2006年04月27日

山里

山里(sanli)は台東の続きになります。

 1990年元旦
 元旦とはいっても、正月は旧暦で祝う習慣なので、普通の祝日である。
 台東から山里まで約14kmだったと思う。
 地図は当てにならず、この数字は目安と思ってください。
     鉄路   台東−2km 馬蘭−4km 卑南−8km 山里
 当時、わたしが持っていた地図ではこの線路はなく、卑南の次は「檳榔」村のはずであった。
 そこへ行くつもりだったので、駅名が変わったのかと思ったのだった。
 この山里は台東県卑南郷に属する。
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 台東発13:35の列車に乗った。
 山里駅で降りたのは、女と幼児そしてわたしの三人だけである。
 駅長は、その女の人と挨拶をし、わたしのところに来た。
「なにかお仕事ですか?」
「いいえ、遊びです」
   〜
「何もありませんし、もう夜まで列車は止まらないので、降りずに次の駅まで行きなさい」
 しかし、わたしはまだ止まっている列車には戻らず、降りることにした。ザックにはパンと牛乳を入れてある。
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          ここは横路
 ここは、卑南大渓の右岸に帯状に人家と畑の並ぶ村であった。
 駅のあたりだけが少し幅があった。
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          建物は駅舎 
 駅前を数十メートル歩くと集落のあるメインの通りにぶつかる。そこを卑南大渓の上流の方向に向かって歩き出す。
 残念だか集落の写真がない。
 駅前から5分も歩くと畑ばかり。
 とうもろこしが目に付いたが、あとは名を知らず。
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   卑南山の方向 卑南山は雲の中か。
 卑南山の向こう側に檳榔村はあった。そこは卑南族の住む地域である。
 山里は阿美族の村であろう。
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          下流方向
         河川敷には稲とさとうきびが多い。
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         卑南大渓の向こう岸は急峻な山である。
 都蘭山という名しか地図にはないが、山頂はここから5キロ以上あるので、見える山には別な名があるかも知れない。
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         田は二度目の採り入れが済んだばかり。
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          さとうきびの採り入れ中。
          日本の牛より二回りは大きい感じがした。
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         正月に稔った稲。ここは二期作地帯である。
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         途中にあった農家、 かな?
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         私道か、奧に家が見える。
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         一時間ほど歩いている途中にあった三軒目の家。
 ここまで駅から1時間半。写真はないが集落があった。
 そこを川岸に出る。川は二本に別れる。
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        ここでパンと牛乳で腹を満たす。
          左側は鉄橋があった。
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         列車が通る。もちろん山里には止まらない。
         ここから引き返すことにした。
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         檳榔だろうか。ドングリのような実がなっている。
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         釈迦頭、別名バンレイシ(番茘枝)。
 原産地は西インド諸島らしい。
 砂糖のように甘いと聞いたが食べたことはない。
 夏の果物のはずだが、冬にも実がなるのか。

     未熟なる非想非非想 釈迦頭は
             いつか悟りて 市に並ばん
     謫仙

 女の子の歌声が聞こえた。
 果樹園を手伝いながら声を張り上げている。
 わたしを見て、ハーイと手を挙げた。
 通りがかりの人も数人集まって、さとうきびを囓りながら話をした。

     釈迦頭を籠に入れつつ歌う子の
           「卑南情歌」牛も聞き入る
       謫仙

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          山里駅まで帰り着いた。
 5時何分かの台東行き列車があるつもりだったが、それは通学用で今日は止まらないと判った。次は9時近い。
 駅長が夜までと言ったのはそのことだったのだ。
 7時ごろの上りの列車に乗り、次の鹿野で降りて、そこからバスで台東に帰ることにした。
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 歩いているとき、常に対岸に見えた都蘭山或いはその山系の山、通称女体山という。
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         夕刻の駅
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         山里のローマ字に注目。
 台東の駅で切符を買うとき、「シャンリ」と言ったら、「えっ」と聞き返された。
 あらためて日本語で「サンリ」と言ったら山里の切符を出してくれた。
 スニヨンは、兵(軍属か?)に志願して、中村輝夫の名をつけられ、戦地に送られた。
 戦後は、本人不在のまま中国政府によって李光輝の名を付けられた。
 戦後、モロタイ島の山中に隠れ、32年後に見つかった時は、大ニュースであった。
 台東に帰ったときに、32年前に自分の名が変わったことを知った。
 この時、憶えている歌として「愛愛乾杯」を歌ったという。
 故郷では妻はすでに再婚していた。32年の年月とその間の生活苦を考えれば無理もない。
 晩年は花蓮の阿美文化村で過ごした。
 スニヨンの故郷の都歴村は女体山の向こう側である。

     李光輝中村輝夫スニヨンの
     生まれし邦の初春に
     稲は重ねて稔りけり
     三点式の雲薄き
     女体山のふもとでは
     少女は声を張り上げて
     巨大な牛のかたわらで
     「卑南情歌」歌いつつ
     我に手を振りほほえめり
     勧める五寸の砂糖黍
     笑いと日本語飛びかいて
     瑞穂の国の客は我のみ
           謫仙

 宿題があった。なぜ檳榔村に行きたいと思ったか。
 山地歌の中に「檳榔村之恋」というのがあって、ふと現地を見てみたいと思った。前に鉄道で台東に来たとき、駅から村を見たことがある。
 「加路蘭之歌」と「檳榔村之恋」は、実は同じ曲で、歌詞のみ異なる。言語が日本語と現地語で、すぐには同じ曲とは判らなかった。
 「卑南情歌」は「馬蘭山歌」と同じ曲。
posted by たくせん(謫仙) at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾 八十年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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