2008年04月18日

西域一九九九年 10 交河故城

 午後はトルファン市の西側十キロほどの所にある交河故城をみる。ここは世界遺産に指定されている。長さ千六百メートルほどの細長い形をしている。
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 前漢時代に車師前国があった。その当時の交河城の人口が六千五百とある。唐の時代は西域の中心的都市となる。チンギスカンの遠征の時高昌故城とともに破壊されて、廃墟となった。
 二つの河が交わる所にあるので交河故城の名が付く。
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「ここが世界遺産に指定されたとき、世界中から維持のため寄付を受けました。そのお金は、ほとんど幹部の豪邸を建てるために使ってしまい、残った僅かなお金で少し遺跡を破壊して終わりになりました」

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 炎天下 歩いて交河故城を見学

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 壁はかなり崩れて形も定かではない。

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 仏教遺跡である。へこみには仏像が納められていた。もちろん盗掘されている。
 深い井戸もある。川の水と同じ水位である。

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 大地の裂け目は河なっている。この故城の天然の濠であり、畑として利用する。
 地図では故城の左下側。

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 上の河とは別な河の向こう岸。建物は例の如く葡萄を干す所である。
 地図では右上側。

 トルファンの名前は明代に知られた。その意味はウイグル語で「くぼんだ地」を意味する。
 イギリスのスタイン探検隊や日本の大谷探検隊がこの地に入り、出土品を持ち帰った。その中でも文献群は敦煌文献と並んで貴重であるという。
posted by たくせん(謫仙) at 06:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 西域一九九九年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
荒涼とした風景ですね。
それが、はるかな歴史を伝えているようでもあります。

しかし、畑や、葡萄を干す所がある・・・
人の営みがあるということですね。
中国の都会と地方の差を見るようようなきもします。
Posted by オコジョ at 2008年04月19日 10:37
地図で見ると、広い畑が目に付きます。オアシスというのは何万もの人が住んでいる。その人たちを養う畑があるわけでかなり広いと思います。
天山山脈から流れ出た水を上手に使っていますね。ダムまであります。
それにしても驚くことばかり。
Posted by 謫仙 at 2008年04月20日 07:41
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