湘西というから洞庭湖の西側あたりであろう。農村で「たん(身+尚)死剣法」なる流派を名乗る農民がいた。
戚長発、歳は50歳に近い。その娘戚芳は17か18歳。そして青年の弟子、主人公の狄雲(てきうん)が20歳くらい。ふたりは恋仲ともいえた。
狄雲と戚芳が稽古をしているとき、荊州(紅陵)から使いが来る。
戚長発の兄弟子、萬震山の誕生祝いの招待であった。全財産ともいえる牛を売り、身なりを整え、荊州(紅陵)に行く。
そこで狄雲たちははめられ、戚長発は行方不明、狄雲は右手の5本の指を切り落とされ牢に繋がれ、戚芳は萬震山の息子萬圭の世話になる。
狄雲が入牢するとき、両方の肩胛骨に穴を開けられ鎖を通される。そして入れられた牢には丁典なる武術の高手がいた。丁典にはスパイかと疑われいじめを受けることになる。
ここの窓から、近くの家の窓の鉢植えの花が、毎日変わるのを見ることができた。
三年後、戚芳は萬圭に嫁ぎ、その知らせが牢に届き、狄雲は自殺する。ところが丁典は生き返らせる技「神照経」を完成させていて、狄雲を助ける。自殺によって疑いが晴れたのだ。
そこで丁典の謎解きによって、萬圭が戚芳を奪うために自分をはめたことを知る。
それから2年、狄雲は丁典から神照経を教わりながら暮らした。その間、何度か丁典には「連城訣」を奪うための刺客が来る。
ある日窓の外に見える鉢植えの花が変わらなかった。そこで丁典は脱獄をする。狄雲もいっしょだ。丁典は今まで何度も、狄雲に判らないように自由に出たり入ったりしていたのだった。丁典は7年狄雲は5年牢にいた。
だが鉢植えの花があった部屋には何もなかった。そして近くの荊州府知事の屋敷に行くと、知事の娘の棺があった。そこで丁典は棺にさわり泣き伏す。
この棺には毒が塗ってあり、丁典は命を落とす。いまわの際に丁典が言った衝撃の事実。
15年前、四川から下って、三峡を過ぎて、三斗坪でのこと。
3人が1人の老人を攻めていた。萬震山・言達平・戚長発が、師父梅念笙を殺そうとしていた。目的は連城剣譜。
戚長発が背中から不意打ち。梅念笙は剣譜を奪われ、長江に飛び込みなんとか逃れたものの、傷は深くて絶命する。そのおり丁典に神照経と連城訣(という書類)を託す。だか託された連城訣は連城剣法の剣訣ではなかった。
剣譜は剣訣がなくては役に立たない。丁典は梅念笙の墓を建てたため、剣訣が欲しい連中に狙われる。
しかも連城訣は、梁の元帝の財宝のありかを示すとも言われていた。
丁典は知事の娘と恋仲になったが、財宝ほしさの知事にはめられ獄に繋がれる。それが7年前だった。
狄雲が丁典の遺体を背負って逃げ込んだのは萬圭と戚芳の屋敷の農作業の小屋だった。
「空心菜」と呼ぶ戚芳の声。空心菜は田舎にいたとき戚芳が狄雲をいう言葉だった。戚芳はなんと生まれた娘に空心菜という名を付けたのだった。
狄雲は萬圭に殺されそうになり、気がついたときは舟で流されていた。途中食物を手に入れようとしたとき、チベット僧と関わり合いとなり、舟で逃げる。結局は捕まり、食われそうになるが、チベット僧は丁典の毒に当たり死ぬ。毒に当たった丁典を食った鼠をチベット僧が食ったためだ。
丁典を荼毘に付し、田舎へ帰ろうとすると途中でトラブルに会う。
その土地の侠客水岱の娘水笙と弟子汪嘯風のふたりに、チベット僧と間違われ、足を折られ殺されそうになる。危ういところを、チベット僧の長である血刀老祖に救われる。門弟だと思われたのだ。水笙を掠い3人で馬で逃げることになる。
水岱たちの追跡は20日以上に及んだ。チベットの近く大雪山脈にいたり山の斜面で雪崩に遭う。
雪崩は谷の入り口を塞ぎ、狄雲・血刀老祖・水笙の三人は雪に閉じこめられる。
第二巻 雪華舞う谷
南四奇と言われる水岱たち四人も助かり、谷に姿を見せる。そこで血刀老祖と四人の戦いが始まり、花鐵幹を残して三人が血刀老祖に殺される。
狄雲は苦しんでいる水岱に頼まれとどめを刺したため、血刀老祖に首を絞められる。この瞬間に神照経の二脈が通り、気力が充実して、内力の消耗した血刀老祖を一蹴りで殺してしまう。
