2017年08月24日

成都

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 1

 8月17日、朝7時に成田集合。関西の2人もここで集合した。添乗員と岡崎先生を入れて、総勢12名である。
 成田発08:50、成都到着は13:20(現地時間)、5時間半の直行便である。
 成都に着いてから空港を出るまで1時間以上。専用のバスに乗り込む。
 ホテルの近くでまず書店に入る。わたしは「李清照」「李U」「余秋雨散文」を入手した。これは辞書のようになにかの折に参考にしたいのであって、すぐ読みたいわけではない。それからホテルに着いてすぐに夕食の店に向かう。

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 5時40分に「陳麻婆豆腐」に到着したが、ここで最初のトラブル。なんと予約しておいたのに部屋がない。食事前の一時間ほど、岡崎先生の解説などを予定していたのだが、どうやら勘違いがあった模様。しばらく待つことになった。個室の用意ができ、岡崎先生の四川省の解説と、八雲関西幇主の峨嵋派武術の解説を聞く。
 小説やドラマなどで峨嵋派がよく出てくるが、実はいろいろな武術派があって、峨嵋派という名で括ることは出来ない。知らないわたしにはびっくりする話ばかり。(^_^)
 夕食は中国らしい料理が並ぶが、ほとんどが唐辛子の辛い料理。わたしは苦手なのだ。今回は最後までこれがついて回った。

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 料理の一例、見ただけで手が出ない。

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 四川ダック、これさえ唐辛子味。

 看板の麻婆豆腐は言わずもがな。写真を撮る気にもならなかった。それで今回は料理の写真は原則としてなし。

 さて、四川省といえば何を思い浮かぶか。まず「三国志の蜀漢」と「パンダ」であろうか。
 ガイドに問われて、わたしは「曇り空」をあげた。「蜀犬日に吠ゆ」といいう有名な言葉がある。
 口にはしなかったが「巴山夜雨」もある。今回の現地の天気予報は大雨ばかり。夜中から朝にかけて雷雨になったりする。それがなんと傘を一度も使わずに済んだ。
 四川省の省都は成都である。重慶市は1997年に直轄市になったので、四川省の範囲ではなくなった。そうは言っても四川盆地にあり、直轄市になる前は四川省なので、間違えてしまう。成都市の人口は1400万人、市部は600万人。
 今でも中国を共産主義の国と思っている人は少ないと思う。現地の人の感覚でも完全な資本主義である。事前の情報では20世紀の国である日本、21世紀の国である中国という対比があった。都市部では現金やカードは不要で、ケータイで全部済ますとか。
 成都での実感は、21世紀と20世紀半ばが混じり合っている印象だった。

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 ホテルの窓辺、横顔に見えたのは偶然らしい。

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 ホテルのロビーは諸葛孔明が目立つ。

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 中国は固定電話が十分に普及しないうちに、携帯電話の時代に入ってしまった。一週遅れだったのがその一週をパスしたようなものだ。
 ケータイで全ての支払いを済ます。
 考えてみると、私生活は全て公開されているに等しくなる。プライバシーの保護はどうなっているのだろう。インターネットには、堂々と「監視されています」とでてくる。
 このままの形で発展できるのだろうか。
posted by たくせん(謫仙) at 15:23| Comment(2) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月26日

孫子大伝

孫子《兵法》大伝
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 2010年の中国のテレビドラマである。全35話。
 孫子の兵法と言えば作者は孫武と孫臏(ピン)の両名がいる。一般的には孫武を指す。孫臏は“孫臏兵法”と言うことが多い。また孫臏は孫武の子孫と言われている。
 このドラマは孫武の人生を描いた歴史大河ドラマである。
 呉王・僚の暗殺(紀元前515年)から呉国滅亡(紀元前473年)までをえがく。
 孫武については疑問が多く、実在は疑わしい。
 海音寺潮五郎の小説「孫子」は、孫武の材料が少なすぎて書きようがなく、ほとんど創作である。そして「うまく当てはまらないので困った」と言っている。

 兵とは国の大事なり 死生の地 存亡の道 察せざるべからざるなり

 戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり

 斉国の孫武は裏切り者から迫害を受けたため、家族を連れて呉の国をめざして逃亡する。
 季札とともに呉に向かう途中で、呉では王弟闔閭(こうりょ)のクーデターがあった。闔閭の使いが季札を次の呉王にと迎えに来る。必ず辞退すると判っていての、闔閭の腹芸であった。
 季札は辞退し、闔閭が呉王となり、孫武は市井の人となる。
 伍子胥が孫武を見いだし呉王闔閭に推薦する。そして試しに女官たちを軍事教練してみることになる。第4回でここまで。

