中国の支配階級の女の立場を考えてみると、日本では例外的な特徴がある。基本的に人権がない。つまり奴隷とおなじである。すべてはこれにつきる。常に売買の対象になり、非常時には食料となり、いつもは品物として扱われる。
夏姫はその象徴である。小国の公女として各国の実力者の思惑に翻弄され、美人であったが故に政治の道具となり、現代の競馬の馬のごとく人手から人手へ渡っていった。鄭で生まれ陳に嫁ぎ、楚にさらわれ鄭に戻り斉をえて晋に行った。そのあげく妖婦などといわれている。
2600年ほど昔の話である。無理もないと思いたい。しかし、昔から中国の書物は程度が高く、近代的な自我や思想が感じられるほどなのに、こと人権に関しては急に古代相応になってしまう。
夏姫には意志の弱さが感じられるが、当時の女としてはこれが普通ではなかろうか。
最近、宮城谷昌光の本を読むことが多いが、こんな文をよく見る。「逃げ遅れた○○を助けに出るたびに自軍が磨り減った」
これで情に厚いと言われるのだが、磨り減ったのは人であり、部下が戦死することなのだ。この場合部下は武器と同じ消耗品扱いである。
庶民の人権を無視することは、現代でも続いている。また最近の日本の高官の言い種は、日本にも同じ問題があることを示している。
若さが美人の必要条件だった時代に、夏姫は五十代になっても男を迷わせるほど美しかったという。それが流浪の人生という結果を招いたのであるが、一生を振り返ってみて不幸だったかどうか。よく調べてみると楚にさらわれたのは30歳前後であり、39歳前後に晋に行っている。かなり安定した生活を送っていたことが判る。