2007年12月29日

碧血剣のあらすじ

 碧血剣のあらすじを書いてみました。

一 復讐の金蛇剣
 ボルネオのブルネイの張朝唐は、あこがれの明にきて、郷試を受けようとする。が、広東に上陸すると見るのは飢民ばかり。兵士に路銀を強奪されそうになり、楊鵬挙に助けられる。
 一緒に逃げていると、また襲われそうになり、農家に助けを求める。
 数人の農夫と十歳の子供。その子こそ、袁崇煥(えんすうかん)の遺児袁承志(えんしょうし)であった。
 明末、北からは満州族がせまり、内では昏君崇禎帝(すうていてい)により荒廃し、亡国の危機が迫っていた。しかも国土防衛の要になる名将袁崇煥(えんすうかん)を冤罪で死罪にしてしまう。
 李自成の乱も発生し、明は困窮を極めている。
 袁崇煥の遺児の袁承志を擁立し、袁崇煥の仇を討ち満州族を追い払おうという集会が南方広東で開かれた。もちろん袁承志たちも参加する。
 張朝唐はブルネイに帰ることにし、農家を出るが、経緯があって、その集会に出ることに。そのあと、ブルネイに帰る。それで小説から退場する。それからは袁承志の話になる。
 散会したあと残った袁承志たちは官軍に襲われる。
 袁承志は崔秋山に守られて逃げるが、崔秋山は毒矢で重傷を負う。また官軍に襲われるが、唖の巨漢に助けられ、山中の家に預けられる。安大娘とその娘小慧の住まいだった。
 そこも安住の地ではなく、出ていくことになる。
 袁承志は安大娘たちと別れ、唖の巨漢に連れられて、遠く北の華山まで行き、そこで華山派の宗家穆人清(ぼくじんせい)に華山派の武術を教わる。
 その修行中に、近くの絶壁の洞窟で、金蛇郎君(夏雪宜)の死体を見つけ、残された技術書を手に入れ、江湖の絶技を身につける。
 また江南にある大金と宝の隠し場所の図面もある。明朝興国の重臣の屋敷のあとであった。

 華山での修行は十年に及び、二十歳になったとき、江湖(つまり世間)に旅立つ。華北は悲惨を極めている。江南に行くと、李自成の軍資金二千両を奪った温青(夏青青)と、それを狙っていた龍游幇の争奪戦に巻き込まれる。袁承志は温青を助け、温青は二千両を手にし、袁承志も半分千両を押しつけられる。
 衢州に着いて、千両を返そうと温家を探すと、温家はあたり一帯の嫌われ者であった。
 そして温家に入ると温青青が大歓迎するが他の人は冷たい。温家は石りょう派(せきりょうは)の一族であった。
 翌朝、二千両の持ち主という少女が取り返しに来ていた。その力では無理だが、なんとその少女は小慧であった。
 小慧たちが李自成の軍資金を運んでいたのだった。袁承志は小慧に協力し温家から取り返そうとする。
 日を改めて袁承志と温家の戦いになる。その時、袁承志の武術は金蛇郎君の流れを汲むと判り、そのまわし者と疑われる。
 温青青の母親温儀は金蛇郎君の想い人で、温青青は金蛇郎君の子であった。それゆえ親族は、温青(夏青青)と母親温儀を冷遇していた。
 ここで金蛇郎君の複雑な過去を知ることになる。姉の仇討ちのため石りょう派の五十人を殺そうとした。四十人ほど殺して温儀と恋仲になり、殺人をやめたのだ。
 正義とも悪人ともいえず曖昧であるが、このような複雑な人物が金庸小説には多い。
 もちろん、基本的に江湖の人間は善人とはいいがたい人がほとんどである。なにしろこの小説の◯◯派は盗賊の一派であることがほとんど。温家も表はお大尽、実は強盗の一族だ。
 金蛇郎君が残した宝のありかの図。それを求めて石りょう派は、温儀とその子夏青青を屋敷内に置いていたのだった。そして夏青青は男装していたが女であった。
 その後、龍游幇が取り返しに来た。そして小慧に助けが現れて、それが華山派の兄弟子黄真と崔希敏(崔秋山の甥)であった。
 結局、袁承志は石りょう派の五行陣を破り、温儀は叔父に殺され、袁承志・夏青青・黄真・小慧・崔希敏は、黄金二千両と温儀の遺骸を持って、温家を出て行く。
 温儀を荼毘に付し、袁承志と夏青青は黄真たちと別れて、師父のいる南京へと向かった。

