2006年10月18日

笑傲江湖 2001年版4

   笑傲江湖2001年版4(碁など)
 このDVDドラマでは中国語字幕がないので、中国語音声・日本語字幕で見ているのだが、東方不敗のところでわけあって日本語音声に変えてみた。

 聞いてはいたが、なんとキンキンの高音。中国語音声では、低音の声なので、この差がはなはだしい。この役はいつも女優がやっていて、金庸先生は「意味が判っていない」と言っていた。今回も女優である。そこまでは仕方ないとしても、この日本語の声は、それこそ「意味が判っていない」。
 岳不群は男の高い声に変わる。天龍八部の虚竹役の俳優の声にどこか似ている。これが正解であろう。ただし高齢になってから自宮しても、声が変わるものか。

 船を漕ぐ形がよい。この後に作られた天龍八部や射G英雄伝では、まるっきり力が入っていなかった。艪栓がなく、櫂が艫を滑っていたりしたのだ。ここでは正しく艪を漕ぎ、棹を差す。

 主人公の令狐冲だが、酒好きの青年の設定である。しかし、この酒の飲み方は酒好きとはとてもいえない。もちろん量は多いのだが、飲み方が滅茶苦茶。良い酒だと言いながら、我々が蛇口から水を飲むように、酒を流し、それをちょっと飲み、ほとんどをこぼしてしまう。そして瓶はどこでも投げ捨てる。器で飲むときもかなり口からこぼれる。そんなふうに飲みながら、時には酒がないと嘆く。これで酒好きと言えるか。

 それから前回に書いた距離感だが、令狐冲が恒山派の掌門(統領)になる時、華山に出向いた使者は「4日後令狐冲が恒山派の掌門になるので出席してもらいたい」という。
 次の日に発っても中3日。これで華山から恒山まで700キロ以上の距離を行けるだろうか。

 吸星大法という必殺技がある。これを使う度に「吸星大法」と大声で叫ぶ(^。^))。

 武侠世界というのはSFであり、お約束の世界である。
 山の中に大勢がこもって武術の稽古をしている。その生活費はどうするのか。
 そんな山の中に宮殿まがいの大建築物があるが、どうして作れたのか。
 武侠世界は世間の法律は及ばず、独特の法を持っているが、現実に認められるはずがない。
 そもそも内力で空を飛んだり、速く走ったりすることがありえないことなのだ。

 だからこそ、武侠世界のお約束を守る必要がある。原作ではありえないことばかり続くが、そんなお約束を守っているので、物語の完成度が高い。
 ところが、この2001年版はかなりはみ出している。お約束を守っていないのだ。そのためあちこちに無理や矛盾が生じている。
 そう見ていると、金庸小説は滅茶苦茶な話のようで、実に綿密に構築していることが判る。

 ここでは碁の話が三度出てくる。
 一度目は崋山派が山を下りて、洛陽の林平之の母の実家に身を寄せたとき。
 新入りの林平之もこれで肩身が広くなるし、岳霊珊の心も林平之に傾く。すでに二人は婚約に近い状態。その時の林平之と岳霊珊の対局である。
碁石を親指と人差指で摘む。盤面は見えないので内容はなんともいえない。
     leisan-go.jpg

 二度目は西湖のほとりにある梅荘に、向問天が令狐冲をつれて任我行を救出に行ったとき。令狐冲は騙されているのだが、それはともかく、棋譜の話が出てくる。
 この梅荘は日月神教の別荘で、江南四友(4人)が教主の東方不敗のやり方に失望して引退を願い、任我行を閉じこめる役をする代わりに、ここで自適の生活をしている。
その長兄の自決間際の言葉。
「わたしたちが入信したのは、江湖で有意義な行いを成し遂げたかったからだ。ところが東方教主は悪の道へと走り、多くの仲間を粛正した。我々はすっかり嫌気が差し、この職を選んだ。黒木崖から遠く離れれば、抗争に巻き込まれない。隠居生活を楽しんで趣味に打ちこめた。この12年で一生の楽しさを味わった。…」
 向問天は江南四友の興味を引くため、楽譜や棋書などを持参する。
 棋書は「忘憂清楽」しか見えないが「忘憂清楽集」のはず。最古の棋書である。その中に出てくる棋譜は12ある(ここでは)と言うが、説明があるのは次の3棋譜。
 ★王質が爛柯山で仙人と会ったときの対局
 ★劉仲甫と仙人の驪山での一局
 ★王積薪のキツネ妖怪との対局

