
六和塔(りくわとう)は有料の公園の中にある。更に塔に登るには別料金である。合わせて三十元。塔の高さは約六十メートル。海嘯で有名な銭塘江とは広い道路を隔てた、小高いところに立つ。
外からみると八角で十三層に見えるが内部は七層。
書剣恩仇録に、この中に皇帝を閉じこめる話がある。その中に、下の階を見下ろすようなシーンがあるが、ここは吹き抜けはなく、下の階を見ることはできない。当然、中で飛び降りることもできない。

二階建ての銭塘江大橋。下は鉄道、上は自動車道。このあたりの川幅は約一キロ。

橋の向こう側には超高層のビルが乱立する。

上流側、遠くは霞んでいてはっきりしない。堤防まで二キロ。ここで銭塘江は直角に曲がっていたのであるが、この堤防はほぼ45゜に造られており、海嘯の勢いをそらす。

下に降りると、生演奏。毎日定時に演奏しているらしい。

六和塔の裏側は山の斜面である。そのあちらこちらに塔が建っている。本物の塔を縮小した物だが、それでも数メートルはある。塔は数十基。

銭王射潮
説明板では、「伝説によれば、唐末五代の呉越王銭鏐が塘を築いたとき、潮神が怪異をなすので、それを鎮めるため、八月十八日の潮神の誕生日に、一万名に弓を持たせ潮神に向かって射た。潮神は死に、海塘が修復できた。それで塘を銭塘といい、江を銭塘江という」
呉越国(907−978)は五代に杭州を中心にした国。初代は銭鏐(せんりゅう、在位907−932)。五代目が銭俶(せんしゅく、在位948−978)。
なお北では北宋(960−1127)が興っていた。
ガイドブックの説明では六和塔は、北宋の時代(970年)に銭塘江の氾濫を鎮めるために呉越王であった銭俶によって建造された。北宋末期に破壊され、南宋のとき(1163年)再建されている。

左 魯智深円寂
「水滸伝の魯智深が、宋江にしたがって、杭州に進軍し、六和塔に駐軍した。ある夜、突然戦鼓の音が聞こえ、禅杖をもって飛び出したところ、寺の和尚がいうには「あれは戦鼓ではなくて銭塘潮です」。魯智深はそれを聞いて、師父の言葉「聴潮而円、見信而寂」の意味を大悟した。そして沐浴して座してそのまま動かなくなった。骨は六和寺にある」
右 武松出家
魯智深が円寂したのを見た武松は六和寺で出家した。
(言うまでもなく、小説の話である)

六和寺の鐘の声諸行無常の響きなし。軽い音がする。
一度ホテルに帰り、ちょっと休んでから繁華街まで行った。街の雰囲気を知ることができる。食事のできるところを探したが、わたしの歩く道には適当な店がない。
結局タクシーで帰ってきた。五キロくらいか、十五元(二百二十円)。
そしてホテルの食堂で夕食。これが大失敗であった。それから2時間後、トイレに駆け込むことになる。一週間近く中華料理ばかり、この日の昼は休めたものの胃腸が限界に近づいていたのであろう。
十二日は一日中ベッドの上で過ごした。薬師寺涼子の怪奇事件簿「霧の訪問者」を読み終える。


ビル郡ですね。
中国が発展しているのは聞いていますが実際にみると聞くでは大違いですね
中国の発展の様子は、この写真一コマで感じ取れますね。
もっともこれは早くいえば表通り。裏通りは省都でさえ、河坊街から鼓楼へ行く道のような風景があります。
いま過剰投資が囁かれています。初めの紹興近くのラブホテルのような農家。多くは空き部屋ですが、都会のビルでも同じ現象が起きそうだと言われていますね。
とにかくアンバランスな国です。
昔なら官と庶民の格差のような……