二 ホンタイジ暗殺
 南京には師父はいなかった。袁承志と夏青青は、金蛇郎君の宝を探すが、また江湖の争いに巻き込まれる。
 仙都派の閔子華(びんしか)が、兄の仇焦公礼を討とうとして、各地の英雄を集めていた。
 焦公礼の様子を探ると、焦公礼のほうが筋が通っている。袁承志は金蛇郎君の使いのふりをして助ける。また、清の密使だった渤海派の洪勝海を助け、下僕とする。
 そして探し出した宝を李自成の軍資金として北京に運ぼうとする。泰山の近くで山東や河北の山賊たちに襲われる。
 山東盗賊の元締めで悪虎溝の塞主沙天広の下で、山東の盗賊が集まってきた。そこへ盗賊団青竹幇の幇主程青竹たちが邪魔をする。分け前を取り合って戦うことになる。それなりに決着がつくが、いざ荷物に手をかけると、袁承志に歯が立たない。
 そこを官軍に襲われる。そのとき山賊たちを指揮して助け、更に官軍に護送されていた、山宗の人たちを助ける。袁承志は山賊たちの盟主に推され、抗満清を約定する。
 そして、山東に進入した清の一群と一戦を交え、ささやかな勝利を得る。
 その後、袁承志は満州の皇帝ホンタイジ暗殺に向かう。瀋陽の宮廷に忍び込んで、皇帝の話を盗み聞くと、満州の皇帝の方が明の皇帝より遙かに中国の民を案じているのではないか。しかも忠義の臣が多く、袁承志が突撃しても阻まれてしまう。その一番の腕利きは、玉真子であった。華山山頂で袁承志に技を教えた、木桑道人の弟弟子である。

三 北京落城
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 袁承志の突撃は阻まれた。そのあと、皇帝ホンタイジは試合観戦をやめて皇后のところへ行く。そこで皇后の浮気の相手ドルゴンに殺されてしまう。
 ホンタイジの子のフリン(順治帝)があとを継ぐが、ドルゴンが実権を持って君臨する。
 袁承志は北京に戻り、そこで五毒教と抗争になる。この五毒教の本拠地は雲南で、教主の何鉄手は少数民族の娘でイ族の服装をしている。当然美人。笑傲江湖でもおなじような美女が出てくる。捕らえた夏青を、男と勘違いし恋してしまう。そして組織を裏切ることになる。そして何紅薬をはじめとする五毒教の組織に追われる。
 何紅薬は何鉄手のおばである。昔、金蛇郎君に恋して、組織を裏切ったため、罰として、醜い顔に変えられてしまい、乞食によって生活をするはめになった。

 李自成の軍が北京を攻め、袁承志らの力もあって北京が落城し、明王朝は滅びる。阿九は父崇禎帝によって片腕を切り落とされる。
 李自成は、軍の統制ができず、軍が北京市民に乱暴狼藉をはたらくのを許してしまい、一挙に民の支持を失う。そして清軍の北京入城となる。
 袁承志たちが片腕の阿九を連れ帰ると、夏青青は誤解して、ひとりで華山に向かってしまう。その途中で、温兄弟にであう。殺されそうになるが機知で乗り越えるうちに、温兄弟は何紅薬の毒で殺されてしまう。
 袁承志たち華山派は華山に集まる。そこへ玉真子の襲撃を受けるが、袁承志が退治。
 華山派の組織を再構築する。そこへ発端の張朝唐たちが登場し、袁承志たち一部の人は一緒にボルネオ島の近くの島に移民する。

 このあと、この登場人物たちの一部が鹿鼎記でも登場するが、連続性は薄い。
 この物語の特徴は、武術の団体と所属する団体が、必ずしも一致する訳ではないということ。他の物語は基本的に宗教団体、たとえば少林寺は仏教、武当派・華山派・全真教は道教であろうか。それが碧血剣の団体は強盗団。会合も縄張りの確認や、強盗の相談など。明末の乱れた世相を反映している。
 また片腕のないひとが多い。羅立如・阿九・何鉄手・何紅薬。
posted by たくせん(謫仙) at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 碧血剣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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