2006年05月10日

黄山 山水画の世界

 濁流の長江の続きだが、内容が全く別なので新しいカテゴリーを立てました。

江沢民は長江の堤防を切り
登山者は黄山の環境に驚く


 さて、これから黄山の話になるのであるが、なにを書くべきか迷っている。考えていたことと感動したことが全く別だからだ。
 名峰奇岩雲海老松、世界自然遺産に指定されているように、その美しさは見事である。が、なぜか感動が薄い。わたしは去年、常念岳から朝日でピンクに染まる槍ヶ岳を見ている。槍ヶ岳山頂からは雲海に浮かぶ穂高連峰も見た。それらに比べれば黄山はかなり小さい。まるで箱庭を見るようだ。入山料の65元はともかく、あちこちの道が管理人のいる有料道路とあっては、まるで大きな公園である。道はすべて舗装され点かない街灯まである。
 いつもは中国の自然の広さ大きさを、日本とは桁違いの広さ大きさであると思っている。たとえば長江と利根川のスケールの差を考えて欲しい。それが黄山と北アルプスでは逆転するのだ。(たまたまあった例をあげて例外とするのは、論理としてはおかしいのだが、その時はこう書いた)
 そしてもうひとつ逆転するのがトイレ事情だ。中国のトイレ事情は指摘するまでもない。だか黄山はトイレが整備されている。泊まったホテルは各部屋に水洗トイレがついていた。これに比べ、日本の山に初めて登った人は、トイレのひどさに驚く。富士山は山全体が糞尿に埋まっているようだと表現する人もいる。とても恥ずかしくて世界自然遺産に申請できなかったといわれる。
 つまり、黄山のトイレ事情を含めた環境の美しさに感動したのだ。

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     ケーブルカーより 黄山観光の始まりである。 

 25日の朝は、武漢の街を守るため、前日に長江の堤防を切ったというニュースから始まった。そのために江沢民が視察して、そのごたごたに巻き込まれている。目の前で大ニュースが動いているのだ。
 長江の濁流がどこまで広がるか気になる。その前の日にバスで通ったあの道が通れなくなることはあるまいが、収穫目前の稲は大丈夫なのか。さらに避難所生活をする人がどれほど増えるのか。
 黄山は四十人乗りのケーブルカーで登った山頂部から、すぐ散策コースに入る。

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 晴れてはいるものの全体的に霞がかってはっきりしない。筆岩と言ったか。

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 南画・山水画の世界である。

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 左の方を見ると、光の角度の具合から、こうしてはっきり見えた。遠くに麓の村が見える。

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 飛来石が見えた。遠くから飛んできたという伝説の石である。午後、ここに上がったが少し怖い。
 名峰奇岩を楽しんでホテルに行く。ホテルの前にわたしが予想していたような山小屋があり、現在も利用していた。

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 ホテルの正面に見える山。平凡と言えば平凡だが。

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 山の中に突如として、近代的なホテルが現れた。中は中央の通路を挟んで、山側(窓の外は山の壁)と谷側になり、部屋割りは抽選で行った。各部屋ともにバストイレ付きである。

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 これがわたしの思っていた宿。ホテルの前の一段低いところにある。

 午後は付近の山頂部を一周する。黄山は多くの山の集合体であり、起伏の多い高原を考えた方が判りやすい。

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 雲が厚くなり、山陰は墨絵の世界になる。日没の方向であるが、この日は雲が厚くて見えなかった。

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 中央右に立っているのが飛来石。その向こうの建物は、ケーブルカーの駅。わたしたちの乗ったケーブルカーは別。

 帰路は、黄山のガイドの梅小姐と一緒になった。道幅は二人並んでも余裕のある広い道であったが、わたしはふらふらと山側の溝に落ちてしまった。手を出して形だけだが梅小姐に引っ張り上げてもらう。決してわざと落ちたわけではない。梅小姐に言った。
「もしここが崖だったら大変だったよ。二人で心中するところだったね」
 大声で笑って答えない小姐に後ろから声がかかる。
「梅さん、心中って判るんですか」
「判るけど、わたしは助かったと思う」
 わたしより日本語が正確な人であった。
「ここは国立公園でしょう」
「のようなものです」

 遅れた人にわたしが「ジャアヨウ、ジャアヨウ」と声をかけると、梅小姐は「加油加油」と、わたしの倍近い早さで言う。ホテルに着いたときも、「タオラ、タオラ」と早口で言ったつもりだが、「到了到了」とは比較にならない。
 相手はわたし一人ではないので、日本語で話すことになった。
 わたしは日本の山小屋事情を話したのだが、理解できたかどうか。
 梅さんはガイドになりたくなかったと言う。日本語のガイドになれば故郷の長江の近くで働けるのでガイドになったそうだ。日本語の先生を望んでいた。「前回の試験は落ちた。おそらくもう一度落ちるだろう。その次を目指している」と言っていた。

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 飛来石、その向こうにも奇峰が続いていた。 
    
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 2時間以上かけて一周した。ホテルの前の椅子に掛けて涼みを兼ねて休憩する。
『神々の山嶺』を読んでいると話し声が聞こえた。義援金を提案したあの二人だ。(記憶がはっきりせず、この時ではなかったかもしれない)
 わがままな傍若無人な振る舞いを批判する言葉があった。
「外国では日本と同じような訳にはいかない。そのような経験をしたとき、それはなぜか、どうしてこの国はそうなのか。それを考えるのが外国旅行ではないか。わたしはいつも学生たちが外国に行くとき、そう言って送り出している。それなのに……」
 わたしはいつもならば「お言葉ですが」と声をかけるところだ。
「学生の旅行と老後の楽しみの旅行とは違う。彼らはすでに代金を払っている。今はそのサービスを受け取る時だ。西洋人は代金を払ってサービスを受け取っている。中国人はサービスを受けないが代金も払わない。黙っていては、日本人は代金を払ってもサービスを受けないで済まされてしまう。彼らの振る舞いによって我々もサービスを受けられるのではないか」
 少し無理な理屈だが、こう言ってディベートを挑みたい。このような事情を知った上での発言かどうか知りたいのである。しかし、この時はそんな気力が沸かなかった。
 武漢の空港では旅慣れた人が動揺したが、それは「我々のガイドは抗議ができないので空港で待たされ、抗議のできるグループはホテルで待つ」という誤解や、中国のサービスに対する不信感から、生じているのではないか。実際、ぬるいビールが出て、苦情を言うとちゃんと冷えたビールが出てくるのだ。(これは誤解だった。当時の中国では日本のように冷やす習慣がなかった)
 ある人は食事の度に「トウバンジャントウバンジャン」と言う。椒辣醤(jiao la jiang)と判った。
 このように問題が有るにしても、わたしは、おおむね可なり、と評価する。
 とはいうものの、傍若無人な振る舞いは日本の評判を落とすばかりでなく、まわりの人もいやな思いをする。
 
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朝食前に日の出を見た。
そして登ったときと同じケーブルで下った。
posted by たくせん(謫仙) at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 江南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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