孫子の兵法と言えば作者は孫武と孫臏(ピン)の両名がいる。一般的には孫武を指す。孫臏は“孫臏兵法”と言うことが多い。また孫臏は孫武の子孫と言われている。
 このドラマは孫武の人生を描いた歴史大河ドラマである。
 呉王・僚の暗殺(紀元前515年)から呉国滅亡(紀元前473年)までをえがく。
 孫武については疑問が多く、実在は疑わしい。
 海音寺潮五郎の小説「孫子」は、孫武の材料が少なすぎて書きようがなく、ほとんど創作である。そして「うまく当てはまらないので困った」と言っている。

 兵とは国の大事なり 死生の地 存亡の道 察せざるべからざるなり

 戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり

 斉国の孫武は裏切り者から迫害を受けたため、家族を連れて呉の国をめざして逃亡する。
 季札とともに呉に向かう途中で、呉では王弟闔閭(こうりょ)のクーデターがあった。闔閭の使いが季札を次の呉王にと迎えに来る。必ず辞退すると判っていての、闔閭の腹芸であった。
 季札は辞退し、闔閭が呉王となり、孫武は市井の人となる。
 伍子胥が孫武を見いだし呉王闔閭に推薦する。そして試しに女官たちを軍事教練してみることになる。第4回でここまで。

 この女官たちの軍事教練の話は有名であり、孫武の話には必ず出てくるが、これもかなり怪しい話だ。そしてこれ以外の話はほとんどないのが現状である。
 一応孫武は、紀元前535年?〜没年不詳 と言われている。
前535年 誕生
前515年 斉国を出たのが20歳?。
前506年 楚と呉の戦争は29歳?。(柏挙の戦い)
以後の資料は少ない。
前496年 越王允常が亡くなり、勾践(こうせん)が即位。
 この年、呉越の戦いがある。このドラマでは、孫武はこの呉越の戦いに参戦していない。
同年  戦いの傷で闔閭が死去。孫武は39歳?。
同年  夫差(ふさ)が即位。
 以後「臥薪嘗胆」の故事となる呉越の戦いの時代になる。
 ドラマでは即位の5年後、夫差が越を制圧(史実は前494年)。
 勾践を奴隷とする。ここまで32話。
 二年余りで勾践を放免する。
前484年 伍子胥(ごししょ)死去。
前473年 勾践が呉を滅ぼす。夫差は自害。呉が滅ぶ。
 最後に孫武が、孔子と老子に会う。同時代の人だったのだ。

 この物語でも、孫子が指揮したのは、柏挙の戦いのみで、6万で20万の軍を破った。
 孫子の兵法を理解しない夫差を拒否し、呉越の戦いは参加しない。
 時々、琴を演奏するシーンがある。手の動きと音が一致しているので、安心して見ていられる。
 漪羅(いら、孫武の若夫人)役の景甜が、射G英雄伝の黄蓉役の周迅のイメージに似ていたので、思い入れをもって見てしまった(^_^)。
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2017年05月09日

四川省名山の旅

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて

2017年8月17日(木)〜8月22日(火) 5泊6日
旅行代金:198,000円
 (別料金:一人部屋差額28,000円、燃油サーチャージ約3,000円)
申込締切:6月15日(木)
募集人数:15名(最少催行人数10名)
旅行企画:(株)キャラバンツアー 担当・増山

何度も行っている「岡崎先生と行く中国の旅」の案内が届いた。
いままでは5日間だが、今回は6日間である。
今回の目玉は峨嵋派と青城派の根拠地である。峨嵋派の「峨嵋山」は仏教の聖地、青城派の「青城山」は道教の聖地。
有名な「楽山大仏」も遊覧船で見学する。さらに成都の「武侯祠」「杜甫草堂」「川劇鑑賞」なども予定。

ツアー日程
8/17 成田08:50〜 成都13:20 成都市内へ
   成都銀河王朝大酒店にて宿泊
8/18 専用バスで楽山へ
   世界遺産 磨崖仏楽山大仏を見学(遊覧船+凌雲寺)
   楽山嘉州賓館にて宿泊
8/19 午前、専用バスで峨嵋山へ
   世界遺産「峨嵋山」見学
   ロープウェイで金頂へ(八雲さん情報では海抜3千m以上)
   ロープウェイで下山
   峨嵋山華生酒店にて宿泊
8/20 午前、専用バスで成都へ
   午後、「武侯祠」「杜甫草堂」見学
   夕食後、川劇鑑賞
   成都銀河王朝大酒店にて宿泊
8/21 「都江堰」と「青城山」見学
   成都銀河王朝大酒店にて宿泊
8/22 午後、成都12:20〜 上海浦東15:20 
   乗り継ぎ17.20〜 成田20:40

※利用予定航空会社 中国国際航空
※利用予定ホテルは別の同等クラスになることがあります。

今回は関空利用が難しい。往路は到着が22時になる。

問い合わせ先は(株)キャラバンツアー 東京支店。
FAX 03−5295−1702
「岡崎先生と行く中国の旅」増山さん宛にお願いします。
posted by たくせん(謫仙) at 08:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする