楊康の父親と郭靖の父親は、親友で反金の同志。楊康が生まれる前に母親が金の趙王に掠われ、趙王の子として育つ。かなり甘やかされて育ち、不誠実。長じて出自の秘密を知り、郭靖とは義兄弟になるが裏切る。王子としての身分を捨てきれないのだ。
楊康の評判は当然悪い。両親は趙王に殺されたのに仇討ちをせず、父は反金でありながら金の味方をする、漢の裏切り者であり、恋の道でも不誠実。
楊康の死後、楊康と穆念慈の間に生まれたのが神G侠侶の楊過である。
趙王の王子として生まれ育ち、成人になるまではいかに南宋を征服するかだけを考えていたのだ。金の後ろには蒙古が擡頭し、趙王の必死の努力で国が成り立っていた。
金は漢化したとはいえ、基本は異民族。漢族とはいろいろ異なろう。
遺伝子が漢族であろうとも育ちは金の王子だ。産みの親より育ての親というが、趙王は育ての親で、産みの親でもある。楊康が生まれたときすでに親であった。
この場合、遺伝子を提供しただけの親より、重要ではないか。
現代では、試験管ベビーや代理親など、様々な問題が提起されている。300日問題もそうだ。
楊康の場合は母親の問題がある。趙王の子として楊康を育てていたのだ。
そうして育ったのに、「父親は漢人だから育ての親を殺せ」というのは宋(漢)人の身勝手。宋の倫理規範。他国の倫理規範はそうではない。
金人として育った楊康は金の倫理規範に従えばよい。もっとも金の倫理規範でも立派な人物とはいえないだろうな。
もしいま、わたし(謫仙)に外国人が「遺伝子上の親は私だ」と名乗り出て、腐敗したその国のために、(自分の国つまり)日本を裏切れといわれても、そんなことはしないと断言する。
郭靖の場合は違う。母親は緊急避難として、蒙古に逃げ込んだのであり、常に漢人として、つまり異民族として蒙古で生活していた。だから漢族として黄蓉と共に生きていくのに抵抗はない。それでも間に挟まれて悩んでいるのだ。
金人として成人した楊康が金人としてふるまう、当然であると思う。
おもえば、中国の歴史は、征服王朝の歴史でも在り、漢民族としては、
勧善懲悪イコール(尊皇)攘夷になりがちなのかもしれません。
「ため息が出た」、ばかりでなくその理由まで書いてくれるとわたしとしても説明しようがあり、再考しようがあるのですが。
ここでは民族が異なるときと国籍が異なるとき、どう考えるかを書いているわけですが、中国は二つに分かれていたので、おおざっぱに
漢民族 宋国籍
漢民族 金国籍
が半々、そして少数の
金民族 金国籍
の人がいる。
楊康は「金民族 金国籍」と思っていたが「漢民族 金国籍」であると判った。
ところが宋国籍の人が「漢民族 宋国籍」だと決めつけた。そこから齟齬が起こっています。
この物語には登場しませんが「漢民族 金国籍」の人なら楊康を非難しないでしょう。
但し楊康は人間として立派ではないので、それは非難されても仕方ないところです。
舌足らずな表現で失礼を致しました。少し補足致します。
全世界に広がる華人の人達のアイデンティティの感覚は、
少なくとも現代においては非常に重層的で、
島国育ちの私などとは違うんだなと、感じることが多いのです。
これは、清朝における漢人の人達の感覚や金国における漢人の人達の感覚に通じるものがあるような感じがします。
そこで、謫仙さんが
漢人だから宋の味方をすべきだという論に一定の距離をおいておられ、
「金人として成人した楊康が金人としてふるまう、当然であると思う。」の一語で、先の文章を締めくくっておられるのに触れて、
ああ、謫仙さんのように見る人がいれば、
楊康くんもこんな死にかたにならずにすんだのに、
現代のさまざまな政治問題ももっとましな流れになるだろう・・
とおもうと、ため息が出てしまったという次第です。
武侠小説ですから、いわゆる悪役の描かれかたなどは、いわばお約束の部分もあるのでしょう。
しかし、それでも、わたしは、なぜか金庸の作品に半植民地化されたときの痛みや台湾問題の根底にある価値観の相克など、近現代史のアナロジーのような感じを受けてしまうのです。
国際人など及びもつかないわたしですが、
日本人である以上せめてまともなアジア人で在りたいなどと愚考している
私が申し上げたかったのは、ま、そのようなことなのです。
だから塞外民族が悪いと決めつけず、優れたところは優れているといえる。
多民族社会でつねに異民族支配を受けていた大衆のうち、金の支配下の大衆は、金を嫌ったとは思えないんですね。
「価値観の相克」、これこそ、金庸作品に流れる主題ではないかと思います。
台湾問題・沖縄問題・基地問題などの痛みにも通じると思います。
心斎さんのように説明されると、わたしが思っていたことはこういうことだったんだ、と納得しますね。