2007年09月29日

西域一九九九年 3 陽関のオアシス

 陽関と言っても、今は陽関の跡と言うのが正確で、狼煙台しか残っていない。
 陽関の展望台から見下ろすと陽関のオアシスが見える。
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 このオアシスがある故にここに陽関が立てられたのであろう。オアシスの水の流れが天然の濠になっているし、そこに住む人の生活の資を提供する。

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 澄んだ水が流れている。深そう。
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 駱駝草
 小さな葉、棘がある。豆科の植物。砂漠の草といえばこれしかない。赤っぽいところが実である。草高は一メートルを超える。

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 河川敷に相当する低地。写真にはないが、あたりは畑が多い。
砂地とは異なり、ラクダ草以外の草もある。

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 陽関から敦煌まで約60キロ、真っ直ぐな道路で運転手は飽きないか。
 砂煙のような小さい竜巻。地平線の一髪は蜃気楼。まるで湖のように見える。
 蜃気楼と言っても日本人のイメージする蜃気楼とは異なる。正確には別な名前が付いているかも知れない。ここにラクダ草があると舟のように見える。

  敦煌の道はインドに連なりて
      故人無からん藤あや子想う   謫仙


 なんでここに藤あや子が出てくるのか判らないが(^。^))、当時は夢中でした。

 最後に、陽関と言えば唐代のこの詩でしょうか。

  王維「送玄二使安西」

 渭城朝雨潤輕塵
 客舎青青柳色新
 勸君更盡一杯酒
 西出陽関無故人

4行目は「西のかた陽関を出づれば故人無からん」と読みます。
posted by たくせん(謫仙) at 08:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 西域一九九九年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こうしてみると陽関は、素敵なオアシスですね。
砂漠とオアシスの対比が不思議な光景を作り出していますね。
周りが殺伐としているだけに旅人はホッとしたのでしょうね。
こうした、土地に住むこと・・・
こうした砂漠を旅すること・・・
人間というのは、何なのかと、問いかけたくなります。
Posted by オコジョ at 2007年09月30日 10:42
常時これだけの水が流れていれば、村が誕生しそうです。往時は関所の役人の生活のための村があったことでしょう。
しかし、その範囲から一歩出れば、死の世界。あまりにもはっきりしすぎて恐ろしくなります。
このような世界に住もうとした人は、どんな気持ちで、入植したのか。

苛政は虎よりも猛しと逃げてきたのかな。旅人にとっては命綱ですね。
Posted by 謫仙 at 2007年09月30日 11:54
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