2007年11月05日

杭州 3 河坊街(清河坊)

 10日、杭州の河坊街を観光して、皆と別れひとり旅となる。
 清河坊に着いたのは9時頃、ちょうどあちこちの店が開き始めた。
 南宋の時代、この通りはもっとも繁華な通りであった。そして貴族の住まいが連なり、その中で清河郡王府が建てられたあたりは特に清河坊といわれた。
このあたりが杭州市の中心地であったが、現在では北の武林広場あたりが中心地になっている。
 そこで街おこしとして、清代の様子を再現して新たな観光地とした。老街風であっても、古い感じはしない。
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2007年11月03日

杭州 2 西湖

 西湖は杭州市街の西にある。名前の由来は西施という。
 
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(地図はクリックして下さい。大きくなります)

 南北に蘇堤が横切り、ほぼ東西に白堤が横切る。これはどの案内書にも載っているが、もう一本、蘇堤の西に楊公堤がある。大きな自動車道路であり、両側は樹木が茂っていて気がつかないが、地図で見ると堤防であることが判る。
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2007年11月01日

杭州 1 雲松書舎

  岡崎由美先生と行く中国の旅
の杭州編である。
 紹興から杭州は近い。杭州に入るとバスはメイン道路の延安路を通り、武林広場から曙光路を通って、百合花飯店でトイレ休憩する。
 わたしはガイド(中国側添乗員)と一緒にフロントに行って、明日以降の宿泊予約を確認。このころ陽がさして晴れていた。
 それから間もなく、雲松書舎につく。杭州植物園の一部である。ここは金庸さんの別荘になるはずの所だった。建てたのは1996年、もう10年以上たつ。
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 ここは植物園の土地だが、「雲松書舎」の碑がある。この碑がないと、雲松書舎の入り口であることが判らなそう。
「双峰挿雲」の碑もある。双峰挿雲は西湖十景のひとつ。この後ろの二つの峰に雲がかかる様子が美しいとか。ここからは見えない。見るには西湖の島か船上から。

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 この門を入ると、小さいが帰雲荘のように衝立のような屏がある。
 その裏側は金庸さんの説明の碑になっている。自分の別荘にそのようなもの書くか?

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 門の脇の案内板。
 松風明月楼が二階建ての中心の建物。賞心斎は書斎。聴松亭はあずまや。
 左上には小さな棋室がある。
 門右の接待室は各種の団体の事務所になっているようだ。
 耕耘軒はなんだろう。接客室かな。
 全体的な設計は中国的だが松風明月楼は洋館。面積3200平方メートル。
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 まずは耕耘軒、柱の連は作品の題名が使われている。
右 飛雪連天射白鹿
飛狐外伝・雪山飛狐・連城訣・天龍八部・射G英雄伝・白馬嘯西風・鹿鼎記
左 咲書神侠倚碧鴛 (咲は笑と同じ)
秘曲笑傲江湖・書剣恩仇録・神G侠侶・侠客行・倚天屠龍記・碧血剣・鴛鴦刀

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 耕耘軒の前の庭、この形にも八卦の意味があるのだが説明を覚えていない。右が衝立の裏の金庸さんについての説明。
 ここで撮った集合写真が、岡崎先生訪問記念として、飾られるかも。

 図の左の方へ行く。
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 四阿(あずまや)は聴松亭、ここは行かなかった。

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 池の向こうに松風明月楼、二階は寝室などが並んでいる。
 左は賞心斎。

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 池は結構広い。水は濁っている。大雨の影響か。

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 賞心斎は書斎である。金庸先生の本が並んでいた。間もなく日本語訳五十数冊も並ぶことだろう。隣の庭の石畳は巴模様。

 次は棋室、小さいといっても八畳くらいはあったか。廊下からいきなり中に入ってしまったため、外側の写真が撮れなかった。

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 ガラス窓のそばにあり、椅子がこちらを向いている。

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 この部屋に入ったのはわたしだけだった。碁石は丸餅のように片面が平ら、なんとなく持ちにくい。

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 碁盤・碁笥・碁石とも三流品に思える。その他の造りと比べてバランスが悪い。これは金庸さんが揃えたとは思えない。誰でも自由にさわれるよう三流品にしたのか。
 金庸さんは碁が好きで、小説にも碁が登場する。
 1924年生まれ、すでに八十歳を越えるので、最盛期のようには打てないだろうが、一度金庸さんの碁を見てみたいものだ。

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 松風明月楼の一階。

 二階に昇る階段には、参観禁止の文字がある。しかし、岡崎さんの一行ということで許される。許されるどころではない。是非見て下さいと言わんばかり(実際に言ったであろう)。
 岡崎さんは金庸小説の文字通りの第一人者だ。金庸小説を日本に初めて紹介し、訳本すべてを監修している。
 初めての翻訳「書剣恩仇録」では、主人公陳家洛を「チンカラク」にするか「チェンジャールォ」にするか迷ったという。結局は時代劇なのでチンカラクにした。回族の霍青桐はホチントンとする。こちらは漢字の日本語読みではおかしいので妥当な読みだ。

 寝室はまるでホテル。
07.10.14 331.jpg   寝室の天井はこんな照明が。

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 ここには隠し部屋があると言うのでみんなで探した。本箱の裏側にあった。強盗などに入られたとき、一時的に避難する場所である。狭いが電話がある。

 奥様の寝室も別にある。

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 二階から池を見下ろす。

 西湖に近く杭州植物園の中に土地を提供され(3200平方メートル)、千四百万元(二億円ほど)のお金をかけて、1996年に別荘を建てたが、そのまま使わず杭州に寄附。ローカルな観光地になっている。ちょっと「できレース」の気もするが、追求しないことにしよう。もっとも一晩は泊まったことがあるらしい。そうでなければ元別荘と名乗ることもできない。
「できレース」でなくても、このような土地を個人で所有することには問題がある。まるで主席や首相並みである。庶民の反発もあろう。
 わたしは02年に西湖に来たことがある。その時は、蘇堤の西側は庶民の船が入ることは禁止されていた。政府トップクラスの別荘が並んでいるからだ。今は入れるようになっていた。それに近いような一等地である。
 −彼はなんの資格があって、この土地を私有できたのだ。−
 金庸さんが、建ててはみたものの、すぐに寄附してしまったのは、この問題に気か付いたためかも知れない。

    参考
金庸 −中国最高のPRマン−
武侠の碁
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2007年10月31日

寧波 8 魯迅

 9日、フェリーが欠航と決まり、杭州に向かって出発。天候は雨。我々が寧波にいた4日間欠航が続いた。
 紹興についたときも小降りであった。もちろん紹興は寧波ではないが、1回だけなので寧波のおまけとした。

 紹興は紹興酒で有名なところであるが、もう一つ魯迅の故郷でもあった。わたしたちは魯迅の故郷を訪ねる。

 魯迅(1881−1936)、中国の小説家・翻訳家・思想家。本名は周樹人。魯迅以外にも沢山のペンネームを使っている。数える気も失せるほど。
 医学の勉強で日本に留学したが、中国人の精神の在り方に愕然とし、体を治すより精神を治そうと作家・思想家になったという。
 残念ながらわたしは魯迅を読んだことがない。魯迅の教育に尽くした藤野先生の役割が大きかった、などという話を小耳に挟んだ程度である。
 魯迅故里の絵の前は黒山の人だかり。台風が消えて、ようやく人々が顔を出したような気がした。
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 いなくなってようやく一コマ。
 魯迅祖居−魯迅記念館−三味(三昧ではない)書屋−魯迅故居 をめぐる。
 魯迅祖居はいわば本家、周一族の人の名がある。同じ世代では同じ文字が使われる習慣があり、周伯◯という人も並んでいる。周伯通はいないかと探してしまった。
 三味書屋は学校。
 魯迅故居は子供のとき過ごした所。
 それぞれに広大な家で、おなじような造り。もちろん本家が一番大きい。紹興の資産家である。

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 左の方が正面。武侠ドラマでおなじみの、椅子や机の並び方・部屋の様子。
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 床(ベッド)はこのように囲まれている。大きな床の場合は、先に床を据えて、あとから部屋を作ることもある。

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 お土産屋では、お客の名入りの詩を書いてくれる。この筆の持ち方は日本と同じ。ドラマなどでは、指を上に向けて(指は曲がるので指先は下を向く)、筆先を手首の方に向けて書いていることが多い。

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 子供のころの模型。下男の子であろうか、スイカ畑の泥棒をどうやって捕まえようか相談をしているところ。
 魯迅が成人して家に帰ると、この少年も当然大人で「旦那様……」と言って、うち解けて話をしてくれなかったという。

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 藤野先生と魯迅。

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 烏篷船
 この地方の独特の船である。運河のタクシーか。観光用であり、数百メートルで三十元。
 手足で漕ぐのは「舟」というのが普通なのだが。

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 街を歩いていると異様なにおいがする。臭豆腐のにおいであった。はっきり言って耐え難い嫌なにおいだ。
 臭豆腐は生揚げに似ている。これを揚げたものを食べたが、ほとんど匂わない。あれは生のにおいであったか。

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 魯迅が子供のころ遊んだという百草園。当時生家は没落して、手入れが行き届かず、子供の遊び場になっていた。

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 咸亨酒店は小説の舞台となったとか、実際に魯迅が通ったとか。
 岡崎さんはそのほかいろいろ魯迅について説明してくれたが、わたしの理解力ではついていけず、こんな簡単な説明で終わりにします。

 昼食は当然ながら紹興酒付き。残念ながら普通の瓶。「貂蝉拝月」とは言わないが十年物くらいを飲みたかったな。

 ここで寧波編は終わり、杭州に続きます。
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2007年10月30日

寧波 7 象山影視城−3

 ようやく城内にはいる。城とは城市つまり城壁に囲まれた街のこと。
 カートは中心地に入った。
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2007年10月29日

寧波 6 象山影視城−2

 絶情谷ガジュマルの森は意外に狭く、たったこれだけであのシーンができたのかとびっくり。
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2007年10月28日

寧波 5 象山影視城−1

 象山影視城(神G侠侶城)は町からかなり遠い。台風とあって、わたしたち以外は数える程の客である。前日は台風で営業していなかった。今日は開いていることを電話で確認してある。
 ここをひとりで来るにはどうするか。寧波からバスに乗り、象山の中心地「丹城」か、あるいは「石浦」まで来て、それからタクシーということになれば、一体いくらかかるだろう。それでも無事帰れれば良いが…。
 つくづく来てよかったと思いましたね。皆さんに申し訳ないが台風に感謝です。
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2007年10月26日

寧波 4 石浦古城

 8日、フェリー欠航、行き先は神G侠侶城(象山影視城)に決定。台風の中なので、象山(しょうざん)県までバスで三時間の予定。通常では二時間という。
 もし翌日フェリーが動いたら日帰りで桃花島に行き、杭州に帰ろうという話になった。
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2007年10月24日

寧波 3 天一閣

 天一閣は、明の時代に寧波の豪商にして政治家で文化人の範欽(号は東明)が、私財を費やして集めた本の、図書館として建立した(1561−1566)ものである。自分でも著作し発行している。
 これは大変な文化事業である。当時の出版は硯・墨・筆から文字を書く人、彫る人、刷る人、造紙に至るまで大変な費用がかかった。王族なら国費を使えるが、そうでない人は私財を費やす。当然大勢の人が潤う。
 岡崎さんは言う。
「そう言う人が中国ではときどき現れる。金庸先生はその最後の人かも知れません。この天一閣の資料は、わたしも時々取り寄せて使わさせてもらっています」
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門には「南国書城」の文字。これは出てきたとき(帰り)に撮影したもの、雨は止んでいた。この門の中全体が天一閣博物館となっている。

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 門を入ると範欽の像。
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2007年10月22日

寧波 2 寧波市と古刹

 河姆渡遺跡を出ると雨は降ったり止んだり。そして寧波に向かうと衝突事故の現場。大渋滞である。大型トラックが二車線ともふさぎ、工事中の歩道を通ってようやく通過。
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2007年10月20日

寧波 1 河姆渡遺跡

 岡崎由美先生と行く中国の旅
武侠小説「射G英雄伝」ロケ地と寧波をめぐる旅
に参加した。
 具体的には10月6日から10日まで、桃花島・寧波(ニンポー)・杭州の旅である。
 この企画を知ったのは8月。
 けっこう高い。去年の桃花島旅行の2倍である。その代わりわたしには豪華旅行であった。なにより岡崎さんの解説付きというのが嬉しい。
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2006年05月10日

黄山 山水画の世界

 濁流の長江の続きだが、内容が全く別なので新しいカテゴリーを立てました。

江沢民は長江の堤防を切り
登山者は黄山の環境に驚く

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2006年05月04日

桃花有情 5 帰路

 この夜はホテルの敷地内のレストランで夕食。いつもながら紹介するのは半分以下。写真はかなりピントがずれているものばかりだった。
 ここでも台所の隣で食材選びをする。
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桃花有情 4 東海龍苑

 射G城の予定していたレストランが休みだったので、一度ホテルに戻った。チェックインが済んでいない部屋も済ませ、敷地内の隣の建物のレストランに向かうと、時間が遅く食べられない。街中のレストランに行った。
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桃花有情 3 射雕英雄伝旅游城

 朝のうちに桃花飯店にチェックインし(できなかった部屋もある)、大きな荷物を置いて、バスで射雕英雄伝旅游城まで来る。バスは返した。普通は待っていてくれるらしいが、我々は時間がかかる。待たせるわけにはいかない。
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桃花有情 2 桃花塞

 説明だけでは判りにくいと思うので、桃花島の地図を入れます。
 地図の上の方に上陸した港があります。
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桃花有情 1 往路

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 06年3月、武侠迷(ファン)が集まって、射G英雄伝の撮影現場桃花島に行くことになった。男4人女5人の計9人である。 関西の八雲幇主が旅行社と交渉して、航空券やホテル(飯店)を手配してくれた。えまのさんが旅程を試作した。
 わたしはその計画に乗ってついていくだけだが、わたしには初対面の人ばかり。途中で合流した魯達さんが中国語堪能であった。
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posted by たくせん(謫仙) at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 江南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする