2008年04月27日

西域一九九九年 14 西安へ

七日目
 航空機で西安に向かう。天山山脈の白い高峰が連なって美しい。この万年雪が砂漠の民の命を支えている。
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2008年04月24日

西域一九九九年 13 ウルムチ(烏魯木斉)

 ウルムチ(烏魯木斉)は当時人口18万の都会である。わたしの部屋は十九階であった。鍵はカードで、わたしは使い方が判らない。二人で一枚のため、不自由なこともあった。
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2008年04月22日

西域一九九九年 12 天山山脈を抜ける

 バスでトルファンからウルムチに向かう。間に天山山脈が横たわる。その谷の道をバスで通り抜けた。

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荒涼たる山肌だ。
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2008年04月20日

西域一九九九年 11 トルファン(吐魯蕃)

 天山山脈の雪どけ水が流れる地下水道カレーズの井戸が、砂漠の中に点々と見える。カレーズが露出している所で見学したが、きれいな水が流れている。総延長六千キロにおよび、長江黄河につぐ第三の長河と言っている。
 このあたりは敦煌より降雨量が少ない。年間20ミリほど。地上に水を流しては全て蒸発してしまう。
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2008年04月18日

西域一九九九年 10 交河故城

 午後はトルファン市の西側十キロほどの所にある交河故城をみる。ここは世界遺産に指定されている。長さ千六百メートルほどの細長い形をしている。
     chizukougakojou.jpg
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2008年04月16日

西域一九九九年 9 火焔山

 火焔山あたりの地図、これで下の文の位置関係を示す。
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2008年04月14日

西域一九九九年 8 ベセクリク千仏窟

 ベセクリク千仏窟は荒れが酷い。古くはイスラム教徒によって破壊され、敦煌の石窟のように西洋社会に盗掘された。わずかとはいえ日本隊もこの中に入る。当時の状況では法律的には盗掘とはいえないようだが、実際は盗掘といって差し支えなかろう。このような過酷な土地でも人は住み、過去には千仏窟の造営があった。
約一キロの間に83の石窟があるという。
 なお、イスラム教徒でも、このように破壊するのは、一時代の一部の狂信者に限られる。通常は他宗教と共存している。
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2008年04月12日

西域一九九九年 7 高昌故城

五日目
 トルファンに着いたとき、別送の荷物を駅員が放り投げたため、いくつかのトランクが壊れていた。まだ暗いうちであったが、貨車の上から荷物を放り投げているのが見えた。
 わたしのトランクも壊れており、添乗員に破損の証明書を書いてもらった。保険金を請求することになるが、どこまで補償されるか。

 まだ暗いうちにトルファンの駅から市内を目指す。高速で四十分、けっこう遠い。このように駅が遠いのは、柳園と同じで水害を恐れて高台にあるからだ。砂漠で洪水の被害、不思議な気がする。
 バスはこの地区には一台しかない高級バスという。そのため悪路が苦手である。なお、新彊地区のガイドがつく。
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2007年10月04日

西域一九九九年 6 敦煌

 ホテルをチェックアウトし、予定の市内観光に向かう。
 敦煌博物館を見学したが、展示品には記憶がない。
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2007年10月02日

西域一九九九年 5 莫高窟

前回の最後に少し文を追加しました。

 さて三日目、真打ち莫高窟観光である。

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2007年09月30日

西域一九九九年 4 敦煌城

 敦煌城は映画のセットである。
「敦煌」の炎上場面はここで撮られた。大金をふっかけられて、最低限で引き揚げたらしい。
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2007年09月29日

西域一九九九年 3 陽関のオアシス

 陽関と言っても、今は陽関の跡と言うのが正確で、狼煙台しか残っていない。
 陽関の展望台から見下ろすと陽関のオアシスが見える。
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2007年09月27日

西域一九九九年 2 敦煌−陽関

 これからはどこの町もみな熱砂に囲まれたオアシスである。意外に大きく、例えばウルムチは人口十八万の都市である。
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2007年09月25日

西域一九九九年 1 西安から敦煌へ

 今回は全体的に辛口の文になりました。これも中国の現実です。
 わたしは会社のSさんと、「シルクロードの旅8日間」を申し込んだ。旅行日程がなかなか決まらず、Sさんはオーバーブッキングを心配していたが、わたしは旅行社の不手際を中国の事情のせいにして、劣悪な旅行になることを心配した。

 さて、西域といえば第一に砂漠そしてオアシスであろうか。砂漠といっても、サハラの砂漠とは異なり、荒れ地のイメージである。それでも砂の砂漠もある。
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