2007年11月05日

杭州 3 河坊街(清河坊)

 10日、杭州の河坊街を観光して、皆と別れひとり旅となる。
 清河坊に着いたのは9時頃、ちょうどあちこちの店が開き始めた。
 南宋の時代、この通りはもっとも繁華な通りであった。そして貴族の住まいが連なり、その中で清河郡王府が建てられたあたりは特に清河坊といわれた。
このあたりが杭州市の中心地であったが、現在では北の武林広場あたりが中心地になっている。
 そこで街おこしとして、清代の様子を再現して新たな観光地とした。老街風であっても、古い感じはしない。
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2007年11月03日

杭州 2 西湖

 西湖は杭州市街の西にある。名前の由来は西施という。
 
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(地図はクリックして下さい。大きくなります)

 南北に蘇堤が横切り、ほぼ東西に白堤が横切る。これはどの案内書にも載っているが、もう一本、蘇堤の西に楊公堤がある。大きな自動車道路であり、両側は樹木が茂っていて気がつかないが、地図で見ると堤防であることが判る。
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2007年11月01日

杭州 1 雲松書舎

  岡崎由美先生と行く中国の旅
の杭州編である。
 紹興から杭州は近い。杭州に入るとバスはメイン道路の延安路を通り、武林広場から曙光路を通って、百合花飯店でトイレ休憩する。
 わたしはガイド(中国側添乗員)と一緒にフロントに行って、明日以降の宿泊予約を確認。このころ陽がさして晴れていた。
 それから間もなく、雲松書舎につく。杭州植物園の一部である。ここは金庸さんの別荘になるはずの所だった。建てたのは1996年、もう10年以上たつ。
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 ここは植物園の土地だが、「雲松書舎」の碑がある。この碑がないと、雲松書舎の入り口であることが判らなそう。
「双峰挿雲」の碑もある。双峰挿雲は西湖十景のひとつ。この後ろの二つの峰に雲がかかる様子が美しいとか。ここからは見えない。見るには西湖の島か船上から。

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 この門を入ると、小さいが帰雲荘のように衝立のような屏がある。
 その裏側は金庸さんの説明の碑になっている。自分の別荘にそのようなもの書くか?

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 門の脇の案内板。
 松風明月楼が二階建ての中心の建物。賞心斎は書斎。聴松亭はあずまや。
 左上には小さな棋室がある。
 門右の接待室は各種の団体の事務所になっているようだ。
 耕耘軒はなんだろう。接客室かな。
 全体的な設計は中国的だが松風明月楼は洋館。面積3200平方メートル。
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 まずは耕耘軒、柱の連は作品の題名が使われている。
右 飛雪連天射白鹿
飛狐外伝・雪山飛狐・連城訣・天龍八部・射G英雄伝・白馬嘯西風・鹿鼎記
左 咲書神侠倚碧鴛 (咲は笑と同じ)
秘曲笑傲江湖・書剣恩仇録・神G侠侶・侠客行・倚天屠龍記・碧血剣・鴛鴦刀

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 耕耘軒の前の庭、この形にも八卦の意味があるのだが説明を覚えていない。右が衝立の裏の金庸さんについての説明。
 ここで撮った集合写真が、岡崎先生訪問記念として、飾られるかも。

 図の左の方へ行く。
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 四阿(あずまや)は聴松亭、ここは行かなかった。

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 池の向こうに松風明月楼、二階は寝室などが並んでいる。
 左は賞心斎。

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 池は結構広い。水は濁っている。大雨の影響か。

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 賞心斎は書斎である。金庸先生の本が並んでいた。間もなく日本語訳五十数冊も並ぶことだろう。隣の庭の石畳は巴模様。

 次は棋室、小さいといっても八畳くらいはあったか。廊下からいきなり中に入ってしまったため、外側の写真が撮れなかった。

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 ガラス窓のそばにあり、椅子がこちらを向いている。

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 この部屋に入ったのはわたしだけだった。碁石は丸餅のように片面が平ら、なんとなく持ちにくい。

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 碁盤・碁笥・碁石とも三流品に思える。その他の造りと比べてバランスが悪い。これは金庸さんが揃えたとは思えない。誰でも自由にさわれるよう三流品にしたのか。
 金庸さんは碁が好きで、小説にも碁が登場する。
 1924年生まれ、すでに八十歳を越えるので、最盛期のようには打てないだろうが、一度金庸さんの碁を見てみたいものだ。

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 松風明月楼の一階。

 二階に昇る階段には、参観禁止の文字がある。しかし、岡崎さんの一行ということで許される。許されるどころではない。是非見て下さいと言わんばかり(実際に言ったであろう)。
 岡崎さんは金庸小説の文字通りの第一人者だ。金庸小説を日本に初めて紹介し、訳本すべてを監修している。
 初めての翻訳「書剣恩仇録」では、主人公陳家洛を「チンカラク」にするか「チェンジャールォ」にするか迷ったという。結局は時代劇なのでチンカラクにした。回族の霍青桐はホチントンとする。こちらは漢字の日本語読みではおかしいので妥当な読みだ。

 寝室はまるでホテル。
07.10.14 331.jpg   寝室の天井はこんな照明が。

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 ここには隠し部屋があると言うのでみんなで探した。本箱の裏側にあった。強盗などに入られたとき、一時的に避難する場所である。狭いが電話がある。

 奥様の寝室も別にある。

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 二階から池を見下ろす。

 西湖に近く杭州植物園の中に土地を提供され(3200平方メートル)、千四百万元(二億円ほど)のお金をかけて、1996年に別荘を建てたが、そのまま使わず杭州に寄附。ローカルな観光地になっている。ちょっと「できレース」の気もするが、追求しないことにしよう。もっとも一晩は泊まったことがあるらしい。そうでなければ元別荘と名乗ることもできない。
「できレース」でなくても、このような土地を個人で所有することには問題がある。まるで主席や首相並みである。庶民の反発もあろう。
 わたしは02年に西湖に来たことがある。その時は、蘇堤の西側は庶民の船が入ることは禁止されていた。政府トップクラスの別荘が並んでいるからだ。今は入れるようになっていた。それに近いような一等地である。
 −彼はなんの資格があって、この土地を私有できたのだ。−
 金庸さんが、建ててはみたものの、すぐに寄附してしまったのは、この問題に気か付いたためかも知れない。

    参考
金庸 −中国最高のPRマン−
武侠の碁
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2007年10月31日

寧波 8 魯迅

 9日、フェリーが欠航と決まり、杭州に向かって出発。天候は雨。我々が寧波にいた4日間欠航が続いた。
 紹興についたときも小降りであった。もちろん紹興は寧波ではないが、1回だけなので寧波のおまけとした。

 紹興は紹興酒で有名なところであるが、もう一つ魯迅の故郷でもあった。わたしたちは魯迅の故郷を訪ねる。

 魯迅(1881−1936)、中国の小説家・翻訳家・思想家。本名は周樹人。魯迅以外にも沢山のペンネームを使っている。数える気も失せるほど。
 医学の勉強で日本に留学したが、中国人の精神の在り方に愕然とし、体を治すより精神を治そうと作家・思想家になったという。
 残念ながらわたしは魯迅を読んだことがない。魯迅の教育に尽くした藤野先生の役割が大きかった、などという話を小耳に挟んだ程度である。
 魯迅故里の絵の前は黒山の人だかり。台風が消えて、ようやく人々が顔を出したような気がした。
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 いなくなってようやく一コマ。
 魯迅祖居−魯迅記念館−三味(三昧ではない)書屋−魯迅故居 をめぐる。
 魯迅祖居はいわば本家、周一族の人の名がある。同じ世代では同じ文字が使われる習慣があり、周伯◯という人も並んでいる。周伯通はいないかと探してしまった。
 三味書屋は学校。
 魯迅故居は子供のとき過ごした所。
 それぞれに広大な家で、おなじような造り。もちろん本家が一番大きい。紹興の資産家である。

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 左の方が正面。武侠ドラマでおなじみの、椅子や机の並び方・部屋の様子。
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 床(ベッド)はこのように囲まれている。大きな床の場合は、先に床を据えて、あとから部屋を作ることもある。

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 お土産屋では、お客の名入りの詩を書いてくれる。この筆の持ち方は日本と同じ。ドラマなどでは、指を上に向けて(指は曲がるので指先は下を向く)、筆先を手首の方に向けて書いていることが多い。

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 子供のころの模型。下男の子であろうか、スイカ畑の泥棒をどうやって捕まえようか相談をしているところ。
 魯迅が成人して家に帰ると、この少年も当然大人で「旦那様……」と言って、うち解けて話をしてくれなかったという。

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 藤野先生と魯迅。

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 烏篷船
 この地方の独特の船である。運河のタクシーか。観光用であり、数百メートルで三十元。
 手足で漕ぐのは「舟」というのが普通なのだが。

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 街を歩いていると異様なにおいがする。臭豆腐のにおいであった。はっきり言って耐え難い嫌なにおいだ。
 臭豆腐は生揚げに似ている。これを揚げたものを食べたが、ほとんど匂わない。あれは生のにおいであったか。

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 魯迅が子供のころ遊んだという百草園。当時生家は没落して、手入れが行き届かず、子供の遊び場になっていた。

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 咸亨酒店は小説の舞台となったとか、実際に魯迅が通ったとか。
 岡崎さんはそのほかいろいろ魯迅について説明してくれたが、わたしの理解力ではついていけず、こんな簡単な説明で終わりにします。

 昼食は当然ながら紹興酒付き。残念ながら普通の瓶。「貂蝉拝月」とは言わないが十年物くらいを飲みたかったな。

 ここで寧波編は終わり、杭州に続きます。
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2007年10月30日

寧波 7 象山影視城−3

 ようやく城内にはいる。城とは城市つまり城壁に囲まれた街のこと。
 カートは中心地に入った。
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2007年10月29日

寧波 6 象山影視城−2

 絶情谷ガジュマルの森は意外に狭く、たったこれだけであのシーンができたのかとびっくり。
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2007年10月28日

寧波 5 象山影視城−1

 象山影視城(神G侠侶城)は町からかなり遠い。台風とあって、わたしたち以外は数える程の客である。前日は台風で営業していなかった。今日は開いていることを電話で確認してある。
 ここをひとりで来るにはどうするか。寧波からバスに乗り、象山の中心地「丹城」か、あるいは「石浦」まで来て、それからタクシーということになれば、一体いくらかかるだろう。それでも無事帰れれば良いが…。
 つくづく来てよかったと思いましたね。皆さんに申し訳ないが台風に感謝です。
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2007年10月26日

寧波 4 石浦古城

 8日、フェリー欠航、行き先は神G侠侶城(象山影視城)に決定。台風の中なので、象山(しょうざん)県までバスで三時間の予定。通常では二時間という。
 もし翌日フェリーが動いたら日帰りで桃花島に行き、杭州に帰ろうという話になった。
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2007年10月24日

寧波 3 天一閣

 天一閣は、明の時代に寧波の豪商にして政治家で文化人の範欽(号は東明)が、私財を費やして集めた本の、図書館として建立した(1561−1566)ものである。自分でも著作し発行している。
 これは大変な文化事業である。当時の出版は硯・墨・筆から文字を書く人、彫る人、刷る人、造紙に至るまで大変な費用がかかった。王族なら国費を使えるが、そうでない人は私財を費やす。当然大勢の人が潤う。
 岡崎さんは言う。
「そう言う人が中国ではときどき現れる。金庸先生はその最後の人かも知れません。この天一閣の資料は、わたしも時々取り寄せて使わさせてもらっています」
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門には「南国書城」の文字。これは出てきたとき(帰り)に撮影したもの、雨は止んでいた。この門の中全体が天一閣博物館となっている。

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 門を入ると範欽の像。
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2007年10月22日

寧波 2 寧波市と古刹

 河姆渡遺跡を出ると雨は降ったり止んだり。そして寧波に向かうと衝突事故の現場。大渋滞である。大型トラックが二車線ともふさぎ、工事中の歩道を通ってようやく通過。
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2007年10月20日

寧波 1 河姆渡遺跡

 岡崎由美先生と行く中国の旅
武侠小説「射G英雄伝」ロケ地と寧波をめぐる旅
に参加した。
 具体的には10月6日から10日まで、桃花島・寧波(ニンポー)・杭州の旅である。
 この企画を知ったのは8月。
 けっこう高い。去年の桃花島旅行の2倍である。その代わりわたしには豪華旅行であった。なにより岡崎さんの解説付きというのが嬉しい。
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2006年05月10日

黄山 山水画の世界

 濁流の長江の続きだが、内容が全く別なので新しいカテゴリーを立てました。

江沢民は長江の堤防を切り
登山者は黄山の環境に驚く

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2006年05月04日

桃花有情 5 帰路

 この夜はホテルの敷地内のレストランで夕食。いつもながら紹介するのは半分以下。写真はかなりピントがずれているものばかりだった。
 ここでも台所の隣で食材選びをする。

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 左上はタケノコ。その下は包子と饅頭、包子(パオズ)は中にあんこが入っている。饅頭(マントウ)は何も入っていない。その下は清粥(チンジョウ)なにも別なものを入れてない味の付いていないお粥。
 こうして、全体的に見てみると、わたしにも安心して食べられるものが多い。
 大陸での旅行は油漬けの料理がほとんどで、御飯さえチャーハンにされると油である。なにもかも油がべとべとだと、とても食べられない。間違いなくアウトになる。
 おそらく今回は海の近くだからではないか。大陸の奥地にはいるとなんでも高温の火を通さないと安心できないのだ。新鮮な海産はそうしなくても食べられる。水も使える。
 中国人は生卵を食べない。理由は簡単で、卵生産の衛生状態だ。そのため一部で衛生状態がよくなっても安心できない。それが海産では油で高温にする必要性がなくなるのではないか。

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 桃花賓館 左隣は桃花苑飯店(地図に載っている)がある。右の方の建物がレストラン。
 翌日は朝早く発つ予定だったので朝食用の買い物に近くのスーパーへ行った。
 夕食時に話があって、翌日朝早くから開くからと、朝食はレストランで食べることになった。予定は朝6時に朝食、6時半に出発、7時頃の船に乗る。
 ところが女性係員が約束の時間に出勤せず、レストランの扉が開かない。ホテルから電話して、6時20分ごろようやく係員がバイクで到着。扉を開いた。食べずに出ようかというぎりぎりの時間。中ではすでに料理ができていた。急いで食べる。
 もう料理の写真など撮る気になれない。

 船で沈家門に到着すると、魯達さんと別れ、わたしたちはタクシー2台に分乗して普陀山空港に向かう。そこは舟山の隣の島だが、橋で結ばれている。
魯達さんは寧波に行き、そこから列車で上海に行く予定。うまく宿が取れれば、夕食は揚子飯店で一緒に夕食を食べることになった。

 上海で再び揚子飯店にチェックインし、昼食に出かけたのは11時ころだった。
 洒落たビルの二階の喫茶店でランチを頼んだ。これがファミレスなみのシステムで、主菜+スープ+ドリンク+デザートを組み合わせて48元(?)など三種。
 ウェートレスが来たときに、各人各様に注文する。それを頷きながら聞いていたウェートレスは、あらためて数を確認した。
「メモをとらないで、これを覚えているとはたいしたものだ」と感心したが、とんだ買いかぶり。あれが足りないこれがまちがい。極めつけはデザートで、いつまでも来ないので催促したら、プリンが4個しかないので、他の品物にして欲しいという。やっとのことでそのプリン4個を出してもらって、食べたい人が食べ、店を出たのは2時。

 それから、豫園に行くことになったが、途中でビデオDVDやCDを買ってから、30分ほど歩いて、豫園の近くについた。
 そのまわりは老街で、いわゆる古い街並み。建物自体は新しいが、古い街並みを保つ。

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 上の門をくぐると浅草を思わせる街並みがあった。
 ここで自由行動とし、5時に近くのマグドナルドで集合することになった。

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 少し歩いていると、道が狭くなり、建物は大きくなる。この一画はこのような建物がぎっしり。
 この左の方には池や豫園がある。

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 池のまわりもこのような建物で埋め尽くされている。ほとんどが料理店のようだ。
 この池から離れると、普通の百貨が並んでいる。
 向こうに見える緑が豫園であるが、もう時間もなく入らなかった。

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 九曲橋。
 中国では「悪魔は真っすぐにしか進めない」といわれ、このように曲がった橋は悪魔は通れないという。そのためあちこちに九曲橋がある。

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狭い路地に入ると仲見世なみ。カタカナの商品名も並んでいる。
 五時の集合に間に合わなかったので一人で歩いて帰ることにした。他の英雄たちはタクシーで帰った。

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 上は道の途中の新しいホテル、新進の息吹が感じられるデザイン。上海は古都でありながら新しい街である。
 下はCDを買った上海文化商厦、であるが写っているのはビルの壁に反射した反対側のビル。縦横の線があってビルの壁であることが判る。看板の文字と一階の店と右上の窓が上海文化商厦。
 この日の夕食は揚子飯店の2回のレストラン。一時間ほどロビーで魯達さんを待った。宿を取れなかったのかなと、レストランに入ると間もなく到着。
 その後わたしは部屋に戻り、他の人はあしたのための買い物に出かけた。朝は6時に出発のため、レストランで朝食をとる時間がないのだ。

 最後に進歩反刺さんの作ってくれた、今回の旅行案内をお見せしよう。
 写真やデータは他の人が提供したのだが、この表紙といい、中のデザインといい、似顔絵といい、まさにプロの手作り作品である。
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 友人たちに見せたが、みな旅行社が作ったと思った。参加者が作ったと知って感嘆の声が出る。
 わずか八人の参加者のためにこれだけの作品。わたしも関連する仕事をしていたので、この素晴らしさがよく判る。永久保存である。
 師妹、お見事!!
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桃花有情 4 東海龍苑

 射G城の予定していたレストランが休みだったので、一度ホテルに戻った。チェックインが済んでいない部屋も済ませ、敷地内の隣の建物のレストランに向かうと、時間が遅く食べられない。街中のレストランに行った。
 一度部屋に入ったが、食材を選ぶためまた外に出て、わいわいがやがや。
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左上 ムール貝?  汚れも落とさずに煮たような印象。
中 泥鰌      何十年ぶりだろう。
左下 蛸      ワサビを初めて見た。
右下 太刀魚    こう見ると全体的に日本料理のよう。

 昼食後、ラブラブ海岸を目指す。地図では「塔湾金沙」で案内には「碧海金沙」ともありどちらでもいいのか。桃花塞の近くである。
 郭靖たちが船出して、波乱があって孤島に流れ着く。そこで郭靖(靖さん)と黄蓉(お蓉)が海岸をラブラブ状態でブラブラする。その撮影の海岸である。ゆえにラブラブ海岸と(我々は)名付ける。
 その海岸に入ろうとしたらなんと有料、ただの海岸でありお金を払ってまで入るところでもないので、写真を撮ってバスに戻る。そして少し戻って東海龍苑に入る。

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 ここはなんであろうか。かなり観光のための施設を作ってあり入場料(35元)もいる。しかし純粋の観光施設とも思えない。

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 門を入って庭を横切ると、正面に池がある。その奥にこんな景色がある。
 山羊に見えたのは模型で、その顔は牛のようだった。その奥の岩は手前の岩とは表情が違う。
 ここから左手の歩道を進むが、そこでは道を覆う巨大な石組みをくぐる。奥の岩と同じ表情。叩いてみると軽いうつろな響きがする。よく見ると園内にあるあちこちの石にも同じ表情の石があるのだ。
 この右奥にも工事中の大きな家があるが、同じような石組みがある。内力のある人が叩くと、穴が開きそう(^_^)。
 右の方の高い所に大きな塔がある。
 右上に見える赤い建物は龍凰宮、といってもそれがなんなのかわたしには不明。

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 建築途中の建物のあたりから。
 この左の石も…。
 この塔の上まで階段を登った。一気に登り切れず、二三度途中で休むことになった。
壁には、この龍苑の縁起が数十枚に書かれている。ちらっと読んだだけだが、日照りの時に雨を降らせてくれて、村人が協力して塔を建てた。というようなことらしい。

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 塔の一番上から見下ろすとラブラブ海岸が一望。
 ここから自由に入れそうな気がするがどうだろう。この右の方に海岸に入る料金所がある。
 中央下の方がこの園の門。

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 塔の近くにある龍女閣と中の龍女。
 比較的新しい。文字は繁体字ながら左から書いている。
 この龍女の像から金庸先生は、小龍女のヒントを得たのかも知れない。(逆のことも考えられる。誰かが龍女伝説を訳してくれたら判るかもしれない)
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桃花有情 3 射雕英雄伝旅游城

 朝のうちに桃花飯店にチェックインし(できなかった部屋もある)、大きな荷物を置いて、バスで射雕英雄伝旅游城まで来る。バスは返した。普通は待っていてくれるらしいが、我々は時間がかかる。待たせるわけにはいかない。
 ここは射G英雄伝の撮影のためにつくられ、そのままテーマパークとなっている。もっとも好きな人でないと面白いところではない。平日でもあり空いていた。
 ここはテーマパークみたいなものだが、僻地とは言わないまでも田舎にあるので、ディズニーランドを思っては困る(^_^)。
 射G英雄伝の撮影所の跡というのが正しい言い方だろう。もちろん桃花島は自然景観は前から観光地であり、金庸さんもそれを利用したわけですね。
 田舎とはいえ、島内にはホテルも多くあり、外国人にも困らない。

 一応入場料は取るが、アトラクションがあるわけではなく、案内人がいるわけでもなく、ファンが勝手に楽しむ。逆に言えば知らないと何も面白くない(でしょう)。これらの建物も、あのシーンで使われた、このシーンであちらから撮ったのでは、ここはワイヤーアクション。なんてことをいいながら歩いている。
 射雕英雄伝旅游城では、わたしたちは四時間ほど見学していましたが、普通は一時間もあれば一回りできるらしい。
 お金を使う所は、弓を射たのと、コスプレ(わたしはしませんでしたが(^_^))、それから昼時には、軽食くらいはできるようだ。土産物屋でお蓉ちゃんのキーホルダーを買った。十五元だったか。
 
 金庸作品一作のため、専用の撮影所をつくり、観光地にする。たいしたものだ。

射G英雄伝−桃花島− 射雕英雄伝旅游城や桃花塞 など
天龍八部 −大理市− 大理天龍八部影視城 など
神G侠侶 −   − 浙江象山神雕侠侶影視城(九塞溝は撮影所はない) など
 この中で大理天龍八部影視城はアトラクションなども行われているようだ。

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 まず門を入りその二階に上る。写真では判らないが例のごとくGの代わりに雕の字が使われている。
ここは入園料が38元。
 門前の左側にある案内板。ちょっと高低差を強調し過ぎている。
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 左下「コ」の字形をしているのが門である。そこから入って、牛家村の門。そして、曲三酒店や楊鉄心の農家などがある。続いて蒙古パオ。
 池の畔に東邪船埠。池に沿って左に歩くと杭州(臨安)市街、右の方に水sha60.gif(しゃ)、帰雲荘(右の方の中庭のある家)など。
 右山上は黄薬師庄。その右に少し離れて小さいものが、黄蓉のお母さんのお墓、ここも舞台としては重要だ。
 左山上は寺なのだが、撮影用。南帝禅寺といい、南帝といわれた元大理国皇帝一灯大師の寺。ちなみに「天龍八部」の段誉の孫になる。
 山の上を手前に来て、積翠亭。桃花塞の積翠亭と同じつくりである。

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 まずは牛家村の門のようなもの。これは村の中心らしい。射G英雄伝の物語はここから始まる。
 この右手に的場がある。
 江湖の英雄たちは、ここで弓を引いてみた。10元で12本。
 日本の弓は弓の右に矢を据えて構えるが、ここの弓は左に矢を据える。そのせいか12本のうち10本が的一個分左にずれてしまった。2本あたった(^_^)。

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 牛家村の門を入ると曲三酒店、黄薬師の弟子曲三(曲霊風)が不自由な足で営む。足が不自由でも、皇宮に入って優れた芸術品を見つけると、黙ってここの秘密の部屋に移動する。その秘密の部屋は確認できなかった。曲三には知恵遅れの娘が一人。

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 続いて、楊鉄心家の作業場。農家なので農作業の道具である。
 楊家といえば槍の名門を思い出す。楊鉄心も槍を得意とする。楊康の両親の家だ。楊鉄心の妻の名は包惜弱といい、趙王完顔洪烈(ワンヤンこうれつ)に掠われ、王妃となって楊康を産み、王子として育てる。農民でありながら、飼っている鶏を潰すことができない。あまりに心の優しいのも罪だという人もいる(えまのさん)。
 郭嘯天(かくしょうてん=郭靖の父)の家はなかった。
 ついでに言うと、郭嘯天の妻は李萍という女だが、夫の名前も知らず嘯夫と呼んでいる。DVDでは位牌に郭嘯天と書いてあったので、一応名前は知っていたことになる。烈婦だ。

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 村はずれに蒙古パオ。
 この壁はコンクリートであったが、もちろん本物の蒙古パオは移動可能である。
 下はパオの中。チンギスハーンが座った席か。

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 池の脇の岩に金庸先生の揮毫がある。なおここでは一年中桃の花が咲いている。
岩の色までが桃色(^_^)。
 下の東邪船埠の桟橋は板が新しく情緒がない。ここから帰雲荘まで水上を走っていくのが本来だが(^_^)、できる人は残念ながらいなかった。
 東邪とは黄薬師のこと。

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 杭州(臨安)市街とその後ろの小高いところには黄薬師庄。
 市街を池側から見た様子は帰雲荘か。帰雲荘は太湖の畔にたつ。それも当然で帰雲荘は湖賊の屋敷。

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 帰雲荘の建物の一部、この右手に母屋がある。なお奥の建物は仏堂で礼拝した人もいる。

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 水しゃ、これは天龍八部の「あ碧」の水しゃか。
 「しゃ」の字は地図のところでいったが木偏+射。この文字を入れると、全文文字化けしてしまう。これだけひらがなを使っているのに、その一字で中国語コードになる。(有問題)

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 臨安の街で、貸衣装を着ての太極剣の演武。
 右手は剣。刀より剣が高貴とされた。身分の高い人は剣、兵は刀が普通。
 左手の構えは剣訣という。
 下は勢揃いした江湖の英雄たち。

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 桃花島の名のもとになった桃花石。化石だがあちこちにある。石の階段までこの石が使われていたりする。

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 帰雲荘は黄薬師の弟子陸乗風の屋敷。陸乗風も足が悪い。
 黄薬師には弟子が4人いた。曲霊風(曲三)・陸乗風・陳玄風・梅超風。
 陳玄風と梅超風が駆け落ちし、そのとき九陰真経を持ち出してしまった。二人を心の内では認めていた黄薬師も、それを怒って、曲霊風と陸乗風の足を折って追い出してしまう。
 曲霊風と陸乗風にとってはとんだとばっちりだが、なんとか黄薬師に許してもらおうとしている。そんな理由で足が悪いのだ。
 なお湖賊であるが、なんでも襲うというわけではない。
 射G英雄伝の続編「神G侠侶」では、4人の弟子のほか、馮黙風・武天風という二人もいたことになる。
 馮黙風は鍛冶屋として登場する。江湖の交わりを断って30年、その間の江湖の事情を知らない。

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 馮氏(ふうし)の墓。桃花島の島主黄薬師の妻であり、黄蓉(お蓉ちゃん)の母である。馮氏は暗記能力が優れ、武芸はできないのに「九陰真経(下)」を一読して暗記してしまう。これを筆記したので、桃花島に「九陰真経(下)」があるのだった。
 陳玄風・梅超風が駆け落ちするとき、これを持ち出してしまう。馮氏はもう一度再現しようとするが、時間もたっていて、完全に再現できず、その苦労で体をこわし亡くなることになる。
 なお梅超風は若くはないはずだが、大河ドラマでは若くて美貌の目が見えず足が悪い恐ろしい女として登場し、人気が出た? 黄蓉との出会いのシーンでは「桃花島のお嬢様」と低頭。
 黄蓉は幼くして、母とは死に別れ、父と聾唖の召使いによって育てられた。
 この扉は動かすことができ、こうして中に入れる。ここで郭靖の師匠江南七怪のうち5人が死ぬことになる。
 DVDとはかなりイメージか違う。墓の前は広々としていたし、山の下であった。中ももっと広かった。実際に撮影に使われたのとは違うようだ。

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下 八卦堂であろう。桃花塞の「碧海潮生」が「碧海潮聲」となっている。正面の階段を登ると碧海楼。
上 碧海楼
 ここは黄薬師の住まいになる。
 黄薬師は建築家としても優れているのだが、財力もさりながら、工事する人はどうやって集めたのだろう。家ばかりでなく、島全体を巨大なからくり庭園とするのだが? これは訊かないのが江湖の仁義だろうな。

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 碧海楼の正面。
 黄薬師は古今の名品を集めた。その鑑賞眼も確か。その薫陶を受けた黄蓉も鑑賞眼を持つ。曲三が皇宮の名品を盗み出したのも、黄薬師に献上するため。

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 碧海楼の脇に建つ黄蓉楼、2階建てであった。
 下の写真中の写真はあちこちにあるが、ガラスが反射してなかなかきれいに撮れない。
 わかりにくいが、お蓉ちゃんの筆の持ち方に注意。日本では筆先は指の方向だが、中国では手首の方に向ける。
 左は黄蓉を演じた周迅が黄蓉楼の前で。撮影の合間だろうか。

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上 一階正面。ここは公式な場所であり、多少厳めしさもある。来客は来るはずがないが、建前として来客を予定しているか。
中 黄蓉楼の一階右側。趣味のよい調度が並んでいるではありませんか。
下 これは二階だったかな。こう見てみるとやはり女の子の部屋ですね。

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 ここは台所。がらんとしていて、とても料理できる雰囲気ではない。上の写真はお蓉ちゃんが台所を覗いたところか。
 普通、料理は召使いがやるのだが、黄蓉は自分でもできた。しかも名人。
 中国料理の特徴は鍋一つ器一つでなんでも作れることであろう。
 前に聞いた話だが、中国とソ連の間に国際列車が走っていた。そこの食堂車は中ソ2輛あった。中国車はわずかの料理用具で、狭いところでいろいろつくるが、ソ連車は車輌の半分が食器置き場だった。そのため頼んでから出てくるまでかなり時間がかかったという。今ではどうなったことか。

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 積翠亭への路。こう見ると日本の野原と変わらない。
 
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 積翠亭から見下ろす。
 左の建物は帰雲荘。これは(物語では)焼け落ちる。後に別な場所に再建するが、それは続編の神G侠侶での話。
 池はかなり水が少ない。右が水sha60.gif、左が船着き場。もちろん湖水の上にあるべき。

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 積翠亭から外に目を転じると江南の春。まるで日本を思わす菜の花畑。
 海に面した堤防の内側は養殖場のようだ。
posted by たくせん(謫仙) at 09:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 江南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桃花有情 2 桃花塞

 説明だけでは判りにくいと思うので、桃花島の地図を入れます。
 地図の上の方に上陸した港があります。
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 バスに乗り桃花塞に行く。
 このバスはタクシーとバスを兼ねている。
 停まっているバスに行き先を告げるとそこへ行ってくれる。ところが途中でお客を拾って下ろす。
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 全てのバスにこの絵が描かれている。
 左は射G英雄伝の黄蓉と郭靖、黄蓉は桃花島主黄薬師の一人娘である。この時は16歳くらい。金庸世界の中で最も好まれるカップルであろう。
 右は神G侠侶の小龍女と楊過。神G侠侶は放映が始まったばかり。二人は黄蓉郭靖の子どもの世代である。このカップルは金庸世界では最も壮絶な愛を貫く。
 小龍女に劉亦菲を当てただけでもヒットが約束されたといえよう。劉亦菲は今年(06)20歳になる。世間知らずだが強烈な意志を持つ美人のイメージにぴったり。天龍八部の王語嫣を演じた。

 いよいよ桃花塞に入る。このあたりを桃花峪景区といい、桃花塞休閑村として利用している。入園料35元。
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 門柱には、右に桃花影裏飛神劍、左に碧海潮生吹玉蕭とある。
 桃花影裏飛神劍は桃花島(黄薬師)の剣技の名である。碧海潮生吹玉蕭は碧海潮生での潮の響きをいうのか。これについては碧海潮生のところで詳しくいう。黄薬師は笛の名手でもある。
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 門から入るとこの道を通って、峪に降りて行く。この右側には自動車道があり、帰りはそこを通った。なにしろ荷物が重い。
 受付で部屋割りをもらう。

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 園内にこのような小さな建物が続いている。これは「蓉児苑」であるが、わたしたち男三人は「欧陽府」であった。毒物じじいの部屋だ。
 こうして金庸小説の登場人物の名が使われ、それに苑・府・閣・屋・寓・院・軒・舎・室がつく。その部屋の形を表すらしい。ちなみに閣が一番大きいようだ。
 それぞれ自分の部屋に荷物を置いて、園内の見物である。

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 まず目につくのが小高いところにある「試剣亭」である。これは大河ドラマの撮影に使われた。ここを目指して歩き出す。
 その前に絶景、弾指峰を見る。
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 驚くほどに高い。こここそ、この地域の最高の絶景であろう。黄薬師はここで修行したという。英語の説明文にはMr Wangと書かれていたが、Huang であろう。 uが先頭にくるとWと書く。

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 試剣亭に至る。

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 園内が一望できる。真ん中あたりに見える建物群が「黄薬師山庄」。向こうの丘の上に目立つのが「積翠亭」、見にくいがその左が園の入り口。

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黄薬師山庄のうち蓉児房。房は部屋のこと。

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黄薬師山庄の文字は簡体字で書かれている(^_^)。
これが門になり、奥に見えるのが書斎である。

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 手前に八角のあずまや八卦堂があり、その左後ろが門、その奥が書斎、右に曲がって歩いていくと正面に見えるのが2階建ての黄薬師の住まい、左のここからは横壁が見えるのが黄蓉の住まい蓉児房である。
 設定では大勢の召使いがいるはずだが、その部屋はない。
 次の日に行った射雕英雄伝旅游城にも二人の住まいがあり、撮影にはそちらが使われた。そちらには台所もある。

 ここは欧陽克が求婚に来たとき、郭靖と黄蓉を求めて争ったあと、話し合いの時に使われている。八卦堂で話があり、そのバックにはこの黄薬師山庄の全体が写っている。また反対側から見た海のシーンもある。その前に部屋の中のシーンがあるが、ここの建物を使ったようだ。
 なおその前に黄蓉が郭靖と島に戻ったとき、黄蓉が寝泊まりしたり黄薬師と会ったりするのは射雕英雄伝旅游城の黄薬師山庄を使っている。建物の様子がまるで違う。特にその前の道や植物がことなり、山の中腹であった。こちらは見たとおりの平地である。

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 海岸を歩いているとこんな奇岩があった。
左上「碧海潮生」(へきかいちょうせい)門のところでちょっと触れた。
右上「含羞観音」バンフレットから取ったので色合いがおかしい。
左下「東海神珠」近くに龍女伝説がある。
右下「煉珠洞」 名前負け?

 碧海潮生は潮が引いているが、満ちてくると中の二本の柱のような岩の下の部分が隠れる。このあたりの波の音が、玉蕭を吹いているように聞こえるのであろうか。
 黄薬師は当然だが剣の名手で、その剣技は「桃花影裏飛神剣」という。しかし弟子たちには伝えたものの、自分は剣を持たず、常に長い縦笛を持ち歩く。それを剣の代わりにして適当にあしらうのだが、実は笛そのものが武器。笛の音で相手を倒す。ただし、西毒(は琴の音が武器だが、得意は毒物、故に毒物じじいという)など高手には通じない。
 その笛の曲の中に「碧海潮生曲」というのがあり、これは聞くものに淫欲を起こさせ苦しめる。奇岩「碧海潮生」を見て納得しました(^_^)。わたしのような凡人は曲を聴かずとも淫欲を起こしそう。
 なお郭靖は曲を聞いても苦しまない。子どもだから。しかし数え18歳だぞ(^_^)。
 含羞観音は、岩に挟まれた、人一人が入れるくらいの狭いところ。その奥に縦に細長く観音像が見えるというのだが、名前から考えて…、そばに煉珠も有ることだし…。思わず横を向いてしまう(^_^)。

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 積翠亭、ここも撮影に使われている。黄蓉が旅行中の話を黄薬師にしたのはここ。この屋根の上で郭靖と毒物じじいが争い、欧陽克と洪七公が争った。
 この島は黄薬師たちだけが住んでいたのであり、奇門五行の術によって仕掛けが施され、樹木は諸葛孔明の八卦陣に植えられ、余人にはうかがい知れないところである。周伯通(老頑童)が閉じこめられているわけではないのに、洞窟から出られなのはそのためである。老頑童の元恋人が長年高等数学の勉強をしているのも、この島に入って老頑童を助け出すためであった。
 そんな島でいちいち名前など書く必要はないと思うが、中華の習慣に従ったのか、原作ではなかったものを観光客用に書いたものか。
 なお、諸葛孔明は軍事的には無能な人物で、その八卦陣などたいしたことはないと思うが、黄薬師が考えて、孔明の名を付けたのでしょう。
 黄蓉はアイドルにして、主人公ともいえよう。主人公郭靖からは「蓉児」といわれる(翻訳ではお蓉)。洪七公のあとを継いで乞食党の党首となる。この時16歳くらいだった。
 武術をはじめ、戦略・料理・数学・音楽・書・画・詩詞・薬学・語学・物理に秀でる。
 残念ながら碁は出てこないので、打てるのかどうか。ただし黄薬師は碁を打てる。それからお蓉ちゃんは動物学も不知(^_^)。黄薬師は一年中桃花島に桃の花を絶やさないほど生物学に詳しい。
 夕食は蓉児餐庁で食べた。ここの唯一のレストランである。
 黄蓉は特に料理が得意で、この蓉児餐庁の名はそこからきている。
 宮廷料理さえ食べ飽きるほどの洪七公が、黄蓉の料理に誘惑され、郭靖に降龍十八掌を教えるほど。もっとも洪七公は承知の上で騙されても知らぬふりをするのだが。
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 写真の黄薬師は紹興酒の銘柄。料理は海産物が多い。右上は太く腰の強いうどんのようだった。海老は殻を剥いてないので食べにくい。どういうわけか中国では海老は殻ごと料理する。調味料でべとへとになった海老を手を汚して剥かねばならない。この海老はべとべとになっていないのでよかったが、小さくで剥くのがめんどうだ。
 他にも大勢泊まっているはずなのに、わたしたち以外で食事にきたのは二人だけだった。
 魯達さんは、「中国人は、自分で食べ物をもってきてそれで済ますのが普通、カップラーメンで済ますことも…」、と言っていた。
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 翌20日の朝、朝食前にもう一度「試剣亭」まで登ってみた。弾指峰の方角だが、どれかはっきりしない。

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 岩の上に黒い点が見える。じっと動かないので、岩が黒いのかとも思ったが、パソコンに移して見ると鳥だった。
 神Gではなさそう。

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 ここは「危険」なのだが、別に危険ではなさそう。左の岩山には防空壕が掘られている。入り口の壁に「1986年1月11日桃花営」文字があったが、そのころの軍事基地の跡か。

 3日目、朝食後に桃花塞から例のバスに乗って桃花飯店に向かう。
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 休閑村の事務所と桃花潭。ここでチェックアウトをする。
 何人か、竹製の筏舟に乗って内力で動かそうとしたが、修行が足りなかったようだ。
posted by たくせん(謫仙) at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 江南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桃花有情 1 往路