狄雲・水笙・花鐵幹が生き残った。
英雄といわれた花鐵幹がここにいたって、あまりにも卑劣なため、水笙は愛想が尽きた。
水岱の死体を食おうとする花鐵幹と止めさせようとする狄雲が争い、花鐵幹は逃げて隠れてしまう。
水笙は父の親友の花鐵幹こそ敵で、狄雲は味方と認識した。
この後は狄雲と花鐵幹が争い、その間に少しづつ水笙の心は狄雲に傾いていく。
そして春になり雪が融けて、救援の人たちが入れるようになった。花鐵幹はいつの間にか脱出して救援の人たちといっしょに来るが、自分の蛮行・愚行が知られるのを恐れて、水笙と狄雲の悪評を散々に振りまいておく。
婚約者ともいえる汪嘯風さえ、水笙を信用しない。
狄雲は湘西に帰ると家は壊され代わりに大きな家が建ち、言達平が連城剣譜を探していた。
そこへ萬震山たちも探しに来て争う。萬圭が毒蠍にさされたりする。
この争いを見ていた狄雲は、師父の教えが出鱈目で騙されたことを知る。そして言達平を助けることにより解毒薬をもらう。
戚芳は狄雲から解毒薬をもらって、萬圭を助けようとするが、萬震山たちの振る舞いなどから、過去の経緯を知ることになる。そして萬圭に殺されることになる。なお、あの日、戚長発は生きていて、萬震山の屋敷を脱出していた。
萬震山・言達平・戚長発は連城訣の謎を解決する。謎は唐詩を利用するものであった。
三人は財宝を目前にするが、戚長発は言達平と萬震山を殺し財宝を手にする。そこへ汪嘯風や花鐵幹まで現れ財宝を争うが、財宝には毒が混じっており、手にしたものたちは全部死んでしまう。
狄雲は残された空心菜を連れて雪の谷に戻る。そこには少女がいた。
満面に嬉しげな笑みを浮かべ、狄雲に向かって駆け寄ってくると、水笙は叫んだ。
「ずっとあなたを待っていたの。あなたは絶対戻ってくるって、わかっていたから」
私はまだ本のほうは読んでいないのですが、ただいま放送中のネコも中々リアルタイムで見ることが出来ません。
そこで、レンタルを借りてきました。でも、実を言うと大陸版のVCDで全巻を見たことが有るのです。
ネコと、レンタル版の内容は、だいぶ編集されていて、中国版の映像ではもう少し、丁典のロマンスの話、そして連城訣の財宝をめぐる欲の深い人々の話(茶屋の夫婦)などのエピソード、そして狄雲が頭の毛を毟って坊主になるシーンとかがカットされています。
また、やはり映像化には難しかったのが、本の中で指を切られるシーンは、どちらにもありませんでした。
私も、文庫本を手に入れましたので、今読んでいる「碧血剣」が終わったら読もうと思ってます。
かなり前に読んでいたのですが、今回もう一度読み返しました。細かいことはほとんど忘れていました。連城訣とは何か、なんて事まで忘れていて、なんとか忘れないように書いて見ました。
中国版とネコの内容が違うことは知っていましたが、レンタルDVDはネコと同じなんですか。
ネコでは指はそのままだったと聞きましたが、間違いではなくて、指は切られなかったんですね。切られたことにすると後の撮影が難しくなりそう。でも指があると狄雲の悲惨さは半減しますねえ。
神?G侠侶の楊過も右手は黒くして撮影し後で消しています。指では難しいんだろうな。
都会ではといいますが、わたしの近所ではレンタルできません。おそらく電車に乗って少し遠くまで行けばあると思うのですが、そこまではなかなかしませんよね、ふつう。
xihuanさんは関西なんです。関西のほうがこういう話に熱心なのかな。
梅念笙が弟子たちに襲われ、長江に飛び込んで逃げますね。そして連城訣を丁典に託す。その時連城訣は濡れていたので、数字も見えたはず、丁典はこの時見たのでしょう。意味も伝わったかも知れません。
凌霜華はいつ教わったのか、こちらの方が疑問ですね。でもまあ…、遠くて近いものですから、公開していない事もあったと思っています(^_^)。
あまり原作から離れると、原作を読んでも意味が判らなくなりますよね。
笑傲江湖では、ラスト近くを大きく変えたため、金庸先生の怒りを買い、次回からは変えませんと約束させられたとか。ただ連城訣は張紀中ではないので、変えてしまったのか。
いずれにしても、わたしは買ってまで見る気はなく、レンタルがあったら見ることにします(^。^))。
小説には出てこないシーンが多々ありますが、血刀老祖の弟子に毒ねずみを食わせて殺すシーンとか、水笙と出会うあたりは小説のカバーになってます。でも・・やはり違うなぁ・・・狄雲の視点で書いてある小説と娯楽性を求めるドラマでは表現が異なるのは仕方ないかな・・
他のHPでも血刀老祖が人気ありますね。確かに神Gの金輪国王や射Gの欧陽鋒より悪に徹した・・狡猾さは無い・・本当のワルですね。身内の面倒を見るし、梅念笙の弟子、萬震山・言達平・戚長発や役人よりまともに思えます。
小説では、「血刀老祖の弟子が毒ねずみを食って」死ぬんでしたね。こういう細かいところも変わっているのかな。
特に視点のずれは印象が一変します。
動物もので、豹の子育てを見ていると、今日も餌が捕れて良かったね。
ヌーの移動を見ていると、子どもが豹に襲われた、わーかわいそう。
同じように事はあちこちにありますから。
血刀老祖は善悪の判断が中華の民とは異なる。だから悪を働いているという意識はないようです。仲間内の信義には厚いのがなんかおかしいかな。
日本人の場合は外から見られるので、冷静に判断できるからでしょうか。人気があるというのは微妙ですが(^_^)。
どこもかしこも悪人だらけですからね。
4話なら半分以上来ているが、ここまでくると小説にないエピソードを挟む余地が少なくなって、短くても済むか。
血刀一族の悪事は「女を強姦して殺した」話ばかり出てきますが、単なる悪事と言うより何らかの目的があってやっているのではとかんぐっちゃいます。<ドラマは氷から飛び出して暴れまくるぞとかいってますが・・・
今週はいよいよ雪山シーンです。ちょっと楽しみですね。
原作のドラマは、まず血刀老祖の弟子と出会うシーン、船着場みたいな所でご飯を食べてる狄雲の所へ血刀老祖の弟子がやって来て自分も食べさせろ(このシーンは放送でも有りました)そして、古寺のシーンで狄雲はお尋ね者と気が疲れては困るので、自分で自分の髪の毛を引っこ抜くシーンが有るんです(痛そう)
丁典に連城訣の数字を、亡くなる前の最後の力を振り絞って、剣で空中に数字を書きながら伝承するシーンが有ったような気がします。
それと、三十三話の話の中には、欲の深いお茶屋の夫婦が登場しますが、レンタルでは最後まで登場しませんでした。このお茶の夫婦がちょっとした香辛料の役目を果たしているのですが、日本版ではカットになっていて残念です。
今週はいよいよ、雪山のシーンですね〜
わたしが言いたかったのは、小説では、血刀老祖の弟子が毒の鼠を食ったことを狄雲は知らなかったということ。後で理解するんですね。「毒鼠を食わせて…」とは思っていなかった。
血刀一族の悪事の目的、なんでしょうね、これは不思議(^。^))。いわれてみると小説でもはっきりしません。そもそも出家僧が女の問題ばかりというのもおかしい。
「天龍八部」でも判るように、金庸老師は仏教を初めとする宗教問題に造詣が深い。出鱈目に書いたわけではないはずです。
雪山のシーンは実際に高山に行って撮影したと言います。スタジオではないので、迫力あるシーンになりそう。
33話をかなりカットして編集し直してレンタル版にし、更に編集してテレビ版という事でしょうか。
自分で自分の髪の毛を引っこ抜くのは、小説通りですね。その後また生えてきますが、切ったならともかく、引っこ抜いたら、また生えてくるんだろうか。小説での疑問(^_^)。髪の毛ばかりでなく髭も抜くんでしたね。考えただけでも痛そう。絆創膏を剥がしたときのことを思い出すなあ。
>丁典に連城訣の数字を…、というと「梅念笙から丁典に」ということですか?
何もそんな無理をしなくても…(^。^))。でもそれで疑問は解決しますけどねえ。
欲の深いお茶屋の夫婦、これもおそらく原作(小説)にはないシーンでしょう。
原作にない部分をカットしたということは、編集者は原作小説を読んでいる証拠ですね。ドラマを作っている人が読んでいるかどうか疑問なのに(^。^))。
髪の毛を抜くシーンは是非見たいですね!小説ではいかにも痛そうで、どんな頭になるのか想像出来ませんでした。ドラマの水笙一行と出会うシーンではちゃんとした坊さん姿でちょっとがっかり・・今までの狄雲で一番凛々しいぐらいでした。それにしても水笙さんが血刀一族だと騒がなければお父さんや仲間が死ぬ事も、婚約者が死ぬ事も無かったのに・・でもおかげで狄雲は武芸を身に付け、水笙さんと結ばれるんだからいいか・・
第一話か2話に丁典が梅念笙から最後に書物を受け取ったシーンを思い出しました。あの時はまだ原作読んでないので武芸の何かを教わったのかと思ってました。・・さて、梅雨の北関東明日の電波状況はどうでしょか?うまく録画できるといいのですが・・・
水笙さんはそれによって不幸が重なりますが、同時にまわりの男たちの真の姿を見ることができた。よかったかも知れませんよ。江湖世界のくだらなさを知ったことは間違いなくよかった。
書物を受け取ったとき、まだその書物の重要性が判っていませんから、何気なく見てしまいますよね。後で言われて気がつく。
本では重要だと判ってから出てくるシーンなので、細かく読んでしまいます。
本因坊戦の封じ手クイズに当選して頂くことになった、ご当地のお土産が、昨日届きました。越後の「へぎそば」(^。^))。
「へぎそば」美味しそうですね(⌒┐⌒)
さて、本の中にも無い「お茶のご夫婦のシーン」ですが、ドラマの作り手の方は、彼らを通じて人間の欲の部分を表現したかったんじゃないかと思います。最後の方で、二人は連城訣の財宝の有るところへと向かうのですが(女将さんがロバに乗って、旦那が綱を引く)途中で李白のような詩人と出会います。この詩人は待ち人たちの狂ったような欲のぶつかり合いを涼しい顔で眺めるシーンも有ります(このシーン日本向けではカットされていますが、この先のお話の一部分なので今は此処での詳細は止めておきますね)
毒鼠のシーンは、狄雲は血刀門の弟子が死んでから、自分が食べようとしたと気がつきます。丁典が死んでも彼を助けてくれたのだと感謝するんですよね。 弟子は食べてすぐ毒に中らず水の中で死んだのは、丁典が毒に犯された時の狄雲との会話を思い出してください。
「水で洗い流そう」と狄雲が言った時、丁典が言った言葉を思い出しました。
碧血剣の再読が終わったら、「連城訣」を読もうと思っています。また、会話のお仲間に入れてくださいね♪
美味しかったですよ(^。^))。
人間の欲、そうですね、江湖の人間の実体は……、と何度も書きましたが、普通の人だって、そうきれい事を言える立場ではない。でも傾向の問題ですから、多くの善良な人もいる。それが李白のような人でしょう。そのシーンがカットされたのは惜しいですね。李白といえば詩の謫仙。わたしも大変な名前を引き継ぎました(^_^)。
丁典は棺に触って死んだ。つまり体の表面から毒が回った。それを長い時間担いでいた狄雲はなんともない。丁典の肉を食った鼠が死んで、それを食べた血刀門の弟子は体の中から毒が回った。それが水の中に入ったころでしょう。
「水で洗い流そう」と言うのは表面に毒が付いたから。ちょっと事情が違うと思います。だから狄雲がなんともないのは矛盾を感じますね。どこかわたしの解釈に間違いがありそう。
金庸先生は不思議な毒を次々と考え出すものです。日本の切腹が中国では毒殺であった故でしょうか。「毒を賜る」、上から下まで、毒について考える機会が多いと思います。
さて、連城訣第五話を観ました。雪山のシーンです。ろくな防寒具を持たない狄雲達はどうやって凍えないのか不思議です・・・あまりにも軽装備でどうやって一月余りを過ごすのか・・やはり内力でしょうか?・・雪山に閉じ込められるという発想がなんともすごいですね!血刀老祖が雪の中で戦うシーンはちょっと***でした。いくらアスピリンスノーだってあんな事はできない。狄雲が血刀老祖を蹴り殺すシーンは、>この瞬間に神照経の二脈が通り、気力が充実して、・・が顔が赤くなるだけでちょっとがっかりでした。さぁあと2話ですね!このドラマは結構面白かったですね。小説にないシーンがこれから出てくるらしいので楽しみです!ところで、NECOの次回作は古龍さんの大旗英雄伝だそうです。笑傲江湖をもう一度やってほしいですねぇ・・
それに、別のWEB情報だと水笙さんは実家に帰ると使用人まで殺されて自分もリンチにあいそうになり自殺する。そこへたまたまやってきた狄雲に救われる・・・ところが水笙さんすぐに首をくくって・・あっというまに花鐵幹を倒して・・WEB情報知らなかったら???でした。いよいよ最終話です。もう観ない方がいいかな・・でも観たいな・・
コメントがあったときメールが来るのですが、ネットのトラブルで来なかったようです。
なんかかなり原作にない話が付け加えられているようです。
ふたりがいたのは雪の洞窟ですよね。冷蔵庫の中のようですが、風を防いだりするので雪の保温効果があって、けっこう暖かいようです。暖かいと言っても気温は零度以下でしょう。
有名なイヌイットの氷の家は暑く感じるほどだそうですよ。雪山の登山派は、雪を布団にして寝ています。
そんなわけで、雪の中で過ごすことは、疑問を感じませんでした。わたしには無理だなあ。(^。^))。
水笙さんは、天龍八部で天山童姥を演じた俳優さんだとか。
血刀老祖は、天龍八部で悪貫満盈を演じた俳優。
写真を見ましたが、なるほど(^_^)。
武侠ドラマはそんなことも楽しんじゃいますね。
この物語は感動のラストでしょう。見ない手はありません。
それにしても江湖世界をひとりで生きていくのは大変。水笙さん、がんばって。もう少しでガンバリが報われるからね(^。^))。
さて、連声訣最終話を観ました。またおせっかいなシステムの為に日曜に再録画・・天気が悪いので直接観てしまいました。水笙さんが中途半端に絡んでまして、一番わかりにくい内容でした。(私にとってですが・・)恐らく大陸版では原作に無い部分のフォローがあったのでしょうが、日本語版ではカットされすぎて・・・他のWEB情報ではドラマ(大陸版)の方がわかりやすくて面白いとのことですが、カット無しの日本語版を観たかったですね。狄雲が萬圭を直接殺すシーンがあるけど、確か狄雲は手を下す事は無かったですよね・・強くなればなるほど冷静に相手の武芸を評価したり<もうすでに達観した境地に到達してますから、全てが空しく思えちゃう。
全てを失い・・というより捨て去って、空芯菜を連れて雪山に行った先で水笙さんと出会う・・この方がいいですねぇ・・ドラマでは雪山に空芯菜と水笙さんがいて、狄雲が馬で駆けつけるシーンでENDでした。これじゃぁ訳がわからない・・・でも、射Gや神Gにない展開でまぁ面白かったです。
だから感動ですよね。
事前に知っていた。約束して待っていたのでは、まるで意味が違う。
ここだけは変えないで欲しかったシーンですねえ。
大陸の人と、香港の金庸さんとの感性の違いでしょうか。
ノーカットの日本語版見てみたいものです。
神Gや射Gは対外民族との争いがからんでいますが、こちらは、人々の心の鬼との対話・戦いみたいな話ですのでイメージは違うことでしょう。
原作にない水笙がからむシーンは、これで判りやすいという人もいますね。
もともと狄雲の視点で書かれたので、狄雲のからまないシーンはなかったのを、判りにくいから説明のために入れた可能性もあります。
これは見ていないので、あるかも知れないという意味です。
地震の被災地は雨も重なり、苦労していると察します。
三年前の地震の時は、越後湯沢にいたので、現地で経験しました。鉄道が止まってしまったりして大変でした。
今回は鉄道は動いていますが、別な苦労があることでしょう。早く回復することを祈ることしかできません。