2006年04月27日

台東

 1982年正月、台東に行った。
 旅行案内書には人口4万と書かれていたが、すでに6万を越えていた。
 現在(2003)では約11万である。
 台東県の総人口が約25万人なのでその40%以上になる。
 わたしは五度台東を訪れている。
 以下の写真や説明はそれを一緒にしているので、前後しているところもある。
 矛盾があったら、別な時期であったと思ってください。
         


    
 初めて立った台東の市街 正面のあたりに県庁や市役所などが集まる。

        
        台東駅近くの公園にて  ウナズキヒメフヨウ
        満開でも花は開かない
 
         
         植物研究所(?)の庭のアマリリス
 もしかすると入ってはいけないところだったのかも知れない。
 地元の女子高校生に連れられて入ったのだが、他には誰もいなかった。
 写真を撮っていると、係員が出てきて、日本語を思い出すように言った。
 「わたしは……ハヤシと、いいます。どんなご用件ですか」


 2年半後にまた台東に行った。真夏である。
           
              駅近くの公園にて

     
      駅近くの寺 宿泊もできるようだ
 
            
            寺の塔に登ってみた
        
         市街地は右手に広がる
 広場は20車線ほどの道路状だが、軍事目的の広場と思える。
 
   
    台東市中心部
          
           塔より見下ろす


 台東の南西十数キロに知本という所がある。
 そこの川では水遊びをしている人がいた。
 海水浴をする人は一人も見なかったので、その代わりか。
         
          知本渓

         
          まるで化石のような石

         
          燃え上がる葉

 写真にはいないが、あたりは様々な蝶が乱舞していた。
 ここは蝶の名所である。
今度は台東の北東7〜8キロ 小野柳である。
 車で行くと、台東・馬蘭・加路蘭・小野柳
 雲上世界−北岳で「馬蘭山歌」を紹介したが、その馬蘭である。ただし馬蘭は平地であって、あの歌のような山また山ではない。
 地図で見ると、加路蘭の少し手前に石山という名が見える。
 それがどうしたといわれると(誰もいわないか)困るが、「加路蘭之歌」の中にその名が出てくるのだ。

   台湾山地歌2 阿美族特選集
 歌うのは廬静子、日本語の発音は曖昧なところがある。ほとんどの歌は現地語(おそらく阿美語)であるが、二曲だけ日本語の歌がある。
 歌詞カードがないので、正確な歌詞が判らないが、次のように聞き取った。

    加路蘭之歌
  ♪夜の石山加路蘭港へ
   一人歌うは石山娘
   月の光に露かと見れば
   青いパワリの涙のあとよ
  ♪月影淡く加路蘭港へ
   なんで泣くかよ石山娘
   わたしゃ泣くのはあ○○○ことよ
   思い出したよ恋しい人よ
  ♪月が沈んだ石頭山へ
   誰を待つかよ石山娘
   わたしゃ待つのは大阪丸で
   遠い内地へ渡った人よ
  ♪夜の石山加路蘭港へ
   歌に歌った石山娘
   歌にひかれた恋しい人よ
   いまに帰れる大阪丸で


「加路蘭港へ」− 鈴木明の「高砂族に捧ぐ」では「加路蘭越え」となっていた。
パワリ    − 上に同じく、パエン=花嫁衣装とある。ただしわたしには何度聞いてもパワリと聞こえる。
 当時加路蘭港から日本まで大阪商船の船が通っていた。その船が大阪丸である。
     
  
      
       小野柳の海岸
 
          
            海岸の近くミニミニ果物店
 
 加路蘭からさらに20キロほど北上すると都歴に至る。
 そこはあの中村輝夫の出身地である。ご存じない方もいよう。元日本兵がモロタイ島の山中に32年間も潜伏していた。助け出されたときは大ニュースであった。
 佐藤愛子−「スリヨンの一生」に詳しく書かれている。
 スニヨン(スリヨン)が台東に帰ったとき、憶えている歌として「愛愛乾杯」を歌った。
 この歌が廬静子のもう一つの日本語の歌であった。
 コミックソングである。
  ♪♪いつもこのよなら 歌でもなんにもいわないで
    そりゃ友だちさんに済まないけれど
    また皆さんに済まないこと
    そんなに言わねでね、誰でも若いときゃ同じこと
    愛愛情のお酒なら
    お互いにチョビチョビ飲みましょう。

 初めて聞いたときは吹き出してしまった。


 先日、浜離宮庭園で、竜舌蘭の花が咲いたという話が新聞にあった。植えてから五十五年。花が咲くとそのまま枯れてしまう。まるで竹の花が咲くような話であった。
 竜舌蘭の花の特徴は、花茎が伸びてなんと十メートルにもなることである。
 台東ではそれほど珍しいものとは思っていなかったので、何気なく見ていたのであるが、そんなにも珍しいものであったのか。近寄ってよく見ておくのであった。
         
          竜舌蘭の花茎らしい
 
 こうしてみると、まだ蕾のようだ。
 アメリカでは俗に100年に一度咲くと言われているらしい。
 ネットで「竜舌蘭」を検索してみたところ、浜離宮以外にも、小石川植物園など数件の開花例が報告されている。きれいな花の写真もある。
     
     加路蘭とはすこし方向が違うが、有名な牧場がある。
     初鹿牧場だったか。
          
          結婚式のあと牧場にきて記念撮影。
          こんな姿が数組。


 台東に戻って海岸に出る。
    
     わたしのかわいいガールフレンド
        

 この美しい小石の海岸も、のちには巨大なテトラポットが並び、それを越えて海岸に出るのは危険である。
 共産軍の襲撃を防ぐためというが、ここ以外はいままで通りなので??である。
 そこから一キロも行かないところで、釣りをしている人がいる。朱さん(仮名)もいた。
   
     釣り上げた撞木鮫(シュモクザメ)
 えさは15センチほどの鯵、その鯵に針を巻き付け、泳ぎの得意な人にそれをもって沖まで泳いでもらう。有料である。
 朱さんは4本の釣り竿を出していた。少し離れたところでも同じように竿を出している人が何人かいて、針をもって沖まで泳ぐ人は、それなりの収入になるようだ。
 朱さんはひとりで住んでいた。朱さんの家で、お茶をごちそうになり、ビデオを見たが、それがなんと「水戸黄門」、公主(姫の意味、おそらく郡主の方が正しい訳)は堀ちえみであった。わたしが初めて見たビデオである。
 参考のため、その家を説明しよう。
 コンクリートの打ちっ放しで、床は外とほとんど同じ高さ。
 二部屋あり、一部屋は六畳ほどの居間でソファーとビデオがあるのみ。もう一部屋は少し広く台所や風呂など。
 狭い天井裏を寝室としていた。ここには梯子で登る。
           
     布団はこんな風にたたむ ホテルのパンフレットより
 台東は阿美族が多く住む。その地域の中程に、きれいな小川が流れていた。そこで土地の人たちが洗濯をしていた。(わたしの着ていたものも、その中に混じっている)
 わたしが世話になった家では、仏間に二枚の少年の写真があった。国共内乱で生き別れになった、ご主人の二人の兄弟の写真であった。
「まだ十代であったが、それ以来一度も会っていない。まだ生存しているという消息はあるのですが、手紙を出すこともできない」(朱さんの通訳による)

     
      近郊の田圃 このあたりは二期作地帯
 2回目の取り入れが終ったところか。
 日本の田舎そっくりの風景である。

     このあとは間接的に山里に続きます。
posted by たくせん(謫仙) at 14:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 台湾 八十年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たくせんさん、台東にもう5回もいってらっしゃるのですね。
わたしは台湾にも、中国へも行ったことがありません。
かろ欄港へはいとしい恋人を思った歌。
その歌のなかに大阪丸という言葉がこころにしみいりました。
このような若輩ものにいろいろ教えてくださってありがとうございます。
Posted by 龍之介 at 2007年05月27日 11:35
戦前は、船便ですから、小さいながら玄関口だったことでしょう。
普通こういう歌は、旅をした男が現地の女に恋をして、別れを悲しむというのが多そうです。この歌は仕事で出かけた恋人を思う歌。視点が違うので同情する気分になります(^_^)。
アミ族は歌の上手い民族で、民族語の歌は素晴らしいのですが、今では新しい歌に席巻されているかも知れませんね。
台東はわたしの台湾に対する心の錨みたいなところですね。いわゆる観光資源のようなものは紹介した程度でした。最後に行った時からすでに20年近くなります。
Posted by 謫仙 at 2007年05月28日 07:26
それにしても、台東に5回もいらしたとは、珍しいですね。

私は1回だけ行きましたが、信じられないくらいおいしいパンを出すカフェがあって、すっかり気に入りました。

私が行ったのは10年くらい前かな? 繁華街はこの写真からちっとも変わっていなかったように記憶しています。
Posted by 木苺 at 2012年06月28日 22:24
わたしも食事は気に入りました。豪華とか珍しいとかではないンです。
なんでも油にする中国的ではなく、日本食のように煮たり焼いたりして胃に優しい。お世話になった家で家族と一緒に食べたりしたので、気取らない食べ物を多く食べました。
台湾世界も急激に変化しているようですが、地方の小都市ではまだあまり変化していないのでしょうか。
Posted by 謫仙 at 2012年06月30日 07:22
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