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 06年3月、武侠迷(ファン)が集まって、射G英雄伝の撮影現場桃花島に行くことになった。男4人女5人の計9人である。 関西の八雲幇主が旅行社と交渉して、航空券やホテル(飯店)を手配してくれた。えまのさんが旅程を試作した。
 わたしはその計画に乗ってついていくだけだが、わたしには初対面の人ばかり。途中で合流した魯達さんが中国語堪能であった。
18日 関西空港から上海まで
19日 桃花島まで
20日 桃花島
21日 桃花島から上海
22日 帰国

 桃花島は人口が2万人ほどだが、いわゆる田舎であり、真っ直ぐには行けない。
行きは
関西空港−上海−寧波    飛行機・タクシー・タクシー・飛行機
寧波−舟山−沈家門−桃花島 タクシー・船・タクシー・船・タクシーを乗り継ぐ
帰りは
桃花島−沈家門−普陀山空港 タクシー・船・タクシー
普陀山−上海−関西空港   飛行機・タクシー・タクシー・飛行機

 同行者は八雲幇主・ユキさん・えまのさん・進歩反刺さん・大兎さん・じぇどさん・シュウジャンさん、途中で合流した魯達さん。
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 黒い点線が往路、赤い点線が復路である。

 上海(浦東)空港はまだ新しい。現地時間の午後3時半ごろに到着した。そこで成田から来るシュウジャンさんを一時間以上待つが会えず、7人でホテルに向かった。タクシー乗り場で並んで、えまのさんが係員に「七個人」と言うと、道を横切り大型タクシーの乗り場に案内された。マイクロバスだが、それに乗り込んで漢口路の揚子飯店に向かう。30分ほどだったか。通常は一時間ほどかかるはず。高速道路を降りてからの渋滞で時間がかかるのだ。
 この時、タクシーの運転手に次の朝の予約をした。その運転手は休みだが代わりをよこすと言っていた。
 ホテルでチェックインをしているとシュウジャンさんが到着した。
 ホテルは新装したらしく、見た目は部屋はピカピカ。水回りも「おおー」と声が出るところ。ところがトイレの蓋や便座が外れていたりする(^_^)。トイレの扉は鍵がない。手を離すと半開き状態。気にするほどではありませんが。
 部屋にはパソコンがあり、中国語・英語・日本語のウインドウズがでる。使おうとしたらネットに繋がらない。受付に申し出なければならないのであった。
 部屋に荷物を置いて、近くの南京東路を散歩。街は観光用にライトアップされていて映える。エネルギー問題を考えると…難しい。道は歩行者天国のようだが、トロッコ状の遊園地を走るようなバスが通る。
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 その日の夕食は南京東路のレストラン。幇主が料理を選んだ。もっとも去年も同じ店で食べたという。そのうちの4品、どれも美味しかったが、右下のが好評だった。東坡肉をおこわでくるんだようだ。三角は炒飯、蒸籠の中は小龍包。
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 しかし、料理が一品出るたびに全員がカメラを向けるとは(^_^)。脇からどう見えるんだろう、なんてことは考えないのが中国流ですヨネ。

 このあとホテルの近くのスーパーで、翌朝の食料を買い込む。朝が早いため、レストランの朝食では間に合わないのだ。
 わたしは食パンと缶コーヒーだけ。わたしは小銭を持っていたが、100元札でおつりをもらう人が続いて、レジの係りに睨まれたとか。なおお金を投げつけるのは相変わらず。
 男三人で一つの部屋に入ったが、わたしは真っ先に寝込んでしまった。

 19日は7時に出発、前日予約しておいたタクシーが時間前に来て待っていてくれた。
 ラッシュになる前に高速に乗ることができたので、15分ほどで虹橋空港に到着できた。これも40分程度を予定していたのだ。
 飛行機で寧波まで。この町は貿易港として、歴史に名高い。港も一カ所ではない。
 ここから桃花島に行く船便もあるのだが、早朝と夕方の2便しかないらしく利用できない。そのためタクシー(一時間ほど)で白峰の港まで行く。そこから舟山に向かう。11.5元。
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 白峰の桟橋

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 景色を楽しみながら食事などをする船内。
 海の色は長江の濁流のような色をしている。長江や銭塘江の土砂がここまで広がっているのではないか。

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 船内で食べた肉団子のスープ。結局この日の昼食はこれだけになってしまった(^_^)。
 ここで舟山を中心とした桃花島の地図を買う、3元。

 舟山は舟山群島の中心地でかなり大きい。隣には有名な普陀山がある。
 舟山からタクシーに乗り別な港の沈家門まで行く。
 タクシーの運転手が隣のタクシーに大声で「タホダ」と叫んでいたが「タオホアダオ(桃花島)」と言っていたらしい。
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 沈家門で魯達さんが待っていた。魯達さんは現在留学中、中国語が流暢で、南方なまりも聞き取れるため、これからはいろいろなことは魯達さんに任せて、というか頼り切りになってしまうm(__)m。

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 桃花島に渡る船は桃花島・金庸・神侶(快速)とあるのだが、神侶は修理中であった。
 我々は13時発の桃花島号に乗り込む。14.5元。
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 船では外が見えない。もっとも二階の船室なら見える。そこは16.5元。
 わずか2元(30円)の差なら二階に乗りそうなものだが、誰も二階に行こうとは言わない(^_^)。
 船室にはテレビがあって、武侠ドラマを映している。カンフーハッスルの小龍女と楊過の二人が出てくるが、同じドラマの別シリーズか。ただし神G侠侶の二人とは名が同じでも似ても似つかぬ(^_^)。
 魯達さんがひまわりの種を配った。蒔くのではない食べるのだ。小さくて、苦労して殻を剥いたにしては食べる量は少ないが、けっこう面白い。
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 そしてついに桃花島に上陸。この港の設備は新しくできたばかり。

♪♪ 思えば遠くへ来たもんだ続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 江南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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