 この女官たちの軍事教練の話は有名であり、孫武の話には必ず出てくるが、これもかなり怪しい話だ。そしてこれ以外の話はほとんどないのが現状である。
 一応孫武は、紀元前535年?〜没年不詳 と言われている。
前535年 誕生
前515年 斉国を出たのが20歳?。
前506年 楚と呉の戦争は29歳?。(柏挙の戦い)
以後の資料は少ない。
前496年 越王允常が亡くなり、勾践(こうせん)が即位。
 この年、呉越の戦いがある。このドラマでは、孫武はこの呉越の戦いに参戦していない。
同年  戦いの傷で闔閭が死去。孫武は39歳?。
同年  夫差(ふさ)が即位。
 以後「臥薪嘗胆」の故事となる呉越の戦いの時代になる。
 ドラマでは即位の5年後、夫差が越を制圧(史実は前494年)。
 勾践を奴隷とする。ここまで32話。
 二年余りで勾践を放免する。
前484年 伍子胥(ごししょ)死去。
前473年 勾践が呉を滅ぼす。夫差は自害。呉が滅ぶ。
 最後に孫武が、孔子と老子に会う。同時代の人だったのだ。

 この物語でも、孫子が指揮したのは、柏挙の戦いのみで、6万で20万の軍を破った。
 孫子の兵法を理解しない夫差を拒否し、呉越の戦いは参加しない。
 時々、琴を演奏するシーンがある。手の動きと音が一致しているので、安心して見ていられる。
 漪羅(いら、孫武の若夫人)役の景甜が、射G英雄伝の黄蓉役の周迅のイメージに似ていたので、思い入れをもって見てしまった(^_^)。
posted by たくせん(謫仙) at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

四川省名山の旅

岡崎由美先生と行く中国の旅
四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて

2017年8月17日(木)〜8月22日(火) 5泊6日
旅行代金:198,000円
 (別料金:一人部屋差額28,000円、燃油サーチャージ約3,000円)
申込締切:6月15日(木)
募集人数:15名(最少催行人数10名)
旅行企画:(株)キャラバンツアー 担当・増山

何度も行っている「岡崎先生と行く中国の旅」の案内が届いた。
いままでは5日間だが、今回は6日間である。
今回の目玉は峨嵋派と青城派の根拠地である。峨嵋派の「峨嵋山」は仏教の聖地、青城派の「青城山」は道教の聖地。
有名な「楽山大仏」も遊覧船で見学する。さらに成都の「武侯祠」「杜甫草堂」「川劇鑑賞」なども予定。

ツアー日程
8/17 成田08:50〜 成都13:20 成都市内へ
   成都銀河王朝大酒店にて宿泊
8/18 専用バスで楽山へ
   世界遺産 磨崖仏楽山大仏を見学(遊覧船+凌雲寺)
   楽山嘉州賓館にて宿泊
8/19 午前、専用バスで峨嵋山へ
   世界遺産「峨嵋山」見学
   ロープウェイで金頂へ(八雲さん情報では海抜3千m以上)
   ロープウェイで下山
   峨嵋山華生酒店にて宿泊
8/20 午前、専用バスで成都へ
   午後、「武侯祠」「杜甫草堂」見学
   夕食後、川劇鑑賞
   成都銀河王朝大酒店にて宿泊
8/21 「都江堰」と「青城山」見学
   成都銀河王朝大酒店にて宿泊
8/22 午後、成都12:20〜 上海浦東15:20 
   乗り継ぎ17.20〜 成田20:40

※利用予定航空会社 中国国際航空
※利用予定ホテルは別の同等クラスになることがあります。

今回は関空利用が難しい。往路は到着が22時になる。

問い合わせ先は(株)キャラバンツアー 東京支店。
FAX 03−5295−1702
「岡崎先生と行く中国の旅」増山さん宛にお願いします。
posted by たくせん(謫仙) at 08:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

琅琊榜(ろうやぼう)

