国立故宮博物院 中華民国六十九年(1980年)九月 十六版
初めて台湾を旅行したのは、1980年の12月から81年正月にかけての5日間のツアーであった。二日間はバスで台北市内観光。後は自由行動であった。故宮博物院も当然団体で案内される。二日後、自由行動のときに一人でもう一度故宮博物院へ行き、一日を過ごした。
そのおり買い求めたのが本書である。
中身は繁体字の中国語(いわゆる北京語)であり、当時はまるで読めなかった。いまでも基本的には読めないのであるが…。
当時の全体像である。
後ろの山に洞窟がありその中に文物が収納されている。それを三ヶ月ごとに順繰りに展示するのだが、全部見るには60年かかるとか。ただし、代表的なものは常設展示されている。
当時もこの写真とは少し変わっていた。
大堂から門のほうを見る。前の芝生はこのようにすでに整備されており、左の方(門から大堂に向かって右側)は、後に庭園となっている。
この本は展示品の案内書である。
銅器・玉器・瓷器・彫刻・漆器・文具・琺瑯・法書・絵画・織繍・図像・図書・文献・附録、に分けて細かく解説している。
最後の付録に、紫禁城にあるはずの宝物がなぜ台北にあるか、などを説明している。
日中戦争の混乱から守るため、1933年に上海に運んだ(13491箱)。そして南京をえて成都などに分散し、第二次大戦後(1948〜1949)、国民党によって台湾に運び出されたのである(2972箱)。
そんな解説で約半分の90頁ほどを費やし、後半の140頁ほどを写真集にしてある。
青銅器は特に圧倒されてしまう。西周晩期の「毛公鼎」はかなり大きな物で直径は48センチほどだが、内側にびっしりと文字が書かれていて、その文字がこの博物館の最高の宝であるという。
清 翠玉白菜
わたしの一番好きなものは、この翠玉でできた「白菜」である。
今年の春だったか、これを含めた門外不出の品が、日本で見られそうだというニュースがあった。新聞でもこの写真があったので記憶している方もいよう。ことしの3月に日本の法律が整い、日本に持ち込むことができるようになったのだ。2014年ころを予定しているという。もちろんそのときは大変な混みようで、じっくり見ることはできないだろう。わたしはすでに7回ほど見ている。
文姫帰漢図
図も部分図であるが、胡笳十八拍も一部分「第十八拍」
蔡文姫に関しては たくせんの中国世界−蔡文姫 −曹操が激賞した天才− を参照してください。
わたしの手元の資料では胡笳十八拍の「第十八拍」は
胡笳本是 出胡中
絲琴翻出 音律同
十八拍兮 曲雖終
響有余兮 思無窮
是知絲竹微妙兮 均造化之功
哀樂各隨人心兮 有變則通
胡與漢兮 異域殊風
天與地隔兮 子西母東
若我怨気兮 浩浩於長空
六合雖廣兮 受之應不容
であって、この写真とは異なる。わたしが参考にしている「詩詞世界」の 碇豊長の… では、わたしの資料とは少し違うが、ほとんど同じ。してみるとこの写真の文は「胡笳十八拍」のうちの「第十八拍」の説明と思える。
山水画も多い。名筆もある。これらはあまり展示品としては見られなかったように思う。いつも最後の部屋になるので印象が薄いのか。
以下の話は陳舜臣さんの説明であり、本に書いてあるというわけではない。
一点の作品に三代も四代もかかった話には気が重くなる。その奴隷は一生かかっても、自分の作品を見ることができなかったことになる。まして、一生を穴蔵で過ごし青銅器を作り続けた人には、ただ悲惨としかいいようがない。
これが商(殷)の時代の青銅器が最も優れている理由だが、殷周革命後、周はこれら奴隷を解放したため、生産技能がだんだん低下している。
この本を紹介しても、もう手に入れることはできないが、同じような案内書ができているだろう。
わたしは台湾に行くたびに、帰国の日の前日は台北に行き、故宮博物院で過ごしていた。そして次の日の便で帰ってきた。定宿は台北駅近くの「YMCA」、今でもあるのだろうか。