2010年11月14日

09年版 倚天屠龍記1

 射G三部作の三番目になるドラマ倚天屠龍記の張紀中版がでた。上下のうち上巻が届いた。
 前評判は低く、悪評ばかり目に付き、買うかどうか迷ったほど。実際に見てみると悪くない。かなり原作に忠実だ。

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第一集
 まず、崑崙三聖が登場し、覚遠との争いになる。それを少年張君宝(張三豊)も見ている。そして一気に張三豊の90歳の誕生日を迎える。その思い出話としての崑崙三聖の話であった。
 この思い出の中には郭襄(小東邪)は登場しない。
 ここまで一気に話が進む。相当の省略があるが、この物語ではかまわないはず。郭襄(小東邪)の話はほとんど関係なく、この思い出話だけで充分に話がつながり矛盾しないであろう。
 面白いので見逃しがちだが、関係の薄い話が長いのは、この小説の欠点でもある。思い切って別な小説としてしまうか、構成を工夫して思い出話の中に登場させるなどして、小説として一体感を保つべきなのだ。だからこのドラマのあり方は賛同できる。
 ただし、ここに重要な言葉がある。このドラマの導入部分は、崑崙三聖が「経典は皿の中にある」という言葉を覚遠に伝えるため。それだけのためにある。

 本では第一巻P89で崑崙三聖が「イン克西」から聞いた言葉を覚遠(少林寺)に伝える「金は油の中にある」
 第三巻P17で張無忌が猿の腹から楞伽経を取り出したとき、
「経(ジン)は猴(ホウ)中にあり」を「金(ジン)は油(ヨウ)中にあり」などと聞いていたのである。 と謎解きをする。

 さほど重要ではないのであらすじには書かなかったが、どうでもいいわけではない。百年来の謎である。こういうところは変えてはいけない。皿(min3)と油(you2)では発音がまるで違う。
 ドラマの中国語は 「経書是在油中」 だ。
 これがなぜか翻訳字幕は「経典は皿の中にある」となっている。これでは謎が解けない。
 判っているのになぜ「皿」にしたのか。
   
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 少年張君宝が武当山を開き、張三豊となのり九十歳の誕生日が間近のとき。
 まわりは武当七侠のうちの六人。
 「九十歳になるが、まだその意味が解らない」というのは上の「経書是在油中」のこと。

 武当山の三番弟子兪岱巌(ゆたいがん)が江南で襲われ、身動きできず、馬車で武当山に運ばれる。運んだ龍門鏢局は武当派をなのる偽者に兪岱巌を渡してしまう。

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 輸送では急げと馬を走らすが、半数以上は徒だ。馬だけ急いでも……。
 ここまでもかなり省略されている。

 物語は屠龍刀の奪い合いが話の中心だが、この屠龍刀はまるで、菜切包丁のように幅が広い。

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 倚天剣と屠龍刀
 左 このドラマ  右 武侠酒家の飾り、これが常識的。

 射G英雄伝・神G侠侶・倚天屠龍記と物語が変わるごとに、ドラマの武器の形が大げさにマンガチックになっていく。
 神G侠侶で楊過の持っていた玄鉄重剣は七十斤あまりだった(神G剣侠文庫第五巻65頁)。玄鉄重剣から倚天剣と屠龍刀が作られた。それで屠龍刀は重さ百二十斤ほどというのは、原作の矛盾だ。第4巻P128に 楊過が郭襄に送った玄鉄剣を溶かし、西方の鋼も加えて倚天剣と屠龍刀を作る、とある。
 ただし、ここでは120斤という数字は出てこない。何斤に設定したのかな。数字が出てこなければ原作の百二十斤ほどと考えるしかない。
 現在の度量衡なら120斤は60キロほど。(年齢なら現代の数え方で数えている)
 なお玄鉄とは流れ星が燃え尽きないで落ちた鉄のこと。比重は普通の鉄と同じだが、物語では特別な金属扱いをしている。玄鉄だから、鉄より重く、普通の炉に入れても溶けない。百%玄鉄というわけではないかも知れない
 武当山の兪岱巌(ゆたいがん)を兄弟弟子は三哥・三弟とよぶのに、翻訳字幕は岱巌。微妙な日中の呼び方の差だ。この差は随所にある。
 時々武当山が出てくるが、その時に流れる声が印象的。仏教でいえば読経と声明の中間のような、独特な神秘的な声が響く。

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 武当山 これは実際の景色かな、まるでCGのような色合いや形だが。
posted by たくせん(謫仙) at 09:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 倚天屠龍記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このドラマでの倚天剣と屠龍刀はこれで良いと思います。
原作の玄鉄重剣は見た目は普通だが非常に重いという設定ですが、それを映像で表現しようとしてもなかなか伝わらないので、前作のドラマでは非常に大きい剣としてパッと見に分かりやすくしました。
その巨大な剣の半分を屠龍刀、半分を鋳直して倚天剣としたとこで、前作とのつながりを感じさせるアイテムになっているのではないかと思います。
重さの何斤とかは、関羽の青龍偃月刀の重さみたいなもので、使い手の凄さを表現する手法と捉えればいいのではないかと思います(^^;
Posted by 八雲慶次郎 at 2010年11月14日 19:22
八雲さん
本来無理な設定なので、どうするかは作り手のセンスの問題になりそうですね。
重さを映像で表現する。わたしの場合は原作を読んでいて、原作を知らずに初めてドラマを見る人の感覚が、いまひとつ判らないのですが、使い手の凄さを表現する手段としては納得できます。

今そう考えながら、油問題をふっと思ったのですが、皿というのは猿のことではないか。
「猴(ホウ)中にあり」を「油(ヨウ)中にあり」は中国語として判るが、初めて見る日本人には判りにくい。
「猿の中にあり」を「皿の中にあり」。苦しいけど、日本語としてはこうなる。
それなら「ざるの中にあり」の方がよさそうだが、それはともかく「皿」の意味が推測できました。
滅絶師太は評判が悪いですけど、倚天剣を紀暁芙に預けるあたり、けっこう太っ腹。

全体的には悪くないと思いますね。
Posted by 謫仙 at 2010年11月15日 07:42
ごぶさたしています。

皿と油の件、金庸迷の部屋でも話題になりました。
原作読了組にしてみると、やっぱり気になりますよねえ。

直接、M社に問い合わせたメンバーによると
謫仙さんのご推察の通り。

なんでも、日本語版作るときには、
原作やストーリ展開に矛盾ができないよう
かつ、日本語としても無理がないように
科白を作るのに苦労するんだそうです。

と、とりあえず、ご報告でした。
Posted by 迷子 at 2010年12月29日 12:26
迷子さん
日本語として無理がないように、は苦労しそうですねえ。岡崎さんが鹿鼎記で中国語の駄洒落や言い換えなどを日本語にするのに苦労したようですから、それと同じことがあったんでしょう。
小説では、それなりに漢字とふりがなでなんとかなりましたけど、テレビドラマでは難しい。かえって、原作読了組にしてみると、おかしくなってしまっている。
直接問い合わせする事は思いつきませんでした。

金庸迷の部屋、一度覗いたことはあるんですが、足が遠のいています。
Posted by たくせん(謫仙) at 2010年12月30日 07:41
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