 これ以上の説明はない。このとき碁盤が出てくる。
     goban.jpg
 どういうわけか左右に余裕がある。この形は初めて見た。

 三度目は恒山が攻められようとしたとき、応援に来た、少林寺の方丈である方証大師と武当派の掌門である冲虚道人の対局。
    kouko-3.jpg
 冲虚道人の黒石を持つ手は普通の持ち方なので、俳優が碁を知っているか。ただし打ち方がぎこちないので形だけかも知れない。方証大師は親指と人差し指で挟んで持つ。これも盤面はよく判らない。

わたしが調べたところを補足すると、
★王質が爛柯山で仙人と会ったときの対局
 浙江省の西部、福建省・江西省・安徽省の境目に衢州(クシュウ)市がある。爛柯山は市街地より西南13キロにある山で石室山とも呼ばれている。
 その昔、王質という樵がいた。ある日、王質は、近くの石室山の山中で、二人の童子が碁を打っているのに出会った。その碁に見とれているうちに、持っていた斧の柄(柯)が腐(爛)ってしまった。それだけの時間が経ったのだ。この伝説から爛柯が碁の別名となる。

★劉仲甫と仙人の驪山での一局
 劉仲甫は宋代の代表的な棋士とされ、囲碁の技量をもって宮中に仕え、当時無敵を誇った。玄玄碁経にも劉仲甫の「碁法四篇」がある。
 幸田露伴の文に「宋の南渡の時に当つて、晏天章元々棋経を撰し、劉仲甫棋訣を撰す、是より専書漸く出づ。」とある。北宋から南宋に変わるころの人であった。
 驪山での一局とは「本朝劉仲甫遇驪山口媼奕棋局図」である。この驪山は始皇帝陵のある驪山であろうか。

★王積薪のキツネ妖怪との対局
 王積薪は囲碁十訣の作者という。唐の玄宗皇帝時代、官僚の王積薪が、守るべき碁の戦法を簡潔な十箇条にまとめた。
 王積薪は碁の熱烈な愛好家で外出時に石と布製の碁盤を常に持ち歩き、知っていると聞けば誰とでも碁を打ったという。
 話は、唐の玄宗皇帝が巴蜀の地を巡った時というから、安史の乱の時であろうか。
 王積薪もお供をした。地方の宿泊では上の人たちで旅館がいっぱいになり、下の王積薪は野宿となる。ある日野宿しようとしていると一軒の家を見つけた。住んでいたのは老婆と若い女。そこに宿を頼んだ。
 王積薪が寝ようとすると声が聞こえた。二人の女が暗闇で碁を打とうと言う。
婆婆説:「起東五南九置一子。」
若い女回答説:「在東五南十二置一子。」
婆婆説:「起西八南十置一子。」
若い女説:「在西九南十置一子。」
 老婆と若い女(女偏+息=息子の嫁)は一手毎に長考した。時間が経ち、はやくも四更(夜二時ころか)になった。ふたりが三十六子を打ったとき、老婆が言う。「わたしが九子勝ちましたよ」。若い女も同意した。もちろんコミなしである。数え方が判らないが、唐代は日中どちらの数え方をしたのだろう。
 翌日、王積薪はふたりに碁を教わる。そして家を出て十歩も歩くと、もうふたりはどこにもいなかった。この後、王積薪は不世出の名手となる。
 これは神仙伝説であって、キツネ妖怪ではないなあ。
posted by たくせん(謫仙) at 07:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/25674421
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック