2006年05月11日

三地門2 彫刻の村

 原住民族文化園区の近くを歩く。
 ここの集落の正しい地名が判らず困った。判らないまま公開することにする。園の門からすぐ近くに開けた村がある。バス停は「水門」といったが土地の名かどうか。
 歩いているとお茶に呼ばれた。その家は普通の民家であるが、このような彫刻が窓にある。

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    蛇の彫刻
 三歩蛇・百歩蛇というマムシ系の猛毒の蛇がいて、神聖視されている。名の由来は、噛まれると三歩あるいは百歩歩くまでに死ぬというのだ。どちらの蛇も同じような猛毒である。

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 同様の彫刻があちこちにあって、もう驚かない。

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 家の壁であろうか。右の柱は蛇の模様。

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 水門の名のもとか。

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 この広大な川も水はわずかしか流れていない。翌日はこの橋を渡って、パイワン族の部落に行く。歌舞施設から見た写真の右手である。

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 またお茶に呼ばれた。我が輩もまだ若かったな。この時ウエストは71だ。今では信じられない。


 さて、次の日の朝橋を渡り山間の村に行く。
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 橋を渡ると、こうして車道がS字状に走り、歩道は近道となっているところもある。

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 川からかなり高いところに集落を作る。マラリアを防ぐためである。土地は階段状になっている。

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 集落の門というべきか。

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 パイワン族の子ども。ベンチは石製である。

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 テーブルか。彫刻の素材か。ここは石の彫刻でも知られている。その彫刻は必ず物語を彫る。

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 毒蛇を両手に持つ。石積みの壁、窓に施された彫刻、有力者の家だったと思われる。

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 帰りにあの山道の階段を下りていたとき、脇の畑で作業中であった。芋のようである。

 曲がりくねった道を下りていくと、川の脇に出る。それでもかなり高く、そこから橋まで下る途中で、道端で茹でたとうもろこしを売っているおばさんがいた。一本求めると、油を塗ってしまう。それを断り、茹でたままのとうもろこしにしてもらう。言葉は通じなくても身振りで用が足りた。もともと多言語国家だ。言葉の通じないのはお互い気にしない。

 ここではないが、道をたずねたとき、言葉が通じなくて字を書いたが、相手の女の子は、「あなたはどこの人」と言う。「どこの国の人」ではない。外国人とは限らない質問だった。
posted by たくせん(謫仙) at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾 八十年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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