2007年11月16日

杭州 9 蘇堤

 曲院風荷
 十五日は蘇堤を目指す。蘇堤の北の端に曲院風荷といわれる地域がある。荷は蓮のこと。
 このあたり島と池が入り乱れている感じだ。

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 ここがいわゆる正門であろうか。

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 曲がった院に蓮の風、こんな情景であろうか。背中側は蓮に埋め尽くされている。

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 更に進むと福井杭州友好公園。福井と杭州なんの関係がと思う。福井は魯迅の師藤野先生の故郷であった。
 この友好協定が結ばれたのが1989年、あの天安門事件の直後である。

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読白居易之詩
懐魯迅君
三五夜中新月色
二千里外故人心
藤野厳九郎書

 いま、この文を書いていてふと思ったのだが、こちら側が裏側かも知れない。してみると表側を見なかった!!

 藤野厳九郎(1874〜1945)は魯迅の先生として知られているが、生前は無名。終戦直前の8月11日に亡くなっている。戦後評価されるようになった。
 魯迅(1881〜1936)との年齢差はわずか7年。

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 九曲橋、魔除けの橋である。悪魔は真っすぐにしか進めないとか。
 左側は蓮で埋め尽くされている。

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 この橋の向こう側は、西里湖になる。
 西湖のうち、白堤の北側を北里湖、蘇堤の西を西里湖という。
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 橋を拡大。この橋を断橋として紹介している例がある。見栄えがあるが、断橋残雪はここではなく白堤である。

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 孤山に通じる短い堤防が見える。
 ようやく蘇堤にたどり着いた。

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 雷峰塔から見た蘇堤。再掲。
 こちら側が西湖、向こう側が西里湖。蘇堤の長さは約二キロ、直線である。

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 蘇堤に自動車は入れない。但し観光用のカートは入れる。両側の公園部分を含めるとかなり広い。

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 今では、こうして西里湖に舟が入っていく。
 近くに監視員がいて、このあたりに競技用のボートが入ってくると、大声で阻止していた。

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 向こうの道の脇に…。緑化養護請勿入内。

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 観光のカート。歩道にも入ってくる。ゆっくりと走っている。料金は聞き漏らしたが、歩き疲れた人は、これに乗って巡るのもよいだろう。

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 蘇軾(1037〜1101)、写真再掲。
 生まれを1036年とする説が多いが、これは中国歴と西洋歴では年の切り替わりにずれがあるため。1037年1月生まれ。
 蘇軾は1057年に進士となり(二十歳を過ぎたばかり!)、地方官を歴任していた。最初に杭州に来たのは1069年で、通判であったという。通判とはどの程度の権限があったのか。
 その時西湖はかなり荒れていた。そこで、蘇軾は西湖の改善などについて建議を行なったができなかった。
 1079年に投獄され黄州に左遷され、土地を東坡と名付け、東坡居士と名乗った。故に蘇東坡と言われる。
 この当時、政治改革を志した王安石(新法派)とそれを拒否する司馬光(旧法派)とで、新旧の争いがあった。1085年に王安石が失脚し、旧派の蘇軾は中央に復帰する。しかし、蘇軾は王安石の新法でもいいところは残そうといい、全部を否定する司馬光と対立し、旧法派内部でも孤立する。
 1086年に杭州の知事となり、西湖の改善を積極的に行う。旧法派内でも左遷に近い扱いを受けたか。この年に王安石と司馬光が死去している。
 湖全体を浚渫(しゅんせつ)し、浚渫で出た土を盛って蘇堤を作り、間に六つの石橋を設けた。運河も改良したと言うがどのあたりだろう。水道の整備もしている。現在西湖の水深は深いところで2.8メートル程度である。
 蘇軾はこの湖を西施湖と名付けた。西施は呉越春秋の美女。これから西湖と言われるようになったという。
 南宋時代の杭州は、この蘇拭の水利事業によって発展したといえよう。人口百万を超える大都市である。
 1094年に新法派が復活すると、蘇軾は左遷され、ついに海南島まで行っている。
 許されて中央に帰る途中で死去。
  参考  王安石 −改革半ばにして−
posted by たくせん(謫仙) at 08:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 江南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この碑文はどうも裏側のようですね。でも表側は案外くだらない言葉ではありませんか。「平和」とか「友好」というような、言葉は立派でも、意味のない文字でしょう。意味がないというと叱られるかな。むしろ裏側に意味があるのではないかと考えます。
それにしてもこのような所に、このような公園があるとは。
Posted by mino at 2007年11月16日 21:45
もしかするとリレーフかも知れませんが、このような公園が「曲院風荷」の中にあることを知ってもらえただけでも良しとしましょう。
わたしも知って入ったわけではありません。偶然の出会いですね。
団体での観光コースではありませんが、個人なら是非行きたいところと思えます。
Posted by 謫仙 at 2007年11月17日 07:33
蘇軾は詩人として有名ですが、政治家としても立派な仕事をした人ですね。
このような仕事をしたことは初耳です。詩人といっても知っている詩はありません。名前を知っていただけでも褒めてもらえるのではありませんか(笑)。
白居易にしても有名な詩人でしょう。中国は詩人は政治家ですね。


Posted by mino at 2007年11月17日 21:51
蘇軾を知らないほうが少ないと思いますので、褒めるほどのことでは……(^。^))。
白居易はあの「長恨歌」ですね。
もともと政治家が、詩を作るのであって、詩人という職業があったわけではない。何しろ当時の文化人とはすべて政治家を目指した。そのための学問で、就職先は政府のみ。
その学問の過程に詩作もあった。詩を作っては有力者に送って、名を知ってもらうのも就職活動の一環でした。
李白も杜甫も政治家としては業績がありませんね。時代も時代でした。でも最終目的は政治家なんですね。そのための詩作でした。
Posted by 謫仙 at 2007年11月18日 07:43
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