先日浅田次郎の『蒼穹の昴』を読んでいたら、香妃が登場してびっくりした。公式的な記録にはなくても巷では有名人らしい。
清の乾隆帝の時代である。西域を侵略した清軍は香妃をさらい北京の乾隆帝のもとへ送った。しかし乾隆帝が手を変え品を変えて口説いても、ウンとは言わない。前代未聞の事態であった。
乾隆帝は口説くのを楽しみにしていたようだが、母親の皇太后はカンカンである。
「おまえはなにが望みか」
「死のみ望んでいます」
「では死を与えよう」
と、乾隆帝の留守中に殺してしまった。
死体は西域に送り返されて、丁寧に葬られたという。
現在、カシュガルに、香妃の墓がある。ただ記録では年代が合わないらしいから、乾隆帝のもとに送られた香妃と同一人物かどうか。もしこの話が実話としたら、香妃は中華の栄華や富や権力に、なんの魅力も感じなかったことになる。祖国は侵略され、親しい人たちの生死も判らず、夫とは引き離され、遠い敵地に軟禁状態であれば当然であろう。
蔡文姫とは逆に、さらわれて中華の生活を強いられたのであるが、唯我独尊の中華の宮廷人にこの苦しみを理解できるのであろうか。
この当時侵略された各地では、現代でも時々反乱すなわち独立戦争のニュースがあり、外国人は戦闘地域に入ることが許されない。何年か前のチベットの乱以後は聞かなくなった。