琅琊榜(ろうやぼう・láng yá bǎng)
麒麟の才子、風雲起こす
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 評判の琅琊榜をやっと見た。
 金庸以外の武侠の特徴である架空王朝だが、モデルは南北朝時代の南朝だ。国号は梁、都は金陵。金陵は南京市の古名である。史実では梁の時代は“建康”であった。
 まず、梁国の赤焔軍七万が味方の手で殲滅される。
 赤焔軍の将は林燮(しょう)で、この息子の林殊がこの物語の主人公。
 12年後、林殊は病弱の身の変わり果てた姿で、復讐ないし名誉回復をしようと、変名で金陵に戻って来た。その変名は梅長蘇または蘇哲だ。ここから物語が始まる。

 あらすじなど、あちこちで書かれているので、ここでは書かない。
 琅琊閣の琅琊榜とは天下の才人や武人などの番付で、これによると梅長蘇は天下第一の麒麟才子。
 いったい皇帝にもできないようなこんなリストがなぜできるか。閣主の藺晨(りん しん)の特殊能力か。もちろん大勢の情報員を抱えてはいるが。
 皇太子の蕭景宣(しょう けいせん)と第五皇子である誉王・蕭景恒(しょう けいかん)が後継者の地位を争っていて、“麒麟の才子を得た者が天下を得る”との情報を得る。
 二人とも、江湖の江左盟の宗主・梅長蘇が“麒麟の才子”と知り、招こうとする。ところが、梅長蘇は“第七皇子靖王”を支持している。
 皇帝は、雲南郡主の穆霓凰(ぼく げいおう、林殊の許嫁だった)の武力を削ぎたく、霓凰を嫁に出そうとする。
 こんな風に朝廷内部の勢力争いが大きい。
 時々思い出話などが絡むが、本筋を助けて邪魔をしない。これはすばらしい。
 そして、梅長蘇は事を起こすかなり前から、入念な準備をしている。それがピタリピタリと当たるのだ。まさかあれがこの準備だったのかと驚く。

 第二回で、梅長蘇が太皇太后の所へ挨拶に行く。高齢の太皇太后は昨日あった人のことも憶えていないような状態なのに、“小殊”(林殊の愛称)と呼ぶので、穆霓凰が梅長蘇に疑いを持つ。このように自然に流れている。
 梁の建国の設定はいつなんだろう。現皇帝は少なくとも三代目。
 史実の梁は(502〜557)ほぼ一代で終わった。
 おもしろいのは、三人の皇子の出来が、その母の出来具合と比例している事だ。
 第五皇子である誉王(母は義母・皇后)などかなりの出来だが、今一歩足りない。それで墓穴を掘ってしまう。特に参謀役の秦般弱が梅長蘇と比べて格落ちなのだ。
 話にスピード感があり、夢中になって、なんと2話90分のDVDを5枚借りて一日で見てしまった。全部で27枚54話。
 ここまで夢中になって見たのは初めてかもしれない。
 ドラマの出来がいい。香港の武侠など足下にも及ばず、おもしろいが矛盾の多い張紀中の金庸物よりはるかに整合性がある。まるで“校閲ガール”がいるようだ。
 戦いのシーンも、なぜここで戦わなければならないのか、理由をきちんと説明している。それでいて無駄がない。

 出てくる人物が誰が誰だか判らないので、下のリストを時々見ながら書きながら、ドラマを見ている。
林殊  梅長蘇(ばい ちょうそ) 蘇哲
林燮(しょう、林殊の父、故人)
 飛流  林殊の護衛(少年)
 黎綱(れい こう) 林殊の護衛
 十三先生
 宮羽
 童路  野菜売り連絡係
藺晨(りん しん) 琅琊閣 閣主  

蕭選(しょう せん) 皇帝
蕭景宣(けいせん) 皇太子
越貴妃 皇太子の母 罪を得て貴妃から嬪になる。
 謝玉(寧国侯) 皇太子の味方の有力者
 謝弼(寧国侯の世継ぎ)
 莅陽(りよう)長公主  謝玉の妻、景睿の母
  卓鼎風(天泉山荘 荘主) 江湖者 謝玉に仕える。
  卓青遥  鼎風の息子
蕭景睿(けいえい) 寧国侯府長子(訳あって謝・卓2家の子とされる)
言闕(けつ)  言侯 豫津の父 言皇后の兄
言皇后
言豫津(よしん) 景睿と仲が良い。

蕭景恒(けいかん) 誉王 第五皇子、言皇后の義子
 秦般弱(しん はんじゃく) 誉王の参謀役、若い女性でわけあり。
 慶国公

蕭景琰(けいえん)靖王 第七皇子
靖王妃
静嬪  靖王の母親、女医 嬪から妃となる。
穆霓凰(ぼく げいおう) 雲南郡主 もと林殊の婚約者。
穆青  雲南王 霓凰の弟
紀王  皇帝の弟

蒙摯(もう し) 禁軍大統領 林殊と親しい。
高湛  常に皇帝のそばにいる宦官。
夏江  懸鏡使(皇帝の密偵役)の長
夏冬  懸鏡使 若い女性、霓凰と親しい。
聶鋒(じょう ほう) 夏冬の夫、林燮の武将だった。

第一皇子 祁王 故人
第三皇子 患っている。
第四皇子 皇太子(第二?かな)
第五皇子 誉王
第六皇子 大志なし。
第七皇子 靖王
第九皇子 幼い。

 副題の「麒麟の才子、風雲起こす」は日本語として不安定。
「麒麟才子、風雲起こす」か「麒麟の才子、風雲を起こす」か、どちらかにして欲しい(^_^)。
posted by たくせん(謫仙) at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月06日

ドラマ霍建華版 笑傲江湖

ドラマ霍建華版 笑傲江湖
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 于正版笑傲江湖といえばいいのか、霍建華(主演俳優)版といったらいいのか。2013年版の笑傲江湖である。
 話には聞いていたが、ここまで改変されているとはびっくり。と言ってもいつものことといえばそうなのだが、それにしてもだ。
 小説では一瞬しか出てこない東方不敗が、あちこちに出てくる。しかも東方姑娘で、儀琳の姉で、本拠地を留守にしてホステスをやっている。一時的なんだろうな。
 さらに出演者が若すぎる。風清楊以外は若いイケメンばかり。老人のはずのあの人この人が、二十代または三十代の若さでは話がつながらないと思うのだが、どうなンだろう。その若さで引退なんて考えられないし。
 林平之はけっこうやり手のようで、とても世間知らずという感じではない。
 この小説の最大の眼目である東方不敗が女性では、葵花宝典の存在が浮いてしまう。あって困るものでもないが、存在感が小さくなる。
 辟邪剣譜は小説通りだ。
 梅荘で任我行を助けるのは、令狐冲と聖姑。向問天は無関係。後に向問天が重く見られるが、もともとの重臣だったのか。
 小説では聖姑のやったことまで、このドラマでは東方姑娘がやっている。しかも二人とも並の美人で、カリスマ的迫力がない。
 聖姑が琴を演奏するシーンがあるが、手の動きと音が全く合っていない。そんなことも迫力のない原因かもしれない。
 その点は、小師妹がそれらしい。他より美人というのではなく、その位置らしさに存在感に迫力がある。
 それでも武術の面では全体的に迫力があるので見続けてしまう。
 いつものことだが、思過崖では谷底から断崖の上まで空を飛んで行くほどの武術者が、黒木崖では池の中からすぐ目の前の岸まで飛べない。簡単に飛び越すと思ったが飛べないのだ。この場合、両者は同一人物ではないので、何とか説明はつくが、これだけの武術者たちが飛べないと判断した理由は気になる。
 こういう設定の不統一は気になるところ。

 こういうことを書いていると、“校閲ガール”になったような気分(^_^)。

 張紀中版はラストがメチャクチャで、金庸先生を怒らせたと聞くのに比べて、岳不群が死ぬあたりは原作に近い。逆にあれっと思ってしまう。
 そして、41回目に初めて黒木崖のエレベーターが出てきたが、まるで近代高層ビルの骨組みのような巨大な仕掛け。そんな科学力があったのに、内力勝負をやっていたのか。どんでん返しのような設定だ。さらにどんでん返しがあって結局する。
 最後のある雪の日、湖の水の中には陽光が輝いていて…、ご愛敬。
posted by たくせん(謫仙) at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月15日

第12回武侠迷大幇会

第12回武侠迷大幇会
 11月12日、日本棋院での碁会を早退して田町に行く。年一回の武侠迷大幇会があった。
 一応30分前から開場なのだが、その5分過ぎくらいに行くと、三分の一ほどの席が埋まっていた。みんな早い。
 まず、目に入ったのは、いつものごとく香港漫画店のMさん。香港漫画を、広げて見せて説明している。表紙ばかりでなく漫画も総カラーページの迫力はすごい。
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 香港漫画店のHPはこちら http://www.hongkongmanga.com/
 Mさんはある武侠小説の翻訳もしている。その第6回の手製の小冊子をいただいた。わたしたちは、完訳した暁には…という夢もあるが、本人は「周りの状況が難しい」と言っていた。

