四川省名山の旅−道教・仏教聖地と武侠文化を訪ねて 2
18日、楽山磨崖仏に向かったが、寄り道した。眉山市彭山区で最近発見された江口沉銀遺跡の、今年の1月から始まった発掘現場を、対岸から見ることになった。
岷江、見にくいが真ん中あたりの川の合流地点が発掘現場である。この右の対岸まで行く。
こんな塀が続く。
江口崖墓という、ローカルな遺跡もある。
ようやくこれだけ見えた。
畑を囲っているのか、それとも遺跡を守っているのか。
この地域の中心の通り。真ん中あたりの家は商店である。
商品、紙など。
場違いな感じがする建物。女性の足の長さに見とれて建物は見なかった。
不思議そうにこちらを見つめている。
またバスに乗り楽山市に行く。
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ここから船に乗る。楽山磨崖仏は川に面していて、その川は広いので船でないと近くでみることができない。
この先端あたりに楽山磨崖仏がある。
岷江と大渡河の合流地点なので、水の色がはっきり分かれている。
磨崖仏を陸から見るにはこのコースを登っていく。
楽山大仏は世界最大である。高さは71メートル。東大寺の大仏の5倍ほど。
像高(像本体の長さ) 59.98mと言うので、71mは台座部分も入っているのか。
なお近年さらに大きい仏像(観音像を含む)が立てられている。
ちなみに魯山大仏128メートル、日本では牛久大仏110メートル。
陸からの見学は、上から見るか、あるいは、左の階段をおりて足下から見上げる。そして右手に抜けて階段を登ることになる。
正面から。見上げるために、顔を大きくして見た目のバランスを整えている。
この階段を下りる。
大仏の左右に脇侍がいる。左は形が崩れている。この写真は右側だが、どんな菩薩だろうか。
トンネルを抜け、右に行き、登ることになる。
船からの仏像を堪能したので、一度上陸し、上から大仏を見ることにする。
川沿いの道を歩き、登山口に至る。ここから333段を上り、大仏の頭部に至る。大仏の背後は凌雲寺という寺である。寺域はどれほど広いのか。
この登山道は先ほど川から見た。
最後の33段は一気に上る。途中で休まない。
ここから凌雲寺に入るのだが、それは後からで、まず仏頭を見る。
ここからは自由に観光となる。
大勢の人が並んでいる。ここから大仏の脇を下まで下りるのだ。私たちは上からの見学だけで済ます。
絶壁の階段を下りていく人々。
楽山市は中心市街は超高層ビルの並ぶ都会であった。市域などは何度も変更されているので、具体的な数字はわからない。
海通禅師、大仏建立のための基金集めをした。嘉州郡守が寄付を拒絶し「目を差し出すなら」と無理を言うと、その場で目を抉り出したという。そうまでして資金を集めたのだ。
そのまま山の上に行くと、苑などがあるが、その一画に蘇東坡をたたえる(?)建物があった。
東坡楼
蘇軾は北宋最高の詩人といわれる。東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。眉州眉山(眉山市)の出身である。今ではとなりの市である。
建物の中には蘇東坡像がある。
集合時間になったので、元の場所に戻り凌雲寺に入る。
凌雲寺は混んではいなかったが、この寺の説明は忘れてしまった。
何の像だったか。
凌雲寺を出ると駐車場まで15分という。もちろん歩くことにする。
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ホテルに着いてから散歩に出た。すぐ前は大渡河で雨の後のせいか濁流である。
泳いでいる人がいる。水流が速いので、流されているように見える。
遠くに大仏が見える。
乗り捨て自由のレンタル自転車。ケータイで手続きして使用料を払う。外国人はその支払いシステムへの加入が難しい。
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夕食後、スーパーマーケットに行った。
ばら売りの米の値段だが、500グラム単位、これは1斤相当の量である。
普通の粳米 3元
香米 3元 ジャポニカ米だが南方系。
インディカ米 2.5元
上質な米袋入り 4元
おおよそこの程度、思っていたより高かった。
レンタル自転車業を止めたのか、故障自転車を修理が面倒と放棄したのか。いずれにしても1業者が数十台数百台も放棄する。業者の責任はどうなんだろう。ここにも21世紀と20世紀前半が同居しているように思える。