2007年08月21日

西安満喫夏紀行 2 華清池

 西安は長方形の城壁がきちんと残っていて、その周りは濠で囲われている。その西安城を北から突き抜け、南の城外にある西安賓館に着く。三ツ星と聞く。
 614号室の前で、LIU YI SI と呟くと、ボーイが LIU YAO SI と訂正してくれた。

 この日の夕食から一人のうら若き女性が加わった。H夫妻のお嬢さんである。以後、わたしは小姐(シャオチェ=お嬢さん)と呼ぶことにした。
  (謫仙注:現在は小姐と呼ぶのは失礼になる)
 小姐は半年前から西安外語学院に留学している。食事中は中国語と中国の話で盛り上がった。こんな話があった。
「中国人の学生は毎朝起きると、一時間ほど大きな声で日本語を読む。大学から帰ってくると五六時間勉強する。だから四年たって大学を卒業するときは、皆日本語を自由に話せるようになっている」
 この話は後に西門で実感することになる。
「日本人の留学生の中には、先生に言われたことしかやらない人がいる。それではいつまでいても話せない」
 少し弁護をすれば、彼らは観光に来ているのだ。大学の寮に入ればやすく宿泊できる。絶対に中国政府から奨学金を受けていないと断言できる。もしかしたら、先生たちの収入は彼らに依っているかも知れない。大学も学習ツアーの観光客として扱っているかも知れない。
 日本に来る中国人留学生とは事情が異なる。ただし、最近では観光留学生もいるようだ。
 一説によれば、先生の収入は日本人学生の個人的補習だけで給料の数倍の収入になるという。
「あなたはかなりのレベルのようですが、わたしは全然聞き取れない。それにわたしの発音では、お茶を飲む(喝茶)のか、車を飲む(喝車)のか判らないらしい」
「私も来たときはそうだった。先生の中国語が速すぎて、とても聞き取れない。今では聴く方はだいたい判るけど。でも、話す方はすぐに文章が浮かばなくて」
 西安では小姐がいてずいぶん助かることになった。
 ある時の食事で茶碗が欲しくなった。ウェートレスを呼んで話したのであるが、なかなか通じない。ついにウェートレスが日本語のできる人を呼ぼうとしたとき、小姐が助け船を出した。
「なんて言ったの」
「シャオワン(小椀)」
 後に、この経験が役に立ち、一度で通じた。

 十九日は、華清池・兵馬俑博物館・興慶公園・碑林・大雁塔を見る。
 この朝、マイクロバスに乗って間もなく、女の人が車道に横たわっているのを見て、ドキンとした。自転車や自動車は何事もないかのように脇を通り過ぎていく。

 華清池は当時の遺構がそのまま残っているが、石造りのため趣に欠ける。実際にはもう少し何とかなっていたのではないかと思う。発見されて間もない。そのままに展示していたのであろう。

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 華清池は思っていたより大きかったが、皇帝の避暑地にしては小さいというべきか。

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 後ろの山にはケーブルで登れる。これが驪山だろうか。この山の向こうに大きな山チラッと見えるので、そちらが驪山の主峰かも知れない。

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 西周時代末期の幽王はここを驪宮として時々愛妃褒似を伴なって酒宴をしていたという。
 華清池は西安から東に30キロ離れた驪山の麓にある。驪山は海抜1256m、西周時代からの温泉地であった。

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 丸い島はこの次に来たときには楊貴妃像と称するものがあった。楊貴妃は太っていたといわれている。まるでイメージが合わない像だった。

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 ここ華清池にある宮殿群は、清の西太后の時代に再建築されたもの。
 この後ろの山の中腹で、蒋介石が張学良の護衛兵に捕まった。そのあと周恩来と蒋介石が交渉し、第二次国共合作が成立し、蒋介石は釈放された。
posted by たくせん(謫仙) at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 西安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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