四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 9
これで今回の旅は終わる。
8月21日の夕食は薬膳料理だった。
欽善齋はかなり有名らしい。欽善哉の文字の左に乾隆御筆とある。偽筆とは思いませんが…。
このレストランの二階のかなり奥の部屋だった。
中庭である。
いつも我々12人で1卓である。
四川省は薬材の宝庫である。盆地の周辺は高山が連なっている。その高山が緑豊かで、動植物の種類が多い。それで薬材が多い。漢方薬といえば四川省というほど。その中でも青城山は高名だ。
その薬材探しの人が洞窟に入ったらそこはユートピアであり、出てくると数百年も経っていた。という話が多い。逆に神仙が薬売りになって人間世界に来る話もある。四川は古くから中華薬材の集散地としてしられている。
ただし、全国的に有名になったのは宋代になってかららしい。
当然毒薬もある。
(最初の岡崎先生の講義の一部)
武侠では、どんな重傷も薬を付けると一瞬で治ってしまう。着ていた服の穴まで繕われてしまう(^_^)。
これは神仙の技が人間界に流出してしまったからなのだ。
ガイドは、次のようなことを言った。
「昔の人は大変な苦労をしただろう。ある植物のある部分がある病に効く。それを見つけ出すために膨大な実験を繰り返しただろう。毒で死んだ人もいると思う。漢方薬はそんな歴史の積み重ねの上に成り立っている」
薬膳料理はそんな歴史の裏付けのある料理である。
中国には薬食同源(医食同源)という思想がある。
少し違うが、日本のドラマ「みをつくし料理帖」でも医師源斉は「食は人の天なり」と、食事は薬より大事だと言う。「おいしい料理を作れる人はそれだけで貴いのですよ」と。(田郁 原作)
現在中国では中華料理を世界遺産にしようとする運動があるらしい。
岡崎先生はガイドに、「医食同源の考え方を入れるべきだ、それが思想的裏付けとなる」と言う意味の事を言っていた。
さて、料理の実体はどうか。実はわたしにはいつもの料理と区別できない。だから医食同源か。
ここでもほとんどの料理が辛くて食べらない。こんなに辛くしたら毒ではないか、は冗談としても、いくら種類を並べても食べられなければ意味が無い。薬は毒を薄めたものというのがわたしの思想である。この辛さは毒に近い。みんな平気で食べているのが不思議で仕方ない。
まあ、わたしが辛さに対して過剰反応しているンだろうな。
一見無害そうなスープでも、唐辛子とは違う辛さで、むせて吐き出しそうになった。山椒だったらしい。
そんな中でも、なんとか食べられるものを見つけて、それなりに食べている。
たとえばこの銀杏の実は、わたし1人で半分ほど食べてしまった。これだけははっきり憶えている。
わたしはカレーが好きである。カレーはおいしさのある辛さ。だが四川料理の辛さはおいしさのない辛さ。しかも辛さのレベルが違う。でも四川省の人はおいしいと思っているのだろう。
中国に唐辛子か入ったのは17世紀の半ばという。以来400年。これだけ期間があるのだから、薬材との適合性は試されているのだろう。
なお、唐辛子の辛さは舌には痛みと感じられるという。
中国でも、現在は西方が中心である。西方とは私たちが普通に使っている西洋医学である。漢方薬も日方(日本の漢方薬、とは矛盾する言葉だが)の方が信用があるらしい。こうなると、ますます薬材としてより薬膳の材としての意味が重くなりそう。
関西の2人は明日の朝別便で発つ。
今回が皆の集まる最後になる。それで、今回の感想や次回に行きたいところなど、意見を交換した。
わたし自身のことをいえば、体力の衰えを実感じた。20年前までの山登りの体力は夢である。
武侠ファンなお仲間と楽しい旅となりましたね。
四川料理はとてつもなく辛さが特徴なのか、と?
苦手なたくせんさんには食事はお手上げのようでお気の毒でしたね。
お酒などはいかがだったのでしょうか・・・。
なんだって真冬のような寒さですね、急激な気温の変化にはまいりますね。
何度目でしょうか、十回は軽く越えています。
武侠ファンというのは、今でも劇少数派でして、この旅行も、コアになる人が十人ほど。それ以外に何人か来るのですが、今回と前回は十人だけでした。
それでも大幇会は全国から(大げさかな)五十人ほど集まります。
中国の特に江湖世界の集まりは、飲んで食べて騒ぐだけですけどね。だから大幇会の幹事は、それ以外に何を加えようかと苦労しています。
話がそれましたが、とにかく四川料理は唐辛子の激辛なんですよ。酒も今回はビールばかりでした。江南だと紹興酒は欠かせないンですけどねえ。