 紹介したい本がある。わたしはまだ読んでいないが、今回は来なかったいつものメンバーの佐藤信弥さんによる本である。
 周−理想化された古代王朝 中公新書
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 わたしも紹介されて知ったばかり。

 今回の参加者は49名。これ以上参加者が増えると、ここでは入りきれない。超満員で通路を歩くのも自由にならないほど。
 となりに座った旅行社の女性添乗員とは「いつか桃花島旅行を…」という話をした。わたしはもう一度行きたいのだ。しかし、あまり先になると、わたしの方が行けなくなってしまうか。
 さていつものごとく抽選がある。抽選券は、お蓉ちゃんの三だった。
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 2013年于正版のドラマ「笑傲江湖」を手に入れた。主人公の名をとって霍建華版と言った方が判りやすいか。わたしはどちらでも不案内だ。

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 メンバーに迷子さんがいる。迷子さんのブログでこのドラマを詳しく説明している。それを読んでいると、ドラマをみるのが恐ろしくなってくる(^_^)。原作無視の名前だけ借りたようなストーリーらしい。所々に原作が入るとか。どうせならこのストーリーで題名などを別にすればいいのにと。

この日の料理を。
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おいしくいただきました。
posted by たくせん(謫仙) at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月25日

青島

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 11
青島

 今回が最終回になる。
 8月22日の午後8時頃、青島(チンタオ)に着いた。これも15分くらい遅れた。
 夕食は海鮮料理である。これが最後の宴になる。
 ガイドの王さんから、かめに入った紹興酒「女児紅」の差し入れがあった。そして「わたしの方が岡崎さんにガイドされました」と挨拶。

 翌朝、23日(火)はからりと晴れていた。

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 朝食前に散歩に出た。まだ日も差さないうちに海に入っている人が多い。その向こうが小魚山公園だ。今日の観光予定。

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 右の最上階が丸く回転する建物が泊まったホテルだ。

 朝食のため、ホテルに戻り最上階の回転レストランに行こうとしたら、エレベーターが途中で止まってしまう。まだ時間前だった。

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 これは最上階より。
 朝食後に小魚山公園にむかう。昔の町並みなので道がわかりにくい。しかも途中から大型車が入れなくなっていて、歩くことになる。

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 青島は昔ドイツの領土だったことがある。そのときの町並みが今も保存されている。ドイツが引き上げても、次に建築する人たちはドイツの町並みをまねた。

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 この道もドイツ的。

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小魚山公園は有料である。

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 手前はドイツふうの町並み。向こうは高層ビルが建ち並ぶ。

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 日本が占領したとき、水族館を造ったという。半分隠れてそっと顔を出しているのが日本的(^_^)。

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 けさ散歩した海岸。

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 信号山公園。詳しいことは忘れてしまったが、歴史がある。

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 小魚山公園を下ると、道路工事をしていた。その発電機。重慶の会社が製作したようだが。

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 海岸に出て大桟橋を見る。バスは込んでいて入れず、少し離れたところで降りて歩く。

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 青島を占領しようとする軍は必ずこの桟橋から上陸するとか。

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 青島の名前のもとになったという青い島。本当かどうかは……。
 写真を撮っただけで終わってしまった。バスに戻り、これから青島ビール工場へ。
 途中で大渋滞に巻き込まれた。交差点で身動きがとれなくなってしまったのだ。駐車している車があって車線が狭くなっているのに、あとから来た自動車がなんと反対車線に入り込む。あちこちの車の運転手が出てきて、交通整理に当たる。パズルを解くような車の移動だった。

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 有名な青島ビールの工場見学。
 王さん曰く、
「水がうまくないと、ビールもうまくない。今は雨期なのでここの水が一番うまいとき。この工場以外で造られた青島ビールは、名前は青島ビールでもうまくない」
 青島では、一年の降雨量の半分はこの2ヶ月に降る。

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 庭の様子

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 博物館に入る。昔の工場設備の見学である。

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 世界中のビールだ。

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 文字通りの生ビール。

 さてビール工場をあとにして、空港に向かおうとしたら、ここでもまた渋滞、道路に駐車しているバスがあって…、とにかく反対車線に入ってくる車は困りもの。運転手も焦っているようだった。
 空港に着いたときの余裕は約1時間。ぎりぎりセーフといったところ。旅行社から事情を連絡してくれていたので、到着と同時に私たちのためにカウンターを開いた。
 成田行きは30分ほど遅れた。その分空港内で余裕が出来た。
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月22日

岱廟(たいびょう)

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 10
岱廟(たいびょう)

 8月22日(月)の午後は、泰山の南の泰安市にある岱廟(たいびょう)見学である。
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 泰山を祀る廟である。泰山の別名を岱山といったので岱廟となった。
 中国の三大宮殿の一つといわれる。あらためて言うと、北京の紫禁城と至聖廟と岱廟である。
 前回にも書いたようにカメラの電池が切れたので、自分の写真はない。写真がないと思い出せないものだ。他の人の写真が手に入ったので、紹介する。

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 何陽街を城壁に沿って正陽門に向かって歩く。

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 岱廟の城壁の高さは10メートルほど。

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 正陽門の前には岱廟坊がある。

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 正陽門から入る。

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 最初に見える建物は配天門。

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 宣和重修泰岳廟記碑
 宣和年間の岱廟の修復作業の様子が記されている。

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 漢柏
 説明に、別名「連理柏」と言い、「水経注」に「漢武帝が定植したものなり」と記載されており、2100年以上の樹齢があると言われています。
 とある。

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 これも乾隆帝が書いた漢柏に関する石碑。

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 北宋時代の書道家米芾の石碑「第一山」

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 多くの碑文がある。
 李斯の碑文があるのにびっくりした。ただし残っているのは10文字だけ。始皇帝の時代である。
 本来は泰山山頂にあったものを移した。

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 東御座
 岱廟は歴代の皇帝が、泰山を訪問した折に立ち寄る、行宮としても使われた。
 乾隆帝も泰山に登るときはいつも、岱廟にお参りして、数日泊まっていく。泰山に登ること6回、東御座は8回使用した。

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 中心となる天貺殿は工事中。中には入れた。

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 銅亭
 全体が銅でできている。1615年に鋳造された。

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 後ろの門。「厚載門」のはずだが上の地図では「后宰門」と読める。
 この門を出ると、まっすぐ泰山の登り口に至る。

 岱廟は、南北約520メートル、東西約230メートル、至聖廟より少し小さい。
 ある場所でガイドの王さんが、「これも……あの人が…、」これだけで笑い声が上がる。
「皇帝をあの人なんて言ってはいけませんね」
 つまり乾隆帝が…である。結局、乾隆帝の足跡をたどる旅になってしまった。
 王さんは説明するとき、キシュウとかゲンシュウとかいう。とっさに誰だか判らなかった。
 岱廟をダイビョウと言ったとき、岡崎先生が注意というか、訂正を言った。
「岱廟は日本ではふつうタイビョウといいます。ダイビョウでは判りません」
 又、
「キシュウやゲンシュウもシュウではなくてソウと読みます。だからキソウ・ゲンソウといいます」
 徽宗・玄宗のことである。岡崎先生はこういう意味のことを言ったのだ。それでわたしはその前の説明の意味が通じた。

 この名の読み方は微妙な問題がある。日本語ではどう読むかは習慣に近いだろう。中国語でも現代語と、当時の読み方とでは違う。また地方によっても違うだろう。
 隋に煬帝という皇帝がいた。普通に読めばヨウテイであるが習慣的にヨウダイと読む。ダイと読まれるのはこの皇帝一人だけだ。辞書もそうしているが、ある研究者が「日本だけの習慣で何の根拠もない。ヨウテイでよい」と書いていた。

「7 水滸影視城」のところで、「済水(せいすい)」と書いたが、ウィキでは「さいすい」と仮名を振っている。「さいすい」という読み方は初めて見た。
 天龍八部の第一巻P92に、段誉が、「字は和誉」と言うが、「かよ」と仮名を振っている。これは小説の主人公なのでどうでもいいが、いつも「わよ」と読んでしまう。
 その他でも仮名を振るのが少し怖くなる。

 一時間ほどで見学を終えて、バスで高速鉄道の駅まで行く。

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 まるで在来線のような雰囲気の泰安駅ホーム。

 泰安発 16:35
 青島についたのは19:55
 15分ほど遅れている。窓外の景色は田園地帯が続く。見渡す限りハウス栽培の所もあった。はじめに書いたように、この辺りは華北の食料庫だ。7月8月しか雨が降らないので(たとえば青島では、一年の雨量の半分がこの二ヶ月に降る)、みな雨の降ることを願っている。私たちの行く先々が晴れていたのは例外的で、前後で豪雨のニュースがあった。
 そのことが判ってみると、黄河の水が途中で少なくなり、海まで達しないことがあっても納得できる。
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする