1924年、神戸市の生まれ。家業は貿易業であった。
大阪外国語学校印度語部卒業。終戦後は台湾に渡り英語の教師をしていた。後、日本に戻り、作家を目指す。
江戸川乱歩賞・直木賞・日本推理作家協会賞・毎日出版文化賞・大佛次郎賞・吉川英治文学賞・朝日賞・井上靖文化賞など各種の賞を受けている。
ところがわたしはこれらの対象になった小説を、ほとんど読んでいないのだ。どういうわけか読む気が起こらない。それなのに推薦するのは矛盾を感じる。
しかし、わたしが影響を受けた作家の5本の指に入るのは間違いない。
夏目漱石・栗本薫・司馬遼太郎・陳舜臣。順は定めがたい。
では何を読んだのかといえば、中国の歴史物である。
中国の歴史全15巻・小説十八史略・秘本三国志・チンギスハーンの一族・耶律楚材・中国五千年・新西遊記・中国畸人伝・景徳鎮からの贈り物、あるいは各種の中国紀行文や随筆など枚挙にいとまがない。
全体を見渡して感ずるのは、中国に対しての評価が甘い。特に現代中国に甘い。これは取材する必要から強い批判は書けないので、半ば仕方ないが、残念にも思う。ただし姿勢は一貫していて、安心して読むことができる。
森村桂さんがソ連に行ったときの文に次のような場面があった。
当時のソ連のパン屋は、いろいろな病気の人のために、A病の人にはこのパン、Bの弱い人はこのパン、Cのためにはこのパン、と各種あった。森村さんは、次のように書く。
「わたしがパン屋に行くと、これらの、いつもは置いてないパンまで用意して、わたしを歓迎してくれた」
これを「歓迎してくれた」と読む人がいるかも知れない。わたしは「いつもは置いてない……」に目が行く。森村さんも、見かけと実体の差を知っていたのだ。だが直接には書けない。
陳舜臣さんが、中国に甘いのもこれと同じ理由を感じる。もし、きちんと批判してしまっては、竹のカーテンの向こうの様子は、伝わってこなかったであろう。
そのような問題がありながらも、わたしは内容に対しては、かなり信用しており、もし歴史上のことで問題が生じたら、陳舜臣さんの著作で確認することが多い。
また中華ばかりでなく、西域やアラブ世界にも造詣が深い。あのアラビア文字を読むことができ、言葉も判るという。その他、絵画・宗教・詩詞も詳しい。
最新作の「桃源郷」は、それらの能力を駆使した、スケールの大きな小説である。
わたしが最初に読んだのは西域ものであろう。
例えば「敦煌の美術−莫高窟の壁画・塑像」昭和55年(1980)発行の、写真の多い解説書の中に、数頁だが陳さんの文がある。
その前にも似たような文をかなり読んでいた。そして、わたしは西域を知ったのである。
特に中国の歴史15巻には、無条件で頭を下げた。
もっとも、歴史のうち、宋を読んでいると、李清照の名がない。決して女だから除いたということはない。おそらく歴史に影響を与えなかったとみたのであろう。