2008年04月14日

西域一九九九年 8 ベセクリク千仏窟

 ベセクリク千仏窟は荒れが酷い。古くはイスラム教徒によって破壊され、敦煌の石窟のように西洋社会に盗掘された。わずかとはいえ日本隊もこの中に入る。当時の状況では法律的には盗掘とはいえないようだが、実際は盗掘といって差し支えなかろう。このような過酷な土地でも人は住み、過去には千仏窟の造営があった。
約一キロの間に83の石窟があるという。
 なお、イスラム教徒でも、このように破壊するのは、一時代の一部の狂信者に限られる。通常は他宗教と共存している。
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 ベセクリク千仏窟後背の山 登りたくなるが……

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  ベセクリク千仏窟

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上の写真の左側 谷の向かい側 
 足跡があるが、以前科学者が調査をした跡という。それが何年たっても消えずに残っている。

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谷底には水が流れていた。

 ガイド(添乗員)は言う。「三年から五年程度の間隔で、絶えず少数民族の反乱が起こるので、その時は気を使います。ほとんどは小さな暴動なので、すぐに鎮圧されてしまいます。決して中央のニュースにはなりませんが、こちらに住んでいれば、すぐに伝わってきます」
 このガイド(添乗員)は漢族であった。若いがかなり屈託した人生を送っているようだ。

 今年は北京オリンピックが開かれる予定である。いまそれに関連して、チベットの自治要求に端を発し、各地の反乱が相次いでいるというニュースが流れている。
 中国政府は反乱というが、乱とは武器を取って戦うこと。戦争の一形態である。チベットの状態は乱とは言えないだろう。
 それらのニュースに接するたびに、ガイドの言葉を思い出す。
 中国はいま多大の投資をチベットに行い、民心の掌握に努めている。それでも占領された民族の自治要求はやまない。「ここまでいろいろと援助しているのにどうして」と思っているようだが、それは占領者の勝手な思いこみ。まるで、日本の台湾や朝鮮の統治を思わせる。
 なお、毛沢東の時代は、チベットは外国として扱っていた。併呑してから数十年しかたっていない。
posted by たくせん(謫仙) at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 西域一九九九年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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