2006年05月20日

李後主 −詞帝−

 李Uは唐の三代目である。あの有名な唐ではなく、後に南唐といわれた、五代十国の時代に金陵すなわち南京を都とした唐である。
 昔から中国は江南を植民地化し、江南の生産力で国を維持していた。その江南の生産力を南唐だけで使うことができたため、空前の経済力を持ったと思うが、李Uはその経済力のほとんどを芸術のために使ってしまい、国を滅ぼしてしまう。故に李後主といわれる。
 後主とは二代または三代目の亡国の王のことである。唐様で売家と書く三代目であった。
 絵画音楽書などに優れ、特に詞は最高の評価をえて、詞帝といわれている。亡国後、宋の都ベンケイに囚われの身となるが、故郷を想い詞を作った。「虞美人」に歌う。
 問君能有幾多愁  君は問う幾多の愁い有りやと
 恰似一江春水   恰も似たり一江の春水の
 向東流      東を向して流るるに

 春水の流れるとき、長江の中流では水面が五十メートルも高くなるという。今でも毎年のように氾濫し、洪水が移動しているといわれるほどの水量である。自分の愁いをそれにたとえたのである。
 それほどであるならば国防や外交に力を入れればと、あきれてしまう。
 「陝西省十大博物館」によれば、こんな言葉があるそうだ。
江南は才子を生み、山東は将を生み、咸陽は皇帝を埋める。
(江南出才子 山東出大将 咸陽原上埋皇上)
 李Uはまさに江南の才子であった。王の器ではなかったのだ。
李Uが作らせた南唐の文房具は、あきれるほどの最高級品であった。特に墨は今でも国宝のお墨付きであり、紙は澄心堂紙といわれ、これも一幅が百金の折紙付きである。
 最大の功績は詞を芸術に高めたことであろうか。政治演説のような従来の詩は読むものであるが、心情を述べた詞は庶民も気軽に歌うことができるものであった。それ故に低く見られていたのを、格調の高い詞をつくることにより、文芸の主流に引き上げたのである。
 つぎの漁歌子は私が最も好きな詞である。
 浪花有意千重雪   浪の花は意有り千重の雪
 桃李無言一隊春   桃李は言無し一隊の春
 一壷酒       一壷の酒
 一竿綸       一竿の綸
 世上如儂有人    世上儂の如き幾人か有る

 李Uは王としては最低であるが、わたしはそれでも憎めないと思う。
 李Uにとって芸術は国の存亡より大事なことであった。現在李Uの芸術は残っているが、李Uの軍事力はなにも残っていないのだ。
 無理に国を守ろうとすれば、これらの芸術は灰燼に帰したであろう。なによりも多数の庶民の命が助かったことが大きい。

 王としては落第であったが、投了することは知っていた。

 庶民は兵として死ぬばかりでなく、戦火に遭い餓えて死に、あるいは戦後も、働き手を失って残された家族は苦しみ死ぬ。
 李Uが強い抵抗をせずに降伏したのは、これらの苦しみを救ったといえる。意図したことではないにしても、それなりの評価をしたい。
posted by たくせん(謫仙) at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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