六郎と八王は潘仁美の陰謀の証拠をつかみ、皇帝の前でさばきを受けさせる。潘仁美は命を賭けて遼と交渉に行くが、遼からは、もう役には立たないと相手にされず、射殺されてしまう。遼は遺体を開封に届ける。そして戦争になる。
宋は六郎を将軍として籠城戦となる。開始直後宋軍兵士が大勢中毒になる。そして楊家の女たちが戦場に赴く。続々と遼軍が城内に入り込みそうになっている。そのとき六郎は、中毒が潘影の仕業と判って、長々となじり合っている。いまそんな状況ではないだろう。潘影に解毒の薬を出させるためとはいえ、イライラしてくる。
皇帝の寵妃がそんなことをしていては、宋が遼の風下に立たされたのは当然だな。
いよいよ最後の第四十三集
五郎と耶律斜が一騎打ちを行い、そこで停戦になってしまう。耶律斜は将兵に引き上げを命ずる。
六郎と佘賽花は天霊を討つ。楊業の仇を討ったといえるのかな。
六郎は楊家の当主となり柴郡主を娶る。五郎は出家してしまう。
四郎は遼の銀鏡公主に婿入りか。これはここでは未定。
「楊門忠烈」の額のかかった「無佞楼」が完成してこの物語は終わる。無佞楼は楊家軍のこれからの根拠地になるところ。今まで住んでいたところは何だろう。仮の家?
…………………………
本来の楊家将演義はこれからが長いらしい。
太宗の死後、八王(太祖の子)は七王(太宗の子)に皇位を譲った。この七王が真宗である。
太宗の死を知った遼は再び戦いを起こす。楊家軍では六郎が中心だが、女将軍も出る。紆余曲折をえて、この戦いは何十年も続く。
遼を倒したとき、間もなく六郎が亡くなり、八王も続いて亡くなる。
ここまでも史実とはかなり異なるが、この後は史実から全く離れて創作の仙術合戦となってしまう。史実との差を考える意味さえなくなる。
念のため史実を。
太宗の時代に潘仁美という宰相はいない。潘美という将軍がいて重用された。楊業は潘美の副将となる。
979 楊家は宋の臣となる。北漢が滅ぶ。
981 八王(趙徳芳)が亡くなる。太宗に殺されたとも言われている。
997 太宗が亡くなり真宗が即位。当たり前だがこの時には八王(趙徳芳)はいない。だから八王が七王に皇位を譲るなんてことはもちろんない。
1004 宋と遼は澶淵の盟(せんえんのめい)という講和条約を結び、宋は遼の弟分となる。楊家将演義では逆に遼を倒したことになっている。