2006年04月30日

雲南憧憬 5 昆明

うんなんしょうけい 5 こんめい

 桂林から午後も遅い飛行機で昆明に向かう。ただし時差(北京時間)の関係で明るい。
 山々の間に白い塊があちこちにある。しばらく見ているうちに雲であることに気づいた。
 二千メートルを越える山では下に雲海を見ることが多い。ここは高地なのだ。
 昆明に着くとまず夕食、この時オプションツアーの紹介があり、8人が参加した。
 少数民族のショーらしい、一人三千円(日本円)。
 モダンバレー風なすさまじいダンスだったのだが、ほとんどの人は「眠たかった」。半分寝ていたと言う人も。わたしもかなり寝ていた。
 さわり集みたいなショーで、高度なダンスが休みなく続くのに、飽きるのだ。ピエロのいないサーカスのようなものか。

 昆明の二日目は石林にむかうが、その前に市内の円通寺という寺に行く。この寺は門が高いところにあり、本堂が一番低いところにある。
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 円通勝境の門は呉三桂によって建てられた。文化大革命でだいぶ痛められたが、それでも青い色などの名残はある。
 呉三桂は陳円円の話があって漢民族では裏切者扱いだが、実情は少し違う。明王朝を滅ぼしたのは李自成であって、呉三桂でも清でもない。呉三桂は前線では清軍と対峙し、後ろからは李自成の軍の攻撃にあい、降伏しか道はなかった。明王朝の臣としては、李自成に下るわけにはいかなかったであろう。
 後に、ここ昆明に封じられ王(爵位)となったが、外様の呉三桂を取りつぶそうとする清朝中央政府の希望は感じられ不安もあろう。そんな時に安心を求めて、この門を建てた。

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 円通宝殿の屋根は黄色系統の色が使われている。これは貴賓の色であり、皇族だけが許された。格式の高い寺であることが判る。
 この中にある三体の仏像は、元代の創建直後にインドから贈られたものである。
 また、昆明で最も古い仏教寺院である。唐代に雲南には南詔国という国があった。その時ここに補陀羅寺を創建した。そして元の時代に再建した。
 寺域は池を巡らし、庭園となっている。基本は大乗仏教だが、後方にある殿堂には上座部仏教(小乗ともいわれる)の教典もあり、ラマ教の殿堂もある。

 石林は後にして、石林から帰ってからの話を先にする。

 雲南省は94パーセントが山で、全体では26の少数民族が住んでいる。
 昆明はミャンマー・ラオス・ベトナムにも近い雲南省の省都である。漢族以外12の少数民族が住んでいる。
 一年を通して温暖なため春城ともいわれている。城とはもちろん城市のこと。
 郊外には昆明湖がある。琵琶湖の半分ほどあるというからかなり大きい。
 石林から帰って、昆明湖の西山の竜門というところにリフトで登る予定であった。
 途中で雲南省博物館に寄ったのがトラブルのもと。予定外であるが、旅行社は予定していたであろう。博物館は土産物屋の付属物のイメージだった。売り物は数十万もする。わたしたちは展示品の説明だと思って聞いていたが、売り物の説明だった。その説明者は大学の講師で、その日たまたま博物館に来ていたので説明してくれたというのだが。
 いまだこうして、毎日土産物屋に寄るよう計画せねばツアーの許可が下りないというのも問題だが(お客の滞在する最低時間まで決まっている)、そこに寄ったためタッチの差でリフトに乗ることが出来なかった。ガイドの不手際だ。トロッコに乗って登ることになったので、それ自体はたいしたことではないのだが、その理由が予定外のところに寄ったためとあって苦情が出た。お詫びとして、夕食に「飲み放題で…」となったが、シラ〜〜。 だって一杯ずつビールが付き、ほとんどの人がそれで充分。それ以上酒などを出されても。
 結局、お茶を一缶ということでけりがついた。
 トロッコでかなり上り、それから狭い階段を登る。普通なら一人しか通れないところを上りの人も通るため大騒ぎになった。
409.jpg

 眼下に昆明湖が広がる。この湖はten.jpg池ともいわれる。
 昆明という都会には必要な湖であろう。
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411.jpg
 この道は人の手で彫ったもの、絶景とはいえ、下を覗くのは怖い。
 もともと仏教の修行場であり、観光用の道ではない。
posted by たくせん(謫仙) at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 雲南憧憬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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