2020.6.17 記
2021.7.30 追記訂正
いやいやながら後宮に入った甄嬛(シンケイ)の後宮物語。
原作は架空の時代だが、このドラマでは清の雍正帝の時代としている。
雍正年間となれば、相当する女性に合わせて、それなりに形式を整えねばならないが、甄嬛(シンケイ)のモデルはいないようだ。これが瓔珞(エイラク)とは異なる。
雍正帝の父の康煕帝は61年間在位した。そのため息子たちは高齢で、雍正帝の即位は45歳のときである。そのときすでに次の乾隆帝(四阿哥弘暦)は生まれていた。(この弘暦が優れていたたため、父の雍正帝が皇帝になれたとも言われている。このドラマではその話はない)
雍正帝は勤勉な皇帝として知られている。在位は14年に満たない。そのためか、この物語では、権力の掌握が進まず、功績ある将軍の妹である華妃の横暴を押さえられない。
そんな時代の、後宮の争いである。瓔珞はやられたら、とっさの機転でやり返すが、その内容はすこぶる危うい。戦術的に強いということか。甄嬛伝はそのスパンが長い。しかも機会は巧みに捉えるが、罠を仕掛けるようなことは少ない。そのため瓔珞と比べれば、初期はだれを感じることもある。しかし、途中から甄嬛(シンケイ)は変わっていく。
後宮に入るのは、無期限で拘置所に入るようなもの。夫である皇帝も権力者としての魅力しかなく、心から愛しているわけではない。皇帝が通わなくなれば、拘置所と変わらない。
甄嬛(シンケイ)は莞嬪として住むところは碎玉軒だが、これはどこか不明。一度出家して戻って来たときは、熹妃として永寿宮に住むことになる。そこは養心殿(皇帝の住まい)のすぐ後ろである。ただしこのドラマが各宮の位置関係を反映しているかは不明。
このドラマでも皇后の権力は弱く、高官の血族の皇妃が、位は低くても事実上の権力を握って横暴を極めている。皇帝は高官の協力を得るために、それを認めざるを得ない。
高官が権力を失うと、親族の皇妃も力をなくす。瓔珞にも似た話があった。
ただし甄嬛伝の皇后はかなり悪辣で、皇太后が、皇后によって愛新覚羅(皇帝家)の血統が途絶えてしまうと、嘆く場面があるほど。
半ばから甄嬛がかなり変わってきた。後宮では耐えているだけでは、生きていけない。積極的に攻勢に出よう。出家して戻るときは、情を捨てることを誓う。その後は全て権力争いに通じる。
策を巡らすが、それがかなり戦略的だ。目が離せなくなった。初めにだれを感じたのが収束して行くような感じだ。
単なる後宮の争いではない。エイラクよりも武則天に近いか。なお雍正帝は道教の怪しげな薬(実体は毒薬)に頼り、60歳前に衰えて死ぬことになる。
雍正帝の最期は悲惨だ。皇族が女官を暴行しようとし、逃げられるが、なんと皇帝は女官を死罪にしてしまう。そのために身の危険を感じた甄嬛は、毒を飲まされた皇帝を見殺しにしてしまう。手を下したと言っても間違いではない。
最後は甄嬛の美しさに圧力を感じるほどだ。
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以下は妃嬪の結末である。☆は生涯を全うした者。★途中で不慮の死を遂げた者やそれに近い者。△はどちらとも言えない者。位階は上下に変化するが、その代表的な位階。
官女子/答応→常在→貴人/→嬪→妃→貴妃→皇貴妃→皇后
☆ 莞嬪(甄嬛) →熹妃→熹貴妃→副皇后→聖母皇太后
★ 恵妃(沈眉荘)靜和公主を産むものの死去。最後まで莞嬪を助ける。
★ 安嬪(安陵容)→鸝妃 監禁の後、自害。
★ 華妃 →年答応→冷宮送りの後死罪。
こどもに恵まれない。これには理由があった。
★ 皇后 事実上の離別となり、終生景仁宮に監禁。死去。
★ 夏常在 冷宮送り
☆ 欣貴人 欣太嬪となり最終回まで生存、目立たない。
★ 祺貴人 冷宮送り→庶人→撲殺
☆ 端妃 →皇貴妃→皇貴太妃 養子温宜公主(実母は曹貴人)
☆ 敬嬪 →敬妃→敬貴妃→敬貴太妃 養子朧月公主(実母は甄嬛)
★ 斉妃 自害
★ 曹貴人 毒殺
★ 余答応 処刑
★ 麗嬪 冷宮送り
★ 富察貴人 恐怖のあまり気が狂い、その後は不明。
△ 芝答応 官女に戻った。その後不明。
★ 淳常在 17歳で殺される。
★ 瑛貴人 死罪
★ 寧貴人 自害
★ 貞嬪 死罪
★ 康常在 死罪
★ 孫答応 死罪
圧倒的に、まともに人生を送れなかった者が多い。
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後宮の各宮殿は、一般的に南に門があり、中央は庭で、三方に建物がある。
嬪以上になると宮殿の主となり北の主殿に住む。東西の脇殿は貴人以下が住み、主殿の主の支配下になる。時には官女子なみに扱われることもある。
官女子は一応女官のような仕事をしているが、位は妾の最下位である。
女官はいわゆる下女であり、25歳を過ぎれば退職できる。
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時々、合歓の花(ネムノハナ)が出てくる。それは構わないが、「ゴウカンノハナ」とカナをふるのが気になる。何度も出てくるので、訳者が知らなかったと思える。ただ漢方薬では、樹皮や葉は生薬の合歓(ゴウカン)合歓皮(ゴウカンヒ)となる。それなので勘違いしているのかもしれない。