2006年04月30日

雲南憧憬 2 漓江

うんなんしょうけい 2 りこう

 夜の飛行機で広州を飛び立ち、桂林に到る。ホテルに着いたのは夜中の十二時少し前。 それなのに翌朝は六時にホテルを出発して、漓江下りに向かう。朝食は弁当だが、腹を満たすだけの食べ物。
 渇水期でもあり、数ヶ月全く雨が降らないので、漓江は水たまりのよう。気を付けていると、わずかに流れているのが判る程度。
 そのため本来の漓江下りの一部しか、船が通ることができない。三分の一程度か。

 そのため、出発を早くしないと間に合わないのであった。
 まだ地理を把握しないうちにホテルを出たので、地理的記憶が曖昧である。
 朝のうちは雨模様であった。バスの前の窓が少しずつ曇ってくる。しかし、ワイパーを動かすほどでもなく、道行く人にも傘などは見あたらない。
 農村地帯になると、両側にあの山が目に入る。そこで脇道にはいると農家や田畑が広がり、懐かしい農村風景だ。今でも水牛が活躍している。
 日干し煉瓦の農家の間を通り、小さな船着き場に着く。臨時の船着き場らしく、あたりにそれらしき設備は全くない。

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 曇り空なので景色はぼんやりしていた。それも漓江らしいか。

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 そこから三十人乗り程度の小型の船に乗る。冠岩まで、二十分ほどだったか。そこには大鍾乳洞があり、ここを見学するために小型の船に乗ったのであった。
 この鍾乳洞については、後述する。
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 このような漓江らしい景色が延々と続いている。
 先ほどの船着き場まで戻り、バスに乗って、大型船の船着き場まで行く。
 そこには大型の観光船が犇めいていた。

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 船から船へ渡り、四艘目がわたしたちの乗る船であった。中は食事をするためテーブルが並んでいる。わたしたちは屋上の個室であった。これだけでも感激。

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 船はゆっくりと漓江を下る。

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 ここがわたしたち10人のグループの個室。
 下の客室の人たちもときどき上がってきて、写真を撮っていた。

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 この独特な風景は、風光明媚という言葉がぴったりする。
 昔から文人墨客が愛でた土地を、日本人も普通に見ることができるのだ。
 昔、この風景画を見た日本人は、これはデフォルメされていると思い、作画技法として利用した。日本の風景を描くとき、山などをこのように描いた。山水画は当然であるが、普通の画、たとえば広重の箱根の山など、山がまるで漓江の山のようである。 

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 土地の人の船は太い竹を五本並べた筏である。漁をし、荷物を運び、観光船に横付けになって商売をする。

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 淡々と過ぎていく。船が川底をこする音がすることもある。
 狭いところでは順番待ち状態であった。
 景色に飽きるころ昼食になる。屋上は我々だけになる。蜂や蝿が入ってくる。景色を横目に見ながらの食事美味しい。
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 グループの一人Hさんは日光の出身で、子供のころ味噌と米と針金をもって、父親と一緒に山に入ったという。山に自生する草を試食して食べられる草を探し、川から魚を捕まえ、おかずにした。針金は罠にし、帰りはウサギを土産にした。今ではウサギはほとんどいなくなってしまったという。
 デザートのスイカは皮ごと食べてしまう。わたしも真似をしようとしたが皮三ミリほどは残してしまった。
 食事が終わると間もなく、終着地である。ここも本来の終着地ではなく、途中の興坪というところである。このあたりの景色は、紙幣の絵になったこともある。
ここでも到着した船が犇めいていて、いつ上陸できるか見当がつかない状態。三十分以上待って、ようやく船着き場に船が着く。
 興坪はけっこう大きな町で、物売りの声がかまびすしい。バスに乗るまで“懐中物にご用心”である。

 興坪からバスに乗り陽朔まで行く。この陽朔が本来の船の到着地であった。
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 西街を散策する。江湖の英雄が飛び出しそうな家並みだが、雰囲気は現代的。土産物屋や旅館などが並んでいる。物売りもあまり押しつけがましいところはなく、好感が持てる。ある店のトイレを使わしてもらったが、店員は少数民族の衣装を着ていた。民族名は聞きそびれた。
posted by たくせん(謫仙) at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雲南憧憬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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