特権を減少させ、国家財政の大赤字を解消し、国家の未来に希望を与えた。それを実質6年で行ったのである。しかし、それも神宗の死によってひっくり返ってしまった。その後再登用されるが、もう実行力は失っていたようだ。その後その遺志を継いだ権力者はおしなべて質が悪い。結局はさらに庶民を苦しめることになり、亡国にいたる。
後継者を育てる余裕がなく不成功に終わってしまったのだ。反対派が強力であった事も原因であるが、時間が少なすぎた。もう10年の時間があったら、史上空前の大改革と言われたのではなかろうか。それも革命によらない大改革である。
王昭君のところでも書いたことを繰り返すが、中華思想の虚構を見破り、王昭君の悲劇を指して、「漢の恩は薄く匈奴の恩は深い」と言い切っている。
女性の再婚に対しても積極的に勧めている。
「一民の生は天下に重し」と詩に書いた人である。
800年後の現代の政治家でも、これだけ人権を考える権力者は少ないのでないか。
宋代の特権の例をひとつあげよう。
藤水名子の小説を読んでいると次のような文字にぶつかることがある。
「員外」とあって「かねもち」とかなを振ってある。員外という言葉そのものは、金持ちのことではない。当時、金持ちは官位を買って員外となったのだ。役人が余っている時代なので、この員外は仕事を命じられることはない。つまり名前だけである。それなのになぜ官位を買うかといえば、官位がつくと税金が免除されるのだ。
金持ちが軒並み官位を買ってしまうと、集まる税金が少なくなる。当然国家財政が苦しくなり、貧しい民はさらに収奪される事になる。王安石はこれを廃止しようとしたのだから、抵抗は大きい。
反対派はほとんどが科挙の上位合格者である。全人生を賭け一族の存亡を賭けて受験し、手に入れた特権である。そして政治の中枢はすべてこれらの科挙の上位合格者が握っている。
反対派にしても、論を重ねるばかりで、有効な政策を打ち出せる訳ではない、だから王安石の改革が必要になったのだ。
特権を手に入れることが人生の目的になってしまっていて、実際は実力者のロボットだからだ。
文書を見ずに判を押し、賄賂を受け取る。
宋は史上最も官の給料が高かった時代である。しかも政府を2セット揃えていたという。支払われる給料は国家財政を破滅させた。
清官三代という言葉がある。清官とは賄賂を取らない、つまり不正なことをしない官のことである。この官が10年も勤めれば一家が100年も贅沢な暮らしができるというのだ。まして不正を働く官はどれだけの収入があるか計り知れない。ある高官は国家予算を超える財を持っていた。
宋は自滅したといえよう。
現代の日本によく似ている。日本の官も、個人的には優れた能力の持ち主なのだが、その能力の使い方が問題なのだ。