2011年10月24日

少林功夫 2

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少林寺
 これは前に紹介した。この中で唯一の日本語字幕。
 参考  少林寺

少林小子
 これは少林寺の続きとして製作されたらしいが、内容は全く別物。日本での名前は「少林寺2」。俳優はかなり重なっている。
 桂林あたりの村の、こどもたちの遊びを兼ねた少林武術修行。
 わざわざ見るほどのものでは…。

鷹爪鐵布衫
 鐵布衫、武器の攻撃を受けても平気な身体になる究極の功夫技。足技の達人が鐵布衫の老人と戦う。
 一部早回しで見た。好みではない。

笑太級
 はじめに自転車が出てくる。そんな時代。パス。

少林寺十八銅人
 一家全滅の憂き目に遭った赤子が、少林寺に預けられ、復讐のために少林寺武術を習得する。そして仇を討つのだが、その……、ラジオ体操的武術を除けば、ほとんど何もないような……。
 武術は迫力があるのだが…なんか昔のプロレスを見ているようだ。これを見ていて、改めてわたしはラジオ体操武術にほとんど興味がないことを再確認した。
 舞台は少林寺。仏教の寺のはず(^_^)。そこで育てられた赤ん坊が復讐のために…、何事にも例外があるということかな。

雍正大破十八銅人
 雍正帝(1678−1735)は康煕帝と乾隆帝に挟まれた、清朝第五代皇帝。在位13年ほど。帝位に就いたのは数え45(1722−1735)。
 康煕帝が亡くなり、遺詔を改竄するところから始まる。

14-4henkou.jpg
 「十四皇子」とあるのを「于四皇子」と改筆する。この四皇子が雍正帝となる。前にも書いたが、当時は満州語でも書かれていたはずで、満州語ではこのやり方では改竄できない。
 雍正帝が若い。そして、三年間少林寺に籠もって武術の修行をする。現皇帝が三年もそんなことをしていていいのか。もっともまともな弁髪ではないし(頭の前部を剃っていない)、実際の清の歴史は無視している。大人の童話である。

少林三十六房
 1978年製作の香港のアクション映画。
 劉裕徳は清に仲間や家族を殺され、命からがら少林寺へとたどり着き、出家して三徳と名を改める。
 少林寺には武術修行の過程に35房ある。身体を鍛える基礎訓練から始まり、刀・棒・槍・拳などを35房を5年で通り、新たな武器「三節棍」考案し、復讐したりする。そして第三十六房を開く。
 この35房での訓練はアクションの質が高い。今までのラジオ体操的武術ばかり見た目には本物のアクションに驚く。

少林三十六房続集
 少林搭棚大師(少林三十六房続集)というのが正しい題名。
 こちらはコミカルなところがある。続集といっても別な物語。染め物作業が安く買いたたかれる。ある青年がニセ三徳をやったりして抵抗するが、見破られる。
 少林寺に行きカンフーを習おうとする。しかし青年が命じられたのは、建物改修の足場作り(搭棚)。竹を組み合わせて縛り、一年かけて完成するが、その後に追い出される。見よう見まねで訓練していたのが、それなりの水準に達していたのだ。
 染め物作業の現場に戻り、悪人(?)退治をする。
   …………………………

 共通しているのは、弁髪でも頭の前半が長髪なこと。それで本物の清朝でないことを示しているのか。たんに俳優の都合でできなかっただけか。
 物語は復讐で終わることが多い。なんのための復讐か忘れてしまったようだ。最後の搭棚大師も、その後の工賃の値上げができたのか、今までの損害を取り戻せたか、心配になる。
 題名は「少林◯◯」が多い。しかしネットで探すと、「少林寺◯◯」ばかり。日本で放映されたときに「寺」が入っていたらしい。もともと少林という題名だったのか、後に寺を抜いたのか。
 最近は「少林寺」という言葉が使いにくくなったという。お寺の登録商標だとか。だから倚天屠龍記では、「あそこ」とか「あの寺」で代用している。テレビドラマでも使いにくいという。
posted by たくせん(謫仙) at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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