四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 6
武侯祠(ぶこうし)は、三国志演義の主役諸葛亮を祀る霊廟であるが、武侯祠と称する地域には、武侯祠の他に主君劉備を祀る漢昭烈廟もある。
わたしは諸葛亮といえば、文官のイメージが強く、武官としては無能力だったと思っているので、はじめて諡号が忠武侯と知ったときは意外に思った。
223年つまり劉備の亡くなった年に、劉備の陵墓である恵陵が造営され、劉備の霊廟も造営された。現在のような諸葛亮と劉備を祀る霊廟に整備されたのは明朝の頃であるという。いわゆる完成は清代。
駐車場から、武侯祠の前を入り口まで歩く。
見にくいが、案内図。
入り口は漢昭烈廟の文字がある。劉備は一応漢の皇帝としていたので、国号は漢となる。
漢昭烈廟 劉備像、案内図ではオレンジ色の線に囲まれた右端上下中央あたり。
漢昭烈廟のすぐ後ろに武侯祠がある。
武侯祠 諸葛亮像
霊廟内には関羽・張飛などの蜀漢の武将の塑像が並ぶ。写真はない。
諸葛亮や劉備の塑像と同じで、いずれもが後世の製作。『三国志演義』によって形成されたイメージに基づくもの。
ここはどこだったか。
案内図の武侯祠の左に桂荷楼がある。荷とは蓮のことなのでこの建物と思われる。
ここから劉備の墓の方へ行く。
武侯祠を代表するような道である。この右側が恵陵で丸い。
恵陵つまり劉備の墓の入り口。右側になる。
恵陵は案内図では武侯祠左側、円形をしている。
恵陵の大きさを感じられるであろう。小さいが、皇帝とはいえ地方政権の長に過ぎないので、相当なものか。
未発掘であるという。
頭でっかちな獅子(?)
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夕食後に錦江劇場で川劇を見た。
なんと一番前の席の真ん中あたり。左右には字幕など出るが、わたしの席からは無理。
三英戦呂布・梅花奨・変面。以下説明ぬき。
注目するのは変面である。武侠ファンには張紀中版「笑傲江湖」でおなじみだが、遙かに鮮やかであった。
古い舞台もある。
好(ハオ)、好(ハオ)、と声が飛び交いそうだが、現在は使われていない。
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武侠ファンにとって忘れがたいのは、諸葛孔明の八卦陣である。桃花島は八卦陣で作られているため、老頑童は15年も出ることができなかった。
陸家荘では、穆念慈が楊康を助けようとするが、どうしても近づけない。
黄蓉も赤ん坊の郭襄を八卦陣の囲いで守ろうとした。李莫愁はその囲いが解けない。
などあちこちで諸葛孔明の八卦陣が使われている。
登場しないかと期待していましたが、流石に大物すぎて滅多に見られないようです。
余滄海の変面はちょっと間を空く感じがしましたね。顔が横を向いて、あらためてこちらを向くと変わっているというように。
今回の変面はあっという間で、見事なものだと思いました。見てよかった。
実はわたしは前に一度見たことがあります。あれは雲南旅行の時でした。あるホテルで地方財閥の人が父親の誕生祝いで、特設舞台で変面を演じさせました。周りでは自由に鑑賞できました。
若い女性がくるくる回り、その回転ごとに向こうを向いたとき変えるというもの。一瞬の変化技ではなくて、それで余滄海の変面に違和感はありませんでした。
でも先日の舞台は見事でした。もしかしたら余滄海も変面に専心できたら、あのように鮮やかにやったのでしょうね。