2009年09月30日

天龍八部の旅16 昆明

 雲南の旅も最終回。
 昆明に帰って、友誼商店に入る。
 友誼商店によらないツアーは許可しない、という政策はもう止めるべきだと思う。もっとも今では、政策はなくなったが、事実上続いているのかも知れない。
「お客さんを連れてきたが商売にならなかったよ」ということが続けばなくなるだろう。
 大学の教授だという墨絵画家が、八卦拳を披露し、皆の目の前で絵を描く。
 わたしと八雲さんが絵を見ていると、しきりに自分の描いた絵を勧める。石林の絵だ。 絵は確かにうまいが、そこまでしなければ売れないようなレベルではないかと思う。床の間に飾るにはいいが、財産にはならないことは知っておくべき。
 大学教授だというのも気に入らない。日本の国立大学なら懲戒解雇か。解説だけにして、売るのは店の人に任せるべき。だから大学教授というのは偽であろうと思っていた。数回講師に招かれた程度ではないかと。本物の大学教授のアルバイトかもしれない。中国の大学のシステムはどうなっているのか。
 わたしたちは自分で写真を撮ってきている。わたしは必要なら写真を紙焼きして飾る。
 細かい買い物はした人がいるが、大きな買物をした人はいないようだ。
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2009年09月27日

天龍八部の旅15 石林2

石林のつづきです。
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 板のように薄く削られた石は波打つ。


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2009年09月24日

天龍八部の旅14 石林1

 4日目の麗江の朝は早い。六時から朝食。荷物を持って、二階の食堂に行く。そこは外の建物の調理場から食べ物を運んで来るようだった。
 珍しいフルーツがあった。赤くて梨のような味がした。写真を撮ることもなく、急いで食べる。
 6:45に出発。昆明に飛ぶため空港に行く。麗江の空港は間もなく日本からの直行便も飛ぶようになる。そうなると麗江は世界を相手にする都市になる。おそらくわたしはもう行くことはないだろう。観光に特化した街だ。
 飛行時間は一時間ほど。実質四十分か。九時半に昆明に到着。
 昆明の空港では、いるはずのバスが来ていない。少し待つことになる。
 バスで石林へ向かう。
 途中の高速道路ではバスの登録をしていた。運転手が署名。これはバスだけの届け出。
 石林に着いたころは十一時を過ぎていた。すぐに昼食になる。
 この書き方でも判るように記憶は少し薄れている。
 写真が多いので2回に分ける。

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 この一階の広い食堂には我々だけだった。
 中心になるのが石林ダック。北京ダックの石林版だ。
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これはけっこう美味かった。北京ダックに石林なりの工夫を加えてできたもの。
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2009年09月22日

天龍八部の旅13 麗江古城

 世界文化遺産の街、麗江再訪である。
 この街は問題が出てきている。前回に書いたが、観光投資として新しい‘老街’を作り出していき、世界文化遺産取り消し通告まで受けているようだ。まあ正式な通知ではないだろうが、「いい加減にしなさい」ということらしい。
 世界文化遺産は老街であって新街ではない。形は似ていて、観光客には判らないとはいうものの、新街まで世界文化遺産のふりをしているのが問題だ。ただし、この話は確認していない。街の噂程度に思ってほしい。
 
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 この右の細い路地を入っていく。

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 この水車は水の汲み上げかな。
 北方玉泉公園から流れてきた水は、南に流れながらも、ここで三筋に別れ街を潤す。水が流れていたら、上流へ向かえばここに着く。ここを万一の集合場所とする。ホテルは川の上流のすぐ近く。ここはホテル前と言ってもいいところ。ホテルの部屋のカードは各人が持っている。
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2009年09月21日

天龍八部の旅12 麗江 束河村

 束河村は最近観光地化したようだ。田舎道を通っていると、突如洒落た現代風な商店街になる。喫茶店やレストランなどが多い。

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 バスはこの駐車所まで。これから樹間の道を歩く。

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 石垣とレンガの壁、倉庫か。このような壁を時々見かける。
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2009年09月19日

