2017年06月26日

孫子大伝

孫子《兵法》大伝
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 2010年の中国のテレビドラマである。全35話。
 孫子の兵法と言えば作者は孫武と孫臏(ピン)の両名がいる。一般的には孫武を指す。孫臏は“孫臏兵法”と言うことが多い。また孫臏は孫武の子孫と言われている。
 このドラマは孫武の人生を描いた歴史大河ドラマである。
 呉王・僚の暗殺(紀元前515年)から呉国滅亡(紀元前473年)までをえがく。
 孫武については疑問が多く、実在は疑わしい。
 海音寺潮五郎の小説「孫子」は、孫武の材料が少なすぎて書きようがなく、ほとんど創作である。そして「うまく当てはまらないので困った」と言っている。

 兵とは国の大事なり 死生の地 存亡の道 察せざるべからざるなり

 戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり

 斉国の孫武は裏切り者から迫害を受けたため、家族を連れて呉の国をめざして逃亡する。
 季札とともに呉に向かう途中で、呉では王弟闔閭(こうりょ)のクーデターがあった。闔閭の使いが季札を次の呉王にと迎えに来る。必ず辞退すると判っていての、闔閭の腹芸であった。
 季札は辞退し、闔閭が呉王となり、孫武は市井の人となる。
 伍子胥が孫武を見いだし呉王闔閭に推薦する。そして試しに女官たちを軍事教練してみることになる。第4回でここまで。

 この女官たちの軍事教練の話は有名であり、孫武の話には必ず出てくるが、これもかなり怪しい話だ。そしてこれ以外の話はほとんどないのが現状である。
 一応孫武は、紀元前535年?〜没年不詳 と言われている。
前535年 誕生
前515年 斉国を出たのが20歳?。
前506年 楚と呉の戦争は29歳?。(柏挙の戦い)
以後の資料は少ない。
前496年 越王允常が亡くなり、勾践(こうせん)が即位。
 この年、呉越の戦いがある。このドラマでは、孫武はこの呉越の戦いに参戦していない。
同年  戦いの傷で闔閭が死去。孫武は39歳?。
同年  夫差(ふさ)が即位。
 以後「臥薪嘗胆」の故事となる呉越の戦いの時代になる。
 ドラマでは即位の5年後、夫差が越を制圧(史実は前494年)。
 勾践を奴隷とする。ここまで32話。
 二年余りで勾践を放免する。
前484年 伍子胥(ごししょ)死去。
前473年 勾践が呉を滅ぼす。夫差は自害。呉が滅ぶ。
 最後に孫武が、孔子と老子に会う。同時代の人だったのだ。

 この物語でも、孫子が指揮したのは、柏挙の戦いのみで、6万で20万の軍を破った。
 孫子の兵法を理解しない夫差を拒否し、呉越の戦いは参加しない。
 時々、琴を演奏するシーンがある。手の動きと音が一致しているので、安心して見ていられる。
 漪羅(いら、孫武の若夫人)役の景甜が、射G英雄伝の黄蓉役の周迅のイメージに似ていたので、思い入れをもって見てしまった(^_^)。
posted by たくせん(謫仙) at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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