2007年10月04日

西域一九九九年 6 敦煌

 ホテルをチェックアウトし、予定の市内観光に向かう。
 敦煌博物館を見学したが、展示品には記憶がない。

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 白馬塔、高さ12m。
 鳩摩羅什が敦煌に至ったとき、経典を担がせた白馬が死んでしまったという。その供養のために建てられた塔。夏なら熱砂の海、冬なら酷寒の地、馬も大変だ。やはり駱駝が楽だ。

 塔の前の民家を見せてもらう。庭を囲むようにコの字型の家が建ち、開いた一方が入り口である。

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 竈、写真はないが台所に50センチくらいのインゲン(?)があった。

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 寝室

 老人には中国語は通じない。このとき添乗員と中国の特に田舎の老人問題を話したが、悲惨である。

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      建設中の新市街

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 バザール
 
 午後は砂漠の中の道を柳園へ向かう。予定していた道は洪水で橋が壊れて通れない。大きく迂回することになった。記憶が定かでないが四時間くらいかかったか。
 あいかわらず蜃気楼を見続ける。右側には祁連山脈の支脈、草木は全く生えていないようだ。左側は遠くにポプラ並木が見える。党河の本流であった。

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  祁連山脈の支脈

 祁連山脈と別れてしばらくしたころ、添乗員の「洪水です」と言う声にあたりを見ると、低いところに澄んだ水面が広がって、かなり速く流れている。
 砂漠の真ん中で往生している車もあった。舗装道路に煎られながら修理をしている。

 我々の車も途中でパンクして、安西の町でタイヤを交換する羽目になった。タイヤがぼろぼろになっている。ただタイヤがダブルだったので、バスは普通に動いたのだった。ここまで敦煌から110キロ。残り70キロだ。
 添乗員は若い女性たちとトランプを始めた。わたしたちはそばにいた子供に話しかけた。
「小朋友,ni幾歳?(君は何歳)」
 そばにいた女性が八歳と答えたが、少年は恥ずかしがって家の中に入ってしまった。

 バスに乗り込むと添乗員は言った。
「パンクのおかげで、ばばぬき・じじぬき、覚えました」

 柳園駅は空港を思わせるほどの立派な建物である。しかし、トイレには水が流れず……。

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 夕食後 柳園の駅
 この駅が敦煌の最寄り駅である。なぜこんなに遠いのかといえば、洪水が怖くて、高いところに鉄道を敷いたからだ。この時も洪水で遠回りしている。
 ちなみにグーグルアースで見ると数え切れない川筋が見える。

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 安西(anxi)から柳園(liuyuan)まで、約70キロ。斜めの真っすぐな線はバスの通った道。白い川筋には、いつもは水は流れていない。

 この夜は寝台車に乗ってトルファンに向かう。四人で一部屋である。
posted by たくせん(謫仙) at 08:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 西域一九九九年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
文がきれいのか昔みたシルクロ−ドを思い出しました。
たくせんさんは中国語がうまい。
それにしても中国内陸部は発展していないですね。
久しぶりにトルファンの名前を聞きました。
Posted by 龍之介 at 2007年10月05日 05:16
まだまだ内陸部には経済発展が及んでいない感じがします。
グーグルアースを見て、わたしはびっくりしました。川筋がこれほどあったとは。
砂漠と洪水の不思議さ。

同行のSさんが筆談を試みたのですが、少年は読めなかったので、わたしが訊いてみたわけです。
Sさんも紀行文を書いたのですが、

「パンクのおかげで、ばばぬきとじじぬきを覚えました」と言ったのでみな爆笑した。

と書いてしまう。いけない訳ではないが、わたしなら「と言ったのでみな爆笑した」の部分は陰に隠しますね。

続きは帰国後になります。
Posted by 謫仙 at 2007年10月05日 10:46
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