2006年05月20日

陳舜臣 −現代中国の扉を開く−

 中国を語るのに、この人を漏らしてはなるまい。
 1924年、神戸市の生まれ。家業は貿易業であった。
 大阪外国語学校印度語部卒業。終戦後は台湾に渡り英語の教師をしていた。後、日本に戻り、作家を目指す。
 江戸川乱歩賞・直木賞・日本推理作家協会賞・毎日出版文化賞・大佛次郎賞・吉川英治文学賞・朝日賞・井上靖文化賞など各種の賞を受けている。
 ところがわたしはこれらの対象になった小説を、ほとんど読んでいないのだ。どういうわけか読む気が起こらない。それなのに推薦するのは矛盾を感じる。
 しかし、わたしが影響を受けた作家の5本の指に入るのは間違いない。
 夏目漱石・栗本薫・司馬遼太郎・陳舜臣。順は定めがたい。
 では何を読んだのかといえば、中国の歴史物である。
 中国の歴史全15巻・小説十八史略・秘本三国志・チンギスハーンの一族・耶律楚材・中国五千年・新西遊記・中国畸人伝・景徳鎮からの贈り物、あるいは各種の中国紀行文や随筆など枚挙にいとまがない。
 全体を見渡して感ずるのは、中国に対しての評価が甘い。特に現代中国に甘い。これは取材する必要から強い批判は書けないので、半ば仕方ないが、残念にも思う。ただし姿勢は一貫していて、安心して読むことができる。
 森村桂さんがソ連に行ったときの文に次のような場面があった。
 当時のソ連のパン屋は、いろいろな病気の人のために、A病の人にはこのパン、Bの弱い人はこのパン、Cのためにはこのパン、と各種あった。森村さんは、次のように書く。
「わたしがパン屋に行くと、これらの、いつもは置いてないパンまで用意して、わたしを歓迎してくれた」
 これを「歓迎してくれた」と読む人がいるかも知れない。わたしは「いつもは置いてない……」に目が行く。森村さんも、見かけと実体の差を知っていたのだ。だが直接には書けない。
 陳舜臣さんが、中国に甘いのもこれと同じ理由を感じる。もし、きちんと批判してしまっては、竹のカーテンの向こうの様子は、伝わってこなかったであろう。
 そのような問題がありながらも、わたしは内容に対しては、かなり信用しており、もし歴史上のことで問題が生じたら、陳舜臣さんの著作で確認することが多い。
 また中華ばかりでなく、西域やアラブ世界にも造詣が深い。あのアラビア文字を読むことができ、言葉も判るという。その他、絵画・宗教・詩詞も詳しい。
 最新作の「桃源郷」は、それらの能力を駆使した、スケールの大きな小説である。
 わたしが最初に読んだのは西域ものであろう。
 例えば「敦煌の美術−莫高窟の壁画・塑像」昭和55年(1980)発行の、写真の多い解説書の中に、数頁だが陳さんの文がある。
 その前にも似たような文をかなり読んでいた。そして、わたしは西域を知ったのである。
 特に中国の歴史15巻には、無条件で頭を下げた。
 もっとも、歴史のうち、宋を読んでいると、李清照の名がない。決して女だから除いたということはない。おそらく歴史に影響を与えなかったとみたのであろう。
posted by たくせん(謫仙) at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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