2016年09月10日

孔子家宴

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 6
孔子家宴

 8月20日(土)、闕里賓舎の夕食は孔府家宴である。
 曲阜の伝統料理である。

P8207822.JPG

2017.2.3.478.jpg
 一番奥の部屋に入ると、すでにいくつのかの食べ物が出ている。
 孔府菜(料理)ではなく、棗などの縁起物である。

P8207824.JPG
 食事の時はいつも撮影会になってしまう(^_^)。
 今回の旅行でわたしが紹介する食事は孔府家宴のみとする(^_^)。

P8207825.JPG

P8207828.JPG

P8207830.JPG

P8207837.JPG

P8207835.JPG
 これを岡崎先生がたたき割り……、割れなかったー。

2017.2.3.503.jpg
 中身は骨付き豚肉だった。

P8207839.JPG
 開宴となる。まずはビールで乾杯。
 岡崎先生からプレゼントがあった。

女子読み「水滸伝」
秋山久生 著 岡崎由美 編集協力 2010年 三五館
 潘金蓮と張氏が感想を交えながら解説する趣向。張氏とは林冲夫人。
 
2016.9.1-1.jpg
   書庫 女子読み「水滸伝」

P8207836.JPG

2017.2.3.491.jpg
 陽関三畳
 唐詩に「西のかた 陽関を出づれば故人無からん」という有名な一節がある。この部分を三回繰り返して歌ったので三畳。 

P8207844.JPG
 聖書香
 筆は何のため、模写するのかな。

P8207845.JPG
 魯壁蔵書
 焚書坑儒の時、壁の中に書を隠したという故事による。当時は紙はなく、竹簡木簡である。こうして束ねた。
“孔子の古里、曲阜と闕里”に写真有り。

P8207847.JPG
 孔府家、52度の蒸留酒である。正しくは孔府家酒だが、どこに行っても孔府家で通用するとか。

P8207848.JPG
 少し遅れて魚料理が出ると、再び乾杯する。それがマナーだ。ということで我々も乾杯。

P8207849.JPG
 おいしいスープだ。飲む前に注意があった。
「若い人は眠れなくなるので飲まないように」

P8207850.JPG
 説明はなかったが、意味があるのかな。

 不喫孔府菜 枉来曲阜游
 説明書の文字、「孔府菜を食べなければ、曲阜に游びに来たとは言えない」とでも訳すのだろうか。

 私たちのように宴会する小部屋がいくつもあった。名目は誰々の孔子門への入学祝い。
 卒業は一生かかっても難しいかな。
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月07日

至聖林(孔林)

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 5
至聖林(孔林)

 至聖林(孔林)は孔子とその一族の墓所である。ここも紅墻に囲まれている。
 孔林の広さは2平方キロ。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に孔廟、孔府とともに三孔として登録されている。

P8207778.JPG
 歩いている後ろの方向。木の陰になってしまったが、万古長春と書かれた坊。そこから歩いた。柏(コノテガシワ)の並木が続く。

P8207781.JPG
三輪タクシーが多い。馬車も走っている。

P8207782.JPG
 至聖林門から入る。

P8207815-1.jpg
下から
万古長春坊
至聖林門
二林門 ここから紅墻内に入る。
 至聖林の紅墻内は東西約1.9キロ、南北約1.2キロ。この中に十万を越える墓があるという。ここも徐々に大きくなり、清代に今の大きさとなっている。
 至聖林門での説明では、この門から孔子の墓まで1キロ、往復2キロを歩くか、周囲10キロをカートで行くか。この2コース。カートで行くことにした。
 二林門の写真を撮ることが出来なかった。二林門から右にまがって、山中の道を行く。

P8207783.JPG
 見たところかなり空き地がある。ただの土まんじゅうもあちこちにある。

P8207786.JPG
 時々整備されたところを見る。

P8207788.JPG
 墓道にまで坊があった。

P8207791.JPG
 乾隆帝の娘の墓地らしい。

P8207794.JPG 
 ほぼ一周し、図の二林門の少し左でカートを降りた。そこから北へ(地図では上へ)歩く。

P8207795.JPG
 まず沫水橋を渡る。この辺りが昔の魯と斉の国境であった。至聖林は国境を跨がっている。

P8207796.JPG
 沫水河といっても小川程度。この川には始皇帝の伝説がある。焚書坑儒のとき、この川を赤く染めることによって、墓所の存在を許したという。そのような助言をした人がいた。

P8207799.JPG
 この幸せそうな顔。聖地を守っているせいか。

2017.2.3.449.jpg
 享殿

2017.2.3.0452.jpg
 享殿の裏側には子貢が植えた楷(かいのき)があったという説明がある。
 このときガイドの王さんから、子貢ってどんな人だか知っていますかと訊かれた。
 わたしは「商人で全国を回って商売をし、行った先々で、うちの先生(孔子のこと)は偉いと宣伝した。それで孔子が偉いということになってしまった」と答えた。
 子貢の財力は桁外れで、孔子一門の生活を支えたこともあったという。もし子貢がいなければ孔子は諸子百家のひとりで終わっていたであろう。
 わたしは孔子よりも兼愛(博愛)と墨守(専守防衛)を説いた、墨子のほうを高く評価している。
 しかし、王さんの言いたいことと、わたしの答えとは少しずれていた。

P8207804.JPG
 孔子の墓であるが、仮の墓である。遺骨などはない。

P8207806.JPG
 大成至聖文宣王墓の王の字に注目、俗界の王に遠慮したという。後ろの小さいものが本来のもの。

P8207808.JPG

2017.2.3.0457.jpg
 孔子が亡くなったとき、子貢がここで三年の喪にさらに3年、6年喪に服したので、この前に墓があったのではないかと思われ、墓の位置を想定した。
 子貢はそんな人であったのである。これが王さんが言いたかったことだった。
 なお、「三年の喪」はあしかけ三年で、実際は2年1ヶ月程度といわれる。これはあしかけ三年も働かなくても生活できる人の話。庶民では飢え死にするであろう。

P8207814.JPG
 享殿前から沫水橋方向。

 またカートに乗って至聖林門まで行く。

P8207816.JPG
 ここから馬車に乗って、ホテルまで帰ることになった。一台に13人なのでぎゅう詰めである。

P8207819.JPG
 大通りを馬車で通る。数人しか乗っていない向こうの馬車を追い越した。この馬は蒙古野馬で、体は小さいが力は強い。
 そういえば大通りを「馬路」という。馬が通るのは当然か。

P8207821.JPG
 馬車が方向転換して戻っていく。
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月04日

聖府(孔府)

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 4
聖府(孔府)

 聖府は孔家の住まいである。孔子の直系子孫とその家族が住んでいた。
 最初は1038年に建設されたが、至聖廟のように何度も拡大再建されている。
 1889年に今の規模になっている。建物数152、部屋数480という。
 第76代孔令貽はここで生活していたが、第77代の孔徳成は、1949年に中華人民共和国が成立すると、台湾に移住してしまった(2008年10月に亡くなっている)。現在は観光地として一般に公開されている。

 なお孔家の第76代は孔令○という名になる。第77代は孔徳○である。令・徳は昔から決められていて、輩行字(はいこうじ)という。
 下はウィキにあったもの。検証はしていない。

第56〜65代 :希言公彦承 宏闻贞尚衍
第66〜75代 :兴毓传继广 昭宪庆繁祥
第76〜85代 :令コ维垂佑 钦绍念显扬
第86〜95代 :建道敦安定 懋修肇彝常
第96〜105代:裕文焕景瑞 永锡世绪昌


P8207752.JPG
 闕里街を北に行くと、孔府入り口にいく。
 この両側の塀の中は、左が至聖廟、右は闕里賓舎である。

P8207753.JPG
 右に曲がって入り口。

P8207755.JPG
 大門である。

P8207754.JPG    P8207756.JPG
 門の両脇にあった。

P8207759.JPG
 廟ほどの規模はなく、私生活の場なので見るべき物は少なく、写真も少ない。調べてもはっきりせず、大門から入ったものの、どこを通ったのか判らない。
 こんなに建物があったとは。もっとも建物数152というので、当然だが、ほとんどは見ていないことになる。

P8207757.JPG
 聖府の文字は新しそう。

P8207758.JPG
 皇帝用の門である。ネットでは皇帝の使者が通ったという説がある。

P8207761.JPG
 ここの中心となる堂である。修理中であった。いわゆる裁判所のよう建物である。孔家は治外法権があって、孔家の判断には皇帝さえ異議を挟まなかったという。

P8207762.JPG
 六代含飴、乾隆帝の筆による。この乾隆帝にちなんだ飴を売っていたが、あまりおいしいというものではない。

P8207763.JPG

2017.2.3.355.jpg
 ここから水を流して、奥で受け取る。

 この右はいわゆる奥で、女性が住むところ。風水の判断から、奥では井戸を掘ることができず、ここから水を流し、中で受け止める。互いに顔を合わせないように水路は曲がっている、短い短い水道であった。

P8207765.JPG
 奥に通じる通りは、このように狭く、大きな物を持ち出せないようになっていた。

P8207766.JPG
 前堂楼
 76代孔令貽と夫人陶氏などの説明だ。ここに住んでいた。
 普通の部屋に、夫人陶氏の写真がチラッと見えた。

P8207767.JPG
 出口から北へ抜ける。
 この右の庭園は、ここに嫁いだ乾隆帝の娘のために造られた。

P8207768.JPG
 銘座杏壇賓舘
 至聖廟と聖府の見学を終えて昼食である。正面には孔子像。
 この町のほとんどの人は孔子に関連した仕事をしている。

P8207769.JPG

P8207772.JPG
 部屋の壁に書かれていた。かなり大きい。

P8207770.JPG
 曲阜は春秋時代は魯の国であった。始祖は周公旦(しゅうこうたん)。小さな国だが格式は高い。現在は魯は山東省を示す。その魯の地ビールである。
posted by たくせん(謫仙) at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

至聖廟(孔子廟)

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 3
至聖廟(孔子廟)

 説明書や地図などは、孔廟とか孔子廟と書いてあるが、正しい名前は至聖廟である。
 ガイドの王さんは半分冗談で断定する。
「正式な名前は至聖廟です。あちこちに孔子廟があるが、それは全部偽物です」
 歴史は古い。孔子の死後二年(前478年)に始まる。漢の時代にかなり整え修復されている。その後も荒れたり修復したりを繰り返している。
 特に清時代に何度も修復され今の規模になった。紫禁城に次ぐほどの規模である。だから昔はと言っても、いつの頃か言わないと正確ではない。しかし、ここではそこまでは言及はしない。
 至聖廟の入り口に行く。

P8207703.JPG
 警察の車であるが、かわいい警官の絵。

P8207705.JPG
 曲阜城はこの城壁(牆)に囲まれた町のこと。

P8207723-2zu.jpg  縦1200ピクセル
 はっきりしないが簡略図、赤い塀の下に下馬の文字が見える。
城壁を入ると、図では下から順に、
金声玉振坊
紅墻、つまり赤い塀があって、欞(れい)星門これが正門。
太和元気坊
至誠廟坊
紅墻と聖時門
小さな掘があり
紅墻と弘道門
紅墻と大中門
同文門
奎文閣
大聖門 ここからは「廟中の廟」状態で、小さく塀で囲まれている。
香壇
大成殿

王「山東省はもっとも治安のよいところです。とくに曲阜は孔子の地元なので、ここでは思わず慎みます」

P8207707.JPG
 金声玉振坊
 これは、闕ではなく坊という。
普通は坊はこの中の地域を指すが、門も坊という。

P8207706.JPG
 ここで下馬して、正門にむかう。

P8207708.JPG
 欞星門は正門である。ここから紅墻に囲まれた地域に入る。
 乾隆19年に石柱鉄梁に変えた。文字も乾隆帝の手筆。以後、何かにつけて乾隆帝が出てくる。ここでいちいち言及しない。
 向こうに太和元気坊と至聖廟坊が見える。

P8207711.JPG
 至聖廟坊

P8207712.JPG
 聖時門、初めての本格的な門である。
 
P8207714.JPG
 聖時門から振り返る。
 域内の至る所に植えてある大木古木のほとんどは柏である。日本名は「このてがしわ」。檜に似る。松と並び「松柏」として常緑の象徴の木。日本では小さな園芸種をよく見かける。金平糖のような灰色の実がなる。

P8207715.JPG
 道の真ん中は孔家当主以外は歩いてはいけない。まるで皇帝なみ。
 もし皇帝が来たときは……聞きそびれた。

P8207716.JPG
 小さな橋の向こうに弘道門

P8207718.JPG
 どこまでも柏の林が続く。

P8207725.JPG
 この巨大な石碑も文化大革命で二つに折られてしまった。修復のあとが見える。
 下は贔屓(ひいき)、亀に似て重きを負うことを好む。竜の子である。この考え方は明の時代なので、この石碑は明以降となる。亀ならば古い時代と見当がつく。
 もっとも贔屓と亀はどこで見分けるのか。

P8207729.JPG
 奎文閣(けいぶんかく)
 1018年に造営され、1504年と1985年に大規模改修された。
 歴代の皇帝から下賜された経書などが収められている。
 左右には武器庫などがあったが焼失した。書庫だけが残った。

P8207732.JPG
 柏の古木、半分皮が剥がれて、竜を思わせる模様になっている。右の枯れた横木は鳳凰を思わせる。
 これも乾隆帝の伝説がある。

P8207739.JPG
 大聖門を内側から見る。この木は孔子のお手植えの樹と伝わる。もちろん代を重ねているだろう。
 ここからはもっとも初期の地域である。
 香壇や大成殿の前が弟子たちの学習の場所であった。もっとも当時はもっと粗末な建物である。

P8207743.JPG
 大成殿 中心となる建物である。紫禁城の太和殿に準ずる。

P8207747.JPG
 大成殿の中はこうして、紫禁城の太和殿を思わせる。

P8207749.JPG
 大成殿の前で、雅楽のような音楽とともに儀式が行われていたが、全く見えない。

P8207750.JPG
 碑林である。近くでみることが出来ない。傾いていて危険だ。

P8207751.JPG
 ポケモンGO ?

P8207682.JPG
 出口を闕里街から。ここから出て聖府(孔府)に向かった。
posted by たくせん(謫仙) at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月30日

孔子の古里、曲阜と闕里

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 2
孔子の古里、曲阜と闕里

 曲阜(きょくふ)駅には5分ほど遅れて到着した。
2016.2.02.2.jpg

 駅を出て十メートルほど歩いたとき、ポツリと雨が降ってきた。午後8時ころである。
王「雨です、急ぎましょう」
 雨よけのため、百メートルもない所に行ったが、瞬間的に大雨となった。迎えのバス(大型車)はここには入れない、バスの所まで行けない。

P8197666.JPG
 左の建物が駅舎

 待てども雨はやまず、タクシーに分乗してホテルに行く。水たまりはモーターボートで行くように波しぶきがあがる。あるところで「令狐冲」の看板を見た。何人も見たという。あれはなんだろうと話題になったほど。瞬間的に目に入るのだ。令狐冲とは“秘曲笑傲江湖”の主人公の名前である。
   2016.2.02.3.jpg
 (9/11追記:令狐冲は焼き魚料理のチエーン店だった)
 ついたホテルは闕里賓舎(けつりひんしゃ)、L字型に孔子廟と孔子府に挟まれている。
 一時間ほど遅れたが、食堂のスタッフが待っていてくれた。
 夕食のビールは青島ビール。この後も昼食と夕食には必ずビールが付いた。毎日二回づつ宴会をすることになる。
   ♪♪兄弟が出会えば三椀の酒

 20日(土)の朝、雨はすでにやんでいた。朝食後に有志で散歩に出た。

P8207671.JPG
 窓外は孔子廟と孔子府に続く道。

P8207701.JPG
 ホテル闕里賓舎の玄関
 左に孔子廟、裏に孔子府がある。

2017.2.3.240.jpg
 孔子廟に向かう。まずは水の補給。

P8207676.JPG
 中国らしい商店街、上の「窓外の道」である。

2017.2.3.241.jpg
 孔子の時代の書物。木簡であった。繁体字なのでそれらしい雰囲気。
P8207679.JPG
 前は孔子廟の入り口方向、後ろは孔子府の入り口。ここの街路を闕里街という。

P8207683.JPG
 闕里(けつり)
 この門を闕(けつ)という。この中(里)が闕里(けつり)だ。この向こうは新興の街、と言ってもいつのことか。

P8207684.JPG
 電信柱を立ててから、商店ができたらしい。ただし、商店街はそうとう古そう。
 
P8207687.JPG
 昔の孔子廟の入り口。といってもいつの時代か。
 徳r天地の文字があるが、門の名前はなんだろう。

P8207691.JPG
 城門を抜けて右側、人の集まっている辺りが孔子廟への城門。

P8207698.JPG
 わかりにくいが概略。
 これから、世界遺産の孔廟・孔府・孔林を見学する。

P8207697.JPG
 中国語の説明 横1000ピクセル
posted by たくせん(謫仙) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月27日

青島から曲阜へ

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 1 
青島から曲阜へ

 8月19日(金)、添乗員の増山さんと、岡崎先生と、英雄女侠10人が中国山東省青島の空港に集合した。
 出迎えてくれたのは、中国のガイド王さん。総勢13人となる。

P8197650.JPG
 青島の駅だが、こちらは在来線。右手の奥に行く。

P8197653.JPG
 高速鉄道の駅
 
P8197652.JPG
 周りで目に付くビル、ホテル。
 地下鉄の工事中であった。

P8197654.JPG
 マンション

P8197651.JPG
 ホテルだろうか。

 駅に入るには空港なみの荷物検査がある。

P8197658.JPG
 高速鉄道のホーム、電車は和諧号。

P8197659.JPG
 新幹線にそっくり、座席は横に3席2席。

suikodenchizu1.jpg     suikodenchizu2.jpg  横1000ピクセル

 青島駅から高速鉄道で曲阜に向かう。列車は時速三百キロを越えるのだが、鉄道が旧型で百八十キロしか出せない。済南市を過ぎると90度近く南に曲がり、新しい鉄道になり、時速は三百キロを越えた。

    2016.2.02.1.jpg
 それも十数分で曲阜に付く。
 約三時間半、車内では江湖の話が飛び交う。
 王さんは日本語はうまいが、言い回しが今ひとつで、以下は多少訂正している。

岡「日本では三国志が一番知られていますね」
王「諸葛孔明は中国では人気がありません。諸葛孔明がいなかったら蜀はもっと続いたと言われていますよ」
謫「でも、諸葛孔明がいなかったら、蜀の国は興らなかったでしょう」
王「まあそうですけどね」
  参考  姜維伝
 孔明の八卦陣は、小説射G英雄伝の桃花島の黄薬師(東邪)が得意で、弟子たちもそれなりに会得している。
王「日本では諸葛孔明とは本当はどんな人だと思っていますか。神様みたいな人だと思いますか」
謫「政治家としては素晴らしい。だけど将軍としては無能(凡将)」
★「赤壁の戦いでは何にもしていないし」
 その他の評価に賛成してくれたけれど、ふっと思った。私たち一行には常識だけれど、一般の日本人はどうか。
 岳飛の説明もあった。
謫「南宋は国力が底をついて戦う力もなく、秦檜の和平工作でようやく国が保っているのに、主戦論を唱える困り者」
 岳飛は英雄扱いで、秦檜は国賊扱いであることを知っていたが、あえて口にした。わたしは秦檜を比較的高く評価している。
  参考  臨安水滸伝
王「岳飛の場合は岳飛よりそのお母さんに人気があります。子供の岳飛に「尽忠報国」の入れ墨をしたことで」
 なるほど、それなら納得できる。
王「皆さんはヤンジャーシャンを知っていますか」
★「ヨウカショウ?」
王「そうです、知っています?」
 わたしは少し間を置いて楊家将と気づいた。
謫「岡崎先生は、日本で初めて、楊家将を完訳したばかりですよ」
  参考  楊家将演義
 王さんが目を丸くした。
 その後、金庸に話が及んだか、これも岡崎先生が翻訳して日本に紹介したことを話すと、金庸の話より岡崎先生にびっくり。
 王さんは旅行の計画やその他いろいろに気を配ったが、岡崎先生については調べていなかったようだ。

 わたしは話が全部聞き取れた訳ではない。あちこちで通じないことがあった。
王「…は評判が悪いです。あんな下手な俳優をどうして使ったのか…」
★「…ワンイーイェンはかわいいので許す」
 ワンイーイェンとは…、しばらくして、王語嫣と気がついた。
 ウーン言われてみれば、王語嫣役の俳優は演技がうまいとはいえなかった。でもわたしは大好きなのだ。当時は15〜16歳。次の小龍女のときは、17〜18歳で、役をこなしていたと思う。
 俳優の名前とその役の名が、日本語と中国語で飛び交うので、理解できないほうが多かったかな(^_^)。まして香港の俳優は、中国語名と英語名があり、わたしは全くの不案内なのだ。
 岡崎先生も、「それはわたしも知らないンです。迷子さんなら知っているのでは」なんて話を振ることもあった。

 途中で濰坊市や淄博市を通るころ、もう暗くなってきた。この辺りは見渡す限りの平野で高い山がない。大農業地帯だ。華北の食料庫であった(このときは見えなかったが、帰りに実感した)。日本にもだいぶ輸出している。
 なお、配られた地図は日本語であった。
王「私の会社で日本人客のために作りました」
 その一部が上の地図である。
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月06日

水滸伝

8.6記   8.13追記   8.18追記
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
2016.8.6記
ドラマ 水滸伝   製作:2011年
監督:鞠覚亮  脚本:温豪杰
    2016.8.6-1.jpg
 約千年前(約九百年前が正しい)、北宋末期徽宗の時代である。
 宋を裏で操る四姦臣、高俅(こうきゅう)蔡京(さいけい)童貫(どうかん)楊戩(ようせん)が悪政を重ね、それに反発した者たち108人が梁山泊に結集し……という話は、ここでは省略する。
 第三回、史進のいる農村で玉蜀黍(とうもろこし)が栽培されていた。玉蜀黍は南北アメリカ大陸で栽培されていたのを、コロンブスが見つけ欧州に持ち帰った。中国に伝わったのは十六世紀といわれている。宋の時代にはなかった。
 いつものことながら、武侠ドラマで農村に玉蜀黍があるシーンを見る度に、ああまたやっていると思ってしまう。大理の天龍八部影視城にもあった。あれも宋の時代の話である。
 「赤壁」でサッカーをやっている場面も浮き上がっていた。(これに対しては、下のコメントを見てください)

 まあ、細かい時代考証をやっていたら、ドラマが成立しなくなってしまうが、原作にない話を付け加えるときは、注意して欲しいものだ。もっとも承知の上でやっている可能性が高い。なにしろ、知らないで見ていれば、中国の農村らしい風景なのだ。
 こういう所がきちんとしていると、本体の虚構が冴えるのだが。第六回まで見た。展開は遅いが、かなり力を入れていることは判る。続きをみたいと思える出来。
 10年ぶり(?)にレンタルDVDを借りた。二話で一枚が100円。安いのか相場なのか。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
2016.8.13
 第12回まで見た。
 魯智深(ろちしん)が出家して、いや出家して智深の名を得るが、破戒僧なので寺から追い出される。このメチャクチャぶりがおもしろい。少し知識がたりないが、情は深い。
 林冲(りんちゅう)が、高俅に騙され捕まり、滄州へ流罪となる。このとき、途中で魯智深と義兄弟になり、魯智深に守られて滄州まで行く。流刑先では柴進の世話になる。
 かなり迫力のある場面がつづく。また役人の腐敗ぶりも詳しく、全体的には丁寧に作られていると思う。冗長と思えるほど。
 それから徽宗と高俅らが球技を楽しんでいるシーンがある。高俅は球技で高官になったといわれている人物だ。これは違和感がなかった。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
2016.8.18追記
第32回まで見た。

 一つ一つのシーンが比較的長い。時々眠くなってしまうことがある。一部倍速でみた。

 登場人物のうち皇帝と四姦臣。
★徽宗(きそう、1082年〜1125年、在位1100−1125)。
 散財によって事実上北宋を滅ぼした皇帝。政治に関心がなく、芸術家としては有名。
★高俅(こうきゅう、?〜1126)徽宗の治世下で殿帥府太尉を勤めた。
 蹴鞠がうまくて、皇帝にとりたてられたという。
★蔡京(さいけい、1047年〜1126年)は、北宋末の宰相、書家。
 収賄などで私腹を肥やした。その額は国家財政と比較されるほど。
★童貫(どうかん、?〜1126年)は、北宋末の政治家、軍人。
 禁軍の総帥。宦官なので常に皇帝に媚びていた。
★楊戩(ようせん)大尉で四姦臣のひとりとされながら、ほとんど何もしない。

 生死年はウィキによる。
 これにより、水滸伝はだいたい九百年前の話である。

 宋江と閻婆惜のくだりに碁が登場する。小説にあったかしら。
 宋江は閻婆惜に家を持たせて閻婆惜の母と住まわせる。伎女だった閻婆惜の思いが通じたようだったが、宋江は朱仝と雷横を伴い、兄妹の契りを結ぼうと言う。
 閻婆惜はたとえ妾でもかまわないと思っていたが、兄妹の契りと聞いて、顔は笑っても目に涙を浮かべる。
 宋江は滅多に寄りつかず、たまに来ても、仕事が忙しいと、閻婆惜をおいて寝てしまう。閻婆惜がふと目を覚ますと、宋江は独りで碁を打っている。
 閻婆惜が「私がお相手しましょう」と1手打つと、宋江はいきなり盤面を払ってしまう。碁石は床に散らばる。卓袱台返しなみだ。
 モノは十分にあてがっていても、心は閻婆惜にないことを示すきつい一場面だ。
 閻婆惜の悲しみをよそに、宋江は自分が冷たい態度で接していることに気づいていない。閻婆惜が離れていくわけだ。
 後にこの話を振り返って、「妾を切ったとき……」と言っている。兄妹の契りを結びながら、実際は妾扱いしていたのか。
 このあたりは小説とは設定が違うかもしれない。宋江が世間の人気の割に冷たい人間であることが判る。

 結局48回まで見たが、そこで中断した。全部で72回だったかな。できが悪いというわけではない。よく言えば丁寧だが、悪く言えばテンポが遅い。飽きてしまったのだ。
posted by たくせん(謫仙) at 09:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月04日

水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅

岡崎由美先生と行く中国の旅 
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅

 4年ぶりに「岡崎先生と行く中国の旅」が企画された。
 今回は山東省の旅、水滸伝の舞台などだ。今までは金庸ドラマに沿っていたので江南が多かった。なので山東省は初めての旅になる。
水滸伝は一部分に史実が含まれている。金庸小説と同じく、史実と実際の地理が基になり、全くの虚構ではない。
 あと東岳泰山は金庸小説では何度も登場する。高さは1,545m、それほど高くはないが、 道教の聖地である五つの山で最も尊いとされている。

内容
2016年8月19日(金)〜8月23日(火)4泊5日間
同行講師:岡崎由美先生
旅行代金:196,000円 ※二人部屋利用時 
募集人数:15名(最少催行人員:10名)
申込締切:2016年6月15日(水)
旅行企画:(株)キャラバンツアー 担当・増山

ツアー日程
19 成田〜青島(全日空)昼・機内食
   青島〜曲阜東(高速鉄道)
   宿泊 曲阜闕里賓舎
20 曲阜観光 世界遺産・三孔(孔廟、孔府、孔林)など。
   孔府家宴の夕食
   宿泊 曲阜闕里賓舎
21 専用車で東平へ。
   水滸影視城見学。
   その後、泰安へ。
   宿泊 泰安虹橋賓館
22 世界遺産の東岳・泰山観光。
   ロープウェイで山頂へ。紀泰山銘碑、碧霞祠、玉皇頂などを見学。
   午後、中国三大宮殿の一つ岱廟を見学。
   青島へ。(高速鉄道)
   宿泊 青島匯泉王朝大飯店
23 青島市内見学 桟橋、小魚山公園、青島ビール工場。
   帰国(全日空)

問い合わせ先はキャラバンツアーの下記アドレスまで。
http://ats-ngo.com/contact.html
「岡崎先生と行く中国の旅」増山さま宛。
posted by たくせん(謫仙) at 09:18| Comment(6) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする