2007年02月05日

漂泊のヒーロー

 中国武侠小説への道(この項、書庫と重複)
 武侠小説とは中国の「チャンバラ時代劇」なのだ。江戸時代が実在したとはいえチャンバラ劇が架空世界であるように、中国にもそのような架空世界がある。
 全ての小説はSFである、と言った人がいたが、日本のチャンバラ劇をSFとは普通は言わない。わたし(謫仙)はSFだと思っている。
    岡崎由美      2002.12.10   大修館書店
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 中国の武侠小説は正にSFである。地雷也などの出てくる日本の昔の忍術もの。九字をきって、蝦蟇に化けたり、大蛇に化けたり。あれが正に武侠小説なのだ。化けることはないが、剣を振るうと山が爆発したり、赤胴鈴之助の真空切りのような技が次々と登場する。
 エスパーものといったら判りやすいか。そんな武侠世界の貴重な解説書である。
 唐や宋の時代の古典的武侠小説(多くは講談などであろう)から、それらが集大成された水滸伝や三国志演義など、そして、旧派の武侠小説が誕生し、戦後における新派の武侠小説まで、今まで日本ではほとんど紹介されなかった小説群を紹介している。
 日本ではお目にかかれない女将軍ものも多い。楊家将演義など男どもは霞んでしまっている。それがほとんどは押しかけ女房(^。^))。
 大岡政談のような包拯(包青天)ものもこの中に入る。宋の時代の実在の人物である。
 また元の時代に創作されたものが多いという。
 中国の文人の就職先は役人しかなかった時代は、みな役人を目指した。それもなみの役人ではない。就職試験に合格すると、初任職が市長程度にはなる。うまくいくと県知事、首席合格者は大臣になることもあった。
 ところが元は文人を用いなかった。そのため職に就けない文人は、文才を活かして小説を書いた。しかも現在の政府を批判することはできない。必然的に武侠小説になったという。
 さて、今までわたしが古龍の小説についてかなりの不満を表現していることを、お読みいただいたであろうか。それについてこんな解説があった。
 戦後、中華人民共和国では武侠小説は有害図書として発禁処分となった。
  ……
 このように、大陸で発禁となった武侠小説は、梁羽生と金庸の手によって、香港で復興したが、本当の陰の功労者は、彼らを見出した羅孚であるといえるかもしれない。金庸も梁羽生も作品はまず新聞や雑誌に長期連載され、のちにそれが単行本として出版された。

 さて、台湾でも終戦直後の状況は大陸と似通っていた。一九四七年二月二十八日、第二次大戦後台湾に入ってきた国民党と戦前から台湾に暮らす本省人の対立が引き起こした二・二八暴動によって、台湾には戒厳令が敷かれ、政治思想犯取り締まりのため、言論に厳重な検閲が加えられることになる。
 旧派武侠小説も発禁の憂き目に遭った。さらに一九五九年には、大陸と香港で出版された旧派と新派の武侠小説、およびその台湾版が全面的な取り締まりに遭った。
 もちろん香港から秘密裏に細々ともたらされる金庸や梁羽生の作品は、ときに作者名とタイトルを変えて海賊版が出ていたが、金庸の作品が台湾で正式に出版されたのは一九七九年、梁羽生の場合はなんと一九八七年末である。
 この間、台湾では旧派武侠の伝統から切り離された独自の武侠小説が発展していた。言論のタブーから、特定の歴史背景を設定せず、中国の昔という設定下で冒険やミステリを主とした武侠小説が続々と誕生したのである。
 特定の歴史背景や実在の人物を出すと、その歴史観から思想信条を問われたり、歴史上の人物に仮託して当局を批判していると受け取られかねない。それを恐れたのである。

   (改行は謫仙が入れました)

 なるほどこれでは、具体的なことは書けない。行き当たりばったりに事件が起こってそれを解決するような形にせざるを得なかった。悪徳代官を懲らしめる、なんてことは絶対にできない。
 金庸は1972年に絶筆し、日本を除く東アジアでブームになっているのに、中華人民共和国が正式に金庸小説を発行したのは1994年という。それまでに映画や海賊版でブームとなっていたとはいえ、なんと遅れたことであるか。日本では1996年に書剣恩仇録が翻訳されたのが始めではなかったか。中国とあまり変わらない。
posted by たくせん(謫仙) at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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