3月16日追記
多情江山 日本名 皇貴妃の宮廷
清朝の第3代皇帝順治帝(じゅんちてい)(在位1643−1661)名はアイシンギョロ・フリンの宮廷ドラマ。
清が北京に入城したとき皇帝フリンはまだ数え6歳であった。摂政王ドルゴンが権力を握っていた。フリン13歳のとき、ドルゴンの死後に親政を始める。しかし、数え24歳で没した。(北京入城と没年だけは数え年であることを確認した。他も同じだろう)
あまりに若い逝去なので、俗伝では五台山清涼寺で出家したという。鹿鼎記はこの説を採用している。鹿鼎記によって、このドラマの顛末はある程度察することができる。
その第3代皇帝順治帝の22歳から亡くなる24歳までの話。治政は短いものの一応名君と言われている。
康煕帝は8歳で即位したので、順治帝16歳のころの子で第三子。このドラマの初めのころは康煕帝は6歳くらいだが、城外で育てられた。その他にも大勢の子がいるが、順治帝の子に対する情は薄かったようだ。子ばかりでなく、皇貴妃たちに対する情も、董鄂妃以外は薄かったらしい。
その董鄂妃とのラブストーリーだ。
ドラマでは董鄂妃は江南地方(?)の歌姫である。史実は弟の嫁を奪った。
ドンゴ氏(董鄂氏)は死後に孝献皇后となる。子の第四子栄親王は三ヶ月(?)で夭逝している。
順治帝は漢文化を尊重した。そして名品の献上をやめさせたり、官職の合理化を図ったり、質の悪い官僚を追放したりした。庶民の負担の軽減をはかっている。それで名君といわれる。
わたしは鹿鼎記の前章のような感覚で見ている。見始めたばかり、何かあったら加筆訂正をする。
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3月16日追記
この中で孝庄太后(順治帝の母)役の袁詠儀が名演といえよう。動きはほとんどなく、席に座っての発言ばかりだが、このときの顔の表情が素晴らしいのだ。喜んでいるときや悲しんでいるときは誰でもできる。しかし、心では喜んで表情は厳しくとか、知らぬふりをするとか、建前と本音が違うときの複雑な表情が見事に演じ分けられている。
董鄂妃を受け入れながら、臣下の前や後宮では厳しいことを言う。そして双方を納得させる。このあたりの複雑な表情を演じながら、威厳を保っている。
建国の厳しさを知っている故に、特権に溺れる臣下や後宮を常に引き締めているので、董鄂妃に厳しくとも、その行動に頷いてしまう。