2006年05月16日

七剣(セブンソード)

05.10.13
 映画セブンソード(七剣)を見た。武侠ファンの間ではかなりの評判なんだが、批判も多い。
 
 梁羽生という、金庸、古龍と並ぶ新武侠御三家と言われていた方の作品を映画化したもので、日本以外のアジアでは今夏に大ヒットした映画というのだが。
 わたしの受けた印象は、
1 ただただうるさい映画で、耐えられないほど。
2 設定が判らない。
3 ストーリーが訳がわからない。
というわけで残念ながらひとには勧められない。
 原作とはかなり違っているという。上の問題も原作では納得できるのか。
 賊におびえる村(武荘)人が、天山に助けを求める。「七人の侍」にプロットが似ている。この賊とは賞金稼ぎの軍団で、風火連城を頭にし、賞金を清朝からもらうため、無関係の人を殺して「賊です」と届けようとする。はじめは官軍かと思った。(官軍であるという解説もあるが、中国では官軍も私兵であることが普通。私兵は略奪を専業とすることも多い)
 今回、賊が襲う対象とした村は山寨のようだ。ここで問題に思えるのが、このような村を襲うより無防備な村を襲った方が早かろう。村も普段から山寨のような山間の生活は生産が思うにまかせないだろうに。官の防衛力には期待できない中国の地方の村とは、このようなものだったのか。あるいは、「あれは賊の村だ」と官に信じ込ませられるのはこのような村しかなかったか。
 反清王朝の強硬派が住む村だという解説もあったが、映画ではそのようには読み取れなかった。
 そして天山では七本の剣を鍛えた人が、その剣を託して村を救わせる。その人たちは天山でどう生活していたのかという疑問は武侠世界では禁句であるが、その剣の力は神懸かり。その剣や使う人の説明が充分でないため、プロットが活きていない。
 この天山とは天山山脈のことではあるまいが、大きな氷に閉ざされた山だった。ある解説では中国北西部の村とあるが、映画ではそのようには読み取れない。
 仮に中国北西部で天山山脈まで数日で行けるところとすれば、朝鮮の近くまで千キロを超える山道の逃亡になる。
 天山に救援を求め、それでも防ぎきれず、村をあげての逃亡生活になるのだが、朝鮮の近くまで逃げたにもかかわらず、振り切れず、洞窟にこもることになる。
 結局、賊の本拠地に行き、滅ぼすが、村人もほぼ全滅し、こどもたち(十数人)と一人の女が生き残る。賊の本拠地が近いところをみると、逃亡の距離はそれほどでもなかったのか。
 この時の戦いでは、賊は大砲を何台も並べて撃つ。こんな百人にも満たない農民を襲うのにそんなことをするものだろうか。賞金より経費の方が大きくなることだろう。
 七人はその原因となった禁武令を改めさせるため中央に向い、残った人たちは自分たちで生活することになるのだが、故郷から遠く離れた山の洞窟で、こどもたちと女一人でどうやって生活するというのだ。
 たとえ穀物の種が無事だったとしても、故郷の村に帰れたとしても、来年の収穫までは食べ物もなく、どうなるのか。まあ一応立ち直ったことになっているので、まだ逃亡のとき持ってきた食料が残っていたと考えるか。
 わたしには無意味に思えるアクションシーンが続くばかり。事前にストーリーや登場人物や七剣の説明を読んでから映画を見た方が良いでしょう。判っていれば無意味には思えませんから。

 とにかく説明不足ですね。いま見ているDVDの射chou19.jpg英雄伝や天龍八部が、戦う事情などを充分説明をしているので、よけいに不満に思えます。 
 上にあげたいくつかの疑問もどこかで説明が有ったのかも知れないが、もう一度見に行く気力はない。
 ただもう、ひたすらうるさかった。建設工事の現場で映画を見ていたようだ。
 この拷問のような音量に耐えられる人には感服します。
posted by たくせん(謫仙) at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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