2016年09月04日

聖府(孔府)

岡崎由美先生と行く
水滸伝の舞台と世界遺産「曲阜・泰山」を訪ねる旅 4
聖府(孔府)

 聖府は孔家の住まいである。孔子の直系子孫とその家族が住んでいた。
 最初は1038年に建設されたが、至聖廟のように何度も拡大再建されている。
 1889年に今の規模になっている。建物数152、部屋数480という。
 第76代孔令貽はここで生活していたが、第77代の孔徳成は、1949年に中華人民共和国が成立すると、台湾に移住してしまった(2008年10月に亡くなっている)。現在は観光地として一般に公開されている。

 なお孔家の第76代は孔令○という名になる。第77代は孔徳○である。令・徳は昔から決められていて、輩行字(はいこうじ)という。
 下はウィキにあったもの。検証はしていない。

第56〜65代 :希言公彦承 宏闻贞尚衍
第66〜75代 :兴毓传继广 昭宪庆繁祥
第76〜85代 :令コ维垂佑 钦绍念显扬
第86〜95代 :建道敦安定 懋修肇彝常
第96〜105代:裕文焕景瑞 永锡世绪昌


P8207752.JPG
 闕里街を北に行くと、孔府入り口にいく。
 この両側の塀の中は、左が至聖廟、右は闕里賓舎である。

P8207753.JPG
 右に曲がって入り口。

P8207755.JPG
 大門である。

P8207754.JPG    P8207756.JPG
 門の両脇にあった。

P8207759.JPG
 廟ほどの規模はなく、私生活の場なので見るべき物は少なく、写真も少ない。調べてもはっきりせず、大門から入ったものの、どこを通ったのか判らない。
 こんなに建物があったとは。もっとも建物数152というので、当然だが、ほとんどは見ていないことになる。

P8207757.JPG
 聖府の文字は新しそう。

P8207758.JPG
 皇帝用の門である。ネットでは皇帝の使者が通ったという説がある。

P8207761.JPG
 ここの中心となる堂である。修理中であった。いわゆる裁判所のよう建物である。孔家は治外法権があって、孔家の判断には皇帝さえ異議を挟まなかったという。

P8207762.JPG
 六代含飴、乾隆帝の筆による。この乾隆帝にちなんだ飴を売っていたが、あまりおいしいというものではない。

P8207763.JPG

2017.2.3.355.jpg
 ここから水を流して、奥で受け取る。

 この右はいわゆる奥で、女性が住むところ。風水の判断から、奥では井戸を掘ることができず、ここから水を流し、中で受け止める。互いに顔を合わせないように水路は曲がっている、短い短い水道であった。

P8207765.JPG
 奥に通じる通りは、このように狭く、大きな物を持ち出せないようになっていた。

P8207766.JPG
 前堂楼
 76代孔令貽と夫人陶氏などの説明だ。ここに住んでいた。
 普通の部屋に、夫人陶氏の写真がチラッと見えた。

P8207767.JPG
 出口から北へ抜ける。
 この右の庭園は、ここに嫁いだ乾隆帝の娘のために造られた。

P8207768.JPG
 銘座杏壇賓舘
 至聖廟と聖府の見学を終えて昼食である。正面には孔子像。
 この町のほとんどの人は孔子に関連した仕事をしている。

P8207769.JPG

P8207772.JPG
 部屋の壁に書かれていた。かなり大きい。

P8207770.JPG
 曲阜は春秋時代は魯の国であった。始祖は周公旦(しゅうこうたん)。小さな国だが格式は高い。現在は魯は山東省を示す。その魯の地ビールである。
posted by たくせん(謫仙) at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/441537801
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック