開祖の林朝英は全真教の開祖王重陽に恋していた。
古墓はもと王重陽の住まいだった。林朝英は王重陽が古墓に住んでいたとき、武芸の挑戦をして勝ち、古墓に住むことになる。本来は一緒に住むつもりだったようだが、王重陽は古墓を出て道観を建てた。重陽宮の始まりである。
林朝英には侍女がひとりいた。侍女は林朝英より十歳くらい歳下で、十年あまり一緒に過ごした。林朝英の死後も二代目当主にならず、侍女の身分のままでいた。林朝英が亡くなったのは第一次華山論剣の13年前である。
☆印は確認できるもの。その他は推定。( )内は楊過の年齢
0☆ 古墓に住んでから十年以上たち開祖死去。
侍女はひとり取り残されたことになる。侍女は古墓派の技を身につけている。
13☆ 第一次華山論剣 全真教の開祖王重陽は第一位となる。
34 重陽宮に捨てられていた赤ん坊を預かる。これが小龍女だ。孫ばあやが育てる。
孫ばあやが古墓に入ったのはいつか判らないが、開祖の侍女(つまり小龍女の師父)の下女であった。弟子ではない。
38☆ 楊過生まれる。
38☆ 第二次華山論剣
38☆ 論剣が済んでから、郭靖と黄蓉が結婚。
何年かして郭芙生まれる。(結婚して数ヶ月後から、さらに何年かして懐妊、生まれたのは少なくても3年後であろう。4年後と考えるのが妥当か、5年後となると離れすぎ)
40(2) このころ、李莫愁は大理で陸展元に恋をして、自ら椿の刺繍をしたハンカチを陸展元に与えている。椿は大理を象徴する花だ。このころは手弱女(たおやめ)と表現されている。
41(3) 陸展元は李莫愁を捨てて何ゲン君と結婚。李莫愁は20歳くらい。
41(3)? 李莫愁、出家して古墓派の弟子になる。振られて間もなくであろう。開祖の侍女が師父。
41(3)? 小龍女、2番目の弟子となる。
42(4) 郭芙生まれる。
44(6)? 李莫愁、古墓を出る(追い出される)。
−李莫愁が世間で問題を起こす。全真教で対策を考える。そして、何年か過ぎる−
48(10) 侍女が亡くなる。小龍女14歳。
49(11) 穆念慈(楊過の母)病死。
51(13) 陸家荘の惨事が起こる。郭芙9歳 李莫愁30歳を超えるくらい。
楊過、桃花島に行く。その後重陽宮に行き、全真教の弟子となる。
52(14) 小龍女十八歳の誕生日(捨て子なので、拾われた日であろうか)、古墓派第二代の当主となる。
52(14)☆ 楊過古墓派の弟子となる。重陽宮には半年ほど。
54(16)☆ 李莫愁に古墓を襲われ、古墓から出る。
56(18) 最初の別れ。
56(18)☆ 楊過が小龍女を探し歩いて、陸無双と出会う。陸無双は李莫愁の下を逃げ出してきたところだった。また耶律楚材親子と出会う。
57(19) 楊過と小龍女は英雄大会で再会し、二度目の別れがある。そして絶情谷で会う。
58(20) 襄陽城の戦い。郭襄たち生まれる。三度目の別離16年間。
この時、郭芙16歳、楊過20歳、小龍女25歳、李莫愁37歳。
74(36)☆ 郭襄16歳の誕生日、再び襄陽城の戦いが起こる。
ずれるかも知れないが、ずれても1年であろう。
こう見てみると李莫愁が古墓にいた期間は意外に短い。追い出されてから、問題を起こし対策を考えたりしてそれから何年か過ぎる、というから最低でも3年以上過ぎたであろう。一応、4年と想定した。追い出されてから、独自の修行をしたのだろう。陸展元が結婚して間もなく、李莫愁は凄腕だと言っているところをみると、古墓に入る(出家)前からかなりの腕だった可能性もある。
李莫愁と小龍女が姉妹の弟子として修行したのは3年ほどということになる。小龍女が7歳から10歳のころ。案外短い。
楊過と郭芙の年齢差が問題だが、4歳くらい。
楊過が古墓に入って2年後16歳とあるので、入ったときは14歳。楊過が桃花島にいた期間は三ヶ月+数ヶ月、半年くらいであろうか。(同じ時期に、武兄弟が郭靖に教わったのが、一年半という記述もある。矛盾しているが、三ヶ月+数ヶ月のほうが計算に合う)
また全真教に入ってから逃げ出すまでは半年ほど。
この表を作ってみて、スッキリしました(^。^))。なお姉妹は入門順で年齢は無関係です。
古墓派は50年間ほど、当主なしだったんですね。
新スレッド待ってました。小説の方は3巻目を今日ぐらいに読み終わります。絶情谷から襄陽城に舞台は変わり郭襄ちゃんが生まれたあたりです。このスレッドを見て李獏愁の年齢が気になりました。郭靖より下だけど、30歳以上でしょうか?・・郭襄ちゃんが生まれた頃・・そんな訳ないか・・陸夫妻が襲われたときから10年は経ってる。その前の10年は手を出さない約束で、恋愛をする乙女でしょうから16歳以上だとすると・・16+10+10=36歳以上ひょっとすると40?・・郭靖と同じぐらいでしょうか?もっとがんばって読めばドラマに間に合うかな・・ではまた
東京も冬に戻ったような寒さでしたが、今日からようやく春らしくなるようです。
陸夫妻が襲われたとき、李莫愁は30歳くらいと思われます。陸展元の結婚式では20歳くらいとありますね。
それで小龍女18歳の時、つまり郭靖たちが重陽宮に行ったときは、31歳か32歳。この時楊過は13歳くらい。
楊過が腕を切り落とされるのは20歳くらいかな。郭芙は16歳だったと思うが?
というわけで、現在(いつだ?)、李莫愁は37歳か38歳。黄蓉や郭靖とほとんど同じ歳なんですねえ。
年表にこのあたりまで追加しておこう。(^_^)。
なお、このブログの射G英雄伝では、わたしは数え年と勘違いして、年齢を間違えていますm(__)m。
これほどのドラマより、小説は優れていることから、金庸小説の凄さが感じられます。
李莫愁は二十歳くらいに見えたというから、美女の年齢は判らないものです(^_^)。
武侠に限らず、中国の小説では庶民は人権がほとんどありませんね。戦場における兵士と同じで消耗品扱い。
だからいい世の中といっても、人権のある人、つまり官にとってのいい世の中で、庶民は問題外だったりします。
この宋の時代は、庶民に目が向いた珍しい時代でしょう。それでも基本は官ですから。
武侠小説は庶民から見た世の中で、権力の代わりに格闘力が支配する。その力の使い方が庶民に向いたとき、俗に言う「虫けら同然」になってしまう。
ところで、李莫愁姉さんが誰かに触れると毒が回って死んでしまう。李莫愁はどうして死なない? 李莫愁が触ったものを誰かが触っても何ともないのはどうして? (^。^))。
毒にしても薬にしても猛がつきますね。無双も骨折が瞬間に治ってしまったり。とにかく極端です(^_^)。
公孫止は不思議な存在。(登場人物は誰もが不思議な存在だが)
絶情谷という桃源郷に住んでいて、武林の絶技も持っていて、それなのに陰険腹黒助平親父。
あの大建築物を造るだけの経済力があり、大勢の若者を育てながら、誰も存在を知らないという(^。^))。
いったいどこにあるのでしょう。小龍女が流されて行くので下流ということになるのだが、上流の山の中のイメージですね。
風陵の渡して郭襄たちが足止めを食らうのも、仕方ない。
けっこう読み落としていますね。
ところで、確か前作「射G英雄伝」では瑛姑と周伯通が子供についてほんの少しですが語り合うシーンがありましたが、この小説では周伯通はまだ子供の事を話してない事になってます。5巻目は16年後ですが、お二人の年齢とか考えるとちょっと無理があるなぁ・・まぁいいか・・あの力ですね・・多分・・ではまた。
李莫愁が死ぬ前に、弟子の洪凌波を犠牲にするシーン、あのときの洪凌波の顔は恐ろしかったですねえ。
李莫愁は1人を生涯思い続けた女ですから、本来なら、しんみりしていいところなんですが……。
前作の瑛姑と周伯通では、第二次華山論剣のときでしたか、会って、周伯通に子どものつむじはいくつだと訊かれて瑛姑が呆然としてしまう。そんなシーンがありましたね。
今回は知らなかったとして、同じことを訊く。
別な本として許されるでしょう。
この時、周伯通はおよそ105歳。瑛姑は判りませんが90歳以上かなあ(^_^)。
襄陽の戦いまで読んじゃいました。金輪国王はまだ生きてるのかな?ページが少し残ってるのが気になります。周伯通・瑛姑共にお達者で黄薬師や一灯大師も大群を率いて大活躍でした。<お歳を感じさせないのはやはりあのパワーでしょうか?これからの高齢化社会を思うと1/1000でも身に付けたいですが・・・凡人には無理でしょうね・・・このHP(BLOG?)がご縁で金庸さんの本をはじめて読みましたが、人間関係の程好い係わり方と沢山出てくる割には前後関係(?)がはっきりしていて、読み返して納得したり読者の点穴(?)をつきますねぇ・・司馬遼太郎さん(それ程読んだわけじゃないのですが・・)よりも陳舜臣さんの作品に同様の感触があります。もう20年以上前ですが、東南アジアの某国に技術者として数年暮した事があります。そのとき陳舜臣の三国志にはまりまして、日本で買う2倍以上の値段で全部読みきりました。こちらは例の力は出てこないで科学的(?)な解釈でしたが・・・
二回目16年後の襄陽城の戦いですね。実はドラマを見るとがっかりします。だれもが物足りないといいます。皆さんの活躍ぶりが物足りない。
それと同じですが、わたし的には神Gの扱い方が問題。郭襄が高い台に縛られていて、それを助ける肝腎のシーンがありますね。神Gが飛べないなら仕方ないが、飛べるんならそんな苦労はしなくて済んだはず(^。^))。
金庸小説は個性がはっきりしていて、技の名や流派も独特で、それと関連して覚えているので、たとえ個人名は忘れてしまってもあの人のことと判ります。わたしは何度も繰り返して読んでいますが、三度目でもまだ夢中になってしまいますね。
陳舜臣さんの三国志とは「秘本三国志」でしょうか。諸葛孔明と司馬仲達が、五丈原で八百長の戦をする話。
陳舜臣は人物を丁寧に説明するので、覚えやすいのかな。
ところで瑛姑なんですが、あの話は崋山論剣の前なので61年前、当時25歳とすれば86歳というところでしょうか。
一応読了しました。先に読んであとからドラマと読合せしようかと思ってます。そうですね!もし神Gが飛べるなら何てこと無い・・小説では白鷲が死んでしまった事を残念がってますからね。郭襄が谷の底からGに助けられたというあらすじを何処かで読んだとき、きっと神Gが飛び込んで泳いで助けたのかと勝手に想像してました。最後に「九陽真経」と少林寺のお坊さんが出てきますが、この続きは日本語訳されてるんでしょうか?なんか引っ張られるなぁ・・・そう言えばドラマの射G英雄伝の最終話は郭靖と黄容が二人で桃花島へ旅立つシーンで終わりました。もう1週あるのかと期待しましたけど・・それがエンディングでした。・・ではまた
この先は倚天屠龍記に続きます。
が、続くと言っても全然別な物語です。???
三年後、郭襄が楊過を捜して江湖をさまよいます。その時、少林寺へ行き張三豊に再会します。そのことは倚天屠龍記の碁http://takusen2.seesaa.net/article/36477255.html にちょっと書きました。ところがそれから張三豊の九十歳の誕生日をめぐる話になり、今までとは関係のない物語になります。
張紀中は今のところ倚天屠龍記を作る気が無いようです。だから神G侠侶のラストをカットしてしまいました。
一応、これで射G三部作となっていますが、独立した物語と考えたほうがよさそうです。
十六年後の絶情谷の話でも空を飛べる神Gがいれば簡単に問題が解決しそうですが、その肝腎なときにいない。李莫愁姉さんの最後も、あのくらい簡単に飛び越えられるはず。ドラマにするにあたって、力を大げさにしたための矛盾でしょう。
わたしはいま第三巻を読んでいます。絶情谷にはドラマでは川を流されて行きますが、小説では川の上流ですね。それでガッテンガッテン。下流ではありえない状況だと思いました。緑萼たちが周伯通を捕まえるのも自然ですね。周伯通を追いかけて来たのですから。ドラマはありえない偶然です。
どうしてもわたしは欠点に目がいってしまいます。若いころ「珊瑚礁のかなたに」?という映画をみて、ある女性にその話をしたところ、「素直に楽しめない人なのね」と言われました(^。^))(^。^))。
郭襄の飲み方は、無理して飲んでいるようで、あまり美味しそうには思えませんね。襄陽城の状況を考えると、毎日酒を飲んでいる状況ではないと思うのですが。小東邪の面目躍如。
あの天才お蓉ちゃんも子育てだけは落第です。桃花島では郭靖・黄蓉・郭芙と聾唖の召使いだけの生活なので郭靖も責任はあるのですが、黄蓉の責任が大。
下の子どもたちは襄陽育ちなので、まわりの影響もあって、普通に育ちましたね。黄蓉は酒好きではないので、魯有脚などの影響が大きいのかな。
十六年たって変わったのは郭襄と楊過だけ(^。^))。
瑛姑は同じ俳優です。もう85歳は超えていると思うのにまるで二十代の肌のつや。それにしても、よくあんな所でひとりで生活できるもの。
いよいよ最期の襄陽城の戦いですね。
これに関して、郭襄が櫓の上の十字架に縛られているシーンがありますが、その絵を「金庸の世界」に載せました。ドラマでは、即席の櫓とは思えないほどの造り。見比べてください。
ところで、風陵の渡しのところで、郭襄たちが川止めになる記述に間違いがありました。訂正しました。
郭襄たちは晋陽にいる丘処機に会いに行ったのでしたね。その帰りに川止めになります。