2006年05月07日

日月潭・玄奘寺

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 日月潭の文武廟の門、文武廟は各地にあるがここは高名。
 この前の道を左手の奥に行くとサオ族(邵:Saou)の部落になる。現在二百数十名で、民族消滅の危機に直面している。私が行ったころは人口は五百くらいであった。この少数で独特の言語サオ語を話す。ここで会った三十歳くらいの女性は、近くで土産物(宝石)屋をしていたが、サオ語・日本語・台湾語・北京語・英語をこなす。

 当時は高山族は免税であったので、その女は金持ちであった。ほとんどの高山族は貧しいので、免税にしてもしなくても税金は変わらないであろう。徴税費用のほうが高くつくか。だが已にその制度を利用する金持ちも存在していたのだ。
 宝石とは、この裏山(といっても山脈である)で採集される猫目石である。高山族に独占権が与えられていた。今ではどうなっているだろうか。

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 文武陵の天井。菩薩像らしきもので組み上げられている。

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 更に行くと山の上には玄奘寺がある。唐代の玄奘三蔵の遺骨を守るための寺である。この遺骨は数奇な運命をたどった。南京の天禧寺に祀られていたが日中戦争の時、一部が日本に持ち出された。それが戦後(1955)に中国に返還されて、遺骨を納めるためこの寺が建てられた。

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慈恩塔
 この塔は遠くからも見える。玄奘寺シンボル的存在と思ったが、どうも寺の所属ではないらしい。蒋介石総統が母親のために建てたという。
 ネットで調べたところ、海抜954メートルの沙巴蘭山にあり、塔の高さは48メートル、塔の一番上がちょうど海抜1000メートル、という。

 玄奘寺の庭で竜眼茶を頂いた。茶ではなく、あの竜眼を水煮したようなものだが、砂糖水のように甘かった。

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日月潭
 この湖は向こう側が日の形こちら側が月の形をしているというが、地図を見てもそうは思えない。ホテルからサオ族の徳化社まで、かなりの距離があった。観光はタクシーに頼る。
 台湾中部地震で村は崩壊し、多くの人がこの土地を離れて人口は半減した。
 なおサオ族の言葉サオ語はマレー語にそっくりという。高山族の言葉は東南アジアの言語に近い。共産中国の資料では少数民族として、高山族とひとくくりにしているが、言語も由来も各族ごとに異なる。
posted by たくせん(謫仙) at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾 八十年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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