崑崙派の何太沖(鉄琴先生)のところでは毒蛇の話はなく、ただの毒の話になって、張無忌は、妾を助けたのに殺されそうになり、楊逍に助けられる。楊不悔の父親だ。楊不悔を預け別れる。少し変えてあるが基本は同じ。
そして紅梅山荘に行くことになる。主は朱長齢、「射G英雄伝」の朱子柳の子孫だ。
小説通り騙そうとする。それにしても大理国の高官の子孫が、道義的にここまで落ちるとは。
武当山に集まった面々もそうだが、謝遜の行方を尋ねるが、本当は屠龍刀欲しさ。屠龍刀を持つと天下を取れるといわれるが、いま屠龍刀を持っている謝遜が、15年経っても盟主になれないどころか、行方不明であるのをどう思っているのか。
第十一集
朱長齢はついに家屋敷に火を放つ。そこまでして張無忌を騙し、屠龍刀を手に入れたいのか。
張無忌は騙されたことが判り逃げだす。
山の中腹から平原に出て草地を走っていて、岩陰に隠れたが、そこは絶壁。どうしてそんなところに行けたんだ。前方には探している人たちがいるようだがどうなんだろう。
ここを逃げて、
ここに隠れる。前方に先ほど走った草原があるらしい。
朱長齢たちもどうしてここに来たのかな。ここで張無忌を捜しいてる。隠れていた張無忌は結局出てきて朱長齢と争い、そこから落ちて下のそっくりな場所に落ちる。落差はどのくらいか。
ここは上からは見えない。それほど広大な谷なら、前の写真で岩に隠れて、前を気にしていたのはなんのため(^。^)。
ここで朱長齢は5年過ごすことになる。
張無忌は岩の裂け目から洞窟を抜けて逃げる。狭くて朱長齢は通れない。その洞窟の短いこと。向こう側が見えて、数メートルしかなさそう。(手が届くからもっと短いかな)
向こう側もそっくりな地形。うりみっつ(^。^)。
この岩棚と前の岩棚は背中合わせで、手が届くほどの距離。上の方はどうなっているのだろう。屏風のような岩かな。オーバーハングしているようではない。草原があって走って逃げて隠れたところ。かなり広いはず。この地形で無理だなあ。陰の方向も気になるが…。
隠れたところは普通の崖にして、トンネルを長くすれば問題ないはず。
整備された庭園のような荒野。狭い空間。洞窟を抜けた時は広々としていたのに(^_^)。
そこは別世界で猿の一団がいる。近寄ってきた猿は首輪を付けていたりする。その中になんと真っ白なゴリラが一頭。
大猿とはいうが、ゴリラとは。実際腹の中に本を4冊も入れているのはこれくらいの大きさが必要か。神Gのときも思ったが一頭だけではこの世には生存できない。生き残りの最後の一頭にしても、本を腹に入れてから90年以上たつ。小説では普通の猿、ただし長生き。
この本は金剛経だった。小説では梵語なので張無忌には読めないが楞伽経(りょうかきょう)である。この本のもと空白部分に九陽真経が書かれているのだ。この本によって九陽真経を習得する。
このゴリラは神秘の生物だから何百年でも生きるか。しかしそれなら本を入れるとき、神秘の生物になんと簡単に入れてしまったこと。
ここに5年いて少年から青年に変わっていく。玄冥神掌の傷も九陽真経によって完治した。
で、猿と遊んでいるとき、バナナを食べている(^。^)。
…………………………
ネット(ウイキ)では、小説日本語版の九陽真経は九陰真経の誤訳であるといっている。しかし、中国製のドラマでも九陽真経といっているように、誤訳ではない。しかも張無忌が武当山で習ったのはその一部。ここで習得するのは矛盾しない。
神G剣侠第五巻の終わりのところでも「九陰真経とは別な九陽真経」といっている。
この件については、コメントを参照してください。
日本語版小説の倚天屠龍記で、黄衫の女が出てくるあたりなどで「九陰」と「九陽」を取り違えている箇所がいくつかあります。
「九陰白骨爪」を使っているのに「九陽白骨爪」となっていたりする誤植があります。
原文では「九陰」と「九陽」は正しく区別されているので、訳すときの間違いとは思えませんから、どこでかはわかりませんが字を間違えたためと思われます。
そういう間違いなら、判ります。
それはもしかすると、いま手に入る版では正しく区別されていても、翻訳に使った原文はそのような誤植があって、間違いに気づいていてもそのまま使ったかも知れませんね。
こんど倚天屠龍記を読んだらそのことに気を付けて読んでみます。
この秋に再放送された『神G侠呂』をみて、武侠ドラマに目覚めた者です。
近くのTUTAYAに行ったら、武侠ドラマというコーナーがちゃんとあるんですね!ブログでみかける作品名が並んでいるのですが、『射G英雄伝』と『神G侠呂』はありませんでした(涙)
ドラマはエンデイングなんかもかなり違うようなので、原作の『神G剣侠』も読みたいと思い注文してしまいました。楽しみです。
あの〜、とてもミーハーな質問させてください。
『神G侠呂』のカテゴリーを全部読んだら、黄暁明の声が中国語でも吹き替えとか。。
どうしてそんなことするのでしょうか??
とても不思議です。
レンタル店で無かったのですか。もう古いのかなあ。みる人は見ちゃったとか。
原作はぜひ読んでください(^。^)。やまりドラマより矛盾は少ないですし、ドラマではバカバカしいことでも小説なら納得がいくと思いますよ。
黄暁明の声のこと、わたしには区別できませんが、そう言われていますね。
まず、撮影の時は映像だけで、編集後、日本語版で声優が声を入れるように、中国語でも声を入れます。あのアクション中の声ではうまくないんでしょう。
ところが黄暁明の場合は、声を入れるとき別な契約があって、参加できなかった。それで代わりに声優を使った。といわれています。
古いものでは、もとは広東語(香港ですね)で、それを放送するとき普通話の声を入れた、と聞いたこともあります。地方毎に言葉が違うので、地方毎に声を入れるなら、普通話でも声優が入れるのに抵抗感が少ないと思います。
>地方毎に言葉が違うので、地方毎に声を入れるなら、普通話でも声優が入れるのに抵抗感が少ないと思います。
なるほど。。中国はおそろしく大きいですもんね。言葉も数種類あるのでしょうね。先日もチベット語の授業を何割だか漢語に!とかで揉めてましたね。
中国のTVドラマを見たのが初めてだったのですが、日本に比べて遅れた作りなのだろうと思い込んでいたんですね。
でもCGなんかも上手に使ってるし、映像も綺麗だし、驚きでした。
特に、『風の魔術師』とか言われるスタッフがいるに違いない!と思うくらいに、髪のなびかせかたがうまかったです。
楊過などは、あの長髪のなびき具合で、いい男度3割増しって感じです。
衣装デザインと化粧も素晴らしいですよね。
見た目ばかりでごめんなさい、なのですが、
何しろ美しいものをより美しく表現する、中国三千年の底力を感じました。
>何しろ美しいものをより美しく表現する
これは女優と景色に別れますね。
女優の場合、洋装でいると普通の美人なのに、武侠に登場すると、絶世の美女に変身します。
景色の場合は、いいところきれいなところのつぎはぎだらけ。(^。^))。
矛盾していようが、きれいに見えればいい、というところがあります。
リアリティということに関しては無頓着ですね。これを見ると、遅れているなあと思いますが、話の面白さは抜群、武侠では良くも悪くも目立ちます。
この回の岩棚の話、メチャクチャです。でも面白ければいい、という作り方ですから。
日本ならもっとリアリティを重視します。これを進んでいると見るか、遅れていると見るか。なんとも言えませんね。
髪の毛の場合、「風に吹かれて」もありますが、逆光で金色に輝いたりして、うまいなあと思います。
今年の9月、横店の撮影所を見てきましたが、スケールの大きさにびっくりします。世界一と自慢するだけあります。だから中国はスケールの大きなドラマが得意ですね。