陸小鳳伝奇、これはシリーズものでその最初の一冊である。一応面白いといえるだろう。
出てくる人物に特徴がある。主役の四本眉毛の陸小鳳、その相棒で盲目の花満楼、剣豪の西門吹雪、少女の上官雪児、などそれぞれに個性が際だつ。
古龍の作品は特定の時代設定が難しく、むしろ架空の時代と思った方がよい。風俗習慣などでは時代はわからないのだ。
それでもこの中に南唐の皇帝李Uというのが話の中に出てくる。とすれば宋以降ということになる。実はこの話を出したのは、南唐の皇帝李Uというのは実在しないからだ。
南唐は三代続いた。初代が皇帝となり、二代目は外交の問題で、始めは皇帝だったが皇帝をやめて王となった。三代目の李Uは王として即位し王として亡国にいたる。これは歴史的には誰でも知っているような話である。
李Uの詞は優れていて、詞帝と称えられる。しかし李Uを指すときは南唐の王といい皇帝とはいわない。
この本の設定では皇帝だったとしても良さそうだが、そういう設定の説明がない。
あとで、碁を打つシーンがあるが「碁を指す」と言っている。
この二つ、古龍が間違ったのか、訳者が間違ったのか、微妙だ。ほとんど気にもならない誤りだが、誤植ではない。SF小説では、大きな本題の嘘をつくため、このような脇の説明をきちんとする必要がある。
全体の印象は薄い。わたしはつい「それがどうした」と思ってしまう。わたしの読みたい蘊蓄がないのだ。
金庸の場合は、天龍八部の椿の蘊蓄は本当にあるのかどうか知らないが、あの小説世界ではあるという設定である。同じように小説全体でも蘊蓄を傾けている。歴史や愛や芸術や武術の蘊蓄がひとつの話たとえば神G侠侶(芸術はなかったが)で語られている。物語はそれを語る舞台である。
古龍は物語が目的になってしまっている。このあたりはわたしがミステリーのファンではないせいかも知れない。ミステリーの好きな人は、蘊蓄はよけいなこととして嫌う場合がある。だからミステリーのファンにとっては面白いのではないかと思える。
小説としてのレベルは高いと思う。