2007年08月19日

西安満喫夏紀行 1 西安

 前にHPにあったものを、文を書き換え、写真を入れ直しました。

 九十六年春、再び夏休みの中国旅行を計画した。しかし、中心となる土屋さんが、四月二十八日に亡くなり、計画は流れた。
 紆余曲折をえて、私は勤務先のSさんと一緒に八月十七日から八月二十四日まで八日間の北京西安旅行を申し込んだ。
 成田空港の集合時間に行ってみると、参加者は私たち二人だけであった。

 西安といえば、阿倍仲麻呂で日本ともなじみ深い。いにしえ唐の都(長安)でもあった。
     nakamaro.jpg
     興慶公園の阿倍仲麻呂紀念碑

 北京空港は、まるで物置の脇の勝手口から建物に入るような感覚である。そして荷物が出るまでかなりの時間を要する。玄関では、田舎の温泉駅のように客の名前を掲げた人たちをはじめ、大勢の人がいて、出口を塞いでいる。しかも私たちの名が見あたらない。Sさんの名を間違えていたのであった。
 ホテルは新僑飯店、地下鉄崇文門の近くにある。
   
 翌日十八日は大阪からきたH夫妻と合流し、我々は四人のグループとなった。もちろん現地のガイドが付く。
 午前は頤和園を観光する。
 三時、北京空港から西安へ向かう。空港内に入るときガイドは新しい書類をくれた。これを確認しなかったためとんだトラブルになった。
 貰った書類をそのまま受け付けカウンターに提出した。そしてそこで貰ったものをパスポートに挟み、入場しようとした。Sさんは先に入っている。女性の係員は言った。

「二人ですか」
「二人です」


 次の言葉は聞き取れなかったので、日本語で聞き返してしまった。
「もう一人は」
「先に入りました」
「呼んできて」
 先に入っていたSさんを連れてきた。彼女はSさんの書類を再度点検した。ようやくOKが出たものの事情が判らない。そうしてジェット機に乗り込んだのであるが、バラバラの席に座って、しばらくすると、Sさんとスチュワーデスが、何やら話をしている。すぐに私とHさんへ呼び出しの機内放送があった。
 結局、わたしとSさんの航空券が重複していたのだ。H夫妻の券は大阪から北京までだったので、新たに貰った券が西安行きである。しかし、私たちの券は東京から北京・北京から西安であり、新たな券は不要であったのだ。不要な券は返してくれた。北京に戻ったとき、旅行社に返さねばならない。

 西安と言えば阿倍仲麻呂とその時代の玄宗皇帝と楊貴妃の物語も忘れてはならない。
 華清池の壁画である。
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 玄宗皇帝と楊貴妃

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 右の奥にいて立ち上がって物を持っているが安禄山だというのだが、あまり信用できない。

 西安咸陽空港はまだ新しく、落ち着きがある。ここから西安市内まで四十分、道の両側はほとんどトウモロコシ畑である。所々に小さな煉瓦の家がある。わたしは山間の盆地のような、渭水の河川敷のような地形を想像していたが、遠くに小さく山が見える平原であった。
posted by たくせん(謫仙) at 17:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 西安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
1996年だとするといまから約10年ほどまえですね。
今オリンピックも控え中国ブ−ムだといいますが、わずか10年前でも北京空港では物置からでてきたような印象だとか。

私は来年のオリンピックのあと落ち着いてからいきたいなと思っています。
華清地の絵はタペストリかなにかでしょうか。
Posted by 龍之介 at 2007年08月22日 05:21
中国は、この10年で大きく変わりました。
いまでは充実していることでしょう。
北京はいま、水がなく、大気汚染が酷く、あまり行きたい気はしませんが、行くなら、オリンピックの後でしょうね。
ただ水の問題は解決できるかどうか。いま三峡ダムから黄河まで水を通す計画がありますが、それでもまだ足りないとか言われています。
絵は、焼き物を貼り合わせたように見えました。屋外の、塀の壁画のイメージです。この絵のために独立していましたが、大きなものです。
Posted by 謫仙 at 2007年08月22日 09:01
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