2006年05月09日

老街・上海

濁流の長江 3
 ここは黄山が入るべきなのだが、長江とは違うため、別に黄山のページを設ける。
うだつの上がる老街はいにしえを保ち
大廈の並ぶ上海は未来に向けて変わる


 26日はご来光を見て、ケーブルで下山する。
 添乗員は事前に2度も我々だけの時に言った。
「大きな声では言えませんが、わたしは老街に連れて行きたい。途中の土産物屋で時間を使うと行けなくなるので、トイレだけにしてすぐ戻ってください」
 中国側とは行く場所に意見の差があるらしいのだ。しかし、その意が通じないのか、なかなかバスに戻ってこない人がいる。
 短い時間で通り抜けた老街は、うだつの上がった家を連ねた、明代の商店街の様子が判る、黄山観光のもうひとつの目玉である。何度か建て直しをしているが、常に前の形を踏襲しているため、外観は明代のままである。できるものなら時間をかけて、間取りなども調べてみたい気がする。
 ここでお茶を買ったが、これが今回の旅行におけるたった一つの買い物であった。高温の店先に置いてある品物なので味は期待できないが、試飲してみたいと思えるような形、つまりお茶がお茶の形をしていた。
 この日の上海は天気が悪く、飛行機は大きく揺れた。体がカーッと熱くなる。酔い止めを追加したのが間に合ったが、帽子を失うことになった。
 上海はあちこちが工事中で、古い家は取り壊している。周知の所なので簡単に触れるだけにする。外灘は新興のビル街である。添乗員は言う。
「ここは来る度に新しいビルが増えています。あのビルもあのビルもこの前はありませんでした」
 そこには高いテレビ塔があるのだが、デザインと色合いが漫画チックなイメージである。
 ここから長江まで七十キロもあるが、それでもここは長江の運んだ土でできた土地であり、高層ビルの基礎はどうなってるのか気になってくる。
 ホテルはサッカー場の観客席の下にある。ホテルの窓からも多くの高層ビルが見える。この夜サッカー場の周りを一周し、古い住宅街も少し歩いた。大部分の店は閉店し、開いているのはほとんど煙草屋であった。旅社の看板があったが、そこは地下に向かう階段である。次の日は朝から空港に向かうので、これが最後の散歩となる。これでは上海の街を歩いたとはとても言えない。
 とにかく自由に歩く時間のない旅であった。

   参考 1998年9月3日 朝日新聞

   中国の水害で旅行中に募金
  海老名市〇〇〇〇(団体役員 65歳)
 中国の長江三峡下りと黄山の旅九日間を終えて、先月末帰国した。旅行前から長江の大洪水のニュースが伝えられ、不安の中の出発であった。
 しかし、重慶から沙市までの三峡地区の水はほとんど変化がなく、とうとうと流れる大河長江と、両岸にそびえる険しい絶壁に、中国の広大さを満喫した。
 川の水の赤い濁りは、文化大革命のころ、周囲の自然林を伐採したためとのこと。日中共通の環境問題を、改めて論ずることができた。
 ところが、武漢や洞庭湖周辺の中流地域では、百年来の大洪水。武漢を守るために、付近の堤防を爆破して流水をそらし、水田地帯を犠牲にするとのことであった。
 避難民に渡す一日十元(約百七十円)の生活資金や医薬品が足りないとの報道に接し、旅行団の中からお見舞いの募金集めが話題となり、三十九人から五万円ほど集まった。
 ガイドを通じて武漢市民政局の担当者に渡したところ、協力に対する「栄誉証」まで頂いた。国際親善の一助になったと、全員満足して帰国した。
 海外旅行や海外留学が増え、国際化の時代を迎えた今日、あらゆる機会をとらえて現地の人と交流し、民間使節の役を果たす心構えが必要だと強く感じた。

posted by たくせん(謫仙) at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 濁流の長江 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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