2007年09月06日

西安満喫夏紀行 9 西門

 二十一日朝、ホテルをチェックアウトして、バスに乗り込む。
 陝西省歴史博物館、ここは故宮・上海と並ぶ、中国三大博物館という。中身は充実していて見応えがある。
 ここの売店で『陝西省十大博物館』の本があった。二百元である。小姐に相談すると、
「確かにたかいけれど、ただ北京の大きな本屋に行っても、こういう本はないと思う。普通の本屋では絶対置いてない」
 結局このときは急いでいたので買わなかったが、空港で同じ本を見つけて買った。

 清真寺はイスラム寺院である。ガイドから、門前の商店街は偽物が多く、買った品についての責任は持てませんと言われた。
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清真寺はイスラム寺院であるが、中国では中国式の建築物になる。

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 細かく見れば、イスラムの面影があるかも知れないが、わたしには説明されなければ、判らない。
   
 西門は安定門という。
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 門は二重になっていて間は中庭のようになっている。これは内側の門。
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 城壁の上に上がる。

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 これは外側の門の上。ここでも中は土産物屋になっている。

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 両脇の斜めの線は階段である。ここから登った。

 お茶を飲んで店内を見ていると店員が日本語で商品を薦めにくる。一人の女の子は外語学院の三年生であり、もう一人はなんと一年生であった。それでもう日本人と会話ができるのだ。

「あなたは絵に興味があるのですか」
 わたしが絵を見ていると、こう言いながら寄ってきた。
「(ni在na[口+那]里学日文?)どこで日本語を習いました」
「えっえっ、あなた中国人なの」
 こんな殺し文句を、もし中国語で言われれば、たぶん殺されていたであろう。しかし日本語で言ったところをみると、一声聞いただけで日本人と判ったはず。続けて言った。
「(我在西安外語学院学日文)西安外語学院です」
「(現在幾年級)今、何年生」
「(一年級)一年よ」
 なんと一年で日本語の会話ができるのだ。よく聞いてみると、高校生の時に日本語を学び始めたという。
 小姐は男の人と中国語で話をしている。
 その人は学生ではないが、現在日本語を学んでいて、日本人留学生と互いに教えあっているという、小姐の知り合いであった。
 こんなたかい物を買うのは止しなさいと言われたそうだ。知ってる人にはとても薦められない、知らない人なら薦めるけど、とも。

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 安定門(西門)の二階から西方を望む。ここから三キロの所に長安城の城壁があった。シルクロードの起点である。

 食事後、小姐と別れて、一路空港へ向かう。
 そのマイクロバスで、Sさんは劉さんに司馬遼太郎の『項羽と劉邦』を薦めている。
 劉さんは司馬遼太郎の名を知っていた。しかし、なにしろ日本の本はたかいのでとても読むことができないそうだ。わたしは読み終えた『囲碁こぼれ話』をプレゼントした。
「碁はできますか」
 劉さんは「できますよ。やさしいです」と言う。

 Sさんは「碁をやさしいと言うところを見ると、できないのではないか」という。
 わたしは「できると思う、但し強くはないでしょう」と答えた。
 実際中国ルールで習うと、簡単なのだ。強くなるのは同じだが。
 簡単に言えば、おはじき遊びと同じで石の多い方が勝ち。「四つ目ドリ」と「劫」さえ知れば誰でもできる。日本ルールなら「地」の概念を理解しないといけない。
 空港のミニミニ書店で『陝西省十大博物館』を見つける。百五十元であった。ただし日本語である。
「中国語のはありますか」
 後ろに積んである本の中から探し出してくれた。
 この旅行記の碑林の説明は、この本からとった文が多い。
posted by たくせん(謫仙) at 08:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 西安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
空港の売店でみつけた「十大博物館」150元というのは日本円になおすと
いかほどになるのでしょうか。
Posted by 龍之介 at 2007年09月07日 04:24
150元、だいたい2000円でしょう。
写真が多いので、高いとはいえないのですが、ものすごく高く感じました。
印刷などは香港で、中国にとっては輸入品なんですね。だから一般の中国人には手が出ません。今でも輸入品は高価です。
外国人向けの本ですね。だから日本語版もある。

当時、一般の人の月給は400元といわれていました。
このことから150元は高いと思いませんか。
99年は800元と言われていました。但しこれは建前で、現実はもっと高かったのです。
くわしくは「雲外の峰−大洪水の義捐金」に書きました。

99年に知り合った女の子(大学生・ホテルのウエイトレス)は700元と言っていました。この時敦煌では時給1元、月200元にもなりませんでした。
現在はどうなっているのか。大学は出たけれど…、という時代になりました。
Posted by 謫仙 at 2007年09月07日 08:02
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