山居筆記
作者 余秋雨
発行 文匯出版社
印刷 1999年6月 復旦大学印刷厰
定価 22元
日本の出版物の常識からすれば、粗末に思える。紙は薄く裏写りし、逆目に紙を使い、折が悪くページごとに位置が踊っている。ただし印刷はきれいで読みやすい。
その留学生から、わたしの書いた旅行記は、まるで余秋雨が書いたようだ、と賛辞をいただいた。もちろんお世辞である。
わたしは余秋雨について、この本に書かれたこと以外のことは知らないのであるが、新聞に評論が載っていたので紹介する。
2001.8.3 朝日新聞夕刊
人気作家悩ます文革の傷跡
早稲田大学教授 杉本達夫
余秋雨という、いま最も人気の高いエッセイストがいる。深い知性と感性に支えられた思索、歴史に思いをはせつつ自国文化を内省する言葉は、すでに数冊の著書にまとめられてブームを生んでいる。100人の評論家が選ぶ「90年代の作家10人」中のひとりでもあり、最近はテレビにも登場していよいよ人気が高い。
だが、名が高まれは批判者が現れる。
――中略――
文革時代の行動を批判された。
これに対して反論する。
これに対して当時の同僚が批判。
若き日の余秋雨は、逸材であったがゆえに文革政治に組み込まれた。当時もし理非を識別できて、任務を拒否したなら、恐らくは「人民の敵」とされていよう。
「異常の時代」の若者の行為を、平時の人々はどこまで問いうるか。当人はいかに過去に向き合うべきか。
ことは余秋雨個人にとどまらず、現代史の傷の深さをあらためて人々に痛感させているのではあるまいか。
さて、山居筆記の中に「抱愧山西」という章がある。
内容は
山西省は貧しい省だと思っていたが、中国経済は山西商人によって動かされていて、山西は中国の金融と貿易の中心である。
山西商人の富は天文学的数字である。
ただし、山西商人といえども、成功者は少なく……
と、続けて失敗例をあげている。
新婚時代に旅に出て、一生帰らない者もいる。
一例に、
新婚のときに男は商売に出ていった。その後、妻は子を生んだ。この子が大人になって父親を探す旅に出た。一年以上かけて、ようやく吉林省の村で、同郷の人を探したが、その人は言った。「君の父は7年前になくなったよ」
ほとんどの人はこのように失敗しただろう。
幼妻が若い夫を送りだす、別れの風景である。
この若い夫は無事に帰ってくるのだろうか。
もしかすると、頭が白くなってから、帰ってくるかも知れないのだ。
わたしにこの本をプレゼントしてくれた留学生は、
「山西商人は、まるで松坂商人みたいです」
と言っていた。
中国映画に「紅灯」という映画があった。
雪深いところの商人の話であり、見た時は、北方の田舎にこんな大金持ちがいたのか、と思っていたが、これが成功した山西商人の話であった。
この本を読んでその映画を思い出し、納得したのである。