天龍八部の旅11 麗江 玉泉公園

 麗江といえば、玉龍雪山である。ところが今回はついに全貌を見ることはできなかった。特に頂上付近は一度も見られない。ときには雨もぱらつく天気ながら、けっこう晴れる。その合間に見上げるのだが、終日雲が取れず。
 まずは玉泉公園から。

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 玉泉(黒龍潭)公園の入り口。いにしえは、貴族しか入れない園だった。
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2009年09月17日

天龍八部の旅10 崇聖寺三塔

崇聖寺三塔に対する追記。

 大塔は千尋塔という。南詔国勧豊佑時代(823〜859)に建てられた。
 小塔は大理国段正厳、段正興時代(1108〜1172)に建てた。
 建てた年代はネットで調べたもので、確認をしていないが正しいと思われる。
 ここで、段正厳とは段和誉つまり、天龍八部の段誉である。そうなると、ドラマでは天竜寺の僧が鳩摩智を迎えるため三塔に行くが、その当時は千尋塔だけしかなかったことになる。
 05年の旅行のとき、「千尋塔は一度壊れ、再建したので一番新しい」と言われた。
 それはいつのことかと思い、ネットで調べたが、出てこない。ところが次のような記述にぶつかった。

 明の正徳時代の大地震で大理古城の家屋は殆ど倒壊し、千尋塔も破竹のように裂けたが、10日後奇跡的にもとの様子に戻った。
 1925年の大地震では、千尋塔はてっぺんの宝刹しか落とされなかった。

 レンガ造りの塔が破竹のように裂けて元に戻るだろうか。形だけは戻るかも知れない。この時、おりを見て取り壊し再建したのではないかと推測する。
 さらに1978年から3年間にわたって、三塔の補修と補強作業をした。この作業はどのようなものか。この時解体修理つまり建て替えたとも考えられるが、なんともいえない。
 この修理のとき、従来「土を積み上げて塔を建て、完成後土を取り去った」と言われていたが、それは間違いで足場を組んで建てたことが判ったという。

 それから小塔の傾きは、一方が1.6度、もう一方が2.3度ほど。
 いろいろ調べていると、なんと60度傾いているという記述にぶつかった。ウワー。

  参考 崇聖寺三塔の紹介
作者:崇聖寺三塔文化観光地事務所 出所:崇聖寺三塔文化観光地
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2009年09月15日

天龍八部の旅9 麗江へ

 三日目の朝は晴れていて、朝日が見えた。そして朝食。朝は早いようでもゆっくり寝ることができた。昨夜はカミソリが切れず、ヒゲが怪しいが気にしない。

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 八時半にホテルを出発、麗江に向かう。40分ほどで周城に立ち寄る。そこは藍染めの街だ。銀細工とならぶ大理の重要な産業だ。周城と言っても城とは町のことで、城壁や砦はない。
 藍染めの作業場を見たり、お茶を飲んだりして40分ほど過ごす。作業場は観光客に見せるための設備で、実際の工場ではない。
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posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 雲南憧憬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

天龍八部の旅8 大理古城

    dailichizu-1.jpg  05763.jpg  地図

 大理古城の観光は南門から始まる。

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南門(南古楼)
 天龍八部影視城から南門まで来るが、途中に城壁が整っているところがある。近年の再建による。
 そして南門。ここから歩いて城内に入り、そこにある銀細工の店前でこの地方の銀細工の説明を受ける。白族は白い銀が好き。だから白族と言われる。重要な産業だ。純銀では一年もすると色がくすんでくる。そのためほんのわずか錫を混ぜて(0.?%という程度)白さを保つとか。
 もっとも店先で手工業的に銀細工を作成しているのは、こんなに手間がかかりますという、デモストレーションだろう。実際は……。とにかく大理は銀製品が多い。
 南門から五華楼あたりまで、土産物屋が並ぶ観光の中心である。観光地があって、そこに土産物屋があるのがふつうだが、大理は街そのものが観光地。
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posted by たくせん(謫仙) at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 雲南憧憬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

天龍八部の旅7 天龍八部影視城3

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 この門は遼の南京(現在の北京)の城門だろう。
 無崖棋廬の一軒おいた隣は道路になっている。この門の手前を左に行けば二十メートルほど先は、簡単な戸で通れない。この道の先に遼や女真の村があるという表示があるが施設の外らしい。西夏皇宮も見当たらない。行き止まりと知って右の方に行った。戸まで行って様子を見るべきだった。
 その写真がない。これが撮っておきたい場所だと判るのは後からで、その時はなにもないで済ませてしまう。
 少し中央に戻ると街。宋街だったか、記憶が不確か。
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2009年09月09日

天龍八部の旅6 天龍八部影視城2

 碁の話は、武侠の碁「天龍八部の珍瓏の続き」に細かく書いたので、碁に興味のある方はそちらをみて下さい。ここでは碁以外の話を。かなりの部分が「天龍八部の珍瓏の続き」と重複します。

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 ここから右の一画は、碁に関するいろいろがある。と言ってもたいしたことはない。
 この二階には行かなかったがなんだったンだろう。このときは他に目が向いていて、二階に行こうという気にならなかった。
 
追記:簫峯が阿紫と一緒に星宿派にからまれたあと、ひとりで閻王店に入るのがこの建物。その間に阿紫は星宿派の摘星子に捕まっている。簫峯はこの階段を右から登っていく。
 虚竹が阿紫に騙されながら麺を食べる店も、ここの一階。
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2009年09月06日

天龍八部の旅5 天龍八部影視城1

 昼食は大理城外西のシャッター通りのようなところ。住宅街かと思っていた。
 いったんホテルに帰って休むことになった。天龍八部城の門前で二時から始まる歓迎のアトラクションを見てから入ろうという。
 そんなことより10分でも早く入って、ゆっくり見たいのだが、アトラクションの様子が判らないので、そのときはそんなものかと思った。

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 予定の時間に天龍八部城の城門前に行く。城壁はびっしりと蔦が覆い、印象が変わってしまうほど。城門は閉まっていて門上には観光客がいる。
 歓迎のアトラクションが始まる。我々ばかりでなく中国人客も多い。最前列に陣取った中国人たちは一斉に傘を広げる。ちょっと日差しか強くなったのだ。
 これを中国人は逞しいと見るか、マナーを知らないと思うか。国際会議でもなんかこんなイメージがする。
 歓迎のアトラクションなど無視して先に入ればよかった。
 わたしは知らなかったが、ガイドが対聯の説明を始めたらしい。岡崎さんが「そんなことはみんな知っています」と遮ったという。
 参考 雲松書舎の対聯と同じ。
 門からはいると、城内の案内係りの女性がいる。異様に化粧が濃く気持ち悪い(ゴメン)。
  
 門の内側に、四大悪人の告示。

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 簡体字と繁体字が混じっている。そして横書きは左から右へ(^_^)。
 大理国保定三年とある。保定という年号はなかった。架空の年号である。
 ちなみに小説では段誉の生まれたのが保定二年。段延慶が四大悪人の一人となっのは、刀白鳳が段誉を懐妊して十年後。(第八巻 P182)。保定帝の即位は段誉が12歳ころ。小説では史実より10年ほど即位を早めていることになる。
 みにくいが、段延慶以外の名は赤で×が付いている。死んだのだ。三人が死んだころは(段誉21歳)、段延慶は大理国の元皇太子であり、本来皇帝になるべき人だと判っていて、別な事情もあり、このような手配書は引っ込めたはず。
 皆がこの告示の前から進まないので、ガイドが催促する。次のアトラクションが始まりますと。

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 鎮南世家の婿選びだ。ちなみに段誉の父は鎮南王で皇帝の弟。
 公主(姫)だか郡主(これも姫)だかがこの赤い飾り玉を投げて、受け取った者がこの家の婿になる。
 添乗員(若い女性)がちょっと裏取引をしたらしいが、よーさんが受け取り、姫の家来のような人たちの案内で中に入った。岡崎さんも通訳として入る。あっという間に婚礼。婚礼の要領は武侠ファンならおなじみ(^。^))。

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 次は徳勝門前の獅子舞。日本の獅子舞とはかなり感じが違う。高い台の上を渡っていく。
 それが終わると捕り物劇。パンフには「殷商伝奇」とあるが、別な演目らしい。

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 この写真は後で雨の中で撮ったもの。
 この門前には4頭の象像が鎮座している。四つ足とも大地に着いている。
 皇族は真ん中を文官と武官は両脇の門を通るのだが、真ん中しか通れなくなっている。
 段誉と両親と木婉清が一緒に帰ってきたとき、紙吹雪の中、馬でこの門を通って皇帝に会いに行く。

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 徳勝門に続いてこの門がある。中から撮影。
 この門のこちら側は政府。門にはよーさんの婚礼のビデオと写真があった。有償。

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 皇宮、この城の中心になる建物。中はコスプレ会場。この建物の裏は後宮になる。
 女性4人が着替えたが、大変な混みようで、玉座には届かなかった。
 この建物は何度も使われている。たとえば段誉を救う相談をするところなど。

P8222288.JPG    P8222296.JPG
 段誉や段正淳などの衣装。  こちらはペー族の衣装。

P8222297.JPG
 後宮。ここはなにもなかったかな。
 段誉が家出から戻り、一家の間で問題がぶり返し、秦紅棉が木婉清を連れ戻しに来たとき、鎮南王と木婉清は、この建物から出てきて右の階段を下り秦紅棉と会う。

 建物の後ろは門を出ると道になっていて、右の方へ行く。

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 日本4僧の墓がある。明代にこの地で果てた日本の4人の僧がいたという。この墓のまわりは整備したものの、動かさずそのままの位置においてある。この説明の資料館は、障子のような壁というか窓というか。日本人向けに作られたのか。
 そこを出たとき、3時10分ころ、城のガイド嬢が、これから有料の演目が始まる。時間がないので今すぐ行くか行かないが返事か欲しい。と説明を始めた(劇の時間は15:20−16:10)。ここから先は見るモノがないとか。
 観劇に行ってしまうと、もう城内を見る時間がなくなってしまう。劇も見たかったがわたしは断念した。このあたり微妙な心理のアヤがある。事前に説明されていたら見に行ったであろう。
 なんか「振り込め詐欺」のような突然の説明だった。
 それなら、ホテルに帰らず早く入るべきだったと、またも思う。

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 Gさんと二人で皆と別れて、先へ進む。人は少ない。ぶつかったところで右に曲がると無崖子居がすぐ近く。

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 この門は南京城(今の北京)の門だろう。外は駐車場。
 その手前に碁の無崖子の住まいがあり、珍瓏などが展示されている。
 この内容は次回。
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2009年09月04日

天龍八部の旅4 崇聖寺2

 望海楼に登り見下ろす。

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 崇聖寺がまるで宮殿のようだ。一望と言いたいが、重なってはっきりしない。
 こういう景色を見ると、中国の観光投資の凄さに圧倒される。総額1.8億元とか。金額もさることながら、ほとんど判っていない昔の姿を創造してしまい、歴史建造物であるかのように扱うその発想に驚く。レジャーランドの寺ではない。
 現実に五十人ほどの僧侶が修行している。
 この寺が、修行の邪魔だからと観光客の締め出しを行ったら、政府は許すかどうか。崇聖寺にそのような判断をする権利があるのかどうか。どうもなさそうな気がする。
 もっとも財政的に維持できないだろうから、権利があってもその権利を行使する機会はないだろう。
 再建の施主は雲南省政府と大理市政府、政府主導の宗教施設と言うことになる。まあ実体は観光施設なんだろうな。
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posted by たくせん(謫仙) at 07:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 雲南憧憬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

天龍八部の旅3 崇聖寺1

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 これは「崇聖寺三塔文化旅遊区」つまり公園の門。三塔から鐘楼(南詔建極大鐘)にかけて、前回行ったところは公園、その背後に新しく昔の崇聖寺が再現されていた。05年4月完成。してみると前回もすでに完成されていたのか。比較してみると少し様子が違う。
 南詔とは大理国の前の王国(八世紀半ば−902)である南詔国。
 大理国は937年に白(ペー)族段思平の建てた国。1253年に元に滅ぼされる。大理城はぺー族の街。
 天龍八部では、段思平は中央武林の出身としているが、史実ではない。
 崇聖寺は段家の菩提寺で、天龍八部の「青龍寺」のモデルである。代々の皇帝の多くが出家して、この寺で修行している。天龍八部でも保定帝段正明は段誉に帝位を譲り出家する。
 清の咸豊年間に戦禍に遇い、残ったものもあの文化大革命のおり三塔以外は全て破壊された。ところが05年に崇聖寺が再現された。これでも盛時の半分という。観光施設かと思っていたら、本物の寺である。現在五十人ほどの僧がいる。再建した心は観光施設であっても、敬意を表したい。どのようにかといえば、仏教寺院を参観する礼を守るということ。

 門から入ると、正面に大塔がある。
 前回、塔は新しく作り直して、古い塔は一塔だけと聞いた記憶があるが、岡崎さんの説明では塔は古いという。いま調べてみるとやはり古い。記憶違いだった。

  P8222213.JPG  800ピクセルあります。

 現実には地図の左半分が崇聖寺、右半分が公園ということになろう。右端が入り口、洱海側。
 国家AAAA級景区とある。AAAAとは初めて目にした。BやCもあるんだろうか。
 ついでに言うと、ホテルの星の数は中国が勝手に決めたもので、欧米に比べて、1クラス下がるという。そういえば日本のホテルで星の数を競った例を知らないが、あるんだろうな。
 ビジネスホテルしか利用しないわたしには縁のない話でした。
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2009年08月31日

天龍八部の旅2 崇聖寺へ

 昆明は朝5時半に出発。朝食の時間がないので、弁当を貰う。時間は北京時間なので、このあたりは一時間ほど朝が遅い。外はまだ夜だ。
 空港で搭乗手続きを済ませ中に入り、フライトを待っている間に朝食をとる。パン・サンドイッチ・小さなソーセージ・ゆで卵・林檎など。
 中国旅行では飲み水はペットボトルに限る。普通の水は飲めない。機内持ち込みが厳しくなり、ペットボトルは持ち込めない。持ってきたペットボトルは搭乗手続き前に捨て、空港内であらためて買わねばならない。昆明では空港内に水があったので、買わずに済んだ。
 飛行機内では飲み物として緑茶を貰う。砂糖入り! 西洋人が砂糖を入れて緑茶を飲むとは聞いていたが、中国でも甘くするとは知らなかった。一般的か。雲南だけかも知れない。
 大理に到着は7:50、飛行時間は正味二十分ほど。前回は素朴な地方空港のイメージだったが、様変わりしていて、記憶との差にとまどう。
 外は雨。今は雲南は雨期。ただし山の上と同じで急変する。
 バスに乗り込む。ここから洱海を回り込むようにしてホテルに向かう。大理は洱海の向こう側。このバスの中で全員が自己紹介。
 岡崎さんが、「皆さんの内力を集めて、雨を止ませましょう」などと言う。空も明るくなってきたような雰囲気になる。
 耳のような洱海の南端に下関がある。行政府などが集中する大理の新しい町だ。観光地は古い街。
 下関から北上し大理に行くが、雨が激しいので、一時ホテルに入って様子を見ることになった。
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2009年08月30日

天龍八部の旅1 大理へ

岡崎由美先生と行く中国の旅
映画「天龍八部」の撮影地と雲南省を巡る旅
 
「岡崎由美先生と行く中国の旅」にまた参加することにした。
 8月21日〜25日に大理・麗江・昆明(石林)を巡る。

P8222276.JPG
 天龍八部城の城門。ここを目指す。

 20日に上野〜成田の切符を購入。前回は、予定の電車は満員で乗れなくて次の電車にして遅刻しそうになったので事前に用意した。
 成田での集合時間7時40分には、成田発の8人と岡崎さんと女性添乗員と全員そろって、出だしは順調。
 広州空港で入国しようとすると、入国書類の書き直しをいわれる。最近書式が変わって、旅行社の用意した書類ではダメだった。書き直しをしようとしたら関西発の八雲幇主たち3人も書き直しをしていて、そこで合流した。
 書類は英語。判らないので、隣の人に聞いたり、裏面の中国人用の漢字を参照しながら見当をつけて記入する。
 そして乗り換え。書類の書き直しはあったが、添乗員任せの旅は楽だ。
 広州空港は広大で、このあたりの中継地点となっていて、航路が集中している。
 4時間近い乗り換え時間があり、それから2時間あまりの飛行で昆明へ。
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2009年08月29日

映画「天龍八部」の撮影地と雲南省を巡る旅

岡崎由美先生と行く中国の旅
映画「天龍八部」の撮影地と雲南省を巡る旅
8月21日〜25日

 また「岡崎由美先生と行く中国の旅」に参加することになった。
 前回は桃花島ツアーだった。そのときは、台風のため島に渡ることができず、象山影視城(神G侠侶城)に変更になった。
 わたしは、桃花島はその前に行ったことがあったので、象山影視城への変更に喜んだ。
 その時の詳しい様子は 寧波 を見て下さい。

 さて今回は、
8月21日 成田〜広州〜昆明
8月22日 昆明〜大理
8月23日 大理〜麗江
8月24日 麗江〜昆明
8月25日 昆明〜広州〜成田
 急ぎ旅だなあ。このコースは前に行ったことがある。
 その時の様子は 雲南憧憬 をどうぞ。(この記事も同じカテゴリーです)
 その時は、「天龍八部影視城」は門前まで行っただけで、中に入る時間がなかった。今回はここに入ることが最大の楽しみ。
 その他ももう一度行きたいと思っていたので、企画は悪くはないのだが、正味三日ではとにかく忙しい。
 もうひとつ麗江の束河村ナシ族村がある。これも前回は行かなかった。案外こちらの方が新発見が多いかも知れない。

投稿日付を変更しました。   続きを読む
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2006年05月01日

雲南憧憬 9 麗江

うんなんしょうけい 9 れいこう

 大理は一泊で麗江に向かう。
 旅行者の中には、「もう中国には飽きた。帰りたい」と言う人も何人かいた。

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雲南憧憬 8 大理故城

うんなんしょうけい 8 だいりこじょう

 大理は、唐代は南詔国の都、宋代は大理国の都であった。独立国である。
 今はぺー(白)族が人口の半分以上を占めている、ペー族自治州の州都だ。

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2006年04月30日

雲南憧憬 7 大理

うんなんしょうけい 7 だいり

 5日目は朝早く大理に向かう。朝5時半にロビーに集まり、バスで昆明空港まで行く。
弁当は空港で搭乗を待つ間に済ませて、7時10分発大理行きに乗るのだ。まだ夜明け前だったように思う。
 添乗員は、「ここではパスポートと搭乗券の名前が違っても大丈夫な路線です」と席を組み分けした搭乗券を配った。

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