2012年04月22日

西遊記2


第九回
 唐の都長安である。
 樵と漁師が登場し互いに自慢をネタにした詞を披露し合っている。なかなかに学のある賢者だ。李白の詞なるものが伝わっているので、盛唐にもすでに詞はあったはず。ただ太宗の御代にあっただろうか。
 疑問というより、わたしが知らないので知っている方教えて下さい、という意味。詞牌は蝶恋花・鷓鴣天・天仙子・西江月・望江仙である。
 宋詞については、たくせんの中国世界李清照 −詞后の哀しみ− 参照

 漁師が占い名人の話をし、それが伝わって川の竜王が怒り、書生のふりをして翌日の雨を占わせる。帰ると玉帝からその占いの通りの降雨命令が届く。これを故意に時刻をずらしてしまう。
 占い師を責めるが、逆に玉帝の命令に背いた自分の身が危ない。当時の宰相魏徴に首を切られそう。太宗の夢に出て、命乞いをする。それを承知した太宗は翌日魏徴を召しだし、碁を打つ。

第十回
 太宗と魏徴は碁を打つ。この描写におかしな所はない。ただし間違っているわけではないが挿絵が不自然。イメージとして、太宗が碁盤の北側に、魏徴が東側にいる。西と南が空いている。
 さて魏徴は正午になると突然居眠りをはじめた。起きると外で大騒ぎ、竜の首が落ちてきた。それを見た魏徴は「たったいま夢で斬った」と話す。
 それが遠因で、間もなく太宗は病に伏し亡くなる。そのとき魏徴の手紙を持って冥界にいき、魏徴の友人の豊都の判官にあう。そこで台帳を見ると太宗の死は貞観一十三年となっていた。それを三十三に訂正して(史実は二十三)、太宗をこの世に戻すことにする。

 豊都は死の都、長江の中流域の豊都の道観が混同され、観光地となっている。

第十一回
 太宗は生き返り、冥界での約束によって、善政を施し大赦を行う。また太宗が冥界で借りたお金を現世で返そうとしたら、お金を受け取らない。そのお金で相国寺を建立した。さらに化生寺で施餓鬼法要を行うことになり(これも冥界での約束)、名僧たちを集め、そのその中から玄奘を檀主に選んだ。
(史実では玄奘はその十年前に密出国していて、長安にはいない)
 玄奘の父は海州の出の陳状元。わたしは海州の出の陳状元というと、海寧の陳家(陳家洛の生家)を思ってしまう。本物の玄奘は姓は陳だが海寧とは無関係。
 第十四回で、海州広農郡聚賢(じゅけん)荘の出身という。場所は不明、海州と広農郡では位置が異なる。

第十二回
 第八回で東に向かっていた観音は、すでに到着していた。氷蚕の絹の袈裟と杖を玄奘に贈る。
 玄奘には「それは小乗の教えのみだぞ。大乗の教えを説けないか」
 玄奘は大乗の教えを知らないことを言う。
 観音は、小乗の教えでは人を救えない、大乗経典を大雷音寺まで取りに来なさい、と教える。
 会は中止になり、大乗経典を取って来てから行うことになった。
 太宗は取経の希望者をつのると、玄奘が名乗り出て行くことになる。太宗の義弟とし、旅行手形を発給した。貞観十三年。
 本物の玄奘が取経の旅に出たのは貞観三年で、しかも許されず、密出国して出かけた。西遊記とは10年のずれがある。帰ってきたのは貞観十九年。

 なお、中国に仏教が伝来したのは1世紀頃で大乗仏教だったはず。遅くとも南北朝時代には、『華厳経』、『法華経』、『涅槃経』などの代表的な大乗仏典が次々と伝来ししている。玄奘が大乗を知らないことはありえない。さらに大乗のない時代に小乗という言葉はない。自らは上座部仏教という。それを大乗仏教が小乗と蔑称した。
 わたし(謫仙)の青年時代は「大乗は仏教と言えるのか」なんて話題で盛り上がったもの。

 「天龍八部」にも氷蚕が出てくる。同じものか。
 以下は取経の旅の話になる。

第十三回
 三蔵(玄奘はこれからは三蔵と記述されることが多い)は馬に乗り、ふたりの従者と一緒に旅に出る。途中はもてなされながらも順調。河州衛につく。ここまでが唐の領域。国境守備軍にもてなされる。
 次の日、鶏が鳴いたので出立するが、これがまだ夜中の午前二時ごろ。双叉嶺で暗くて道を間違え、一行は穴に落ちてしまう。そこで野牛の化けものと熊の化けものと虎の化けものに、従者二人が食われてしまう。三蔵は清らかなので、化けものは手を出せない。金星に助けられる。馬と荷物は無事だった。
 金星は街道まで案内すると、丹頂鶴(丹頂のことか、丹頂とは別な鶴か)に乗って去ってしまう。
 三蔵は一人で旅を続けることになる。行く手には虎や大蛇や他の猛獣などが待ち構えている。ここで地の文に曰く。
 ところで、三蔵というお人は、災難にぶつかっても、きまって救いの神があらわれるということになっているのですね。……
 これなど元は講談だったことをうかがわせる。
 この場は猟師(劉伯欣)に助けられる。猟師の家で一家の歓待を受ける。そして両界山まで送ってもらう。その山のこちら半分は唐の領土、向こう半分は韃靼の領土だという。河州衛から国境を出たはず。
 ここで声が聞こえた。「お師匠さまが来たぞ! …」

第十四回
 声は石に閉じこめられた孫悟空だった。三蔵に訳を話し山上のお札を剥がしてもらう。そして、石から出てくる。
 第六回で、太上老君によって、金剛琢(こんごうたく)を頭に嵌められていたはずだが、今はしていない。どうして外すことができたのか。太上老君が五行山に閉じこめたとき、外したか。著者が忘れてしまったか。
 孫悟空の名があることを告げると、行者(ぎょうじゃ)というあだ名をもらう。あらためて弟子として従うことになる。
 ある日の夕暮れ、民家に世話になる。姓は陳。そこで玄奘も、海州広農郡聚賢(じゅけん)荘の出身で法名は陳玄奘、となのる。
 翌日、その民家を出ると、六人の賊に囲まれる。悟空が全員を殺してしまう。三蔵が説教するので頭に来た悟空はいなくなってしまう。
 三蔵は一人で西を目指すと老婆に出会う。老婆は南海観音で、着物と金を嵌めた頭巾を貰う。
 悟空は竜王のところで茶を飲んで戻ることにする。三蔵とのころに戻ると、先の着物を着て、頭巾を被る。
 三蔵が「緊箍児呪」をとなえると、悟空は頭が痛くなり、頭巾を切り裂いてしまうが金環が残って外れない。
 この回は、悟空が三蔵のお供をし、しかも金箍(金のたが)を頭に付けられる回だった。

第十五回
 三蔵たちは秋に出発したが冬になっていた。谷川から龍が出てきて、三蔵の白馬を飲み込んでしまう。三蔵はめそめそして、出発したころとは別人になってしまう。
 悟空は観音に遣わされた諸神に三蔵を守ってもらい、龍を探すことになる。観音の助けで、龍は西海竜王のせがれ(第四回)とわかり、三蔵の乗馬となる。
 悟空は観音から三本の「救命にこ毛」をもらう。希望のものに変身する便利なもの。
 三蔵は裸馬に乗って行くことになる。
 すでにハミ国まで来ていた。
 夜は祠で休むことになるが、そこの老人に立派な馬具をもらう。つぎの日、出発すると祠はなく、更地になっていた。老人は観音の使いだった。
 季節は巡り早春となる。

第十六回
 ある日、観音院という大寺に世話になる。なんと院主は二百七十歳。これを三蔵が納得してしまうのが不思議。その院主は袈裟の収集が自慢、七八百も持っているという。それを披露する。悟空がつい競争心を出して、三蔵の袈裟を見せたため、院主は袈裟を手に入れようとして、夜に三蔵たちの泊まっている禅堂に火をつけ、焼き殺ろそうとする。気がついた悟空は禅堂以外の全院を燃やしてしまう。ただ、そのどさくさに袈裟は盗まれてしまった。
 230名の和尚や寺男などが宿無しになってしまった。悟空はその者たちに三蔵の世話を申しつけて、袈裟を取り戻しに行く。

第十七回
 袈裟をとったのは二十里ほど離れた黒風山に住む妖怪で、院主はその使い走りの妖怪だった。
 黒風山に住む妖怪と戦ったが埒があかないので、南海観音に頼む。袈裟は取り戻し、妖怪は観音の下で働くことになる。
posted by たくせん(謫仙) at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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